‥‥何気に覗いたブログの足跡から。。。
‥認知症のお父様の事を綴られている内容を読ませて頂いて。
‥‥親の介護。
誰でもが直面する事ですが、認知症と他の病気とでは全く状況が変わってきます。
もう、15年以上前になりますが、母が肺炎で入院中に父が脳梗塞で倒れそのまま入院。
母の病状は良くなりましたが車椅子になり、父をあてにしていた筈が、父がそのまま認知症になり、、、結局両親は施設と病院を往復する事になり、退院して家に帰りたいという思いは叶わないまま相次いで亡くなりました。
その時は、認知症がどういうものかあまり解らず、父の行動や言葉に笑ったり泣いたりでした。
体は麻痺などはなく動き回っていたので、夜中に施設を抜けだして冬の寒い中パジャマとスリッパという格好で何キロも歩いていた所をパトカーに保護されたり、同じ施設の入所者に突然暴力をふるったり、他の人の食べ物を勝手に食べたり、薬をあさって食べたりと、、
今までの温和で優しかった父とは、別の人格になってしまい、様々なこの行動を職員の方から説明を受けて、退去する事になった時は、信じられませんでした。でも、現実でした。認知症のひとつの症状でした。
突然、周りの人に暴力をふるう症状が、施設を転々とせざるをえない理由でした。
お見舞いに行くと、施設の職員だと思って話をしたり、随分昔の話ばかりして、自分の住所は、昔の町名で、初めて聞く住所でした。
知らないおばさんの事を母と勘違いしていたり。。。
その時に、お世話になっていた施設の食堂で働いていた従兄弟に『お父さんは、もう、以前のお父さんではないのよ。違う人なのよ!』と言われ、ショックでしたが、それからは冷静に父の相手ができるようになりました。
亡くなるまでの約5年間は、泣いたり笑ったりの日々でした。
その同時期に、義母の介護も始まり、毎日の様に、3ヶ所の病院と施設を回るのが生活の中心でした。
‥‥人生の中で一番辛い時期でした。時々、自分を見失いそうになりました。
何もかも投げ出したくなる時もしょっちゅうでしたが、そんなわがままは許される訳もなく、電話がなる度に「今度は、何?」と、ドキドキでした。
でも、不思議ですよ。
父が病院で亡くなる前、最後に面会に行った時、いつもツジツマのあわない話ばかりなのが、その時は、しっかりしていて、帰るときに『来てくれて有り難う。気を付けて帰りなさい。』と、言ったのです。
その時は、気が付かなかったのですが、認知症になってから初めて掛けてもらった親らしい言葉でした。
その面会の日から、数日後に亡くなりました。
あの時の、父は昔の優しかった父でした。
もう、あれから、15年以上経ちます。
‥義母の介護は暫く続き、数年前に眠る様に逝きました。
その時の綺麗なお顔は今でも忘れません。
今の幸せは、こんな時期を乗り越えてやっと、辿り着いた両親や義母からの贈り物だと思い感謝しています。
‥‥誰にも言わないで過ごしてきた当時の気持ちですが、今同じ状況にいる方がたくさんいらっしゃると思うのです。
必ず訪れる両親の介護ですが、そのぶん、幸せが訪れると思っています。
‥長い人生、辛い時期も有れば、良い時期もありバランスがとれているのだと思います。
100%なんて無理です。周りの方に助けて頂いて、ご自分の体も大切にして下さい。
頑張ったぶんだけのお返しを必ず頂けますよ。
★‥‥く〜ちゃんのぶらぶら散歩。
‥お天気が下り坂です。
く〜ちゃんがお気に入りの東屋のある公園に行きました。
‥‥この公園は、人影も疎らで静かなので、く〜ちゃん、尻尾をブルンブルンさせて歩きました。ご機嫌です。
‥‥今日は、いつもと違って真面目なお話になりました。
文字にすると、気持ちが溢れて長くなってしまいました。
‥‥お付き合い有り難うございました。
感謝です。