団塊世代の真っ只中!

団塊世代のジジイ、チョコ色犬&黒色犬や手習いを中心に日々を書きとめていきます。*'20年4月改訂       

2011年 心に刻んでおかなくてはならない出来ごと 後篇

2011年12月29日 | その他


2011年 心に刻んでおかなくてはならない出来ごと 後篇

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10、明日は今日より良くなる。

20日

道が整備され、陸前高田にたくさんの重機が来てくれました。


そして、瓦礫を除けるとたくさんの遺体が出てきました。

遺体はトラックに乗せて運ばれて行き
早く探している人たちと会えるといいなと思いました。

また悲しみが広がりました。

瓦礫の下から昨日から復旧して電波の入るようになった携帯の着信が聞こえました。

妊婦さんの遺体が出てきたときも本当につらかったです。
何の罪もない人たちが犠牲になる現実。
人が生きていく意味が分からなくなってしまいました。

数日前まで思い出のつまった自分の家が建っていたところが道になっているそうです。

生存者がいたときのために救急セットを用意して
重機の作業を見守っていたけれど残念ながら私たちの出番はありませんでした。

ため息と涙ばかり出てきてあとはひたすら悔しかったです。

熱と食欲不振で受診した男の子と話す。

泥だらけのドラえもんの本を見せてくれました。

ドラえもんの道具で何が好き?と聞いたら

「ずっとお座敷釣り堀が好きだったけど今はタイム風呂敷。
タイム風呂敷で地震の前の高田に戻したい」と言っていました。

純粋な子供たちの心まで傷つけた震災。

ちょっと休憩をもらえたので立ち入り禁止区域が解除されたところに行ってみると
おじいさんが必死に何かを探していて。
60年集め続けた切手のコレクションを探しているとのこと。それとアルバムも。

親の位牌を探す人、
旦那の形見を探す人、
飼っていたペットを探す人、
ランドセルを探す人、
家族を探す人・・・


瓦礫をよけると遺体が出てきそうで怖かったけど
みんなで探したけど全然見つからなくて悔しかった。

人の命や宝物までこんなふうにいとも簡単に奪っていくなんて

おじいさん以上に立ちすくんでしまって逆に励まされてしまった、情けない自分。

頑張ってとか頑張ろうって言えない。
頑張り過ぎてるくらい頑張ってるのを見ているから

「我慢しよう」「乗り越えよう」としか言えない。

これ以上頑張れとは言えないし、頑張ったところで
どうにもならないことがたくさんありすぎたから。

だけど、だんだんいい方向にむかってるよね?

今日はちょっと寒いから気持ちも弱気。

でも頑張ろう!!


たくさんのお別れもあったけど
今日やっと家族や友達に会えた人もいるんだから。
11、スマイル。

携帯が圏外で使えなくて
不便なこともたくさんあったけど
そこまで行って言葉で伝えることや
話ながら背中に手をあてたりぬくもりもたくさんあった。
連絡が取れないから待ち合わせ場所に遅れないようにみんなが早めに来たりした。
ネットも繋がらないから必要な情報が入ってこないから
みんなで相談したり仲間を信じて行動した。
知りたくもない情報は入ってこないから日常を離れた気分になれた。

お金も必要なかった。
使ったのはテレフォンカードを買っただけ。
でも被災地ダイヤル回線でお金はかからなかった。

素敵なバッグもおしゃれなコートも必要ない。

あったかければなんでもいいから羽織っていた。
頭が寒かったときはハーフパンツをかぶって寝た。
私なんかより抵抗力の弱いお年寄りが寒くないようにみんなで掛け物を提供した。

自家発電が終了する夜は小さなろうそくのもと
これからを避難所のみんなと肩を寄せて話した。
瓦礫の山とぬかるんだ地面の陸地と対象的に
真っ暗な夜空に星がいつも夜になるときれいだった。人の声を聞くとほっとした。

水が出なくて資源の大切さを実感した。
髪も顔も洗うような無駄な水はない。
お風呂に入れなくて赤ちゃんのおしり拭きで全身を拭いた。
それで出たゴミは持ち帰った。

避難所や救護所や病院で奇跡の再会ができた人もたくさんいた。
そのたびに誰彼関係なく周りは拍手。まだ自分は身内に会えてない人まで他の人の再会を祝福していた。

その光景を見て家族や友達や同僚や親類や仲間の大切さを再認識した。

ちょっとだけ早く帰りたくなった。

1人でいる人に誰か必ず寄り添っていた。


私が医療物品を1人で詰めていても必ず現地の人が話し掛けてきた。

炊き出しの時間も現地の人優先だったので
見てるとお腹がすきそうだから救急車の中にいるといつもお裾分けに来てくれた自分の母親くらいの年齢の方がいた。

「○○チャンに倒れられたら
それこそ大変だから」と私の名前を覚えてくれていつも届けてくれた。

自分の明日の食事も見通しがつなかい状況なのに
申し訳ないのと感謝の気持ちでいっぱいでいつも母のことを思い出していた。

そんなときラジオから
都内で物資を取り合いしているニュースが流れていて
震災の被災地が東京だったら絶対復興はしないだろうなとぼんやり考えていた

ラジオのありがたみも知った。
日本語って本当に素敵だと思う。
スペイン語をマスターしたかったけど日本語をもっと大切にしたくなった。

ラジオからはいつも前向きな歌が流れていたし
きっとみんながリクエストしてくれたんだと思う。

アンパンマンの歌、平原綾香の歌、岡本まよの歌、
ミスチルの歌、嵐の歌、世界にひとつだけの花はほとんど毎日流れていた。

あと懐かしいところでは
「それが大事」とか「どんなときも」とか。

ラジオからドリカムの
『何度でも』が流れてきたときは患者さんを運びながら涙が止まらなかった。
すっごく勇気をもらった。友達の顔や家族の顔が無条件に浮かんできた。
医療チームも腕まくりする人が増えたから歌に後押しされていたと思う。

眠れない夜は翼の「君となら」とか「見果てぬ夢」とか「ただ・・・」を一晩中聞いていた。
勿論曲に励まされたけど、
あの楽しくて明るい空間って当たり前じゃなくて
そこまで行けることや
みんなが元気に参加出来ることって本当に恵まれた環境だったんだと思った。

あの会場にいた震災に遭った友達のこともずっと思い出していて
早く楽しい場所で笑顔で会いたいと思った。

いくら芸能人が「頑張って」とエールを送ってたとしても
なんせ電気が思うように復旧していないし
やっと見れたテレビはすべて震災情報、ラジオも震災情報、
新聞も震災情報。

エンタメ情報なんてひとつも入ることはなかった。

避難所のみんなもニュースしか見ていないし
他の避難所がうつるたびに家族や知人がいないか必死だった。

他県や外国からの
自衛隊の方々、
企業からの支援、物流の運転手さんたち、電気会社の方々、医療スタッフetc

すごくあったかかった。

まだまだ日本は捨てたものじゃないなと思う。

こんなときになかなか笑顔になれないけど
挨拶するとき、お礼をいうとき、笑顔でいるように心がけた。

心が折れることばかりの毎日だけど
避難所のみんなの心のほうがどんなに傷ついているか。

傷に薬をつけて包帯を巻くのは簡単だけど
心に包帯を巻くのは難しい。


笑顔の薬、少しでも傷が癒せるといいけど・・・

『誰かの笑顔につられるように
こっちまで笑顔がうつる魔法のように
理屈ではないところで僕ら
通じあえる力を持ってるはず

あなたは今笑っていますか
強がりじゃなく心の底から

憎しみが入る隙もないくらい
笑い声が響く世界ならいいのに』
|
12、人の立場に立つ
21日

今日は三陸の病院へヘルプに。

震災から10日が過ぎて
そろそろ気をはっていた人たちも気力の限界だったのでしょう。

かなりの数のかたが体調不良を訴えて受診しにきました。

突然の災害、寒い毎日、
固い床、プライバシーのない生活、見えない明日、

体調崩すのは当たり前の状況です。

被災から逃れたのに避難所で体調を崩して入院していた高齢者が今日も亡くなりました。

毎日たくさんの遺体を嫌というほど見ても
人が亡くなるということは決して慣れることはありません。

巡視で回ったときにただ眠っている人を見ただけでも生きてる?って思うくらい、トラウマになってしまいました。

今日は適切な医療の限界から患者さんたちを盛岡や県外の病院へ転院のお手伝いもしました。


医療器具が届いたのに
こういう転院はやっぱり悔しいけど、すべて患者さんがより良い治療を受けてもらうためだと言い聞かせて家族と一緒に見送りました。

今日はいつもとは別の避難所になっている公民館へ。

胃腸炎になっている方が多いと聞いていたので
点滴と消毒を多めに持って行ったけどそれでもギリギリのストックでした。

その避難所でベイスターズのジャンパーを着ているおじさんにも会いました。
着のみ着のまま逃げてきた中、薄いベイスターズのジャンパーを着ているなんて普段から愛用しているファンなんだろうなぁと思い、話し掛けると
「大洋の頃から大好き!横浜も俺の人生も仕切りなおしだ」と。

プロ野球の開催についても大揉めしているけど
こうして楽しみに待っているファンもいるという事実。


またみんなが好きなグループのコンサートや
スポーツ観戦に行って心から笑顔になれる時間も来たらいいなと思いました。

これらは優先順位からいうとかなり後になるかな。

帰る家があって、あったかいお布団とお風呂があって、話を聞いてくれる家族がいて、
そういう生活が基盤にあってこそ娯楽が楽しめるんだなと。

津波の恐怖や、これからの不安な気持ち、大切な人とまだ連絡がとれていない今、
そこにいる避難生活をしているみんなが不安や恐怖や今後についても話してくれました。


明日のことを考える余裕がない、10分先、今日の夜をどう過ごすか、寒くないかって考えるだけで精一杯と。

こんなふうにとにかく誰かに話す相手をもっと増やしてほしいです。

支援物資も日がたつにつれ、必要なものが変わってきたと思います。

そろそろ本や将棋やゲーム、
そういう自分の癒しをしてもいい時だと思う。

だってみんなギリギリ踏ん張っているから。
そろそろ張り詰めた糸をゆるめないと。

避難所では昨日9日ぶりに気仙沼で二名の生存者救出の新聞の記事に感動に包まれていました。

自分もつらい時に
他の人の奇跡を喜んでいて、ますますここの素敵な優しいみんなの幸せを心から願い、信じました。

13、Family
22日

私たちがここにいるのも明日がラストになりました。もうすっかり家族です。

この震災で家族を失った人たちをたくさん見てきたけど
家族って血が繋がってる人だけじゃなく一緒に涙を流せたり心に少しでも寄り添ったならもう「家族」って言っちゃっていいんじゃないかな。
だから私は避難所や病院や救護所で関わったみなさんを本当の家族のように思いながら毎日接してきました。

相変わらずまだお風呂に入れない状況。

今日は天気も悪いから仮設住宅を建ててる建設業の方たちも交代で避難所をのぞきに来てくれて
どこか不備がないか見回ってくれました。

医療チームで何かお土産を置いていけないか考えて
建設業の方にも協力してもらい、足湯だけでも出来ないかという話に。

建設業の方たちも即OKをくれて材料で流しそうめん並みのたくさんの人が使えそうなのをあっという間に作ってくれました。


水が出ないから給水車まで行って水をみんなで運んで焚き火の火やコンロで湯を沸かす。

避難所のみんなを呼びに行き、足湯を見せると『えぇーっ』とびっくりした様子。

みんなで一列に並んで足湯をすると、一気に笑顔でした。

あんまりあったかいお湯じゃなかったけど喜んでもらえて良かった。

嬉しくて足湯なのにそのお湯で顔を洗っちゃったおじいさんもいました。

『これみんなの足を洗ったお湯ですよ~(笑)!』って言ったら
『いいんだよ、みんな家族みたいなものだ』と。

みんなも家族みたいって思っていたんだなぁって嬉しかったです。

またみんなの笑顔に励まされてしまいました。

足がずっとぽかぽかだよって言って
ぐっすり眠りについたみんなを見て、自分が出来るちっぽけなことがなんだか嬉しくてずっと泣いていました。

ずっとここにいたいけど
そう思えるのは私には戻る場所があるからですよね。
実際滞在延期を申請したけど、これ以上いたら医療チームが体調崩すのは明確だから一旦戻るべきと反対されてしまいました。

避難されてる方は一刻も早くここを出たいはずですよね。
気持ちはあたたかいけど体育館はとても寒い。
早くみんなの住むところが確保されることを願います。

でもこんなふうに思える出逢いをずっと大切にしたいです。



ここでの仕事は私自身の考えや今後を大きく変えたと思います。



岩手にもたくさんの『Family』がいるよって胸を張って言おうと思います。

追伸:自衛隊の方がとなりの市にテントのお風呂を作ってくれました!
1日数人限定ですがやっと避難所のみんながお風呂に入れる機会ができました!!
さっぱりして帰ってくる笑顔を見て嬉しくなりました。

14、From TOKYO
23日

今日で一旦私の医療チームは東京に戻ります。

かっこいいことを言いながら強気で踏み入れたのに
来たばかりのときは想像をはるかにこえた現状に打ちのめされました。
自分に何が出来るかなんて考える時間もなく目の前で起きていることを把握して無我夢中でやるしかなかった。

毎日モノを数えるように
増えていく死亡者数をニュースを読み上げてるアナウンサーにさえ嫌気がさしました。

1日2000人以上の受診希望者
床に寝せられ点滴を受ける患者さん
泥だらけの入院ベッドに横たわる患者さん
1人任され不安だらけの救護所
避難所での夜間の急病人
水も電気もない分娩室でのお産
受け入れ先病院が見つからない救急医療体制
備蓄のない医薬品
足りない医療機器
浸水して使えなくなったAED

全部が全部思い出せないくらい、毎日が壮絶でした。

朝からずっと走り回っていて気が付くと夜中の3時、4時ってのを毎日繰り返し。
でもそれは私たちだけじゃなく、自衛隊のかたや消防のかた、警察のかた、運転手さん、自治会の会長さん、条件はみーんな一緒だったから頑張れたんだと思います。
私たちは交代でちょっと休めたけど、休めてない職種の方ばかりです。

そんなしんどさなんて被災された方々に比べたらなんてことはないと思うとへっちゃらでした。

それと何回も書いてきたけど、避難所のみなさんの笑顔と優しさと強さに何度こちらが励まされたことか。

気丈にふるまっている人こそ心の傷は深く
話を聞いてみると家族といまだに連絡が取れていないという人ばかりでした。

避難所もみんながいるから頑張れると言っている人がいっぱいいたけど
あんなかたい床で毎晩寒い思いをして不安な夜を過ごすつらさは壮絶です。

本当に大変なのはこれからです。
だんだんテレビやマスコミも震災のニュースが減っていき、みんなの脳裏から薄れていくに従って
被災地の今後の課題や病人や悲しみは増えていくと思います。
被災していない人たちが自分たちは明るく頑張ろうって元の生活にどんどんしていくのは良いことだけど
3月11日のことは決して忘れてはいけないのです。


自分に何が出来るか分からないままの人は
今あるお小遣いやお金を募金にまわすのもよし、とっておくのもよし。
とっておくなら、いずれ、交通機関が復旧して
東北地方が元気になってきたら旅行に行ってそこでお金を使うのも支援かと。

直接の被災地でない私たちの支援の形は経済効果として支障のない程度に今まで通り、飲んで、食べて、仕事して、お金が出来たら気持ちばかりの募金して
それも大事なことだと思います。

お金を動かす人、
人々を活気づける人、
目の前の仕事を精一杯する人、
支援の形はそれぞれです。そして今だけでなく、このトンネルを抜けるのは長期戦であるということを念頭に。
自分の生活や仕事に支障のない程度に節電に心がけて、きちんとした団体へやはり支障のない程度にお金を募金するのも大きな一歩です。



失恋しようが、上司に怒られようが、衝動買いしようが、ちょっと風邪をひこうが、
日常でつらいことや嫌なこといっぱいあります。
普通にいきてりゃ嫌なこと9割、いいこと1割です。

でも、被災地のみんなのつらさや悲しみに比べたら全然なんてことはないです!

そんな中、踏張って耐えてる被災地の人が少しずつ笑顔になれるように私たちは物を大事にして資源を大切にして
被災地のことを忘れないことだと思います。

医療も長期戦になることを想定しています。
また行く機会を設けてもらい、もっと成長して1人でも多くの人の力になれるように災害医療をもう一度勉強します。

また、放射能についての新たな二次災害も出てきて
今後の問題は山積みです。
放射能に関しては
適切な情報と的確な判断で。

避難所で別れの挨拶をしたときに、みんなも泣いていたけど笑顔で『今度会うときにはもっと良くなってるように頑張るね!』『復興したら旅行においで』『お嫁においで』と言ってくれて涙涙で避難所を後にしました。
助かった人たちも、自分だけ助かったことや
誰かを助けられなかったことに自責の念を話してくれたけど、誰も悪くない。

それに助かったことには絶対意味があります。
胸はって前を見て、つらいときは泣いて、1人ではないことを忘れないでほしい。

サプライズもあって
瑠奈チャンも叔母さんと手紙を持って駆け付けてくれました。お手紙には「大きくなったらおねえちゃんみたいなおしごとをします」と書いてあり、この仕事をしていて良かったと思いながら涙が止まらなかった。
陸前高田は第二の故郷になり、故郷の復興を願ってやみません。

ここで見たこと、経験したこと、感じたことは同僚や友達や家族に伝えていこうと思います。
当たり前の日常がどんなに幸せなことか。
そばにいてくれる家族や友人がどんなに大切な存在か。
水や電気の資源の供給がどれだけ恵まれていることか。

いろいろ人それぞれ感じ方も違うしきっと全く他人事に思う人もいると思うけど、
いつ自分が被災者になってもおかしくないのです。

帰りは陸路で帰ってきましたがだんだん東京が近づいてくると
どっちが現実社会なのか分からない錯覚に陥りました。当たり前についている信号、電気がついている高層ビル、きれいな身なりの道行く人。
震災にあった地域は対岸の火事のように過ぎてる都心の時間。
でもきっと本当の現実は被災地で都心は非現実社会なんだと思います。

現実社会と非現実社会はいつだって隣り合わせ。

被災地の復興を心より願っています。
また必ず行きます。

その時までどうぞお元気で。
そしてみんなが会いたい人に会えますように。

いつかみんなの努力と流した涙が報われるときが必ず来ますように。


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お疲れ様でした、

ちょうど世間では年末の特番で 今回の震災の記録を流していますが
彼女の体験したリアルな現状を読むと
各メデアが伝えきれない惨状がナマナマしく知ることが出来ました、


 「2011年 心に刻んでおかなくてはならない出来ごと」







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3 コメント

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臨場感がある文章に敬服 (choiwaru)
2011-12-29 23:18:57
今年も、あと二日。
良いタイムミングでの紹介
ありがとうございました。
何度か目の中に汗が出て
PCの画面が見づらかった
です。
東北地方の方が、早く普通
の生活ができる様に祈念し
ております。
返信する
団塊おやじ様 (ルン)
2011-12-30 22:55:13
おせちも作り終わり
やれやれとPCを開いたところでした。


そうですね。
今年、1番心に刻んでおかなければいけないことだと思います。
2011年が終わる前に、いま一度心を引き締めたいと思います

生の現場の貴重なブログ。
時間をかけて読ませていただきます。
ご紹介ありがとうございました。

返信する
choiwaruさま・ルンさま (団塊おやじ )
2011-12-31 11:54:22
長文をお読みくださり、ありがとうございました、
皆様にとって来る新年は、良き年であります様に・・・

        
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