ひとりごと

オバちゃんのひとりごと

あまりの酷さに絶句した話

2024-04-09 22:17:00 | 日記


どこまで我慢すればいいんやろう。。。


そう思いながらも 病気の身体では

家を飛び出すこともできず

その後も 、まるで 切れかかった蜘蛛の糸にしがみついてるみたいに

毎日毎日何とか生きてきたけど


去年  息子が

「黙っていたけどやっぱりお母さんに話すべきだと思う」と言って話し出した。

実はお母さんのいないときに

お父さんがお母さんは

あとそう長くはないだろう。

お母さんが死んだら父から相続した家が手に入ると。

平気で息子の前で言っていたと。


我が子の前でそんな話をするなんて!

ひどすぎる

あまりに酷い話に絶句 😰😖😣


私が介護でふらふらになって倒れそうになっていても

定年後はずっと1日中テレビ三昧。

父の部屋に顔を出すのは年に1−2回盆暮のみ。


私が腹膜炎で入院中に

父が独りぼっちで亡くなっていたのをヘルパーさんが発見した時も


入院中の私にメールで


「ヘルパーさんがお父さんの部屋に行ったらベッドに腰掛けたまま亡くなってた。」


これだけ。。。😢


父の死をメールで連絡。。。。


悪い冗談や。

まさかと思ったけど

心配になって病院の談話室から

電話してみたら


冗談ではなく


「お通夜とか準備せなあかんから

   早く退院してきてくれ。」


😢😢😢😢😢


仕方なく慌てて

先生に無理に退院許可をもらい、

まだお腹の傷もちゃんとくっついていないのに退院した。




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どこまで我慢すればいいんやろうか?

2024-04-09 22:16:00 | 日記

39歳で初めて手術した時は

子供達は小3 と小5。

まだまだ 2人だけでは留守番することもできず

心配だったので

3日間で退院し、あとは 通院治療で頑張った。

我ながら 「よう頑張ったなぁ」と。

やっぱ 若かったから なんとか乗り越えられたんやな と思う。

46歳で再発した時は

子供達は高1と高3。

初めて手術した時に比べると子供達もずいぶん大きくなって

1ヶ月の入院中は何とか二人でやってくれた。

父もヘルパーさんを自費でお願いして我慢してくれた。


1ヶ月の入院後 やっと退院の日

元気ならば 病院から駅まで徒歩12分くらいだけど

1ヶ月の入院で体が弱ってたせいか

退院した日は、駅まで30分以上かかった。

夫が迎えに来てくれてたけれど

どんどん先に歩いて行って

見えなくなるほど 先に行ってしまった。

その間、一度も振り返りもしなかった。

やっと 駅に着いたら

夫が

「何 のろのろ 歩いてんのや!!!」

と怒鳴った。


その後、 電車を乗り継いで2時間かかって家に帰った途端に

夫が

「今日の晩飯は 何や?」と聞いてきた。


私はもう言い返す気力もなく

玄関に倒れ込んだ。

あとどれだけ我慢すればいいんやろう?

もう限界。。。




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