ひよこまめのEveryday

還暦過ぎたおばさんの日常。

ドラマ、映画、舞台、本、音楽などの感想も。

真夜中、落ち着くジャズを聴きながら・・・

2024-02-16 00:53:59 | ひとりごと

夜ジャズBGM - ゆったりジャズBGM - 作業用BGM - 勉強用BGM - 夜のしっとりBGM

 

今、これ聴いています。

はぁ~、落ち着く~

 

といいつつ、書くのは生臭い愚痴なんだけどね・・・

 

今日から日曜日まで、夫が久しぶりの出張。

久しぶりに東京に行くので、同期会もするんだ~と楽しそうに出かけて行ったけど。

仕事があっての出張、なんだけど、定年後の継続雇用も終わって個人事業主状態なので、会社から出張費は出ません。

出張費どころか、交通費も出ません。

土日にかかっても休日出勤手当もないし。

お給料は社員の頃の3分の1ぐらいになっちゃってるし、ボーナスもないし、出張どころか普段の勤務の時間外勤務手当も交通費も出ないし、もうないない尽くし。

40年働いてきた経験値も人脈もあって、それだけでも年数の浅い若い社員より役に立つと思うのに、なんでこんな扱いになっちゃうんでしょうね

と、お金のことを考えると腹が立ってきちゃう。

でも、嬉しそうに出かけて行った夫を思うと、お金だけで物事は量れないしな・・・と思うのでした。

 

・・・・・・・観劇、控えよう・・・・・・

 

 

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どうぞお好きに

2023-12-09 16:44:16 | ひとりごと

年明けに入籍するらしい娘、結局、結婚式はおろか、披露宴もなし、写真は「入籍済んでから考える」

なんですってー

もー、好きにしたらいいよ。

「お嫁さんのカッコで写真撮ってね、ドレス選びぐらい一緒に連れてってね」という母の切なる願いもあっさり退けられました。

因果は巡るってことかなー。

私が母と表面的には友だちみたいに付き合っていながら、母親としては嫌っていたように、娘も本音はそういうことなのかも。

入籍前に、両家顔合わせの席だけは設けるつもりらしい。

最低限の親戚に、入籍の報告とご挨拶のハガキはちゃんと出してほしいんだけど、とLINEしながら、なんか空しくなってきちゃった。

もうなんでもいいや、今どきの感覚はわかりません。

 


お天気に誘われて父を想う

2023-11-28 11:09:26 | ひとりごと

今日は朝から雨模様でちょっと寒い。

それでも気温は17度ぐらいまで上がるらしいけど、陽が出ていないので空気はひんやりしています。

そんな天気のせいか、誰もいない家の中が妙に静かで、なんかちょっとおセンチにな気分に・・・

明後日は父の命日。2002年の11月30日でした。

もう20年以上経つんだなぁ、全然そんな気がしない。

あの頃の11月は今よりもっと寒くて、私はその時に初めてダウンジャケットと言うものを買いました。

父の入院していた病院は品川区にあったんだけど(ちなみに私の実家もだけど)、東京って結構海風が吹いてきてて寒いんです。

離れてみて初めて、東京って割といつも風が吹いている街だなぁって気が付いた。

駅から病院まで歩くのに寒くて。それで買ったダウンジャケット、それから10年以上使ったけど、父の最期を一緒に見届けたジャケットだったから処分するのに後ろ髪を引かれたものでした。

父の最期の様子は今でもはっきり憶えています。本当に、昨日のことのように。

記憶って時とともに薄れていくものだけど、これだけは全然薄れていかないのが不思議なくらいです。

当時、家族で東京にお見舞いに行くときは車で高速をぶっ飛ばして行ってました。

車内でスピッツのCDを良くかけていて。その年の9月に出たばかりの「三日月ロック」。

1曲目の「夜を駆ける」っていう歌が、なにかから解放されて自由に飛び回るイメージの歌で、父がこの世のしがらみから解放されて自由に飛び立っていこうとしているイメージに脳内変換されて聴こえたものでした。

今でもこの曲は私にとってはその時のイメージのままだし、娘も「これを聴くとおじいちゃんを思い出してちょっと悲しくなる」と言います。

もう一つ忘れられないのが、母と食べたラーメン。

21年前の丁度今頃です。

父がもう今日か明日か、という状態でずっとつきっきりだったのだけど、まだもう少し大丈夫そうだから一度家に帰ってちゃんと寝よう、と言うことになって、夜遅くに病院を出ました。

駅の手前にラーメン屋さんがあって、そこを通るときに母と二人で「・・・・お腹、空いたね・・・」と足が止まり、ふらふらと入って食べた熱いラーメンの美味しかった事といったら。

お父さんがあんな状態なのにラーメンが美味しいアタシって・・・と思いながらも、あんなに美味しかったラーメンは後にも先にもありません。

最期の日は弟もいて、家族みんなで見送れたので、後々の母の最期を思えば、まああれで良かったんだなと思えます。

母は誰にも気づかれずに逝ったので・・・まあそれはそれで母らしいんですけど。

父繋がりで母の事を想うことも多い今日この頃だけど、母のことはまたそのうち・・・。

 

今日は久しぶりにスピッツ、聴こうかな。

 

 

 

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KANさんが・・・・・

2023-11-17 12:07:27 | ひとりごと

KANさんが死んじゃった・・・

今どきのガンは治ることが多いから大丈夫だよねって自分に言い聞かせながら復帰を待っていたけど

早すぎるよ。

FM COCOLOの番組「KANと要のWabi-Sabiナイト」が大好きだった。

最近、番組名が「Wabi-Sabiレディオ・ショー」に変わって、ああ、治療長引くのかな、とは思ってたけど・・

明るくてあったかい曲たちも、ひょうひょうとした明るいお人柄も、大好きだった。

ピアノ、めちゃくちゃ上手くて、ロシア語や中国語やフランス語や外国語に堪能で、すごく頭のいい才能のある人なんだなと敬意も持ってた。

もう、今年のエンタメ界はどうなってんの。

辛すぎる・・・・・

 

 


布巾を洗う時、思い出すこと

2023-11-03 11:17:47 | ひとりごと

キッチンや食卓回りに使う布巾は、以前は全部タオル地のものを使っていて、1週間分をまとめて洗濯機で洗っていた。

でもそれだとすぐゴワゴワしてくるし、お醤油などの染みは水洗いしておいても取り切れなくて、どんどん雑巾のようになっていくのが嫌だった。

で、一昨年ぐらいから、かや布巾を使うように変えた。

これが、柔らかいし吸水性はいいし、手洗いで綺麗になるし、何度洗ってもいつまでも柔らかい手触りが変わらなくて、もうこれなしではいられない生活になった。

で、この使い勝手のよい布巾を使うようになって思い出したことがあった。

それは、布巾の洗い方。

昔々、私が新卒で就職したころ、歳は21歳ぐらいかな。

某企業の人事課で、そのころは新卒採用業務は青田買いが普通だったので、夏の間とある密かな場所でナイショの採用試験が進んでいて、人事課の若手女子社員は毎日そこで雑用に駆り出されていた。

なんせ40年も前の事、お茶もコーヒーもお昼ご飯の準備も全部女子社員の仕事。

1日の業務が終わって男性社員が本社に引き上げた後、私たちは後片付け。

私だって食器洗いぐらいは出来た、けど、その時にとても驚いたのは、一緒にいた同期の子が、布巾をとても丁寧に手洗いして干していたことだった。

その手つきがもう、長い事やって来てますっていうとても慣れた手つきで、私は「へぇ~~~」と内心とても驚いたのだった。

なぜなら私は、「家事なんてお母さんの仕事でしょ!」と、自分が言われたらブチ切れるようなことを言って家の事なんてなんにもしない娘だったから。

だから、家の布巾を母がどうやって扱っているのかなんて、考えたこともなかったのだった。

(そもそも家の布巾も、使い古しのタオルを切って使って雑巾のようになっている物だったので、後々自分もタオル地を使うようになった)

その手つきに、同い年なのに布巾ひとつまともに洗えない自分への恥ずかしさと、お家でちゃんとお母さんを見て育ってきたんだなぁ、お母さんもちゃんと教えてきたんだなぁ、という尊敬と羨望を感じたことが忘れられない思い出になっている。

で、かや布巾を手洗いした時に「そうだ、布巾はこうやって洗うんだ」とその時のことが鮮明に蘇ってきたのだった。

その後、別の会社に勤めてるときに、やはり私より10歳も年下の女子社員が、給湯室の布巾を週末に必ず薄いブリーチに晒していたのを見たときにも、「そうか、こうやったら清潔に保てるよね」ととても感心したのだった。

そうやって学んできた割には仕事で忙しい間はタオル地の布巾を洗濯機で洗ってごわごわにしては買い替える生活だったけど、今、毎日手触り良いかや布巾を使って、手洗いして、1週間に一度ブリーチして使う生活をしていて、それだけのことがなんだかとても心地よいのだった。

タオル地のものを使っていた時には10枚ぐらいは常備していたから、かや布巾に変える時にも10枚まとめ買いしたのだったけど、使ってみたら3枚ぐらいで十分回せるので、まだ新品が7枚もある。

もう一生布巾買わなくてもいいかも

 

 

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