子供は天真爛漫、なんでも遊びにしている。動物なんかも食うことに足りたら、残りの時間はもう遊んでいる。
人間は大人になるにつれ、社会生活といわれるもので、いろんなものに追われて遊んでいる機会がなくなってくる。しかしやっぱり、隙あらばッて感じでいろいろ遊ぶ。本能的なものなのであろう
子供は天真爛漫、なんでも遊びにしている。動物なんかも食うことに足りたら、残りの時間はもう遊んでいる。
人間は大人になるにつれ、社会生活といわれるもので、いろんなものに追われて遊んでいる機会がなくなってくる。しかしやっぱり、隙あらばッて感じでいろいろ遊ぶ。本能的なものなのであろう
たまに「あの世はあるか」という議論が起こるが、私は「ある」方に立つ。あるといっても、この世そっくりの姿ではない。自分自身がそこへ行くとも思えないが、何らかのあの世はあると思う。
エネルギー不変不滅の法則によれば、あらゆる物質も変化はあっても、永久不滅で不変なんだろうと思う。だから自分は自分ではなくなるだろうが、人間ではなくなるだろうが、いや生物でさえななくなるだろうが、不滅なんだろうと思う。私のあの世があるというのは、そういう意味でのあの世である
ここまで生きていると友人知人の死と多く出会う。
いろいろな死に方があるが、どの場合も死んだ本人は自分が死んだとは思っていない。死んだという観念自体の記憶がないからである。
死は生きているほうからみて死に別れであるが、死んだほうからみると、夢さえ見ない深い眠りの中にいるようなものである。永遠の眠りとはよく言ったものである
夜寝る前には明日のやることを大体考えておく。と、ぐっすり眠れる。
普段から1週間後とか1か月後とかを考える。その時になって悩んだりしないためだ。
場合によっては半年後1年後のことも考える。方向性を大体つかんでおくとGoodだ
学ぶことがこんなに楽しいとは、幼少期からこういう風だともっと勉強がはかどったことだろう。
悪いことではないが、今になって学びたいことが多くて、はかどらないけど楽しくて仕方がない。
学ぶことは日々前進していることを確認できるからか。
生きている喜びを感じられるのだ