「新京橋プラザ」を出て、ゆみたかさんご一行とお別れした私は、アーケードを抜けて新京橋プラザのすぐそばにある中央公園の会場へ向かって来た、「NTTドコモ高知支店」など数台の地方車の写真を撮った。
公園内のあちこちには色々な露店が出ていて(特に、串焼きの肉を売っていた店が多く目についたような記憶が…)、まさに「祭り」の雰囲気がいっぱいだった。
私もせっかくだから色々買い食いし、祭りの雰囲気に思いっきり浸りたいと思
ったが…実はこの時、私のお腹にはキリキリと痛みが走っていた。
それが、朝からろくに食事を摂っていない為であるということは十分想像がついたが、食事を摂ったらこの痛みが治まるのか、それとも悪化するのか、判断がつかなかった。
もし、この痛みが今よりも悪化してしまったら、これ以上祭りの見物を続けることを断念せざるを得なくなる
それは嫌だったので、ここで食事を摂ることは諦め、胃の痛みを堪えることにした。
中央公園ステージの近くは、多くの見物人達ですし詰め状態だった上に、地方車用にスペースが確保されていたせいか、中央公園の広場は私が予想していたよりも狭かったような気がした(もう2、3倍は広いかと思っていた)。
そして皆立ち見で見物していた上に、私は他人よりも背が低い方なので、ステージ上の演舞を撮影するには思いっきりビデオカメラを持った手を上に伸ばさねばならず、かなりしんどかった(チビは辛い…)
そこで、この会場での見物(&録画)は、私の注目チームの一つだった「旭食品」の演舞だけで止めることにした。
中央公園での演舞が終了すると、地方車は広場を通り抜けて次の会場へ向かって行く。
私も、旭食品の地方車の後についていって、この会場を抜け出したのだった。
次に私が目指したのは、よさこい祭りのメイン会場と言うべき「追手筋競演場」である。
waniさんにも事前に夜の追手筋の見物を薦められていたので、期待するところが大きかった。
追手筋へ行く途中、道行く人々に清掃のボランティアを呼びかけるスタッフ達を見かけた。
出来れば私も、ボランティア活動に加わりたかったのだが…やっぱり祭り見物のための時間がおとましかった。
私は『申し訳ない』と、スタッフ達に心の中で頭を下げつつ、その場を通り過ぎていったのだった。
追手筋競演場の場所がなかなか見つからず苦労したが、やっとの思いでたどり着いた(私が着いた場所は、後日調べたところでは、どうやら追手前小学校の近くらしい)。
しかしながら、やはり当然と言うべきか、会場は多くの人々でごった返していた。
加えて、桟敷席の存在が、会場における自由な移動を妨げていた。
私は、桟敷席での観客以外の通行が禁じられていた場所に紛れ込んだが、あえなくオレンジ色のTシャツを着たスタッフに追い出されてしまった。
仕方なく私は、見物人達やテントの隙間から各チームの演舞を撮影することにした。
ここでは、「纏り屋・一無尽」「宴一座」「早稲田大学“踊り侍”」などのチームを見かけた。
そんな中、ギターやドラムなどの生バンドを載せた地方車が私の眼前を通り過ぎていった。
『「さまあぺんぎんず』だ」
地方車の後に続く踊り子達も、決まった振付などあって無きがごとき様子の弾けた踊りで、私の眼前をどんどん通り過ぎて行く。
その中に、あの「鳴子マン」もいた(笑)。
噂の「さまあぺんぎんず」を思いがけず目にすることが出来て、私は内心大いに喜んだのだった。
しかしながら、この場所は祭りを見物するにはやはり窮屈だったので、もっとゆったりと見物できる場所を求めて移動することにした
移動の途中、アーケード内で「FACE」というチームを見かけたので、その演舞を録画した。
黒が主体の衣装で、強烈なビートの楽曲が印象的だった。
次に私が出てきた場所は、追手筋競演場のスタート地点だった。
そう、ビールの広告が大きく描かれている有名なゲートの近くである。
ゲートの近くは交差点になっていた。
時折路線バスが追手筋をクロスする形で通り、その度に警察官や警備員が交通整理をしていた。
これも「非日常の祭りで日常の生活(この場合はバスの運行)を妨げない」という祭りのポリシーの現れ(O氏のご著書『よさこいはよさこいじゃき』より引用)なのだろうか。
ここでは「Ace One A・MAXグループ」「俵屋(TAWARAYA)」「逢 au by KDDI高知支店」「高知高専」「高知大丸よさこい隊」などのチームを見かけた。
各チームの地方車が出番を待ってゲートの近くでずらりと並んでいる様子や、出番が来た踊り子達が喜び勇んで一斉にゲートをくぐって行く様子は、まさに壮観だったのだが…各チームの演舞を楽しめないという点では先程と変わりがなかった。
地方車や会場から発せられる眩しいライトの光に、踊り子達の姿がかき消されてしまうのだ。
やはり追手筋での見物は、桟敷席からでないと楽しめないのか……。
長い間粘ったが、結局これ以上この会場での見物を続けることをあきらめ、私は帯屋町のアーケードへ戻ることにしたのだった。
*その11「帯屋町筋演舞場その1」へ続く
こっちのブログ も密かに更新中
公園内のあちこちには色々な露店が出ていて(特に、串焼きの肉を売っていた店が多く目についたような記憶が…)、まさに「祭り」の雰囲気がいっぱいだった。
私もせっかくだから色々買い食いし、祭りの雰囲気に思いっきり浸りたいと思
ったが…実はこの時、私のお腹にはキリキリと痛みが走っていた。
それが、朝からろくに食事を摂っていない為であるということは十分想像がついたが、食事を摂ったらこの痛みが治まるのか、それとも悪化するのか、判断がつかなかった。
もし、この痛みが今よりも悪化してしまったら、これ以上祭りの見物を続けることを断念せざるを得なくなる
それは嫌だったので、ここで食事を摂ることは諦め、胃の痛みを堪えることにした。
中央公園ステージの近くは、多くの見物人達ですし詰め状態だった上に、地方車用にスペースが確保されていたせいか、中央公園の広場は私が予想していたよりも狭かったような気がした(もう2、3倍は広いかと思っていた)。
そして皆立ち見で見物していた上に、私は他人よりも背が低い方なので、ステージ上の演舞を撮影するには思いっきりビデオカメラを持った手を上に伸ばさねばならず、かなりしんどかった(チビは辛い…)
そこで、この会場での見物(&録画)は、私の注目チームの一つだった「旭食品」の演舞だけで止めることにした。
中央公園での演舞が終了すると、地方車は広場を通り抜けて次の会場へ向かって行く。
私も、旭食品の地方車の後についていって、この会場を抜け出したのだった。
次に私が目指したのは、よさこい祭りのメイン会場と言うべき「追手筋競演場」である。
waniさんにも事前に夜の追手筋の見物を薦められていたので、期待するところが大きかった。
追手筋へ行く途中、道行く人々に清掃のボランティアを呼びかけるスタッフ達を見かけた。
出来れば私も、ボランティア活動に加わりたかったのだが…やっぱり祭り見物のための時間がおとましかった。
私は『申し訳ない』と、スタッフ達に心の中で頭を下げつつ、その場を通り過ぎていったのだった。
追手筋競演場の場所がなかなか見つからず苦労したが、やっとの思いでたどり着いた(私が着いた場所は、後日調べたところでは、どうやら追手前小学校の近くらしい)。
しかしながら、やはり当然と言うべきか、会場は多くの人々でごった返していた。
加えて、桟敷席の存在が、会場における自由な移動を妨げていた。
私は、桟敷席での観客以外の通行が禁じられていた場所に紛れ込んだが、あえなくオレンジ色のTシャツを着たスタッフに追い出されてしまった。
仕方なく私は、見物人達やテントの隙間から各チームの演舞を撮影することにした。
ここでは、「纏り屋・一無尽」「宴一座」「早稲田大学“踊り侍”」などのチームを見かけた。
そんな中、ギターやドラムなどの生バンドを載せた地方車が私の眼前を通り過ぎていった。
『「さまあぺんぎんず』だ」
地方車の後に続く踊り子達も、決まった振付などあって無きがごとき様子の弾けた踊りで、私の眼前をどんどん通り過ぎて行く。
その中に、あの「鳴子マン」もいた(笑)。
噂の「さまあぺんぎんず」を思いがけず目にすることが出来て、私は内心大いに喜んだのだった。
しかしながら、この場所は祭りを見物するにはやはり窮屈だったので、もっとゆったりと見物できる場所を求めて移動することにした
移動の途中、アーケード内で「FACE」というチームを見かけたので、その演舞を録画した。
黒が主体の衣装で、強烈なビートの楽曲が印象的だった。
次に私が出てきた場所は、追手筋競演場のスタート地点だった。
そう、ビールの広告が大きく描かれている有名なゲートの近くである。
ゲートの近くは交差点になっていた。
時折路線バスが追手筋をクロスする形で通り、その度に警察官や警備員が交通整理をしていた。
これも「非日常の祭りで日常の生活(この場合はバスの運行)を妨げない」という祭りのポリシーの現れ(O氏のご著書『よさこいはよさこいじゃき』より引用)なのだろうか。
ここでは「Ace One A・MAXグループ」「俵屋(TAWARAYA)」「逢 au by KDDI高知支店」「高知高専」「高知大丸よさこい隊」などのチームを見かけた。
各チームの地方車が出番を待ってゲートの近くでずらりと並んでいる様子や、出番が来た踊り子達が喜び勇んで一斉にゲートをくぐって行く様子は、まさに壮観だったのだが…各チームの演舞を楽しめないという点では先程と変わりがなかった。
地方車や会場から発せられる眩しいライトの光に、踊り子達の姿がかき消されてしまうのだ。
やはり追手筋での見物は、桟敷席からでないと楽しめないのか……。
長い間粘ったが、結局これ以上この会場での見物を続けることをあきらめ、私は帯屋町のアーケードへ戻ることにしたのだった。
*その11「帯屋町筋演舞場その1」へ続く
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その間に、しーそーさんが「土佐のおきゃく」のレポートを済ませてしまうとは、予想外でした。
だらだらしたレポートで申し訳ございませんが、あと4話ほど続く予定です。
次回は、かおるんさんが再びご登場します。お楽しみに~。
トリデさん、お帰りなさい
あまり、無理しないようにしてくださいね。
レポートは、かえって後に読んだ方が懐かしいし、楽しかったりしますよ。
写真の使い方が合っているか不安です。
また、間違っていたら遠慮なくおっしゃってくださいね。
今後も、のんびり楽しみながら書いてくださいね
ゆみたかさんの言うように、想い出はゆっくり楽しみましょう♪
心の風邪は完治してませんか?早く元気になりますように
高知であの滞在時間でめいっぱい楽しまれてたようでうれしいわ
私のレポは…街角のライブ映像みたいな物で
高知からゆみたかさん宛てに送っていたので、感動を充分お伝えできないまま終わってしまいました
夏のよさこいは、絶対追手筋で見たい…見る物だと思っていたので、ちょっとビックリしています
今回のおきゃくも楽しかったのですが、やっぱり夏じゃなきゃなんですよねぇ
トリデさんのレポ読むとつくづくそう思います
やまももおばさま(この場をお借りして)
おきゃくの時M先生から、私を見かけてくださったとお聞きしました
ご挨拶できなくて残念でしたが、次回お会いするのを楽しみにしています
はい、少し離れていたのでお声をかけられなかったのが心残りでした
夏にはきっとご挨拶できますように
いち早くのおきゃくのライブ画像はだったのですか?私のデジカメよりずっと素敵でした
うふふ
じわじわとよさこいの輪が広がっていくでしょ
夏に行けばたくさんの人達と会えますよ
夏には一緒にやまもも工房さんのショップに行きましょう
あの夏の熱気は肌で感じなくちゃね
やまももおばさま
トリデさんのレポートを読んでいると、あんなに短時間でも、高知を肌で目いっぱい満喫したのはトリデさんくらいかもしれませんね
夏にはトリデさんとしーそーさんと一緒にお店に行けるといいなぁ
なぜかデジカメが下手なんです
帰ってきて、デジカメの画像見直したんですがブレブレだったり、
何撮りたかったの???みたいなのばかりでした
トリデさま
どーしましょう
ゆみたかさんと、やまももおばさまの「高知においでおいで作戦」が始まってしまいましたよ
たしか、家業の都合上夏には高知へ行きづらいと伺っておりますが、可能ならば、やはりよさこい祭り本番をご覧になることを、私からもお薦めいたします。
「ほにや」チームを追っかけるも良し、色んなチームを見て楽しむも良し、飛び入り参加するも良し。
人それぞれの楽しみ方が出来るのが、よさこい祭りの良い所だと、私は思います。
しーそー様が、どんなよさこい祭りの自分なりの楽しみ方を確立するのか、期待しております。
人は戦争の報道をします。日本人の報道カメラマンは、米軍の装甲車に乗せてもらい、人を殺すところを撮影します。
何が芸術かは判りませんが、犬の餓死する姿を芸術という人達と、戦争を報道し、安全なところでそのニュースを見ている我々。大して違わないのではないでしょうか?
リトル・ボーイって知ってますか?
ふぉっふぉっふぉ
そうですよ。
よさこいは夏の高知で見て感じて味わわないとね
トリデさま
そうなんですよね、本当にいろーんな楽しみ方があります
私も、ほにやを追っかけたり飛び入り参加に入って踊ってみたり、いろいろやりました
今年は、また初心に戻ろうかなとも考え中なんですよね~
楽しい悩みです
夏に、しーそーさんとトリデさんにお会いできる事を夢見ています
リトル・ボーイさま
貴重なをコメントありがとうございます。
犬の餓死のニュースは、こんなことをしている人がいるんだという事を多くの人に知ってもらいたいので書きました。
いろんな意見があると思います。
「それが芸術だから許されるのではないか」という意見の人もいます。
でも、生きている動物をわざわざ殺すような事をしてまでの芸術は私は芸術だとは思えないのです。
戦争についてですが・・・。
戦争の現状はこんなに恐ろしいモノだということを、若い人達にも知らせる意味での報道は最低限必要かと思います。
しかし、まずは家族の中で親が子どもの教えていかなければいけない事でもありますよね。
もちろん、学校教育などでもやっていますけど。
(命懸けでの撮影は尊敬に値すると思いますが、カメラマンのご家族のことを考えると心が痛みます)
「リトル・ボーイ」は調べてみました。
地球で一番愚かなのは人間なんですね
いろんな意味で、人間が地球に優しくなりたいものです。