一反百姓「じねん道」【百姓の100章】『農的ワークライフバランス』実践と研究日記@斎藤博嗣&裕子*4人家族(夫婦子供2)

2005年、東京から茨城県阿見町の農村へ夫婦で移住し新規就農。
こども百姓「じねん童」2人と家庭自給生活を自学自習中

1945年8月6日広島原子爆弾投下の日に「No more Hiroshima」大江健三郎&フィデル・カストロ

2015年08月06日 | T&T研究所・研究員(鴨川自然王国内@所長・加藤登紀子):斎藤博嗣

<<原爆は威力として知られたか。人間的悲惨として知られたか>>大江健三郎

僕が広島で見た人間的悲惨は、そのもっとも絶望的なものまで、すべてプラスの価値に逆転することができるという勇気はないが、たびたび僕に日本人の人間的威厳のあきあらかな所在を確かめるものである。






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ひろつぐが広島を訪れたのは人生でまだ2回きりですが・・・。

1回目は高校のときの修学旅行。
もう1回は2003年3月、
キューバのフィデル・カストロ共和国国家評議会議長(当時)が
2度目の来日を行い、あえて広島を訪れた時だ。
以前もブログで紹介したが、70年の年に響く言葉なので再録します。
この時に撮った写真も再録したいのですが・・・。

広島平和記念資料館の中でのフィデル・カストロ
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/ 


「ヒロシマ。不幸なことに、ここで起きたことは、世界への教訓としては役立たなかった。これに反して何千万トンものあらゆるサイズの爆弾、そして巨大な爆発物がいまだに作られている。人類は、いまだに自らを保存する能力を示していない。私は、この都市でのその出来事と同じ月に生まれた。1945年の私の誕生日の7日前に起こったのだ。そして、この都市の爆撃から17年後の10月のミサイル危機では、まさに我々が消し去るべき痕跡を持つ瞬間がそこにはあったのだ。ここで、何が生じたのかを思い出し続け、何千万もの人民が、この場所を訪れるよう激励することはすこぶる重要だ」


「かように野蛮なことは、断じて繰り返されてはならない」
(2003年3月3日)
広島平和記念資料館
平和へのメッセージ

 「チェ・ゲバラ」が50年前来日した際にヒロシマを訪れたのをブログで紹介はコチラ
http://blog.goo.ne.jp/hootenfarmer/e/f7714b54796db0d9326267a73ecab6e6


 
 
 
 


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