一反百姓「じねん道」【百姓の100章】『農的ワークライフバランス』実践と研究日記@斎藤博嗣&裕子*4人家族(夫婦子供2)

2005年、東京から茨城県阿見町の農村へ夫婦で移住し新規就農。
こども百姓「じねん童」2人と家庭自給生活を自学自習中

1921年1月5日「土井勝」誕生日and風来書房「フィガロ舎」ライブラリー⑦

2009年01月05日 | 風来書房「フィガロ舎」

□土井 勝
(どい まさる、1921年1月5日 - 1995年3月7日)
料理研究家
主婦層を中心に手軽に作れる家庭料理を数多く紹介、
「おふくろの味」を流行語にした人である。

小学生の時、夕方学校から帰ると見ていた
テレビ番組『土井勝のおかずのクッキング』テレビ朝日
5分くらいの短い番組だったが、
土井さんの丁寧で温かな
そしてシンプルな(基礎?)料理の教え方は、
子供ごころに(子供ながらに)深く感銘したのを
今でも鮮明に覚えている。
母親と一緒に見ていたわけでもなく、
何故一人でこの番組を楽しみにしていたか未だに不思議だ。


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風来書房「フィガロ舎」ライブラリー⑧


『野菜のおかず』
土井勝
家の光協会
1983年

 

わたしの幼少の頃は、都会の人たちはともかく、
農村などで暮らす人々の食事は、ムギ飯が中心だったように思います。
それもまだよいほうで、サツマイモやヒエ飯が主食だった土地もありました。
 その主食にそえる副食、いわゆる“おかず”は、せいぜい葉っぱやダイコン、
サトイモ、山菜や海藻の煮物に、みそ汁と漬け物ぐらいで、ときには煮魚や干物
を食べる程度でした。どちらかといえば野菜中心のおかずでした。
当時の食生活は、現在のわたしたちの食事からは考えも及ばないほど
質素なものでしたが、それなりにおいしく、健康を保つことができました。
激しい労働にも耐えることができていました。
 見方によっては、世界一の長寿国になった現在のわたしたちよりも、
当時の人たちのほうが健康的だったのかもしれません。
 野菜は現在のように促成や抑制栽培されたものではなく、
自然のうつろいの中で育てられたものでしたから、
四季おりおりの土の恵みとしゅんのおいしさがありました。
とはいっても、現在のようにその種類は豊富ではありませんので、
ダイコンのおいしい頃は、ダイコンの料理ばかりが何日も続くことがありました。
それでも不思議なことに、飽きるということはありませんでした。
 それは、ひとつの材料でも、仕事に忙しい毎日の中で、
手を変えておいしく作る“母のこころづくし”があったからなのだと思います。
「いただきます」といって料理に箸をつけるそのとき、
子供ごころでしたが、一種の感動を覚えたことが何度もありました。
考えてみると、このおふくろの味が
母と子を結ぶひとつのきずなになっていたような気がします。


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