実は、福岡正信さんの同級生(松山中学時代)
「コレクションでないコレクション」
よく人から保険を掛けてあるのかと訊かれるが、私は自分のもっている絵を、金銭的な意味での財産とは考えないから、保険は掛けていない。
絵は絵であることで価値があるので、だから、焼けてしまえば、お金を貰ってもしょうがないのである。
私は、自分の生命にも、保険を掛けたことはいちどもない。
(「絵のなかの散歩」展覧会図録<昭和55年>)
□洲之内 徹(すのうち とおる)
1913年1月17日 - 1987年10月28日
小説家、画廊主・画商
『洲之内徹が盗んでも自分のものにしたかった絵
(洲之内コレクション「気まぐれ美術館」 )』
洲之内徹(文)
2008年6月
求龍堂
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≪猫≫
長谷川潾二郎 (画)
宮城県美術館 洲之内コレクション
『猫』はりん二郎がこよなく愛したタローをモデルに、6年の歳月をかけて描きました。しかしりん二郎は最初からタローを描こうと思ったわけではなく、アトリエで眠っているタローを見ているうち、急に描きたくなったといいます。小さな机の上に赤い布を敷き、そこに眠っているタローを置いて描き始めました。タローはほとんど姿勢を崩さない、理想的なモデルでした。翌日、同じ時刻に眠っているタローを小机に置くと、注文通りのポーズを取ってくれました。しかし、月が変わるとタローは同じポーズを取ってくれなくなります。温度が変わってしまったため、すぐに丸まってしまうのです。
画家は翌年まで待ち、同じ時季に再び描き始めます。タローは昨年と同じポーズを取ってくれ、りん二郎は絵をほぼ仕上げることができました。
やがて、その作品の猫にはひげがないと指摘された時、すでに季節は変わり、りん二郎はひげを描くために再び季節が巡るのを待ちました。
ところがタローは病気にかかり、同じポーズを取ることができなくなるのです。画家が魅せられた輝くような毛並みの艶は失せ、そして老いていきました。やがてタローは深い眠りにつきます。タローの死後、りん二郎は想像でひげを描きました。しかしそれは申し訳程度のものでした。
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「猫」の絵が欲しかった洲之内は、まだ髭を描いていないと断られ、そうこうしているうち猫が死んでしまう。なんとか頼み込んでデッサンをもとに描いてもらうが、見てみると髭は片方しか描かれていなかった。そのことを言えばまたいつできるか分からないと思った彼は、そのままもらい受けてくる。
(茨城県近代美術館 2005 図録)