一反百姓「じねん堂」として、
福岡正信氏の追悼文を載せました。
■2008年9月10日毎日新聞 「悼む」
「悼む」
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福岡 正信さん
自然農法でマグサイサイ賞 95歳 8月16日死去
「一反百姓」貫く
12年前初めてお会いした時、うっそうと生い茂る樹々の中の「哲学道場」に福岡さんはいた。「革命家」である前に、伊予の「お百姓さん」の様相だった。「時計を捨てなさい」。日の出と共に目覚め、沢から引いた水をススで真っ黒になったヤカンに注ぎ、囲炉裏の火を起こし湯を沸かす。一日の始まりの福岡さんの仕事。「晴れたら晴れた日の百姓仕事、雨が降ったら雨降りの仕事」。初めも終わりも、締め切りも期限もない。働かされる時計のない「囲炉裏の生活」と「種を蒔いて自然に仕える」暮らしがあった。子供でも力の弱い者でも機械に頼らず、鎌一本で出来る「一反百姓」の生き方。
65歳を過ぎて急速な自然破壊を憂え世界の砂漠緑化に奔走した。緑化のため生ゴミとして捨てている野菜や果物の種集めを呼びかけた。参加した小学生の「おじいちゃん、頑張って粘土団子蒔いて下さい」に「頑張るのはわしじゃない、君たちじゃ」。皆が「無為に種を蒔く人」になることを望んでいた。
晩年は「いろは革命歌」の推敲を重ねていた。05年の愛知万博で発表された、いろはの「い」は「一番初めに捨てりゃよい」から始まる。 耕さず、肥料や農薬も使わず、草は草で抑える“自然農法”を70年前から提唱・実践し続けた。著書『自然農法・わら一本の革命』(75年初版)は、日本のみならず世界中に今なお影響を与えている。
「一家5人の生命をささえる糧を得るには、一反の土地でよい」。<国民皆農>を理想とした福岡さん。「ああしなくても、こうしなくてもよかった」。自由になる唯一の道は、自らを治め・地に従う、人智無用の「農」の生き方にある。
(一反百姓「じねん堂」斎藤裕子)=写真は斎藤さん提供