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「草刈り」をしていると…こんな事を考えたりしませんか?
手で「ノコギリ鎌」で草を刈っていると
いろいろなことに想いを馳せる時がある。
愛媛からわざわざ取り寄せた「長鎌」を使う時もありますが
やはり「手考足思」「手霊足魂」(河井寛次郎)ですね。
ましてや「電気鎌」***。
色んなものを見失ってしまいます。
エネルギー効率やトータルな作業段取り、振動による緊張、そして危険。。
声が聞こえなかったり夫婦仲も悪くなりますね(笑)
タイトルは「芝刈り」デスガ…。
『寺田寅彦随筆集(岩波文庫)』 第一巻 (大正十年一月、中央公論)
「芝刈り」
芝刈り鋏で庭の芝を刈り始めました。
ザックザックという芝を刈る音が愉快である理由を考えながら、
ひょっとしたら類人猿時代のある感覚の記憶かもしれないと感じます。
そして連想は続いていきます。
『 ・・・ 鋏の進んでいく先から無数の小さなばったやこおろぎが飛び出した。
平和――であるかどうか、それは分からぬが、
ともかくも人間の目から見ては単調らしい虫の世界へ、
思いがけもない恐ろしい暴力の悪魔が侵入して、
非常な目にも止まらぬ速度で、
空をおおう森をなぎ立てるのである。
はげしい恐慌に襲われた彼らは自分の身長の何倍、
あるいは何十倍の高さを飛び上がってすぐ前面の茂みに隠れる。
そうして再び鋏がそこに迫ってくるまではそこで落ち付いているらしい。
彼らの恐慌は単に反射的の動作に過ぎないか、
あるいは非常に短い記憶しか持っていないのだろうか。
・・・・・・魚の視感を研究した人の話によると海中で威嚇された魚はわずかに
数尺逃げのびると、もうすっかり安心して悠々と泳いでいるということである。
・・・・・・今度の大戦で荒らされた地方の森に巣をくっていた鴉は、
砲撃が止んで数日たたないうちにもう帰ってきて、
枝も何も弾丸の雨に吹き飛ばされて坊主になった木の空洞で、
平然と子を育てていたと伝えられている。
もっともそう言えば戦乱地の住民自身も同様であったかもしれない。
またある島の火山の爆裂火口の中へ村落を作っていたのがある日突然の爆発に
空中へ吹き飛ばされ猫の子一つ残らなかったことがあった。
そして数年の後には同じ火口の中へいつのまにか
また人間の集落が形造られていた。
こんなことを考えてみると虫の短い記憶
――虫にとっては長いかもしれない記憶を笑うことはできなかった。 ・・・ 』
■寺田寅彦(1878~1935)。
その生涯は科学と芸術が渾然一体となった人格の発露であった。
事物の本質を見抜く直感力は、科学において従来の決定論的な枠組みに入りきれない日常現象に法則性を発見する新しい分野を開拓した。
漱石に文学の才能を見いだされた寅彦の随筆は、
科学の観察・発見・分析と、詩人の直観・連想・詩情が渾然と融合され、
随筆の世界に新しい分野を切り開いた。
寅彦は、専門の物理学の分野においても多方面の研究を行っている。
その研究対象は、
一 純粋物理学、
二 防災や水産など社会的に要請された研究、
三 生活の中の不思議
彼の研究は、余り経費をかけないものが多いが、
その着想は素晴らしく、実証を重んじ、実験を繰り返して多くの資料を集め、
推理力を働かせる。
その科学する態度の根本を貫くものは「創作」であり、このことは文学についても同じであると述べている。
手で「ノコギリ鎌」で草を刈っていると
いろいろなことに想いを馳せる時がある。
愛媛からわざわざ取り寄せた「長鎌」を使う時もありますが
やはり「手考足思」「手霊足魂」(河井寛次郎)ですね。
ましてや「電気鎌」***。
色んなものを見失ってしまいます。
エネルギー効率やトータルな作業段取り、振動による緊張、そして危険。。
声が聞こえなかったり夫婦仲も悪くなりますね(笑)
タイトルは「芝刈り」デスガ…。
『寺田寅彦随筆集(岩波文庫)』 第一巻 (大正十年一月、中央公論)
「芝刈り」
芝刈り鋏で庭の芝を刈り始めました。
ザックザックという芝を刈る音が愉快である理由を考えながら、
ひょっとしたら類人猿時代のある感覚の記憶かもしれないと感じます。
そして連想は続いていきます。
『 ・・・ 鋏の進んでいく先から無数の小さなばったやこおろぎが飛び出した。
平和――であるかどうか、それは分からぬが、
ともかくも人間の目から見ては単調らしい虫の世界へ、
思いがけもない恐ろしい暴力の悪魔が侵入して、
非常な目にも止まらぬ速度で、
空をおおう森をなぎ立てるのである。
はげしい恐慌に襲われた彼らは自分の身長の何倍、
あるいは何十倍の高さを飛び上がってすぐ前面の茂みに隠れる。
そうして再び鋏がそこに迫ってくるまではそこで落ち付いているらしい。
彼らの恐慌は単に反射的の動作に過ぎないか、
あるいは非常に短い記憶しか持っていないのだろうか。
・・・・・・魚の視感を研究した人の話によると海中で威嚇された魚はわずかに
数尺逃げのびると、もうすっかり安心して悠々と泳いでいるということである。
・・・・・・今度の大戦で荒らされた地方の森に巣をくっていた鴉は、
砲撃が止んで数日たたないうちにもう帰ってきて、
枝も何も弾丸の雨に吹き飛ばされて坊主になった木の空洞で、
平然と子を育てていたと伝えられている。
もっともそう言えば戦乱地の住民自身も同様であったかもしれない。
またある島の火山の爆裂火口の中へ村落を作っていたのがある日突然の爆発に
空中へ吹き飛ばされ猫の子一つ残らなかったことがあった。
そして数年の後には同じ火口の中へいつのまにか
また人間の集落が形造られていた。
こんなことを考えてみると虫の短い記憶
――虫にとっては長いかもしれない記憶を笑うことはできなかった。 ・・・ 』
■寺田寅彦(1878~1935)。
その生涯は科学と芸術が渾然一体となった人格の発露であった。
事物の本質を見抜く直感力は、科学において従来の決定論的な枠組みに入りきれない日常現象に法則性を発見する新しい分野を開拓した。
漱石に文学の才能を見いだされた寅彦の随筆は、
科学の観察・発見・分析と、詩人の直観・連想・詩情が渾然と融合され、
随筆の世界に新しい分野を切り開いた。
寅彦は、専門の物理学の分野においても多方面の研究を行っている。
その研究対象は、
一 純粋物理学、
二 防災や水産など社会的に要請された研究、
三 生活の中の不思議
彼の研究は、余り経費をかけないものが多いが、
その着想は素晴らしく、実証を重んじ、実験を繰り返して多くの資料を集め、
推理力を働かせる。
その科学する態度の根本を貫くものは「創作」であり、このことは文学についても同じであると述べている。