随分前の某日の午後、檀家さんのAさんが、チャイムを鳴らして入ってきた。
「おっさん(=和尚さん)、新本堂建設の寄付を持ってきた」と第一声を聞く。それはどうも有り難うございますと返事をすると、Aさんは、「ヤケクソだ」と続けた。
ふーむ、お寺からの寄付依頼が気に入らなかったのか、不満なのかと思っていたら、どうもそうではないらしい。
ご自身の人生を振り返ると、なかなか思いどおりには行かないこともあるので、こだわりを捨てる・執着から離れる気持ちを吐露したいがために出てきた言葉が「ヤケクソだ」と私には聞こえた。
ヤケクソとは「自棄糞」と書く。どうにでもなれという自棄(やけ)に糞が付くから、品の良い言葉ではないが、しかしAさんからは、ナント多額の寄付を頂戴した。
ということは、ヤケクソにならないで、きっぱりと喜捨(喜んで手放す)するという寄付をしてもらたなぁと思い出される。喜捨イコール自分の執着を捨てることなんだと、Aさんから教えてもらった。
「おっさん(=和尚さん)、新本堂建設の寄付を持ってきた」と第一声を聞く。それはどうも有り難うございますと返事をすると、Aさんは、「ヤケクソだ」と続けた。
ふーむ、お寺からの寄付依頼が気に入らなかったのか、不満なのかと思っていたら、どうもそうではないらしい。
ご自身の人生を振り返ると、なかなか思いどおりには行かないこともあるので、こだわりを捨てる・執着から離れる気持ちを吐露したいがために出てきた言葉が「ヤケクソだ」と私には聞こえた。
ヤケクソとは「自棄糞」と書く。どうにでもなれという自棄(やけ)に糞が付くから、品の良い言葉ではないが、しかしAさんからは、ナント多額の寄付を頂戴した。
ということは、ヤケクソにならないで、きっぱりと喜捨(喜んで手放す)するという寄付をしてもらたなぁと思い出される。喜捨イコール自分の執着を捨てることなんだと、Aさんから教えてもらった。