岐阜県八百津町にある杉浦千畝記念館を訪問した。
杉浦千畝氏は、第2次世界大戦中に、迫害を受け生命の危機に瀕していたユダヤ人に対して、日本へのビザを出し続けた外交官だ。
今日は、研修室でビデオを見るとともに館長さんからのお話しを聞いた。
約30年前には、杉浦千畝氏のことを誰も知らなかったのだが、今は記念館が出来るほどになっている。
外交官を辞した以後の様子などを聞くと、杉浦氏が国に反してビザを発給する行為が、杉浦氏の人生に影響を与えたことがわかる。言われのない中傷もあったらしい。リベートを得ていたという中傷だ。
もし、杉浦千畝記念館に行くなら、お話しを聞くことをお勧めする。
次の写真は、ロシア語を学んだハルピン学校の「自治三訣」。杉浦氏に影響を与えたという説明であった。