こんにちは連続投稿の坂下です。
七帝戦が終わり、僕は一度帰省しました。そこで道東のおいしいものをいろいろ味わってきたので書いていこうと思います。
僕の実家は北海道の東にある釧路市にあります。
釧路は、御存じの方も多いと思いますが、海鮮が有名です。
釧路市の漁業は、江戸時代の末期から明治のはじめにかけて海岸のコンブを採ることに始まったと言われています。その後、明治の中頃に函館や青森、秋田、新潟、富山などから多くの漁業者が釧路にやって来て、沿岸や沖合でコンブやサケ、ニシンの漁を行うようになりました。
船の動力は当時、手漕ぎ帆掛け船(川崎船)でしたが、やがて焼き玉エンジンによる発動機船(ポンポン船)となり、さらにジーゼルエンジンへと移り変わるにつれ航海能力や漁獲能力も高まって、サケ・マスやスケトウダラ、カレイ、マダラ、イワシなどが大量に漁獲されるようになりました。
そして、全国でも指折りの水揚げを誇る港に発展するとともに漁場も広がり、北洋漁業の基地としての役割を果たすようになっていきました。
歴史は置いといて、地元に帰ってからはまず寿司を食べました。
①ズワイガニ
②エビ
③クジラ
釧路ではクジラが食べられています。現在は、商業捕鯨が再開されスーパーにも並んでいますね。
味はかなり癖が強いですが、おいしいです。竜田揚げにしたら最高ですね。
また少し歴史を語ります。
当初、鯨肉の主な消費地は、古くから捕鯨が発達していた西日本で、ヒゲクジラの尾羽や畝皮が好んで食べられていました。大正末期から昭和にかけての全国的な不景気を受けて赤肉も食べられるようになりましたが、東日本では好みに合わずあまり普及しませんでした。
そのような中、1941年の太平洋戦争開戦による食料や物資の不足を受け、北海道庁と北海道精肉組合連合会が道内7市で鯨肉の販売を開始し、釧路市では同年8月2日に店頭に鯨肉が登場しました。
しかし人気がなかったためか、10月には新聞紙上にカレーライス、カツレツ、コロッケ、すき焼きなどの調理法を紹介し、消費普及に努めています。また、捕鯨会社も鯨肉の牛肉代用品化の研究を進めており、要請を受けた釧路水産加工食料品工業組合が、鯨肉の臭みを取り除くことに成功したほか、帝国水産釧路工場が鯨の尾羽を使った焼竹輪の製造試験に成功するなど、鯨肉の供給に貢献し、高度な水産加工技術は高い評価を受けました。
1944年、極洋捕鯨が釧路港に捕鯨事業場を設立しました。交通網が発達し、本州との流通に関して利便性が高い釧路市は、捕鯨会社にとって魅力的な立地条件でした。捕鯨基地となった釧路では、戦時下の物資配給制度のなかで、鯨が市民の食料の一端を担っていました。
1949年には、鯨肉の消費拡大を図ろうと極洋捕鯨が釧路市の後援を受けて鯨肉の食べ方についての説明会を開催しました。南氷洋帰りの捕鯨船司廚長が講師を務め、市長夫人や病院長夫人、婦人会代表などにカツレツ、テキ、すき焼き、さらし煮込などの調理法を説明しました。
そして1951年、交通・流通の利便性がよりよい土地を求めて、日本水産が室蘭・広尾・霧多布を閉場して釧路に進出。釧路捕鯨事業場では、鮮肉、塩蔵肉、鯨油、肝油、肥料等が製造され、鯨肉は生のまま大阪、東京、仙台へ移送されていましたが、1割程度は市内で消費されていました。当時は刺身や竜田揚げが一般的な食べ方で、市内のどこの飲み屋でも提供されていたといいます。
この日本水産釧路捕鯨事業場の一部は、現在も釧路重工業株式会社の社屋として使用されています。日本水産の進出により港の南端と北端に大手捕鯨場をもつこととなった釧路は、日本の一大捕鯨基地へと成長します。
釧路では、1950年から鯨肉が学校給食に登場し、カレーや揚げ物にも使われていました。当時、赤身の価格は牛肉、豚肉、鶏肉の3分の1から4分の1で流通していたため、家庭での消費も拡大しより身近なものとなりました。
鯨肉の需要が高まる中、釧路は1952年から1961年の10年間、沿岸捕鯨で日本一の捕獲頭数を記録し、日本を代表する捕鯨基地として全盛を極めます。飲食店では鯨肉の刺身が定番メニューになり、鯨肉缶詰工場が市内の高校生の格好のアルバイト先となるなど、鯨は市民生活の中にしっかりと定着していきました。
しかし、鯨資源の減少と、北洋母船式捕鯨業の存続を優先する政策のため、沿岸大型捕鯨の黄金時代に終わりが訪れます。極洋捕鯨は1969年、日本水産は1965年を最後に、相次いで釧路の捕鯨を打ち切りました。
釧路はミンククジラを捕獲する沿岸小型捕鯨の基地としても活躍しました。日本が食糧難に陥った第二次大戦中に、小型の船を用いてミンククジラを捕獲したのが始まりで、1953年に地元の漁業者が小型捕鯨船を買い取り、その舟を用いて独自に沿岸小型捕鯨を開始しています。夏から秋にかけては毎年日本各地から小型捕鯨船が集結し、幣舞橋の袂に係留され賑わいを見せていました。北海道での操業が内地と大きく異なる点は、捕獲したミンククジラを洋上の船内で解剖できた点で、釧路では新鮮な鯨肉を食べることが出来ました。
いわゆる商業捕鯨モラトリアムにより、1987年をもって一旦は釧路の捕鯨の歴史は途切れましたが、2002年の第2期北西太平洋鯨類捕獲調査の一環として行われた釧路沖でのミンククジラの調査捕鯨を契機に、鯨のまちとして新たなスタートを切ります。
調査初日には捕獲された4頭のミンククジラが40年ぶりに釧路港へ水揚げされ、まちは鯨ブームに沸きかえりました。通常は扱わない小売店や飲食店も鯨肉の取り扱いをはじめ、学校給食の献立にも鯨肉のカレー風カツが出され、児童からも美味しいと好評を得ました。2005年には釧路市と漁協や市場が一体となって、商業捕鯨の再開と鯨の文化を広めることを目的に「釧路くじら協議会」が設立され、鯨料理や加工品の開発、鯨学習、捕鯨史の編纂、ミンククジラの骨格標本作りに取り掛かりました。このほかにも、釧路市では市民に捕鯨文化を再認識してもらおうと「クジラ創作料理コンテスト」や、「クジラに親しむ市民の集い」「クジラと食文化を語る市民の夕べ」といった鯨に関するシンポジウムが開催されました。
2010年からは「くじら祭り&くしろの鯨味めぐり」を開催。市内の飲食店が腕を振るった鯨特別メニューが500円(税込550円)で提供されるこの祭りは、年々客数を増やしており、市民や観光客から好評を得ています。
そして31年ぶりに商業捕鯨が再開された現在、9月を「くじら月間」と銘打ち、鯨肉普及キャンペーンやくじら祭りを開催するとともに、学校給食への鯨肉購入の支援を行うなど、鯨文化並びに鯨食文化の振興・発展に取り組んでいます。
こんな感じで寿司を楽しんだ次の日は隣町の帯広に行き、うまいもんを食べてきました。
まず一つ目は、帯広に行ったら必ず食べるべき鶴橋の豚丼です。
一般的に皆さんが想像する豚丼とは全く違う、真っ黒なたれが特徴の豚丼です。
おそらく何十年も大事に継ぎ足して出来た秘伝のタレは、ほんのり苦味はあるけど、黒い見た目ほど辛くなくて美味しいタレ。煮詰めて若干の焦げ感を感じる濃厚です。
肉は薄めでよく焼き上げた固めですが濃厚なタレとよく合います。さらにこのたれが白米と絡み、最後まで味わうことができます。また食べたいですね。
続いて二つ目はインデアンカレー
帯広市民のソウルフードであるインデアンカレーは濃厚な牛の味がルーに出ていて、深みある味わいです。
地元の方は、お鍋を持参してルーのみ買っていく方もチラホラ・・
トッピングも選べて楽しく美味しく食べられるお店です。
次はデザートと行きましょう。
帯広でおいしいデザートと言えばクランベリーのスイートポテトです。
スイートポテトはさつまいもの皮を容器として使ってるので、一個一個微妙に大きさが違う、お客がスイートポテトを選んで、重さで値段が決まる仕組み
クランベリーのスイートポテトは、素材の良さをそのままに、過剰な手を加えず、さつまいもの風味を生かして丹念に仕上げています、とのこと女性からの評価もだいぶ良いらしく、さつまいもの自然な甘みを生かしていて、控えめな甘さ、口当たりもまったりしてて、たまに食感のあるお芋もまじってておいしいです。
われらが柔道部は彼女がいる人間が(ほぼ)いませんが、もしできたら買ってあげたらよいでしょう。
帰りの途中に謎のスーパーがあったので気になって寄りました。
夜は帯広の有名なお店の有楽町のジンギスカンを食べました。
このジンギスカンは柔道部に父が送ってくれたものです。
父曰く、また送ってくれるそうです。
次の日の昼、蕎麦屋の東屋に行きました
釧路には他の同規模の都市には類を見ないほど多くのそば屋がありますが、そのほとんどが「東家」のそばづくりの伝統技法の影響を受けているといっても過言ではないでしょう。
釧路のそばはクロレラを配合した緑色の麺を提供する店が多いのが特長ともいえますが、基本的には玄ソバの中心部分を曳いた更科粉~1番粉を使った中細麺のそばです。そば汁(つゆ)は「半生がえし」と呼ばれる製法で調製した「かえし」(砂糖、みりん、しょうゆを混ぜ合わせたもの)に主に宗田カツオの鰹節でとった「出汁」を合わせたコクの強いものです。
釧路には他にも、「江戸流」の粋なそば前や手打ちそば、創作そば料理、地場の特産品を使ったそばなど様々なそばを提供する店があり、お客さまの好みで選べる店が豊富であるのも楽しみの一つといえるでしょうね。
僕はお気に入りの愛国店に行き、親子鳥ざるをいただきました。
他にも城山店、川北店、総本店の竹老園などもありそれぞれだしや麺に特徴があり、東屋巡りをしてみるのもいいですね。
昼二回戦は泉屋のカツスパです。
トンカツはちょっと厚めの豚肉が使われていて、衣は若干サクサク感を残しつつ、ソースとパスタの油でしんなりとしています。肉は淡白ながらもパサツキはなく、しんなりとしていて舌触りが良く、もちもちと柔らかめの食感でしたね。そして、甘さを抑えてしっかりとした味わいのミートソース。このミートソースが何気に美味しかったです。
レストラン泉屋はスパカツの元祖。幣舞橋(ぬさまいばし)のすぐ近くに本店があります。社長は札幌のホテルで修行され、1960年頃(昭和35年頃)スパカツを始めました。
当時は豚肉が高価な時代。洋食文化がなかった釧路で草分け的な存在でした。お客様に贅沢感を味わっていただこうと思い、トンカツをスパゲティの上に載せ、寒い釧路でも鉄板皿なら最後まで熱々のまま食べていただけるのではないかと考案。
当初は「スパゲティミートソースカツのせ」という名称でしたが、厨房で「スパカツ」と会話しているのを聞いたお客様がいつの間にか使うようになり、自然と定着していったのだそう。
内地の人からしたらスパゲティーが鉄板に乗ることはありえないそうですね。
(僕はこれが普通だと思ってましたが)
いろいろ食べたのでこれからの練習頑張ります。