予定では70年生きることにしているので、on schedule であれば半分終わっちゃった。
…ってコレ、実はデスマだったらどうしよう。(((( ;゜Д゜)))))ガクガク
70年超えた分はロスタイムってことで。独り者のロスタイム長すぎってのは、暇すぎるンで勘弁な。('A`σ)σ
前半はコレといって輝かしい人生ってわけでもなかったので、今後も似たようなヌルいノリであると勝手に予測。と舐めてかかってたら大滑落したりしてwww
夏休みの宿題を計画的にこなせる子ではなかったので、真田サンばりに「コンナコトもあろうかと」みたいな仕込みはヤッテマセン。なので前半で仕込んだ種が後半目を出して~みたいな一発逆転の展開は無しデス。
行く手を遮る障害は、忍耐とその場の瞬発力だけでなんとか受け流してきた。が、歳喰ってアチコチいうこと利くかなくなり、堪忍袋の緒も緩んでくるとどうなるか、少し心配。ヽ('ー`)ノ
と、心配しつつもやはり計画性はナイので、打つ手は何も無し。('A`σ)σ
相変わらず、コレといって「一生を捧げよう!」と思うような目標は見つからず。
自ら求め探す努力をせぬ限り、今後もきっと無いでしょう。目標なんてな、降って湧いてくるモンではナイのです。結婚相手と一緒でな(藁
「己の目標を持ち、それに向かって全力を尽くす!」ってのがニンゲンの生き方のお手本のように古今東西言われ続けているけれど、そうなのかしらん?
山積する目先の問題の片付けに埋もれる日々。成したコトは小さく、これぐらいのコトができる人間は世にゴマンと居る。自分は社会の中で換えのきく部品。何ら「スペシャル」ではない。
でも、過去をふり返ると「あの時、あの場所で、それをやっていた」のは紛れもなく自分。過去の中の自分は、もう換えがきかない。
結果の善し悪しは別にして、「その時に考えうる best を尽くした」と信じうるなら、過去の自分に後悔は無い。その上で、自分の仕事が誰かの満足に寄与できたならば、己が仕事に価値は在ったと信ずる。
恐れるのは自己満足。過程の自己レビューと結果の他者レビューを経ることで、ようやく確信できる「良い仕事ができたようだ」という小さな満足。その集まりが「生きた証」。
そんな生き方がオイラの生き方。後半もきっと、それだけは変わらない予感。
何にせよ、後半戦を最高の内臓コンディションで迎えることができたのは、思ってもみなかった幸運。糖尿だの痛風だの、一通りの爆弾抱えることは半ば覚悟してたんだけど…('A`σ)σ
ま、生傷が絶えないというネガだけは、なんとかしたいもんだw
ロスタイム中まで馬車馬あるいは汽車犬ってのは?
とりあえず暇ではなくなります。
>最高の内臓コンディションで迎えることができた
それは何よりの行幸です。Janは先月の胃カメラで「逆流性食道炎」とやら宣告されたので、後半生は食を抑えつつ、毎晩胃薬を服することが ほぼ確定。
って言ってる矢先に廃車にしちまったりw
ぁ。オレが連れてかれるんか!?。(((( ;゜Д゜)))))ガクガク
>ロスタイム中まで馬車馬あるいは汽車犬ってのは?
>とりあえず暇ではなくなります。
えー('A')
働かんと金(ry
まー実際のところ、年金なんて無いだろから死ぬまで汽車犬の線は濃いぃなぁ('A')
自転車を復活させてからは通風はバッチリ治りました!
でも糖尿はあと数値が0.1で正常値に戻るのでもう一息です。
でも、精神と肉体のバランスはなかなか難しいモンです。orz