ご心配頂きました風邪、やはり病院のお薬と休養で、元気になって来ました♪♪
来週はジジの退職も有りますので、のんびりと寝てる場合じゃない(笑)
鎌倉の旅の片付けもありますしね。
前回のコメントのお返しもう少し、お待ちください(^_^;)
さて、円覚寺!学生時代の教科書で見ましたね。
確か鎌倉時代、すっかり忘れてますけど。
元寇の役に活躍した鎌倉幕府の執権北条時宗が、宋から来た高僧無学祖元に開山させたお寺です。
ふむふむ、聞き覚えのあるお二人だわ(^_^)v
円覚寺は、数度の大火に遭いつつも、江戸末期及び明治に高僧のもとに、多くの雲水や居士が集まり、現在のように、多くの人が座禅に訪れ、親しまれる「心の寺」となったようです。
はい、難しい名前は端折りました(⌒-⌒; )
大きく立派な山門!
多くのお寺は、撮影禁止なのですが、こちらの仏殿はOKなんです。
有難い仏様を多くの方に見て欲しいという事でしょうか?!
多分、ミツマタの花(苦笑)
長谷寺にも沢山有りましたよ。
後日再興された妙香池の虎頭岩!
現地ではピンと来なかったけど、写真にして、ツラツラ眺めると、水墨画の虎の顔に見えて来た!
ババの下手な絵で失礼します。
国宝 舎利殿!
仏牙舎利と言われるお釈迦様の歯牙をおまつりしてあります。
室町時代初期に出来たものが、関東大震災で倒壊し、昭和4年に復元した建物です。
「白鹿洞」(びゃくろくどう)
円覚寺開堂の日、無学祖元禅師の説法を聞こうと人々と共に、この洞穴より白鹿が群れをなし、禅師の説法をきいたそうです。
「黄梅院」(おうばいいん)
北条時宗夫人が時宗公の為に建立したのち、室町幕府二代将軍足利義詮の遺骨が分骨され、足利家の菩提所となったそうです。
それぞれの院の中にも、多くの坐像が有るそうですが、残念ながら、見る事は出来ませんでした。
きっと、色々な行事等には公開されるのでしょうね。
最後に、
このように生まれてきて
このように 生かされて
今はいきている
これこそ仏心
如来 無量のいのち
ありがたく 手を合わす
余り宗教心の無いババでも、心癒されるお言葉です!
まだまだつづきますよ~!
来週はジジの退職も有りますので、のんびりと寝てる場合じゃない(笑)
鎌倉の旅の片付けもありますしね。
前回のコメントのお返しもう少し、お待ちください(^_^;)
さて、円覚寺!学生時代の教科書で見ましたね。
確か鎌倉時代、すっかり忘れてますけど。
元寇の役に活躍した鎌倉幕府の執権北条時宗が、宋から来た高僧無学祖元に開山させたお寺です。
ふむふむ、聞き覚えのあるお二人だわ(^_^)v
円覚寺は、数度の大火に遭いつつも、江戸末期及び明治に高僧のもとに、多くの雲水や居士が集まり、現在のように、多くの人が座禅に訪れ、親しまれる「心の寺」となったようです。
はい、難しい名前は端折りました(⌒-⌒; )
大きく立派な山門!
多くのお寺は、撮影禁止なのですが、こちらの仏殿はOKなんです。
有難い仏様を多くの方に見て欲しいという事でしょうか?!
多分、ミツマタの花(苦笑)
長谷寺にも沢山有りましたよ。
後日再興された妙香池の虎頭岩!
現地ではピンと来なかったけど、写真にして、ツラツラ眺めると、水墨画の虎の顔に見えて来た!
ババの下手な絵で失礼します。
国宝 舎利殿!
仏牙舎利と言われるお釈迦様の歯牙をおまつりしてあります。
室町時代初期に出来たものが、関東大震災で倒壊し、昭和4年に復元した建物です。
「白鹿洞」(びゃくろくどう)
円覚寺開堂の日、無学祖元禅師の説法を聞こうと人々と共に、この洞穴より白鹿が群れをなし、禅師の説法をきいたそうです。
「黄梅院」(おうばいいん)
北条時宗夫人が時宗公の為に建立したのち、室町幕府二代将軍足利義詮の遺骨が分骨され、足利家の菩提所となったそうです。
それぞれの院の中にも、多くの坐像が有るそうですが、残念ながら、見る事は出来ませんでした。
きっと、色々な行事等には公開されるのでしょうね。
最後に、
このように生まれてきて
このように 生かされて
今はいきている
これこそ仏心
如来 無量のいのち
ありがたく 手を合わす
余り宗教心の無いババでも、心癒されるお言葉です!
まだまだつづきますよ~!