サッカーワールドカップロシア大会、監督交代劇が有って、
事前試合でも良い結果を出してなかったから、期待してなかったんだけど、
つい見てしまいました!やってくれましたね!
鹿児島出身の大迫選手が頑張ってくれました♪♪
日本国内でプレッシャーを掛けなかったのが、良かったかな??

ベルサイユ宮殿の駐車場を一度バスで出て、一般道を走って、またベルサイユ領地に入ります。

何しろ広い領地なので、牧場も有ります。

領地内を移動する人は、こんな電動バスが走っているそうです。
領地内北西部には大トリアノンと小トリアノンが有ります。
大トリアノンは、ルイ14世がヴェルサイユ宮殿の公式行事から離れて政務を取った宮殿です。
また、ナポレオンが好んで使用した宮殿でもあり、ナポレオン縁の調度品が展示してあるそうです。
現在、迎賓館として利用されているそうです。
小トリアノンは、ルイ15世が公妾ポンパドール夫人のために建てた小宮殿です。
ルイ15世の死後、ルイ16世の王妃マリー・アントワネットは、フランス様式の庭園を取り壊し、英国式庭園に変えたそうです。
さて、小トリアノンの中身は……
階段の手すりはマリーアントワネットの頭文字を入れて装飾してあります。
肖像画「薔薇を持つマリーアントワネット」は1783年のものです。
前出のコンシェルジュリ(4/27)のマリーアントワネットとの違いに胸が痛みます。

調度品は女性の好む可愛いものばかりです。
そして、建物を出ると、マリーアントワネットが愛した英国式庭園へ。
小川沿いに建つ白大理石の神殿。

愛人のスウェーデンの貴族アクセル・フォン・フェルセン伯爵と密会したと伝えられるところです。

小川はちょうど、掃除中で水が少なめ。

マリーアントワネットは王妃の人気を上げるため、「王妃の村里」の中で動物を飼い、乳しぼりをし、農業のまねごとをして、「自然の中で暮らす」ことを好みました。

この自然な暮らしにみせかけた農家の風景は全て作り物の世界だったので、貧困も飢餓も何もありません。

本物の農民達の苦しい生活は全くわからないまま、アントワネットと王子たちの「自然な暮らし」は続きました。

1777年~1789年の間、マリーアントワネットは小トリアノンとこの村里で暮らしました。
1789年10月5日?暴徒がベルサイユ宮殿になだれ込むまで。

約100年?ほど前に、フランスでは珍しい台風が来て、マリーアントワネットが植えた木々は殆ど倒れたそうです。
この木がその頃から在る木なのかは不明です。
「田舎家」を後にして、またベルサイユ宮殿に戻り、館内に作られた有名レストランで昼食です。

お洒落なレストランで、東京にもお店があるらしい。

お店からワインとエスプレッソコーヒーがサービスで提供されました。

少し遅いランチを頂き、最終地パリに向かいます。
事前試合でも良い結果を出してなかったから、期待してなかったんだけど、
つい見てしまいました!やってくれましたね!
鹿児島出身の大迫選手が頑張ってくれました♪♪
日本国内でプレッシャーを掛けなかったのが、良かったかな??

ベルサイユ宮殿の駐車場を一度バスで出て、一般道を走って、またベルサイユ領地に入ります。

何しろ広い領地なので、牧場も有ります。

領地内を移動する人は、こんな電動バスが走っているそうです。
領地内北西部には大トリアノンと小トリアノンが有ります。
大トリアノンは、ルイ14世がヴェルサイユ宮殿の公式行事から離れて政務を取った宮殿です。
また、ナポレオンが好んで使用した宮殿でもあり、ナポレオン縁の調度品が展示してあるそうです。
現在、迎賓館として利用されているそうです。
小トリアノンは、ルイ15世が公妾ポンパドール夫人のために建てた小宮殿です。
ルイ15世の死後、ルイ16世の王妃マリー・アントワネットは、フランス様式の庭園を取り壊し、英国式庭園に変えたそうです。
さて、小トリアノンの中身は……
階段の手すりはマリーアントワネットの頭文字を入れて装飾してあります。
肖像画「薔薇を持つマリーアントワネット」は1783年のものです。
前出のコンシェルジュリ(4/27)のマリーアントワネットとの違いに胸が痛みます。

調度品は女性の好む可愛いものばかりです。
そして、建物を出ると、マリーアントワネットが愛した英国式庭園へ。
小川沿いに建つ白大理石の神殿。

愛人のスウェーデンの貴族アクセル・フォン・フェルセン伯爵と密会したと伝えられるところです。

小川はちょうど、掃除中で水が少なめ。

マリーアントワネットは王妃の人気を上げるため、「王妃の村里」の中で動物を飼い、乳しぼりをし、農業のまねごとをして、「自然の中で暮らす」ことを好みました。

この自然な暮らしにみせかけた農家の風景は全て作り物の世界だったので、貧困も飢餓も何もありません。

本物の農民達の苦しい生活は全くわからないまま、アントワネットと王子たちの「自然な暮らし」は続きました。

1777年~1789年の間、マリーアントワネットは小トリアノンとこの村里で暮らしました。
1789年10月5日?暴徒がベルサイユ宮殿になだれ込むまで。

約100年?ほど前に、フランスでは珍しい台風が来て、マリーアントワネットが植えた木々は殆ど倒れたそうです。
この木がその頃から在る木なのかは不明です。
「田舎家」を後にして、またベルサイユ宮殿に戻り、館内に作られた有名レストランで昼食です。

お洒落なレストランで、東京にもお店があるらしい。

お店からワインとエスプレッソコーヒーがサービスで提供されました。

少し遅いランチを頂き、最終地パリに向かいます。
革命があったけど、こうしてベルサイユ宮殿や庭が今もあるのって、すごいね。
それにいったん出て入り直すの 程広いって、当時の貴族は馬車か馬で移動かな?
綺麗だけど、ベルサイユは箱庭の生活ね。
これは革命も起こるわな。どんなに素朴に暮らそうが、絢爛豪華には変わりないからね〜
パンが無いならお菓子を食べれば(笑)
相当広いですよね。
こう言う豪華絢爛な城をいくつも作って来たわけだから、
貧困の庶民は怒るわけですよね。
庶民はクロワッサンは食べられず、
フランスパンは貧しい庶民のパンだったそうです。
大トリアノンも見たかったなぁ。
そうですねえ〜日本なら、元には戻らないみたいですよね。
昔から、古い物への価値観が違うんでしょうね。
本当広いですからねぇ。
当時の人は馬車や馬でしょうね。
貧困の庶民の住む処に行った事も無かったんでしょうね。