季節の旬の話題を載せてると、広島の旅がなかなか進みませんね(^^;;
もう、ババだから記憶が飛んで行きそうだわ。
さて、原爆死没者慰霊碑の正面に見える大きな建物は??
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/cf/83a06892030db796b6989a88a8a01ce4.jpg)
広島平和記念資料館です。
現在、リニューアル工事中の為、本館のみの見学となりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/0c/89f7347d27568007bda94a058104378f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/46/eecf3c33a7a6659bbb183eb4c7aa4ba8.jpg)
入るとすぐ、原爆のきのこ雲の写真。
アメリカ軍は落とす前から、写真や動画を撮っていたんですよね。
広島に投下された原爆は、長さ約3m重さ約4t。
約50kgのウラン235が詰められ、その中の1kgに満たないものが瞬間的に核分裂し、
高性能爆弾の16000t分に相当するエネルギーが放出されたそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/b8/7ed64786bfaaafc91f2ed7de00196a1e.jpg)
多くの外国人が来ています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/0e/53c44d551facd68ea59bdc3d7f3f48d5.jpg)
赤いボールの高度で爆発したそうです。
ここに来るまで、原爆は地面に落とし爆発したと思ってたババです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/46/9da96cadd195e601b61bec0dbf314982.jpg)
原子爆弾は爆発の瞬間、強烈な熱線と放射線を放出、周囲の空気は膨張し、超高圧の爆風になったそうです。
この3つが複雑に作用し、大きな被害をもたらした状況が、沢山展示してあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/82/27b05c130952fd81d472a28683565e2c.jpg)
人影がのこる石や黒焦げになった弁当箱、焼け焦げた女子学生の服、焼けた三輪車など。
爆心地付近にはちょうど、建物疎開作業に動員された学生達が仕事をしていた為、
一瞬にして命を奪われ、遺体はおろか、遺骨も家族の元に戻らなかったそうです。
その中で見つかった遺品を、このような悲劇が2度と起こらぬように、遺族の方々が寄付したものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/63/79014a9e26b3b0ca567bea3aff3b325c.jpg)
佐々木禎子(ささき・さだこ)さんが折った折り鶴。
禎子さんは2歳の時、爆心地から2キロメートルの地点で被爆しました。
被爆当時、彼女は外見上は全く負傷していませんでした。
元気で活発だった少女は、その後どんどん成長していきましたが、ある日突然白血病におそわれてしまいました。
闘病中、彼女は「千羽の鶴を折ると幸運をもたらす」という言い伝えを信じ、千羽鶴を折り始めました。
日本では鶴は長寿を象徴しています。同級生も毎日のように病院にお見舞いに来ては彼女と鶴を折っていました。
しかし、千羽の鶴が完成しても病状は良くはなっていきませんでした。
その失望の中にあっても、彼女はさらに千羽の鶴を折る決心をしました。
そして、死の直前まで鶴を折り続けました。
禎子さんが亡くなったとき、同級生は深い悲しみに包まれましたが、それと同時に彼女の忍耐力と勇気に深く感動しました。
そして、禎子さんの魂が安らかに眠れるよう、平和への願いを込めて碑を建てることにしたのです。
原爆の子の像の建設には、日本全国から、また世界各地から募金がよせられました。1958(昭和33)年5月5日、子供の日にこの碑は除幕されました。
(ヒロシマの心を伝える会のブログよりお借りしました)
そして、昨年念願のアメリカ大統領が広島にやって来たんですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/80/34627fa9512b31c7eb0a83d01a45ed54.jpg)
あの感動忘れたくないよね!!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/bd/758427455ab2814d825bee87596219dc.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/47/c98c1bfe2dc289471a172b73c4c35c57.jpg)
今は平和を祈る折り鶴です。北のあの人にも贈りたいですね〜〜
ゆっくりじっくり見たかったのですが、バスの時間が来てしまいました。
次の目的地まで行く途中に、車窓より、原爆遺産を見ますよ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/16/d022e040a223d89c8605bd18d61318a5.jpg)
爆心地から2000m以内にある「被爆樹木」のひとつ、枝垂れ柳。
被爆をした木から、新しい枝が出て、どんどん大きくなり、すっかり樹木となっています。
まるで、今の広島市のようです!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/01/fd3797341954a0d5ada5f6818e376075.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/1a/b6257ba1e2a47c893e7c8644dda120b8.jpg)
この建物は、被爆時には広島陸軍被服支廠(ししょう)でした。
被服支廠は、軍服や軍帽など、兵隊が身に付ける小物や付属品等を生産、修理、保管、供給する施設で、大規模な製造・修理工場と保管・供給を行う倉庫群がありました。
現存しているのは、1913年(大正2年)に竣工した鉄筋コンクリート造り・レンガ張りの倉庫4棟です。
爆心地から2.67キロメートルにあり、爆風により屋根に大きな損傷を受けたものの火災は免れました。
被爆直後は臨時救護所となって多くの被爆者を受け入れましたが、次々とここで命つきていきました。
戦後は、一時、広島高等師範学校(現在の広島大学教育学部)などに利用されたほか、運送会社の倉庫や学生寮として利用されました。
西側の3棟の鉄扉のいくつかは、被爆時の爆風で変形したままとなっています。
(ひろしまナビ、被爆建物よりお借りしました)
こちらは前もって予約すれば中を見られるそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/b0/abfe7afa5ded6c0a5f35cb68a4d13020.jpg)
さあ、次の世界遺産に行く前に〜〜見えて来ました、瀬戸内海♪♪
またまた続きます!
もう、ババだから記憶が飛んで行きそうだわ。
さて、原爆死没者慰霊碑の正面に見える大きな建物は??
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/cf/83a06892030db796b6989a88a8a01ce4.jpg)
広島平和記念資料館です。
現在、リニューアル工事中の為、本館のみの見学となりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/0c/89f7347d27568007bda94a058104378f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/46/eecf3c33a7a6659bbb183eb4c7aa4ba8.jpg)
入るとすぐ、原爆のきのこ雲の写真。
アメリカ軍は落とす前から、写真や動画を撮っていたんですよね。
広島に投下された原爆は、長さ約3m重さ約4t。
約50kgのウラン235が詰められ、その中の1kgに満たないものが瞬間的に核分裂し、
高性能爆弾の16000t分に相当するエネルギーが放出されたそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/b8/7ed64786bfaaafc91f2ed7de00196a1e.jpg)
多くの外国人が来ています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/0e/53c44d551facd68ea59bdc3d7f3f48d5.jpg)
赤いボールの高度で爆発したそうです。
ここに来るまで、原爆は地面に落とし爆発したと思ってたババです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/46/9da96cadd195e601b61bec0dbf314982.jpg)
原子爆弾は爆発の瞬間、強烈な熱線と放射線を放出、周囲の空気は膨張し、超高圧の爆風になったそうです。
この3つが複雑に作用し、大きな被害をもたらした状況が、沢山展示してあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/82/27b05c130952fd81d472a28683565e2c.jpg)
人影がのこる石や黒焦げになった弁当箱、焼け焦げた女子学生の服、焼けた三輪車など。
爆心地付近にはちょうど、建物疎開作業に動員された学生達が仕事をしていた為、
一瞬にして命を奪われ、遺体はおろか、遺骨も家族の元に戻らなかったそうです。
その中で見つかった遺品を、このような悲劇が2度と起こらぬように、遺族の方々が寄付したものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/63/79014a9e26b3b0ca567bea3aff3b325c.jpg)
佐々木禎子(ささき・さだこ)さんが折った折り鶴。
禎子さんは2歳の時、爆心地から2キロメートルの地点で被爆しました。
被爆当時、彼女は外見上は全く負傷していませんでした。
元気で活発だった少女は、その後どんどん成長していきましたが、ある日突然白血病におそわれてしまいました。
闘病中、彼女は「千羽の鶴を折ると幸運をもたらす」という言い伝えを信じ、千羽鶴を折り始めました。
日本では鶴は長寿を象徴しています。同級生も毎日のように病院にお見舞いに来ては彼女と鶴を折っていました。
しかし、千羽の鶴が完成しても病状は良くはなっていきませんでした。
その失望の中にあっても、彼女はさらに千羽の鶴を折る決心をしました。
そして、死の直前まで鶴を折り続けました。
禎子さんが亡くなったとき、同級生は深い悲しみに包まれましたが、それと同時に彼女の忍耐力と勇気に深く感動しました。
そして、禎子さんの魂が安らかに眠れるよう、平和への願いを込めて碑を建てることにしたのです。
原爆の子の像の建設には、日本全国から、また世界各地から募金がよせられました。1958(昭和33)年5月5日、子供の日にこの碑は除幕されました。
(ヒロシマの心を伝える会のブログよりお借りしました)
そして、昨年念願のアメリカ大統領が広島にやって来たんですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/80/34627fa9512b31c7eb0a83d01a45ed54.jpg)
あの感動忘れたくないよね!!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/bd/758427455ab2814d825bee87596219dc.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/47/c98c1bfe2dc289471a172b73c4c35c57.jpg)
今は平和を祈る折り鶴です。北のあの人にも贈りたいですね〜〜
ゆっくりじっくり見たかったのですが、バスの時間が来てしまいました。
次の目的地まで行く途中に、車窓より、原爆遺産を見ますよ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/16/d022e040a223d89c8605bd18d61318a5.jpg)
爆心地から2000m以内にある「被爆樹木」のひとつ、枝垂れ柳。
被爆をした木から、新しい枝が出て、どんどん大きくなり、すっかり樹木となっています。
まるで、今の広島市のようです!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/01/fd3797341954a0d5ada5f6818e376075.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/1a/b6257ba1e2a47c893e7c8644dda120b8.jpg)
この建物は、被爆時には広島陸軍被服支廠(ししょう)でした。
被服支廠は、軍服や軍帽など、兵隊が身に付ける小物や付属品等を生産、修理、保管、供給する施設で、大規模な製造・修理工場と保管・供給を行う倉庫群がありました。
現存しているのは、1913年(大正2年)に竣工した鉄筋コンクリート造り・レンガ張りの倉庫4棟です。
爆心地から2.67キロメートルにあり、爆風により屋根に大きな損傷を受けたものの火災は免れました。
被爆直後は臨時救護所となって多くの被爆者を受け入れましたが、次々とここで命つきていきました。
戦後は、一時、広島高等師範学校(現在の広島大学教育学部)などに利用されたほか、運送会社の倉庫や学生寮として利用されました。
西側の3棟の鉄扉のいくつかは、被爆時の爆風で変形したままとなっています。
(ひろしまナビ、被爆建物よりお借りしました)
こちらは前もって予約すれば中を見られるそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/b0/abfe7afa5ded6c0a5f35cb68a4d13020.jpg)
さあ、次の世界遺産に行く前に〜〜見えて来ました、瀬戸内海♪♪
またまた続きます!
でも実際に起きたことだし、2度と起きてはいけない事だから、後世にも伝えていかなきゃね。
若い時には特に、現実味湧かないよね。
王子も、もう少し大きくなったら連れて行かなくちゃね。
ここは、世界の多くの人に訪問して欲しいな!