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その日は突然やってきた~発達障がいの母との介護の始まり~

2022-09-30 00:29:55 | 日記
まだまだずっと先の話だと思っていた
頭も耳もしっかりしてるし
見守りがずっと続くと思っていた

ふくらはぎに褥瘡いわゆる床擦れ なんて
聞いたことがないと誰にも言われるが、
むくんで転んで内出血が腫れてきて
足を高くして寝ていたら
結局キズのある左足がついたままで
うごかなければ、 こうなるのだ
リハビリを全て休んで安静に
そして毎日ガーゼの交換しなくては
素人にできるだろうか

発達障がいの母と暮らして~見えてきたこと~

2022-09-14 20:39:20 | 日記
母が転んで また起き上がれなくなり
何事もないまま一両日
仕事はものすごく忙しく
話もろくにしなかったが
ズボンの裾から浸潤液が滴り落ちていた
痛みを訴えていたが 捲ってみると
浮腫でパンパンなところに
内出血で腫れたところから
ジュルジュルと水と血液が混じった液体が
そこらに落ちているのを気付く

夜にお寺の法話と法事に連れていき
良いお話が聞けたとご機嫌であった
久しぶりのお寺は楽しかったようだ

でも下半身を濡らし よれたTシャツ姿
とても仕度はみすぼらしい
さっぱりとさせる必要があった
他人を不快にさせてる自覚がないのだ
自分でゆっくりではあるが着脱はできる

部屋中廊下中、母の歩くところに
全て新聞紙を敷いた
ごみ袋を横におき 自身で脱がせる
オムツまで脱ぐのに1時間かかった
正確にはオムツもはかずにいた

順序立てて身繕いをすることが
苦手になってしまったらしい
若い時に買い ボロになった高級下着を
重ねて身に付けパットを押さえて
ズボンをはいていた

これらの高級下着を身に付けることに
ずっとこだわり続け
やめなと言っても聞く耳もたずできていた
が、やっと捨てられる時がきた

次々と捨てながら脱いだ
母もこだわりを捨てながら楽になったようだ
最後はきちんとオムツをはき
清潔なズボンに自ら足を通した

浸潤液の滴るふくらはぎには
パットをガムテープで固定して処置した
寝るときも 頑なにいい加減だった
座布団2枚を足の下に入れて寝るのも
やってあげることができた

最初に脱ぎ始めた時から
3時間が経っていた

この数日私の中にも変化があった
ブログを書き始めて一月余り
振り返りを文章に書き起こすことで
整理され 何十年も
言葉にできず悶々としてきた思いが
母との関係性がすっきりみえてきた

この間精神科医YouTube聞いたり
ブログはセルフカウンセリングだった
かもしれない

久しぶりに行った美容室で
白髪ふえたね~💦1ヶ月で
と、言われたことを加えて
長くなりましたが 今日はここまで

発達障がいの母を看ていて~わかったこと~

2022-09-12 00:35:09 | 日記
母と暮らして
絶対に交わることのない関係性があること
忸怩たるおもい、やりきれないおもいが
ずっと あった
どんなに諭してもなにも響かず
しかしボケてるわけではない
ストレスだけが たまっていた

先日、母が転んだ時の
ふきらはぎにできた内出血が腫れて
浮腫とともにたいへんな状況だった
そして リハビリパンツもパットも
関係ないくらいの
みすぼらしい格好の今の姿をみていて

自閉症スペクトラムでギフテッドではと
思うに至った
たぐいまれな暗記力と集中力
母自身ろくに勉強せず、数々国家試験を
受かってきたと聞いていた
みた活字が写真のように記憶できるのだろう

そこに気づけたこと
整理してまた、書いてみます

発達障がいの母とだらしない父の間に生まれて~私の歪んだ二面性~

2022-09-09 15:18:46 | 日記
いつかお父さんは帰ってきてくれる…
母は根拠もなく私たちにも言った
事実を確認することもできず
蓋をし、夜になるとシクシクと枕を濡らす母
そうでなければ私には 愚痴を言う
まだ弟も小学校低学年
私がこの家を引っ張らなきゃ
根拠のない責任感
母の洗脳にまんまと引っかかっていた
夢も希望も吸いとられていた
父の望む将来だけが選択肢だった

私は両親にとって宝物ではなかった
明るく責任感や統率力とか勉強とか
いつのまにか親の期待が
私の夢となり、
平凡中の平凡ではなく
非凡なる平凡がもとめられた

宝物でないことを自認したくなかった
潜在的には気づいていたはずだが…
両親に私だけを注目して欲しかった
まるで赤ん坊である
高校生になるとその歪みはさらに顕著になり
対極にいる自分同士で悩み始めた

父への片思いと
母から求められる共依存関係

いつも心は満たされなかった
そんな女子高生が行き着く先の居場所は
求めては はたきおとされ
立ち上がろうとすると 邪魔をされ
だれも私の心は無視である
悩み尽くした

太宰治の「家庭の幸福」に気付かされ
他者を俯瞰してパロディーにする
筒井康隆の世界観に救われた

それでも求めては傷つき 求めては傷つき
心の休まる委ねられる居場所を求めて
彷徨い続けた闇の時代だった

書を捨てよ街へ出よう
と教えてくれた先生がいた

この こんがらがった現実から
解放されよう 外へでよう
それが私の18歳の春だった

続きは明日お願いします


発達障がいの母とだらしない父との子として生まれて~中学生~

2022-09-08 14:56:48 | 日記
だらしない父 とくくってしまったが
女にも借金にもダブルでだらしないからだ
自分の高校時代の同級生の妻と不倫
しかし、遡れば職場の若い女性とも らしい
父は頭もよく滑舌もよく出世頭だったが
癖が悪かった 
他人に知られないように上手くやっていた
母みたいな妻は簡単に騙せたんだろう

そんなことはずいぶん後になって
私も客観的にみれるようになっただけで
多感な中学生のときは
父の背中ばかりを思いだし
母の手前封印していた恋慕の思いは
歪んだ形で心を浸潤していっていた

時に帰ってくると 私はとても気を使った
帰ってくる理由は弟のためだったらしい
相手は娘が二人 離婚も成立し
いつの間にかその三人と
家族のように暮らしていた
男は弟だけなので 当時の常ではあるが
後継ぎのようなつもりでいた

思春期というのは親に反発しながらも
社会の一員としての自覚をもつ一歩として
親の生き方に注目するようになる
立派な背中を見せてればよいが
高価な仕立てのスーツの中味は
だらしないものだった
しかし当時はすごい立派な人だと思ってた
私たちの土地建物を根抵当に
1億6000万円も借りてるんだから
貸した方も貸した方だが 銀行です
歌舞伎町にクラブをだしたり
地元でクラブや焼肉屋居酒屋と
派手な暮らしもしていた
こちらはまだ離婚もしてないが
財産分与になれば借金まで分与になる
いつのまにか
母もそんな立場に追い込まれていた

それでも私たちは
お花畑にいた
いつか帰ってきてくれる…

続きはまた、お願いします