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自称発達障がいの母から生まれて~私のこと~

2022-09-03 14:13:20 | 日記
預けられた祖母が60歳そこそこというと、
今の私と同じくらいか…
乳飲み子育てるのもできなくはないか…

覚えてる記憶の中には
一緒に横になって昼寝したり
当時新発売だった
チャルメラに玉子落として食べたこと
サバトラの猫がいて名前はトラ
橋の下で父が拾ってきたらしい
私も一緒に橋の下で拾ったらしい
富山の薬売りのおじさんが毎年来ていたこと
ムジンをあつめに祖母と歩いたこと
その集まりで近場に日帰り旅行も行ったな
離乳食も祖母が噛んだものを食べたらしい
総入れ歯だから菌はいない というw
隣は小さな食料品店で
毎日おやつを買ってくれた
しばらくはそこで電話も借りていた

カラーテレビが売り出した頃
父が奮発して祖母宅と自宅と2台買った
昼メロや朝の連ドラを祖母と観るのが日課で
セリフや仕草を真似して
一人芝居をやっていたのが2~3歳だと思う
近日で遊ぶ友達もいず、
祖母と散歩も行かず
祖母は庭で畑をやってたが手伝いもせず

父は9人兄弟の下から3番目
だから叔父叔母いとこ など
周りは大人ばかりだった

所詮、昼間しかいない
預けられている居候だから
なんとなく自分の居場所ではない
と、夜になれば迎えがきて帰るのだ

早くに母は運転免許をとり
これはたいへん珍しかったらしい
田舎で送迎の必須で
いつしか車でになっていた

同年齢の子供は知らなかったが
いつも大人が出入りしていて
特に父の妹弟はまだ10代のおじおばで
可愛がってくれた

記憶なんて沢山残っているように感じても
書いてみればひとくくり

明日も続けます



自称発達障がいの母から生まれて~わたしのこと~

2022-09-02 23:03:54 | 日記
一緒に旅をしてきた猫たちも記しておきたいが、でも、自分がこの老婆から生まれた
それは変えられない事実で
私が両親を選んで生まれてきた、ということ
しなくてもよい苦労を
子供時代を過ごし
いや、マイワールドをもった
一人遊びの好きな 
だからそれほど嫌な思いもせず
こういうもんだと
肯定と諦めで言い聞かせていたのかも
しれない

母は小学校の教員をしていた
志があったわけでもなく
激動の変化の昭和中期に
様々な縁からその職を得た
私は公務員の父の母
おばあちゃんに日中預けられ
小学校まで父の実家を住所として育った

生まれる日の2週間前から産前休暇をとり
生まれて1ヶ月後には
職場に復帰した

当時はどんな時代だったのか
制度も整備されてなかったとはいえ
後ろ髪引かれる思いは
全くなかったようである

まだ生まれたての私はどう育ったのか…
60歳そこそこで後家さんになった祖母に
どうやら両親は私を押し付け
2人とも仕事にばく進していたようだ

うちは貧乏だから
働かなきゃ生きていけないから
それが母の口癖だった気がする
子供にわがままを言わせない
手っ取り早い言葉である
全て、それで飲み込んできた気がする

だからおばあちゃんに育てられて
居場所があって、よかった

続きは明日にします





猫と暮らす

2022-09-01 20:52:18 | 日記
誰もが急ぐ夕暮れ
近所に3件もあるこのスーパーの
猫の砂だけ 買いにきた
昼間、停電になるほど雨が降ったせいか
人出も少し多い気がする

なんだか この風景をみると
頭が痛くなる 今だけじゃない
何かふとしたときに 頭が痛くなる

猫の回覧板のメンバーになっているらしく
知人友人、ほとんど猫と暮らしている
今まで犬好きだったひとも
回覧板のメンバーになっている

なんでかな?

1人がスマホを見せれば
わが子の自慢が 始まる
でも 同じぶち柄でも
全く同じ柄がいないから 不思議だ

独り者同士を繋ぐのも 猫だったりする
居酒屋のカウンターで一人でのんでる人は
大概 写真を持っているらしいのだ

当のねこたちは おかまいなしだ
人は だから想像力を駆り立てられて
観察し 相手をする

救われたこと
大変だったこと
笑ったこと
それぞれ どの猫とも
沢山のシーンがよみがえる

そんな猫たちを
書き記しておきたいと
思います