バリ時々晴れ

旅行と日常

二年前に行ったベトナム。 第二回。

2019-08-24 22:18:55 | 日記
仁川にあっけなく着いた。


ただ初めて来る空港だったのでとりあえずどこにどの店があるか調べて置こうと思ってたのだが、



実際はあまりに店が多過ぎて覚えられず。



どうでも良くなった。



そして全てを投げ出してから30秒後、ゲート近くのスマホ充電ポイントを全く人気のないところに見つけて、中国人観光客をただ無言で見ていた。



仁川で見た中国人はめちゃくちゃ小さい飛行機に乗って帰るのに、爆買いが半端ない。



どんだけお金持ってんだよ!



と彼らを見ながらつい日本語で言ってしまった。



フライトは約一時間遅れた。



どーでもいいけど何を言ってるか不明。



理由理解できず。



まぁ、いいか。



飛行機が安定して、機内食。



と、




突然飛行機急降下。




あがる悲鳴。




上下に揺れる機内。




泣く子供。



上下に揺れる私の胃腸。




ばらまかれる機内食。




嘔吐してる音。




上下に揺れる機内。




それが約一時間。




落ち着け機長。



水平になっているか計器を見るんだ。




スピードをそんなに出してはダメ。




まぁ、プレステの飛行機操縦のシミュレーションですけどね。




上下に揺れて揺れて、五時間後、無事ホーチミンに着いた。




私だけではなく、なぜか乗客全員のヘアスタイルが乱れていた。




飛行機に乗って帰りたくない。




本気でそう考えていた。







20年振りにバリ島に行く事になったきっかけ。第三回。

2019-08-22 06:30:04 | 日記
迎えの車が来て、何故か躊躇した私。


誘拐されるのか?



車はごく一般的な4人乗りの車。


スーツケースはトランクに入れられる。


あーこれはヤバイな。



一緒に行った友人と何かあったら大声で助けて貰う様に言おうとか車で話してたのが懐かしい。



しかし車は普通に宿泊するホテルに到着。



疑ってた自分が情けない。



実にあっさりとチェックインを済ませ、部屋でのんびり。



と言うか着いたのが夜中だったので交代でシャワー。



深夜2時ぐらいにやっと眠る事ができた。



と、



その時。



部屋に備え付けてある電話が鳴る。



一緒に来た添乗員さんじゃない?



実は空港まで添乗員さんが付くツアーだったのだがホテルが違うためと言うか私たちだけ違うホテルだったのであとは帰りにと言う感じ。



そのまま何も連絡がなかったのでおかしいね。なんて言ってた矢先電話が鳴ったのだ。



はい。



と私が出ると、


Are you lonely?



あーーー、違う人じゃん。添乗員じゃねーよ。



面倒くせー。



友人に添乗員じゃないよ。と伝えてからとりあえず、



Fuck off!!!



と言って切りました。



友人と私が言うバリの夜の電話事件です。



心の中で来るんじゃなかった後悔が広がりました。


友人は実は韓国人。



そんなの慣れたもので



早く寝るよ。



の一言。



友人がいなかったら心折れてたなー。



と考え、いつの間にか朝8時。



目が覚める。



友人は先に起きて髪を洗っている。



いい朝だ。



日本では聞こえない鳥の鳴き声が聞こえる。



あーそうかバリ島にいたんだっけ。



海外旅行がこれが初めての私は水道水ではない煮沸した水で歯を磨くのもひと苦労。


1990年代、今でこそお部屋に歯磨き用のミネラルウォーターが置いてあるが、そんなのはなく、煮沸した水がポットにあるのみだった。


何かと不便なこの生活。



なぜか楽しんでいる自分がいた。



私は友人に朝食に行こうと言い、二人は朝食に行くのだがそこでまた試練。



続きはまた次回。

20年振りにバリ島に行く事になったきっかけ。第二回。

2019-08-21 12:37:14 | 日記
1990年代は直行便などなく、ジャカルタ経由が普通でした。


買い物出来るルピアもなく、ただただ広い空港のトイレに入ってくると言う贅沢な使い方。


ヒジャブを付けたイスラム教徒の女性たちを見るのが好きでした。


なんかエキゾチックで素敵で何よりかわいい。


一時間ちょいで同じ飛行機にまた乗ってデンパサールに向かいます。


二時間と書いてあるけどなんかあっという間。


バリ島に到着します。


今はないけど機内入国審査なので機内で全て終わってて、スーツケースを取るだけ。



スーツケースを取って出口付近に行くと熱気が凄い。



自分の名前探してると、知らんポーターが来てスーツケース持って行こうとする。



いや、やめて下さいね。


と言って名前探すと違うインチキポーターが勝手にスーツケース持って行こうとする。


No.


いやどうしたらいいのか。



暑いし、人いっぱいいるし、インチキポーターはいるし。


お迎えの車の人がこちらを見つけてくれたので助かりました。


いやたいした事ないんですけどね。



いやーとんでもないところに来てしまったなー。


と言うのが正直な感想。


なのに、これから何度も行く事になろうとは


この時の自分は考えもしなかったです。


次回に続く。




20年振りのバリ島に行く事になったきっかけ。第1回目。

2019-08-20 18:58:05 | 日記
今を遡る事20年前、1990年代。


バリ島に行く日本人で溢れていた。


関西空港が新しく出来たのもこのくらいの時で


クタにはブランドピカピカ女子や関西弁が溢れていた。


私はその頃から何故か『深夜特急』のバックパッカーに憧れていて、


JALよりガルーダ・インドネシア航空の方がバックパッカーっぽいと言う薄っぺらい理由でガルーダ・インドネシア航空に乗った。


今でこそファイブスターの高級飛行機会社だかその頃のガルーダ・インドネシア航空は福岡で墜落事故。


CAさんが客よりも早く逃げたとか何とかでどちらかと言うと危険飛行機会社ではあったのかな?


そんなのお構い無し。


搭乗率が少なければ少ないほど嬉しくなる私。


30%の搭乗率で一列占領。


違う意味のフルフラットをエコノミーで堪能していた。


そしてその頃のガルーダ・インドネシア航空の機内食。


ビーフオアうなぎだったのだ。


熱々のうなぎが美味しくて


それが楽しみでした。


ジャカルタで給油するためのトランジット一時間。


楽しかったな。





続きは次回で