100年後の君へ

昔書いたブログですが、時折更新しています。

興亜一心刀(満鉄刀)と軍装マニア氏の問題点 軍刀をどう見るか2

2014年12月17日 | 日本刀に関する虚偽を正す 軍刀HP批判

 一口に軍刀と言っても、
1.古い刀を軍装拵に入れた物。例えば東郷平八郎の一文字吉房(大正天皇より下賜)や、支那事変・太平洋戦争で徴兵された民間人が古い刀を軍刀に設えた物。
2.軍装品としての刀を刀鍛冶が日本刀の制作方法で作った物。例えば月山貞一(初代)や宮本包則や堀井俊秀が恩賜の刀として鍛えた物、支那事変・太平洋戦争に出征する兵士のために当時の現代刀匠が鍛えた物や靖国刀の一部。
3.刀鍛冶以外の者が作った物。戦時中の軍刀需要の増大を受け、昨日まで包丁や鎌を作っていた野鍛冶や刑務所の受刑者に作らせた物。靖国刀の一部もそうである。
4.当時の技術で量産した物。鍛造しない昭和刀や日本刀の構造で量産した満鉄刀。
 がある。

 今回論じるのは満鉄刀だ。満鉄刀の正式名称は商品名「興亜一心刀」である。
 量産品でも昭和刀と満鉄刀は全くの別物である。満鉄刀の方が遥かに品質が高い。
 私は満鉄刀とは意外な場所で会っている。仕事でよく行く香港のセントラル地区だ。私が刀に興味を持ち始めた青春時代の事である。
 セントラルの街を散策していて見つけた骨董品店に満鉄刀があった。香港と言えば先ずは偽物と見るのがルールだが、これは本物だった。聞けば店主は日本刀のコレクターだという。当時の私は、満鉄刀は初心者が近江大掾忠広と見誤るという知識は持ってたから、これが満鉄刀かと興味深く見入ったものである。しかし当時の私の目にも流石に忠広には見えなかった。姿や直刃は肥前刀っぽく見えるし、地鉄もつるんとして綺麗ではあるが、日本刀の鉄(かね)ではない。肥前刀の小糠肌や梨地肌に似ているとは言い過ぎだ。よく観れば全く違うのが判る。ただ後に見た河野貞某(名前失念)の居合刀の地鉄は満鉄刀に似ていると感じた。
 因みに洋鋼やステンレスでも焼き入れして磨き上げれば地沸や地景状の働きが現れるものである。鋼を焼き入れすればマルテンサイトの粒子が発生するから当然である。ハンドメイドの高級カスタムナイフにはそうした働きを見て取る事ができる。
 香港の満鉄刀は未使用かと思われるほど保存状態の良い軍刀拵に入っており、刀身も錆一つなかった。値段は30万円(日本円)と言っていた。交渉すればもっと安くなるだろう。当時もっと薄汚い一般的な軍刀が20万円位だったし、高級カスタムナイフなら30万円以上がざらだった。私のポケットにもそこそこのお金があったので心を動かされたものである。しかし日本の通関手続きや登録証の取得が面倒臭いので止めた。当時の私は公私共に非常に忙しかったのである。
 つまり私にとって満鉄刀とは、青春時代の一コマに登場する刀の一つであり、思い出の一部なのである。
 しかし問題は、満鉄刀に関して、偏った歴史観を持つ人や偏った考え方をする人が、極端な主張をしている事である。
 例の軍装マニア氏など、

>興亞一心刀は、新たな日本刀の世界を切り拓く為、満鉄が威信を賭けて取り組んだ壮大な試みであった。
>この刀は、祖国が、そして満鉄が、満洲に描いた夢の証しであり、「紛れもない日本刀」である事を我々に示している。
(同氏HP「興亜一心刀の実態と所見」よりhttp://ohmura-study.net/225.html

 と、熱く語り、その根拠として南満洲鉄道株式会社大連鉄道工場刀剣製作所が発行した書籍『興亜一心』http://ohmura-study.net/221.htmlと昭和14年度(1939)の『満州グラフ』記事「斯くして作られる興亞一心刀」http://ohmura-study.net/223.htmlを引用している。
 『興亜一心』は軍装マニア氏によれば、

>この本がどの様な動機で発行されたのか分からない上に、市販だったのか非売品だったのかも分からない。
>或いは株主総会開催時の“お土産資料”的なものだったのか。
(同氏HP「『興亞一心』について」よりhttp://ohmura-study.net/221.html#1

 との事である。
 つまり『興亜一心』は南満洲鉄道株式会社(以下満鉄)の宣伝パンフ乃至満鉄刀のカタログ的な印刷物なのである。
 自社製品がどれだけ優れているか、科学的な検証結果を基に大々的にPRするのは今日の家電製品や健康食品も同じだし、新車のカタログなど正に軍装マニア氏が紹介する『興亜一心』と同じ構成である。確かに消費者にとって企業側の主張は一つの判断基準になる。しかし企業が自社製品の優秀性をPRするのは当然であるし、当時は企業の宣伝をチェックする公共広告機構もなかった。そのような時代の企業の宣伝に踊らされるのはあまり賢い態度とは言えない。

 またもう一方の『滿洲グラフ』は満鉄の機関紙である。当然満鉄にとって有利な情報やPRしか載せない。人民日報や赤旗のようなもので、一般的な雑誌とは違う。

 参考 拓殖大学図書館滿洲グラフの頁よりhttp://opac.lib.takushoku-u.ac.jp/kyugaichi/htmls/pages/mns_96022010.html:「昭和8年(1933)に南満洲鉄道によって創刊された、満州国宣伝のための雑誌です。満州国や満鉄の美点が多くの写真と共に描かれています。」

 因みに以下は軍装マニア氏のHPに引用されている『滿洲グラフ』記事「斯くして作られる興亞一心刀」の一部である(青字)。

「直徑七寸の巻藁の中心に五分丸の青竹を入れて、これを斜め斬りにやって見た。見事切斷された巻藁に、輕い微笑みを贈ったゞけで、少しの刃こぼれをも感じない興亞一心刀燦(さん)と輝いてゐた。」
「續いての對象にあげられたものは、重量二十六貫、首廻り二尺八寸の豚、厚さ五厘、幅一寸、長さ六寸の軟鐵板を重ねて四枚・・ 何れも興亞一心刀の凝固した名刀の前には何等の障害ともなり得なかった。
「室内の温度が零下四十度に低下して、抜身の刀を一晩その中に放置した。翌日鑄鐵製定盤上でこれが手打試験を實施したのである。太いレールでさへ折れてしまふこの荒テストに、我が興亞一心刀はいさゝかの刃切れ、刃こぼれを見なかったのだ。
「この事實は、大陸に使われる降魔の劍として、絶對的卓越性を實證したものであり、世界に誇示し得る科學滿洲の凱歌でもある。」

 以上http://ohmura-study.net/223.html

 メディアを使った宣伝は今日の工業製品と同じだ。つまり満鉄刀は満鉄が「興亜一心刀」という商品名で売り出した商品なのである。それを踏まえて議論せねばならないのに、軍装マニア氏は満鉄の宣伝に舞い上がってしまい、21世紀の今日になって尚、満鉄の言うがままに、満鉄刀がいかに優れた刃物であるかを力説するのである。
 その興奮は極みに達し、

>この刀は、祖国が、そして満鉄が、満洲に描いた夢の証しであり、「紛れもない日本刀」である事を我々に示している。
(軍装マニア氏「興亞一心刀に思う」http://ohmura-study.net/225.html#4

 と、劇的な決めゼリフで満鉄刀の素晴らしさを讃えている。

 新車のCM顔負けの絶妙なキャッチコピー(煽り文句)である。
 こんな決めゼリフを聞かされたら、誰だって思わず満鉄刀が欲しくなろうというものだ。

 しかし少し冷静に考えてみれば、当時この満鉄刀を手にした兵士達に必要だった物は、こんな愚にもつかない刃物だったのだろうか。こんな刃物を開発する金と技術があるなら、兵士に最新式の自動小銃とまではいかなくても、もっとまともな武器・弾薬を装備させるべきではなかったか。
 
 確かに満鉄(南満州鉄道株式会社 1906)は全く合法的に設立された会社である。しかしその成り立ちからして極めて政治的且つ軍事的であり、株式会社とは言うものの国家戦略・国家戦術を担う国策会社だった。満鉄はアジア開発の拠点であり、軍事的な要衝でもあった。そして満州事変(昭和6年・1931)以後は実質的に関東軍配下の組織となる。ここから満鉄(=関東軍)は国家をも動かす独自組織のようになる。今の言葉で言えば軍産複合体である。軍産複合体とは、徴兵された兵士や現地で戦闘に巻き込まれる人々の犠牲を糧に、権力や財力を肥やして行く組織である。軍産複合体にとっては戦争(事変)が泥沼化すればするほど都合が良いのである。そんな組織が「満洲に描いた夢の証し(軍装マニア氏)」が満鉄刀なら、私はそんな穢れた刃物には触りたくない。

 そもそも満鉄の夢など日本刀とは全く関係ない。

 満鉄刀の実態は、日本刀の持つ「武の心」とか「武士道精神」といったシンボリックなイメージを利用して国民を戦争に狩り出した、シンボル操作のツールであったと考えられる。
 何が「大陸に使われる降魔の劍」(『満州グラフ』)だ。日本にいるそこら辺の若者やオジサンを戦地に送り込み、今だに他国民から非難される捕虜や丸腰の人間の虐殺を行わせた鬼畜の剣ではないか。
 それを21世紀の今日になっても今だに「紛れもない日本刀」と宣伝し続ける軍装マニア氏の良識は極めて疑わしい。しかも「この刀は、祖国が、そして満鉄が、満洲に描いた夢の証し」と言うに及んでは狂気の沙汰と言うしかない。
 軍装マニア氏が当ブログを読む機会があれば、一刻も早くとは言わない、せめて生きている内に狂気から目覚めてくれる事を望む。

 古来、日本人は桜を好んだ。桜は日本の国花である。
 風雪に耐え、最後に鮮やかに咲いて散る。
 それは生を寿ぐ日本人の心性に通じている。
 人生には様々な事が起きる。辛い事もあれば悲しい事もある。
 しかし最後は桜花のように、明るく、暖かく、咲いて散る。
 そしてこの世は次の世代に受け継がれる。

 それゆえ桜花は生命を寿ぐ画題として刀装具にも好んで用いられた。
 ところが満州事変以後、短期間で散る桜花のイメージがプロパガンダに利用され、戦地で敵兵諸共、桜吹雪のように散って死ぬ事が美徳かのようにシンボル操作された。そのせいで今でも桜花を人命軽視の象徴と信じている人は多い。
 
 日本刀はプロパガンダの道具ではない。

 私は『興亜一心』や『満州グラフ』の内容が嘘だと言っているのではない。性能PRは多分本当なのだろう。
 だから何だと言うのか?
 満鉄刀は日本刀とは無関係な刃物である。なぜ日本刀を引き合いに出すのか。
 刃物として、軍刀として、抜群の性能を持つなら、それをアピールすれば良いだけだろう。なぜ事あるごとに日本刀と結び付けるのか? この方が問題である。
 日本刀を引き合いに出すのは、満鉄=関東軍こそが日本の歴史を背負っているというイメージを国民に刷り込むためだったのではないか?
 日本刀の持つシンボリックなイメージを利用して国民を戦争に狩り出したのではないか?
 日本刀の威を借りて日本刀を貶め、独善的なプロパガンダを遂行する。このような満鉄刀の宣伝手法はそっくりそのまま軍装マニア氏にも当て嵌まる。
 彼は本当に日本人なのだろうか?


 補足
 日本刀でなくとも刀は持つ者と深い繋がりを持つ。当ブログで以前紹介した人物のように、戦時中に使っていた自らの軍刀を戦後のGHQの刀剣没収から隠し通し、90歳過ぎてなお自分の愛刀として傍らに置いていた人もいる。だから私は軍刀に深い愛着を抱き、大切にしている人々を決して否定する者ではない。否、その心情には敬意を持っている。
 問題は軍装マニアの主張が、そのように軍刀と関わる人々の崇高な心情を踏み躙り、日本人の尊厳を冒涜している事にあるのである。




 
 

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カントの美的判断に基づく刀剣鑑賞の論理 軍刀をどう見るか1 

2014年12月13日 | 日本刀に関する虚偽を正す 軍刀HP批判

 銃器を製造していた左行秀や鉄砲鍛冶出身の繁慶が、まさか刀を銃砲に勝る武器などとは思っていなかっただろう。当然彼らの作刀理念は刀を単なる武器ではなく、芸術品として作る事であったはずだ。日本において刀は優れた武器だから貴ばれたのではなく、優れた芸術品だから貴ばれたのである。そうした刀は世界でも日本にしかなく、それゆえ「日本刀」と呼ばれる。
 日本刀の良し悪しの基準は用を超えた鑑賞の次元で決定される。だから日本刀の美を工芸品的な「用の美」と言うのは当たっていない。

 日本刀の鑑賞はカントの言う美的判断に近いものだ。否、美的判断と同じと言える。カントは美的判断という言葉を主に自然に対する人間側の判断という意味に使っており、人間だけが自然の中に美を認識できるとする。動物は自然の美を認識できない。美的判断は人間特有の能力であり、その能力が人間特有の文化や倫理に結び付く。人間が自然の美しさを認識する事で、真なるもの、善なるものへの洞察力が涵養され、文化・文明が発展するというのだ。美が人間の人間たる所以の道徳性と結び付いているというのは注目すべき考え方である。
 かかる美の認識は、感覚器官で対象を直感する事と、かかる直感を概念化する事という二重構造を持っている。つまり対象を感覚的に受容しつつ(要するに知覚する事である)、知性的に概念化し、かかる概念に基づいて改めて対象を能動的に感覚(知覚)し直す。これによって感覚の中に単なる知覚ではない概念的な感覚が生じる。それが美の認識、美的判断だ。つまり美は判断者が対象へ分け入って行く「経験」でもあるのだ。そのように経験される美は個人的な体験であり主観であるから、言語化すれば人それぞれ異なった表現になり易い。しかしそれが美しいという感覚は多くの人々に共有可能である。
 
 刀剣鑑賞が正に美的判断である。

 刀剣鑑賞においてはどういう刀が名刀かの定義は古来より決められており、刀の見所、見極め方も古来より定まっている。具体的には刀剣入門書を読んで貰いたい。それらは刀剣鑑賞の掟とされている。愛刀家は掟に従ってある刀を名刀か否か、判断するのである。当然その判断は鑑賞者が掟をどれだけ理解しているかという知識(悟性概念)に左右される。しかし単に掟を知っていれば刀剣鑑賞が成立するのではない。知識だけでは判断できないその刀の品格とか作者の製作意図といった領域をも認識できねばならないのである。刀の品格など言葉で定義できるものではないから感性的に認識する、即ち直感的に判断するしかない。感性で捉えたもの、直感を概念に置き換えねばならないのだ。
 カントにおいては感覚(感性)と概念(悟性)の総合が認識であり経験であるとされており、人間は自然や文化を美的に感覚し美的に概念化する、即ち人間は自然や文化を美的に「経験」する存在なのだ。更に人間は経験から学び、経験を積み重ねる事で成長して行く存在であり、動物のように自然の一部として存在しているのではない。経験に基づく人間的成長が、美の経験に導かれているという所に、カント哲学(『判断力批判』)の真骨頂がある。
 美の経験が優れて人間的な経験となり、人間を人間的に成長させ、道徳的にするという考え方である。
 それは「精神一到何事か成らざん」とか「為せば成る」といった東洋的精神主義とは次元を異にする思想と言える。「真・善・美」の理念(イデア)を追求する古代ギリシア以来の哲学的命題への回答と言える思想なのである。

 刀剣鑑賞も全く同じ。

 刀剣鑑賞とは刀を美的に経験する事、即ち美的判断に他ならない。そして刀に対する美的判断は鑑賞者の道徳性をも陶冶するのである。お望みならその道徳性を武士道と呼んでも構わないが、武士道を飲み込んだもっと大きな道徳性である。
 刀の持つ強さ、美しさ、崇高さを感じれば、人はそれに負けない「善き人」になろうと思うものだ。当然、刀を鑑賞する者の知性と意欲が高ければ高いほど、刀に対する美的判断も精妙になり、人格に及ぼす作用も大きくなる。
 だから鑑賞者は刀から美を読み取る能動的な意志を持っていなければ意味がないし、鑑賞者の人間性が低いと名刀も名刀とは見えず、却って下等な刀――行秀の言う賎刀――を良い刀と見做しかねない。「直胤は大偽物」とのたまう渓流詩人氏のブログはその最たるものであるし、町井勲氏は刀剣鑑賞が鑑賞者の見識に左右されるという私の話をお花畑呼ばわりした。彼らが推奨する刀がどんな物で、彼らの人間性がどういう物かを知れば、誰の言っている事が正しいか判るだろう。

 またカントにおいては美的判断という人間特有の経験の仕方が、文化・文明の礎となり、歴史を発展させ、人間を道徳的にしているとされている。

 刀剣鑑賞も全く同じである。

 多くの愛刀家は刀剣鑑賞を単なる物品鑑定(時代や位列や価格の区分け)ではなく、刀と語り合う緊張しつつも楽しい時間として経験しているものである。刀を観る事で気持ちが引き締まり、一方で心が安らぐとでも言うような、不思議な感慨に浸る。正に刀を「経験」しているのである。そこから刀に照らし合わせて自分自身を省み、更なる成長の糧とする。実際、刀から力を与えられた経験は愛刀家なら誰にでもあるはずだ。
 つまり刀剣鑑賞とは人類の文化的成長過程を集約したものなのである。
 従って、刀を単なる切れ味、それも命がけの真剣勝負ではなくお遊びで藁束を切った時の切れ味でしか経験できない者は動物と同じと言える。渓流詩人氏などそんなレベルでブログまで書いているし、町井氏など差し詰め「馬の耳に念仏」にすら届かぬ「馬以下の段階」にあるのではないか。

 カントの美的判断の要諦は「美」が人間を成長させるという事に尽きる。
 従って、カントが美的判断で論じる美と全く同じ日本刀の美は、軍装マニア氏(HPhttp://ohmura-study.net/index.html)が言うように、

>刀への畏敬の念、辟邪の願い、守護の祈りは日本刀の根本である武器性能に端を発している。
>刀身の美は基本性能を支える鋼材や造り込みの刀身の裡(うち)から滲(にじ)み出て来るものである。

というものではない。

 そうではなく、日本刀の美は作者や愛刀家の人格と道徳性に由来しているのである。

 行秀や繁慶が刀を鉄砲以上に威力ある兵器だと思って作っていた訳がないし、軍装品として作っていた訳でもない。増してや丸腰の人間や無抵抗の人間を虐殺する道具として作ったのではない。彼らはあくまでも鉄砲では不可能な「美」の表現手段として刀を鍛えていたのである。当然そこには刀を武器ではなく「美しいもの」として求める我が国の文化的土壌があった。
 古来刀に美を追求する我々日本人は、実にカントより遥か以前に西洋哲学の真髄を掴み取り、実践していたのである。

 その上で明治時代以後の日本陸海軍の軍刀をどう見るべきか。 

 本日は「軍刀は日本刀ではない」との命題を提起するに止め、後日その命題の真偽、反証可能性を議論したい。







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