1月31日 午後12時6分 父臨終。
午前10時すぎいつものように病室を訪ねた。
12月5日に入院してから誤嚥性肺炎は一旦回復したものの正月にはまた再発。
幾度となく生死をさまよっただろう。
先週の木曜日からは点滴も終了し、ただただ見守るだけの日々が続いた。
私にできることは冷えた足や手をさするだけ。
30日はひ孫の写真を目で追ったり、母の顔を見て手を伸ばしたりあるだけの力を振り絞るよう。
顔色も赤みを帯びていた。
たんの吸引の回数も減り呼吸は静かになっていたが肩が揺れている。
何か言いたげな視線も感じる。
別れの時は遠くはないんだろうな。でもまだまだよ。
翌31日に訪れたときは顔面は蒼白、手も冷え切っていた。
温めたタオルを掌にあて手を握ると布団の中も温かくなった。
父の目はもう目の前の私の顔も、食い入るように見ていたひ孫たちの写真も追わなくなっていた。
手を握っていると涙と鼻が流れた。
父の目には一粒涙がたまっていた。
胸には心電図モニター。肩で息をしている父。
タオルを温めなおしている間に詰所にあるモニター画面を見る。
心臓はしっかり動いている。
ベッドの父は眼を開いたまま寝ているよう。
みんなが来るまできっと間に合う。それまで頑張ってくれると思っていた。
「じいちゃんが死んでも泣かれんな。泣かんでもいいが。かわいそうに」
と言っていた。泣く子がかわいそうに思う父だった。
しばらくしてから呼吸が変わっていった。
肺で呼吸をするというより心臓が動いているのでなんとか息が続いているような感じがした。
母に連絡する。
父の呼吸の数が段々と少なくなり…。
ナースコール。
心臓がまだ少し打っていた。
数分後医師の最後通告下された。
私の娘たちが駆けつけ母もきた。
「間に合わずにごめんね」と謝る娘たち。
「じいちゃんは苦しまずにいたよ」というのが精いっぱいだった。
父ちゃんありがとう。
天国では腹いっぱい食べてね。
今日明日とまだまだみんなそばにいるからね。
あっという間の88年間だったのかな。本当にお疲れ様でした。
これで何とか泣かずにいられるかな。
さあ今日も頑張ろう。