ヒマジン日和


毎日暇してます(*^▽^*)

卒業式の思い出

2016-03-17 14:20:09 | 日記

もう20年前のこと。子供の卒業式で保護者代表で校長先生から何かを受け取る役が当たった。

なぜそんな大役が回ってきたのか今ではすっかり忘れているが、リハサールと本番の所作がなぜか違った。

私の勘違いだったのかはわからないが…。

あの時の校長の表情は「早く壇上から下がらんかい!ええーー」という印象だけ。

校長の名前も覚えていないし、何番目の子供の卒業式だったのかも記憶は微妙。

いやなこともいいこともなんでもすぐに忘れていく私が、お題でこんなことを思い出した。


卒業式での思い出…そんなのあったかな程度。

さびしいかな

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2016-03-02 11:47:22 | 日記
誰にも黙って定額貯金にあてます。
といいたいところですが、

使い切るという条件付きでいただける100万円でしたら

家族全員で日帰り温泉旅行。
値段を気にせずご馳走を食べ放題、お土産買い放題。

大盤振る舞いしたいなあ。

100万円じゃたりないかもしれないね。









感情を整理するには…

2016-02-01 07:59:32 | 日記
1月31日 午後12時6分  父臨終。

午前10時すぎいつものように病室を訪ねた。

12月5日に入院してから誤嚥性肺炎は一旦回復したものの正月にはまた再発。

幾度となく生死をさまよっただろう。

先週の木曜日からは点滴も終了し、ただただ見守るだけの日々が続いた。

私にできることは冷えた足や手をさするだけ。

30日はひ孫の写真を目で追ったり、母の顔を見て手を伸ばしたりあるだけの力を振り絞るよう。

顔色も赤みを帯びていた。

たんの吸引の回数も減り呼吸は静かになっていたが肩が揺れている。

何か言いたげな視線も感じる。

別れの時は遠くはないんだろうな。でもまだまだよ。



翌31日に訪れたときは顔面は蒼白、手も冷え切っていた。

温めたタオルを掌にあて手を握ると布団の中も温かくなった。

父の目はもう目の前の私の顔も、食い入るように見ていたひ孫たちの写真も追わなくなっていた。


手を握っていると涙と鼻が流れた。

父の目には一粒涙がたまっていた。


胸には心電図モニター。肩で息をしている父。

タオルを温めなおしている間に詰所にあるモニター画面を見る。

心臓はしっかり動いている。



ベッドの父は眼を開いたまま寝ているよう。

みんなが来るまできっと間に合う。それまで頑張ってくれると思っていた。



「じいちゃんが死んでも泣かれんな。泣かんでもいいが。かわいそうに」

と言っていた。泣く子がかわいそうに思う父だった。






しばらくしてから呼吸が変わっていった。

肺で呼吸をするというより心臓が動いているのでなんとか息が続いているような感じがした。

母に連絡する。


父の呼吸の数が段々と少なくなり…。

ナースコール。

心臓がまだ少し打っていた。

数分後医師の最後通告下された。


私の娘たちが駆けつけ母もきた。

「間に合わずにごめんね」と謝る娘たち。




「じいちゃんは苦しまずにいたよ」というのが精いっぱいだった。






父ちゃんありがとう。

天国では腹いっぱい食べてね。

今日明日とまだまだみんなそばにいるからね。

あっという間の88年間だったのかな。本当にお疲れ様でした。




これで何とか泣かずにいられるかな。

さあ今日も頑張ろう。

















旅行に行くなら南極or北極?

2016-01-29 21:42:25 | 日記
両極端なお題にかなり戸惑ってます。

でも想像すると楽しいかな。

南極は南十字星?北極は北極星?が頭上にあるのかなあ。

オーロラって北極で見られるのかなあ。

昔、女優の和泉雅子さんが北極に行くために身体に脂肪を蓄えて、またいくんだ!と言ってたなあ。



なんだかんだと考えても最近全く旅行に縁がないのでどちらも行きたいという結論になりました。




印象に残っているキャッチコピー?

2016-01-28 08:10:25 | 日記
昭和時代からテレビっ子だった私にとってあれもこれもと迷った結果は

「象が踏んでも壊れない」筆箱の宣伝のキャッチコピーが印象的に残っています。

子供心に「こんなに丈夫な筆箱なら大丈夫!」と

何が心配だったのかは全く記憶にありませんが。