老子:徳経:知病第七十一
知病第七十一
知不知上、不知知病。
夫唯病病、是以不病。
聖人不病、以其病病。
是以不病。
不知を知れば上、知を知らざれば病(へい)。
それただ病を病とす、ここをもって病(へい)ならず。
聖人(せいじん)は病ならず、その病を病とするをもってなり。
ここをもって病(へい)ならず。
善行者は、必ず幸いを授けられる
なにごとも、すべて知っているが、世間に対しては、何も知らないような
態度をとっているのが、最上である。
なぜ、知らない態度をとるのがいいのか、それは、「自分の頭の中に
きおくしている知識など、大宇宙の生命力の活力のすばらしさから比較
すれば、たかが知れている。
それらは、すべて妄想であり、雑念にしか過ぎない」ということを、よく
知っているからである。
なにごとも、すべて知っている・・・・・・ということに、老子は、なんの価値
を見出さないから、謙虚になれたのである。
今日では、まったく反対で、なにも知らないくせに、知ったかぶりをする人
が、いかに多いことであろうか!!
これには、イガ爺大変、耳が痛いのであります、まさに、知ったかぶりの
多いイガ爺であります。 (vv)反省!!
知ったかぶりをすると、後が大変ですよ、言い訳弁解をしなくてはいけない
場面が次から次にやってきます。
ついには、そんなこと自分で勉強しなさいよなんて、聞いてくる相手が悪い
ことにしてしまう。
謙虚であれば:「エーほんと知らなかった、勉強になった、でもよく知っているよね」
なんて、言葉が出てくるし、相手も喜ぶものである。
しかし、分かっちゃいるけど、・・・・・・・・。と謙虚になれない イガ爺であります。
老子:徳経:任爲第七十三に勇於敢則殺、勇於不敢則活。とある
あえてするに勇なればすなわち殺(さつ)、あえてせざるに勇なればすなわち活(かつ)。
これは、積極的に「善悪」の考えをふりまわすと、結局は、自分の身が滅びてしまう。
自分の考えは相手に押し付けないという勇気を持っていれば、相手も自分も活きる。
と老子は教えているのである(教えるって表現は老子にはないのかな)
8月も中旬となりました、耶馬の里は朝から雨、デッキ越しに見える
耶馬の峰に、うっすらと流雲が掛かっています、雨も上がるのかな?
宮崎観光を早々に引き上げ昨夜帰ってきてよかった!!なんて思っています、
イガ爺であります。
今朝も道場から帰って、即玄関の掃除、トイレの掃除、朝食、お風呂の掃除
バンをしかけて、めだかに餌をあげて・・・・・・・、ブログを書いて!!
大自然が生み出し続けるもの、時間、有効に使いたい!!
常在実践にゆるみがあってはならないと改めて思う、イガ爺であります。
10:50分投稿
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