「ちょうど大掃除がしたかったんです・・・・・・だから、火薬庫が空っぼになるまで撃ちまくってやります!」
長沼流兵学に基づく縄張により、北方警備の要として築かれた松前城。外国船からの攻めに備え、自慢の大砲と正面の守りには絶対の自信があるけれど、後ろからの攻撃はチョット苦手……。
外国船の出没に備えるため、幕府から築城を命ぜられた松前藩は、福山館という陣屋をもとに築城を始める。兵学者の市川一学が長沼流に基づき縄張を行い、6年の歳月を経た安政元年に完成。海からの攻めに備え、松前湾に向かって7基の砲台と25門の大砲が設けられた。しかし、海からの攻めに備える反面、背後は手薄で、函館戦争では土方歳三率いる旧幕府軍にその弱点を突かれる形となり、数時間で落城した。