山形大学庄内地域文化研究会

新たな研究会(会長:農学部渡辺理絵准教授、会員:岩鼻通明山形大学名誉教授・農学部前田直己客員教授)のブログに変更します。

山形県の文化遺産と地域資源 岩鼻 通明

2019年05月28日 | 日記
  村山民俗学会会報2018年10月号~2019年5月号に連載
  山形県の文化遺産と地域資源 その1 歴史の道
                             岩鼻 通明
 本年6月23日に東北公益文科大学酒田キャンパスにて開催された人文地理学会特別例会において、シンポジウム「山形県の文化遺産と地域資源」と題したシンポジウムが開催され、基調講演を務めさせていただいた。その報告内容を数回に分けて、会報紙上に掲載させていただきたい。
 まず、文化庁の政策として進められた文化財保護のひとつとして、歴史の道を取り上げたい。この事業は、1970年代から当時、文化庁に在職されていた故仲野浩氏の主導によって進められたという。
 そして、1978年より、「奥の細道」(宮城県)など3県で旧街道の保存を目的として事業が開始された。山形県では、1979年3月から「奥の細道」・「羽州街道」・「笹谷街道」・「最上川」の報告書が刊行されはじめ、1982年3月までに25冊の報告書が刊行されている。
 さらに、文化庁は1996年に「歴史の道百選」を選定しているが、第一次選定で78ヶ所がリストアップされたが、その後の選定は行われていない。後述する予定の「国重要伝統的建造物群保存地区」および「国重要文化的景観」のように、文化財保護法に追加されるような保護のかたちは実施されないままに終わっている。
 ただし、今年度に入って、文化庁は事業未着手の4道府県に関連調査を求め、京都府では、10年がかりの調査を始めるという。事業費は文化庁の半額補助を含めて、全体で約2300万円とのことで、さほど大規模な調査ではなかろう。
 なお、仲野浩氏は、その後に筆者が在職していた山形大学教養部に1986年、歴史学の教授として着任された。附属博物館長としても活躍され、附属図書館の改築工事のために、旧制山形高校時代の建築物として唯一残存していた赤レンガ書庫が解体されてしまったのであるが、図面上での保存に尽力されたことが記憶に残る。いまも図書館入口に、赤レンガ書庫の遺物が一部保存されている。
 1995年の山形大学定年後は、新しく設立された東北芸術工科大学に移られ、歴史遺産学科で文化財保存の講座を主体的に運営され、今日の基礎を固められた。山形県の世界遺産登録運動の折には、横山昭夫山大名誉教授とともにバックアップされたことを明記しておきたい。惜しむらくは、山形県から世界遺産が登録される日を待たずに、本年1月に逝去された。
 当時の事情を詳しく知るわけではないが、山形県において迅速に歴史の道の調査が推進された背後には、仲野浩氏のサポートが当然ながら存在したのであろう。この事業が、文化財保護において、それまでの点的保存整備から街道という線的保存整備へ踏み出した第一歩として、再評価すべきではなかろうか。

 山形県の文化遺産と地域資源 その2 伝建地区  岩鼻 通明

 国重要伝統的建造物群保存地区の制度は、1975年の文化財保護法の改正によって発足した。有名であるのは、長野県の木曽妻籠宿であり、それまでは、ほとんど観光客が訪れることのなかった宿場町に、選定後は年間百万人近い人々が押し寄せた。
 東北では、秋田県の角館の城下町の武家屋敷の町並みが、比較的早く選定され、時代劇映画のロケ地ともなって、にぎわうこととなった。本来は、鶴岡が舞台のはずの藤沢周平原作の時代劇「たそがれ清兵衛」の格闘シーンは、鶴岡では適地が見つからなかったこともあって、角館の武家屋敷で撮影が行われた。せっかくのご当地映画なのに、という声から、その次の「蝉しぐれ」のロケでは、松ケ岡にロケセットがつくられることになった。
 しかし、山形県では、1980年代から90年代に候補となる対象地域で予備調査が行われたものの、選定に至った事例は皆無である。伝建地区は毎年、数件が選定に加えられ、現在は117地区に増加している。東日本大震災後に、宮城県村田町の蔵の街並みが選定されたことにより、東北地方で未選定は山形県のみとなった。ちなみに全国では東京都と熊本県も未選定となっている。
 候補地であった上山市楢下地区は、立派な町並み調査報告書が作成されたものの、史跡指定にとどまった。数軒の空き家となった住居が保存されているものの、伝建地区の理念とはほど遠いと言わざるをえない。米沢市の武家屋敷地区でも、大河ドラマの放送時は保存の気運が高まったものの、伝建地区を目指すまでには至らなかった。
 鶴岡市の旧羽黒町の羽黒山の門前町である手向地区には、かつて茅葺きの宿坊が軒を連ねる集落景観がみられた。しかし、徐々に茅葺き屋根は減少して、現在は数軒しか残されていない。伝建地区の指定は地区内の全世帯の同意が必要など、ハードルが高い。いずれも、もう少し早い時期に選定が実現していればと、残念に思う。

 山形県の文化遺産と地域資源 その3 世界遺産登録運動  岩鼻 通明
 山形県の世界遺産登録運動は、斎藤前知事の時代に動き始めた。当初は出羽三山が主軸に想定されたが、既に紀伊山地の霊場と参詣道が、2004年に登録されており、この中には山岳信仰の聖地である大峰山が含まれていた。
 さらに、富士山が世界遺産の国内候補にリストアップされることが確実となったこともあって、山岳信仰は目新しいウリではなくなり、主軸を変更する必要に迫られることとなった。
 ちなみに、富士山は歴史と文学の山として、2013年に世界遺産に登録が実現したが、当初は世界文化遺産ではなく、世界自然遺産としての登録を目指していた。ところが、夏季には許容量を越える登山者のために、山小屋などがゴミの山と化すことや、山麓に自衛隊演習場などの人為的改変が多く存在することから、自然遺産としての登録は困難とされ、文化遺産に転換したのであった。
 そのような事情から、山形県の世界遺産登録は、主軸を最上川に移すことになった。とはいえ、自然遺産ではなく、最上川の流通などに主眼を置いた文化遺産としての登録を目指したのであった。こちらも、自然遺産としての登録は四国の四万十川が対立候補になるために、文化遺産の道を選んだといえよう。 最上川水運は出羽三山に参詣する信者たちを運んだこともあって、出羽三山は幹から枝へ役割を変えたことになった。2007年9月に開催されたシンポジウムのタイトルは「出羽三山と最上川 織りなす文化的景観」であったが、翌2008年1月のシンポジウムでは「最上川の文化的景観の世界遺産をめざして」に変化している。
 この役割の変更には、当時の文化庁の世界遺産に対する取り組みの変化が背景となっている。それまでは、各県から五月雨式に申請されていたのを、2年間に限定して、候補をリストアップする形式に変わり、山形県からの1年目の申請には、上述のような指摘がみられたようであった。
 しかしながら、2年目の最上川を主軸とした申請も、残念ながら、いわゆる次点にとどまった。もちろん、今後の努力次第で、世界文化遺産の国内候補にリストアップされることは不可能ではなかったのであるが、前知事が世界遺産登録運動を知事選の公約化したことに対する反発もあったのか、新知事は登録運動を棚上げしてしまった。
 世界遺産を目指すことは長期戦となる覚悟が不可欠であったとはいえ、棚上げは近視眼的発想であったと言わざるを得ない。ましてや、それに代わり「山形の宝」という、およそグローバルとはいえない文化財保護を立ち上げたのは、大いなる矛盾ではないのだろうか。ちなみに、大江町町長の指摘によれば、山形県の文化関連予算は、全国で下から2番目であるという。


 山形県の文化遺産と地域資源 その4 国重要文化的景観  岩鼻 通明
 山形県が提出した世界遺産候補が次点にとどまった理由は、いくつか考えられるが、重要な点は国内法による保護が前提になっていることである。すなわち、文化財保護法の指定を受けているなどの条件整備が不可欠である。
 ところが、県境に位置する鳥海山においては、国史跡指定などが順調に進められたが、出羽三山においては必ずしも順調に進んだとはいいがたい。最上川が主軸となってからも、国重要文化的景観の選定に向けて取り組んだのは、流域の自治体のうち数えるほどでしかなかった。このジャンルは、21世紀に入って新たに付け加えられたもので、地理学・民俗学的要素を多く含むものである。
 その中で特筆すべきは、西村山郡大江町の活動である。大江町では、既に景観条例が制定されていた。市町村で文化的景観の選定を目指すには、まず景観法に依拠した景観条例を制定することが前提となる。しかしながら、いまだに景観条例すら制定されていない自治体が多いことは残念である。
 さて、大江町では、県の世界遺産登録運動が動き出してすぐに、文化的景観の選定を目指す委員会が発足した。それぞれの専門分野から委員が任命され、東北大学名誉教授で一関市立博物館長の入間田宣夫氏が委員長となった。入間田氏は、一関市本寺地区の中世荘園景観が国重要文化的景観に選定される際に重要な役割を果たされた。
 そして、入間田委員長のもと、各委員が積極的に調査研究を進めて、報告書を執筆し、2013年に「最上川の流通・往来及び左沢町場の景観」として選定にこぎつけることができた。実は、県の世界遺産登録に向けた報告書は、某コンサルに、いわゆる丸投げしたものであり、けっして高いレベルの内容とはいいがたかったが、大江町の報告書は、それぞれの委員が自ら執筆したハイレベルのものであり、それが文化庁に評価されたといえよう。
 その後、長井市の「最上川上流域における長井の町場景観」が、2018年2月に選定されるに至ったが、最上川河口の酒田市も選定を目指しているものの、停滞しているようである。最上川の文化的景観が世界遺産を目指すとすれば、流域の自治体のそれぞれが、国重要文化的景観の選定に向けて踏み出すことを期待したい。

 山形県の文化遺産と地域資源 その5 歴史まちづくり法  岩鼻 通明
 文化遺産および地域資源の保存活用を通した、まちづくりを目的とする法律「地域における歴史的風致の維持及び向上に関する法律」(通称:歴史まちづくり法)が2008年に施行された。この法律は国土交通省・農林水産省・文化庁が共同所管するかたちをとっている。
 山形県内では、鶴岡市が地区認定されており、鶴岡市羽黒地区は、この歴史まちづくり法による歴史的風致維持向上計画に認定された地区のひとつであり、市街地の城下町地区および松ヶ岡地区も認定地区となっていて、10年計画で既に5年以上の期間が過ぎている。
 私の卒論のフィールドである長野市戸隠地区も同じく、歴史的風致維持向上計画に認定された地区であるが、両者を比較すると、大きな差異が存在する。戸隠地区の中社および宝光社集落は、歴史まちづくり法の助成を受けて、国重要伝統的建造物群保存地区への選定に向けた景観整備が着々と進行し、2017年3月に選定されるに至った。
 その一方で、羽黒では住民を対象としたワークショップの開催や、手向の中心に位置する黄金堂の修復工事などが、この予算を使って行われているが、戸隠のような目標設定はみられない。先に述べたように、かつて伝建地区選定をめざした予備調査が実施されたものの、住民の合意が得られなかったためか、そのような目標が設定されないまま、事業が進められていることは惜しまれる。前回に述べた国重要文化的景観に選定される可能性はあると思われるので、ぜひ将来に向けて、このジャンルでの選定を目標としてほしいものである。
 また、松ヶ岡地区では、巨大な蚕室の建造物の保護に向けての進展がみられるものの、旧城下町地区においては目立った進展は特にみられない。やはり最終年度へ向けての保護整備の目標設定が必要なのではなかろうか。

 山形県の文化遺産と地域資源 その6 世界農業遺産  岩鼻 通明
 世界遺産の農業版ともいうべきものに、世界農業遺産がある。世界遺産はユネスコの管轄であるのに対して、こちらはFAO(国連食糧農業機関)が認定し、2002年からはじまった。伝統的な農林水産業と、密接に関わる文化や景観、生物多様性が一体となった地域が対象となる。
 日本では、2011~2018年までに11地域が認定され、東北では宮城県大崎市が17年に初の認定を受けた。それ以前は、能登の千枚田のような特定の狭い範囲が対象とされてきたが、「大崎耕土」という広い平野と屋敷林を有する民家(イグネ)を対象とした、はじめての広域的認定となった。
 この世界農業遺産は、2016年以降は農水省が管轄する日本農業遺産の中から推薦される仕組みとなっており、両者は連動するかたちとなっている。つい先日、山形県の「歴史と伝統がつなぐ山形の『最上紅花』」が日本農業遺産に選定された。今後は世界農業遺産を目指すという。先に認定が実現した日本遺産との連携効果が期待される。
 一方、2018年には、庄内町の近世初期に開発された北楯大堰が、世界かんがい施設遺産に登録された。こちらも農水省の所管であるが、国際灌漑排水委員会が、2014年に創設した制度で、歴史的・技術的・社会的価値を有する灌漑施設が該当するという。昨年の時点で、全世界で74登録のうち、日本が35を数え、最多となっており、やや乱発気味ともいえようか。
 いずれにしても、これらの文化遺産を、どのように組み合わせて、地域資源として有効活用すべきかが、今後の大きな課題となろう。

 山形県の文化遺産と地域資源 その7 日本遺産  岩鼻 通明

 2015年度から日本遺産の認定が開始された。山形県では、2016年度に「出羽三山 生まれかわりの旅」が初の認定を受けたが、実は前年度に申請した「最上川」は認定されなかった。ちょうど世界遺産登録とは真逆の動きとなったわけである。
 そもそも、これらの申請は県教育委員会に世界遺産登録運動時のストックが蓄積されていたがゆえに実現したものと言ってもよかろう。そして、2017年度は「侍シルク 近代化の原風景 鶴岡」と「北前船寄港地・船主集落」(複数県による申請ながら、酒田が中心的位置づけ)のふたつが認定され、庄内は3地域に拡大することになった。ひとつの地域に3つの日本遺産が認定されたことは意義深い。
 さらに、2018年度は村山地域の「山寺が支えた紅花文化」が認定された。前回に述べた世界農業遺産に向けて、協調が不可欠となろうか。日本遺産は2020年度までに百ヶ所をめざすというが、文化財の保護よりも活用重視の側面が濃厚であり、東京五輪で来日する外国人観光客の誘致が大きな目的となっている。
 ただし、文化庁の予算そのものは微増にとどまっており、文化財保護に関する予算を削減せざるをえず、そのような内容を含む文化財保護法の改正には、批判もあろう。

 山形県の文化遺産と地域資源 その8 おわりに  岩鼻 通明
 この連載を本号で終えることにしたい。まず、大きな目標は再び世界文化遺産へチャレンジすることである。これまで述べてきた文化財保護のさまざまなジャンルを組み合わせて、世界遺産の大前提となっている国内法での保護を、もっと手厚くすることが肝要である。
 たとえば、最上川支流の立谷沢川の上流に戦後まもなく建設された砂防ダム群は登録有形文化財となっており、文化財として保護の対象となっている。山形県内で最も新しく建造された登録有形文化財は、建築家の故黒川紀章氏が設計した寒河江市役所庁舎で、一九六七年に建てられた。この庁舎は、たいへんユニークな建造物といえるが、高度経済成長期の建築も文化財となりうる時代となった。
 このような多様な文化財をも含めた歴史的景観を活用した地域づくりが、今後は重要となろう。そもそも、二〇〇五年の文化財保護法の改正による「重要文化的景観」は、地理および民俗を重視した広域的な枠組みとなっていることが大きな特徴である。
 先の会報1月号でも述べたように、文化的景観は同じ時期に法制化された景観法に依拠した文化財保護であり、各自治体における景観条例制定が前提となる。しかしながら、最上川流域の自治体のうち、既に景観条例を制定している市町村は多くはなく、世界遺産登録運動の前後でも制定はさほど進展してはいない。
 最上川の文化的景観が世界文化遺産に登録されるためには、流域の市町村の広域的な連携が不可欠となる。最上川源流部の米沢市をはじめとする置賜地方の自治体、そして村山地方を流れる大江町から村山市・大石田町までの自治体、さらには最上地方の大蔵村・新庄市・戸沢村などの自治体、最後に庄内町・鶴岡市・酒田市などの自治体が一致団結して取り組むことが必要であり、最上川は国交省が管理する一級河川であることから、同時に国交省のサポートも重要な課題となる。
それらを束ねるのは、県教育委員会の任務となるが、いかんせん県教委は大部分が行政職の集団であり、世界文化遺産の枠組み形成には、歴史・地理・民俗などの専門家の力が必要となる。
 もちろん、県内外の大学関係者による協力体制を整えることは当然であろうが、中核となるべき組織は県立博物館ではなかろうか。全国の多くの都道府県立博物館には、各分野の専門職の学芸員が配置されているが、山形県博の体制はけっして十分とはいいがたい。 
 山形城跡が国史跡に指定されたのは昭和の末であり、いずれは霞城公園から移転せねばならないはずが、2011年度末に「見直し方針」が示されてはいるものの、具体的な動きに乏しい。将来の移転を含め、山形市と調整を要する、と明記されているが、コンパクトシティの理念からすれば、県庁所在都市の中心部に集客のための施設を置くのが最も適しており、山形駅西口に移転する県民会館の跡地などは、格好の立地であるといえよう。
 県勢発展のためにも、ぜひ各分野に専門職の複数の学芸員を有する新県立博物館の実現に大きな期待を寄せたい。それには県内の民俗学団体のみならず、歴史学・郷土史・考古学などの諸団体が団結して請願していくことが不可欠となろう。
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山形大学庄内地域研究所の発足について

2019年05月23日 | 日記
 本ブログは、山形大学農学部岩鼻通明研究室の情報を発信してきましたが、2019年3月末日の定年退職にともない、新たに発足した山形大学の認定研究所である庄内地域文化研究所の情報を発信するブログに変更します。
 なお、情報の更新は、引き続き、岩鼻が主体となります。以上、ご報告まで。
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