handmade-ism

昨日も今日も明後日も、洋裁漬けの日々。

大震災 やりきれない想い

2011-03-30 21:43:05 | 日々の出来事
今日、18日ぶりに仕事を再開した

前回の更新から5日間
この5日間のなんと長かったことか

津波で家を無くした知人親子の住むアパートが登米市内に見つかり、
すぐにでも入居したいとの希望で、私の使っていた家財道具をひっかきあつめて
家に大量にあった食器類や布団、タオルを分けてもらって準備し
それでも足りないものはホームセンターや100均ショップをまわって揃えた

それよりも何よりも、まずはガソリンを確保するのが最優先事項
我が家にはプリウスがあるのでまだいい方なのだけれども
それでも合計4台の車と農作業用のトラクター2台分のガソリンと
軽油を揃えるのはしんどい

トラクターを満タンにするには1台100リッター近くの軽油が必要になる
1回の給油で買えるのは軽油が40リッターまで。
どこにも足りない

灯油もなかったのだけれども、それどころではなかった

先週末、やっといつもの業者さんが軽油200リッターを運んで来てくれた
だけど農繁期に入るこの時期ではあっという間になくなってしまう
父の話ではあともう200リッターは必要なのだそう


給油のために並ぶ人の動向は日に日に早くなっていき
前回給油したときは前日の夜から16時間並んだ
必然的に、夜通し列に並ぶのは一番体力のある私の役目になる


その間に、消息不明だった気仙沼の取引先の店主から連絡があった
電話を取った瞬間、涙が溢れた
港の目の前にあったお店は当然壊滅したそう
私の委託していた商品をダメにしてしまったことをしきりに謝っていたが
そんなことはどうでも良かった
とにかく無事で良かった
生きていれば何とでもなる

そんなこんなで夜は彼に手伝ってもらって列に並び、昼は入居の準備という5日間
怒涛のように過ぎていった


登米市はまだまだ日常生活に戻っていなかったから
どこもまだ通常営業をしていない
いつ開くともわからないお店を悠長に待っている暇はなかったので
一か八かで隣の栗原市まで行って見た
いつもならなんてことのない距離だけど、今はガソリンが貴重品
やっぱりすこしためらった

けど、今回の地震で一番揺れが大きかったにもかかわらず、栗原市の中心街は
ほぼ通常通りの営業に戻っていた
どうやら地震の被害は登米市の方が甚大だったのかもしれない
震災の報道は内陸部の様子は伝えていないから他の地域の情報がない
それでも沿岸部の被害に比べればたいしたことではない

おかげでほぼ全ての物を揃えることが出来て
昨日、ようやく彼のお父さんを迎えに行くことが出来た

とにかく疲れたよ
でも私に出来ることは全てやった
安心して新生活を送る手伝いが出来た

ただ、私が手を貸すことが出来たのはたった1組の親子だけ
日本には今十数万人の人達がいつ終わるともしれない避難生活をしている
沿岸部に行けばまだまだ瓦礫の山だらけ

ニュースを見れば誰も彼も復興復興と言っているけれど
東日本はまだ復興の段階ではない
いまだに被災真っ只中なのだ

葬儀はおろか火葬すらも出来ない。

亡くなった方をまとめて埋める穴を
パワーシャベルでひたすら掘る現場を目撃した
まるでただの工事現場だった
棺など間に合うはずもない

やりきれなかった

甚大な被害を受けた地域が近いだけに、リアルな現状を目の当たりにする
自分の住む地域が日常生活に戻ったとしても素直に喜べない
だとしても私に何が出来ようか

私も元の通りにスクールを続けられるのかはまだ見通しは立っていない
まずは自分の生活を立て直さなくてはと思うのだけれども
自分のことにかまけていると被災した方々を見捨てているような気分になる
様々な想いが交錯する

東日本が復興に向けて立ち上がるのは、避難所に人が居なくなった後のこと
復興とは、被災者が顔をあげて前を向かなければ始まらない

避難した方も亡くなった方も、3月11日で時間が止まっているのに変わりはない
一刻も早く、時計が動き出すことを願ってやまない



疲労感

2011-03-24 11:59:22 | 日々の出来事
朝から半日かかって二階の押し入れを片付けた

天井からスレートやら崩れた壁やらが落ちていて、まるで廃墟

先日、仮住居探しで見てきた廃墟のほうがよっぽどましだった

このまま住んで大丈夫なのか私には判断がつかない

でも保険屋も来る気配はない

仕方ないからひたすら片付ける

さすがに疲れすぎて、手が止まってしまった


なんだか無力感にさいなまれる

たぶん疲れているせいかな

自分でやらなきゃ終わらないのだから、ご飯食べてまた頑張ろう

大震災 住居探し

2011-03-24 01:58:41 | 日々の出来事
ここ二日間、仮住居のアパートと車探しに奔走していた

私のではない
石巻市で被災した知人親子の為のアパート

とにかくいろんな人に空き家をあたり、あちこち不動産屋も回ってようやく仮押さえし、親戚に頼み込んで信じられないような値段で車を手配してもらい、知人を避難先に送り届けた


家をなくし、食べるものも暖をとるのもままならない被災した人の為にと、みんな快く協力してくれる

みなそれぞれ家屋や家財が壊れて水も食料もガソリンも逼迫しているが、家が倒壊していないぶんだけ幸せなのだと、だれもが思っている

だからこそ、今この時期の誰もが浜の人間には優しい
出来るかぎりの事をしてくれる
みんなありがとう


今日、ふと気付いたのだけれどそういえば、私たちも被災者だった
忘れてた

我が家はエコキュートが吹っ飛んだまま、メーカーも施工業者も責任の擦り合いで修理の見通しすらたっていない

でも、そんなもの待ってても埒があかない
自分で何とかすればいいだけの話

幸い、親戚みんなが気に掛けてくれる
今日は母の実家でお風呂を頂いた

父の従兄弟も電話をくれた
ありがたいね

来週中には仕事を再開しなくちゃいけない

暫くは生徒さんも戻って来ないだろうと思っていたら、今日連絡をくれた方がいた

注文品を待ってて下さる方もいる

だから今週中には家をなくした知人の落ち着き先を住める状態に整えて、手付かずだった我が家の片付けも終わらせよう


昨夜はまた給油の為に16時間を車の中で過ごした

さすがにちょっとだけ疲れたかなぁ

もう少し
あと少しだけ頑張ろう

大震災 石巻

2011-03-22 05:37:08 | 日々の出来事
被災して家を無くした彼の仮住まいを探すため、昨日石巻市まで迎えに行った。

なまじ南三陸町の壊滅ぶりを見ているだけに、家の形が残っている石巻市はまだまだ大丈夫と思ってしまう
もう感覚が麻痺している自分が怖い

私は気付かなかったがまだ収容されていない遺体がそこここにあるのだと、彼は話してくれた

日和山まで行って見たが途中、墓地の横に亡くなった方を埋める巨大な穴がいくつも掘られていた
身元もわからず、無縁仏となる犠牲者の方々の無念を思うとやりきれなくなった

町中は家の形が残っているところもあったがほぼ半分は壊滅
家も車も船もまるでミニカーのオモチャのように転がっていた

それでも、大丈夫
石巻は復興できる
根拠もなくそう確信した

死の恐怖を味わった被災者の方々が、それでも明るく生きようとする姿を見たからかもしれない

困難を乗り越えようとする日本人の力は素晴らしい
私は日本に生まれたことを誇りに思う

大震災 被災地での小さな奇跡その2

2011-03-20 06:26:16 | 日々の出来事
今日は何日だろう?
目に前にPCがあってもカレンダーがあっても日付を確認する意味がないと、数字が頭に入ってこない

昨日は被災して家をなくした知人のために借家と車探しに奔走

成り行き上、友達の理髪店の後片付けも手伝い、一日が終了
理髪店の友達は今うちに疎開中


私の仕事部屋は合間をみてちょっとずつ片付けている
それでもまだまだ終わらない


登米市は南三陸町の隣ということもあり、津波に遭遇した方から生の声を聞くこともちらほら。

親戚宅でたまたま居合わせたお客さんは、石巻で津波に追いかけられながらも車で全速力で逃げてきたそう
それでも車の半分まで水に浸かり、命からがら走って逃げてきた

何人もの人が海に引きずりこまれていくのをただただ眺めてることしか出来なかったと言っていた
波が来る前は海の水が一気に引いて、真っ黒な海底がどこまでもどこまでも見えていて、もう助からないと覚悟したそう

登米市まで帰ってくる手段もなく、60キロの道のりを歩いて帰宅途中、何人かの人が車に乗せてくれたそうで、あちこち経由しながらも無事に帰宅できた


また、別の知人の知り合いは車ごと津波にのまれ、海に流される途中で運よく流木が車の窓を割り、そこから脱出してたまたま近くにあった工場の柱につかまっていたら、屋上に避難していた工場の人達に助けられ、パンをもらって衣服を借りて避難所へ。

避難所では隣り合った見ず知らずの人が自宅に帰るために自転車を買いなさいと言って、1万円を貸してくれたそうなのです


人って素晴らしいね。
なんて少し暖かい気持ちになっていたら。。。

石巻市の営業所に片付けに行った人から聞いたのだけれども、めちゃめちゃになった店舗から商品やお金を盗んでいく人が後を絶たなく、どさくさにまぎれて殺人事件まで起きているそう

うちの周りでもお米やガソリン、灯油の盗難被害が相次いでいる

性根の腐った人間はどんなときでもいるもんだ。
あきれすぎてもう腹も立たない