はた織り倶楽部 糸をかし

はた織り倶楽部 糸をかしの日々の活動と移りゆく季節を愛でてみる。

小呂菜香メモリアル  経絣教習その5

2022-04-08 00:52:00 | 日記
経絣 織り始め(2021.1.15)
正月早々のはたの音。2チームともに3人が5.5mづつを受け持ち、一反(17m)を織り進む。

緯糸には本藍染のスラブ入り糸を使用。



こちらのチームは、白の緯糸を入れていく。



市松の模様合わせに知恵を出し合い、忍耐も楽しさのうちと励む。



織り上がり(2021.5.31)
2チーム、めでたくゴールイン!

緯糸の色の違いが布の風情を変えた。

「市松模様を合わせるのも大変な作業であったが、柄が合ったからといってそれだけでは布にならない。800本の経糸の張りが均等で、なおかつ模様が整っている。そして経と緯の糸の折り合いをどのようにつけていくのかが難しくもあり、楽しくもあった」とHさん。普段なら経験しない一反を数人で織ることを通し、他人の工夫を見て話し学んだ。
 この日の深夜、臨月のお腹をいたわりながら共に励んできたK女史が男子を出産した。
めでためでたが二つ重なって、経て絣教習は静かな慶びの中に終了した。   完


小呂菜香メモリアル 経絣教習その4

2022-03-31 23:14:00 | 日記
 私たちの暮らす現代は、モノが溢れて大量生産と大量消費から大量廃棄へと進み、モノを作る是非を考えさせられる時代となった。若い人はなるべく物を作らないビジネスを模索し、廃棄されるものを原料に、新しい要素を加味してモノづくりを考える。また、モノのできる背景を物語として尊重し、その価値を売る。そして時代は、手仕事や手芸をハンドメイドと呼んで手作りされたモノがインターネット上で売り買いされる。量産品でないモノ、ここにしかないモノ、自分の感性にフィットするモノに絶大な人気が集まる。
モノづくりによって育まれる創意工夫とその楽しさは無限である。

さて、ようやく経糸が出来上がった。これをはた織り機にセットして、織り始める。まもなくそのスタートラインに立つ!

⑦経糸の千切り巻き(12/4)
一反17mを織るにあたって、まずこの17m 800本を千切という棒に巻き取り、そこから経糸が整然と繰り出していくようにする。

青糸束と白糸束を交互に並べて市松模様を作り、しっかりテンションをかけて、千切に巻いて行く。



市松模様が見えてきた。



経糸のゆるみが出ないようにはた草を挟みながらきつく巻いて行く。市松模様が乱れる時は苦肉の策で、ダンボールを挟み模様を整えた。が、織る段になってこれは上手くいかなった。千切に巻く時は最終的な美しさ、整然なる形で巻き取っていきたい。

⑧機ごしらえ(12/10)
はた織り機に経糸を掛けていく。
綜絖通し(12/15〜18)
筬通し(12/18〜1/12)
800本の経糸を間違わないように通していく。


失敗に次ぐ失敗は、今となれば大いなる教訓であった!と言いたい。
染色を終えて平ゴムを解いている時に、糸束二つ分(240本分)のあや紐を誤って切ってしまった。あや紐は、800本の糸の1番から 800番までの名札とも言える。これは大変!新たなあやを付けた(後あや)。例えば当初左から8番目さんが、あと綾で新しい名札が左から98番目さんとする。もちろん綜絖も左から98番目に入れる。糸の並びは左から8番目.綜絖は98番目となると糸は8番から98番まで跨がねばならずそこで絡まってしまう。後あやをつけた240本が皆この状態に陥ってしまい、糸は常時絡まり団子となり、それは最後まで目の上の大団子となって、人も糸も悲鳴をあげ続けた。はた織りの諸先輩が「あやは大事よ!」と声を揃えていうのはまさにこのことであった。



綜絖通しを終え、筬通しに取り掛かるところ。もうすぐ織りが始まるワクワク感が好き。(続く)






小呂菜香メモリアル 経絣教習その3

2022-03-31 18:40:00 | 糸紡ぎ&はた織り
周防大島の歴史写真集をめくると、そこにはあどけない絣姿の子供たちや縞柄の仕事着でたくましく働く大人たちに出会う。そんな庶民の愛用した着物の柄作りの方法や技術を習得できたならば、それはそのまま大島の財産になるのではなかろうか。そんなに気負らなくてもいいと思うが、絣の経糸作りは佳境に入った!

⑥経糸の糊付け(11/13)
1度目の糊付けは、糸の強化と毛羽立ち防止、糸に膨よかさを持たせるために行った。そして、

2度目は、製織がスムーズにいくように糸の強化と市松模様の柄がづれないよう行った。



二反分の市松文様のになる経糸たち。




手のひらに糊をとり、ペタペタと軽めに付けていく。
軽めでは柄がづれてしまわないか心配だったので、しっかり付けだがそれが大失敗!糊の乾かないうちに糸を捌き終えればそれもよかったのが、完全に乾いてしまった。霧吹きで再び湿らせつつ糸を捌く大変な二度手間になってしまった。(続く)



小呂菜香メモリアル 経絣教習その2

2022-03-31 17:33:00 | 日記
 明治の初め、絣は庶民の上等品だった。それが昭和初期になると仕事着になり、子供の普段着になった。太平洋戦争時にはもんぺに改造され、野良着になり、最後は雑巾になった。布を自給自足する時代に着物は三代にわたり着続けられる財産であった。絣地の永い一生が人々を守ってきた。
絣は、縞や絞りの応用として在野の女性たちが築き上げた文化である。女性たちは農作業に従事しながら、新しい絣紋様を生み出すデザイナーであり製織者である。彼女らが培った骨太な技術と創意工夫を学びたい!それは手仕事を通して未来をつくること。多くの方々と過去に戻って、未来を学ぶ楽しさを享受したいと思う。

④括り(8/21〜10/16)
市松模様を作るために、藍で染めたくない部分を平ゴムで防染する。

本来ならば文様がずれないように一人で印をつけ一人で括る。このたびは3人が細心の注意で取り組んだ。



一束120本、ゴムを内巻きに巻いたら次の箇所は外巻きにする。こうすることで糸束がよれずに真っ直ぐを保つことができる。



2ヶ月の括り作業が終わる頃、
畑では丸葉藍の花が満開であった。

⑤染色(11/6)
天然藍の化学建て。2班に分かれて、それぞれが市松文様を染めていく。

一反分(120本の糸束が7束)を一人2〜3束を受け持ち、丁寧に染め上げた。



脱水後すぐに綛を解き、平ゴムを外す。くっきりと現れた青白のコントラストが眩しい。(続く)



小呂菜香メモリアル(2020.6〜2021.5)

2022-03-26 01:25:40 | 日記
     小呂菜香メモリアル
小呂菜香なので、絣の技術習得に専念しようと思った。島在住の紬作家Y先生を迎え、一年かけて市松文様の経絣を習った。失敗は次なる工夫につなげ、忍耐力を養った。6人が二つのチームに分かれ、普段なら経験できない一反を数人で織ることを通し、他人の工夫を見て、話し、学んだ。雨の日晴れの日、糸の機嫌。それらに気を配りながら長い絣製作が始まった!
①経糸の糊付け(2020.6/16)

経糸分、約500gの30番双糸を精錬し糊付けする。

②整経(6/26)経糸長さ17m,800本を作る。

③経糸の糸束にあや棒を入れ整えていく(7/3〜7/24)

長さ17mに整経し綾を取った800本の糸を、六畳間二つ分の長い空間を使って引っ張りながら、2本の綾棒を17m移動させていく。



みんなで引っ張る。しっかり引っ張っていないと綾棒は移動できない。



2本の綾棒が見えるだろうか、これを17m移動させる。たるみや絡まりのとれた美しい経糸をドラムに少しづつ巻いていく。この工程はあらゆる経糸のトラブルに応用できる。(続く)