鎌倉の鶴岡八幡宮は、源頼義が厨川の戦いで安倍貞任を滅ぼす前に戦勝祈願した京都の石清水八幡宮を鶴岡若宮として康平6年(1063年)に勧請したのが始まりだそうである。
このあたりのことは、ウィキペディアに記載されている。
鶴岡八幡宮
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B6%B4%E5%B2%A1%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE
源頼義
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E9%A0%BC%E7%BE%A9
安倍貞任
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%80%8D%E8%B2%9E%E4%BB%BB
その戦いがあった東北宮城県に登米という地名があり、其処の出身者が戦勝の神である鶴岡若宮のお守りをもって、出雲路から石見路を西に進むうち、青原において大雪に遭い、先に進めなくなってその地に根をおろし、持参したお守りを祭ったのが青原八幡宮の始まりである。
その時期は、鶴岡八幡宮の創建からわずか6年後の治暦3年という。
なぜそんなに早く、あの時代に凡そ1000Kmも離れるこの地に伝承したのかを考えると、大雪の話も肯けるところがある。
また、現在はピンチヒッター的に妻の従兄妹が神主を勤めているが、代々神主を務めていた宮司の苗字が「登米」ということからも肯ける。
それから、石段の数が鶴岡八幡宮と同じ61段であることも偶然の一致とは思いがたい。
もっと不思議な話として、ある神社の宮司さんが云うには妻の従兄妹の先祖は源頼義であるという。
従兄妹が青原八幡宮の宮司を勤めるようになったのは偶然で、勤めるようになって知ったことであるという。
鶴岡八幡宮に勤めるようになったのも偶然とすれば、偶然という糸を何者かが手繰っていると思ってもおかしくない。
不思議不思議
誰か詳しく調べて欲しい。
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