☆おっさんだいあり~☆彡

一度きりの人生、思い残すことなく綴りましょうか

考え方古いのかな

2019-03-11 14:59:47 | 日記
仕事先でのことです。
プロジェクト上の上司から、打ち合わせ用に作業用にノートPCを貸してもらいました。自作業用には別のデスクトップがありますが、打ち合わせの資料などを投影したり、自分で参照して説明するなどふに必要とお願いし、貸して頂きました。
先月から、私とおなじチームに新しくメンバーが加わりました。その女性は、私のノートPCを借りたいと言ってきました。もともと、仕事上で共有PCとして使用しているものなので、貸してあげました。貸すと言うより、共用ですからうまくシェアして使っていきましょうと渡してあげました。
ある日、私が使いたいので、ノートPCをその方のところへとりに行きました。しかし、そのノートは引き出しに入れっぱなしで、充電されておらず、ACアダプタを差さなければ使えない上体でした。私がメインで持っていたときは、いつでも単体でもっていけるように充電していたので、何の不便もなくその方は借りていきました。しかし、その方使ったあと使おうとするとそういうことが何回か続きました。それとなく、充電しといてねと言いましたが、あまり気にかけている様子はありませんでした。それ以降は、私の近くにPCがおいているときはできるだけ充電するようにしておりました。
また、ある日、今度はその方お休みになりました。その日は、打ち合わせがあったので、ノートPCを使いたいと重い探しましたが、見当たりません。本人に確認しようとしましたが、連絡がつかないため、メールにてしまった場所を教えてくださいとメッセージを送信しておきました。
まるで見計らったかのように打ち合わせがちょうど終った頃メールの返事がきました。内容は「もう用事は済んでしまいましたよね?気が付かず、すみませんでした。」でした。
後日、共有なので、ほかに使う人のことも考慮してほしい旨をつたえました。そしたら、次のような返事が来ました。「その会議で、PCを使うのは必須ではないですよね。表示するのでなければ紙にでも何でも引接して対応すればいいのでは」
私は唖然としました。共用のものを借りて、使った後のマナーとか、自分がいないときはほかの人がつかうかもしれないから、わかるところに戻しておくとか・・・最低限のことを伝えたつもりだったのですが・・・
自分がどこへしまったのか、家にもって帰っていたのかは一切答えず、人には、紙で印刷して対応すればいい・・こんな言い草ありますか。

でも、私のこんな考え方って古いんでしょうか・・・・

平成の終わりに思うこと

2018-12-10 14:26:23 | 日記
30年前に昭和の終わりを経験しました。
そして、来年は平成の終わりが待っています。
人生100歳時代を信じるならば、人生の約3分の1ずつを昭和、平成で過ごし、残り3分の1を新しい元号の時代に生きることになるわけですが・・・

昭和の時代が終わったときに感じた感覚と、平成が終わる今感じる感覚には違いがありますね。
それは、私の場合、生まれ育った(育てられた)時代と大人になって子供を育て、会社で次の世代を育てた時代の違いですかね。
物心ついてから成人するくらいまでの20年と成人してからの20年では、感性に大きな違いがあるように思うんです。こどもの頃は、目や耳に飛び込んでくるもの、音、が全て新鮮で、体全体で感じ取っているというか、自分なりに理解、解釈しようとしているんですよね。なんていうか、純粋にすべて吸収する勢いっていうものがありましたね。入ってくる情報を選別はしないんですよね。全てまず受け入れるっていうかんじでしたね。そこから、自分に必要な情報とそうでない情報がわかってくるんですよね。
現代のようにインターネットなんてない時代ですから、情報は、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌が主流でした。テレビ、ラジオの影響力は大きかったですし、新聞もメディアとしては大きな影響力を持っていました。こども新聞なんてのもありましたね。

昭和はアナログの時代、平成はデジタルの時代、その次は、・・・
調べ物は、百科事典、辞書は、重たい国語、漢和、英和、和英、全て紙の本でした。スマホも電子辞書なんてのもありませんから。辞書は一度調べたところにに赤い棒を引いていきました。だんだん、赤いところが増えていって、赤いところがないページがあると悔しかったりしたもんです。それとともに辞書も手垢で汚れて、よれよれになって手になじんできたりして、そんなことが楽しみだった時代でした。昭和が終わる数年前に社会人になった私は、コンピュータソフトウェア開発の仕事に就きました。そのころ、パソコンはおろか、ワープロ専用機すらなかった頃でした。大型汎用機の端末が事務所の片隅に2,3台置かれているだけで、白黒画面でしたね。音楽はレコード、オープンリールデッキでしたが、ようやく、カセットテープが主流になりました。学生時代は、貸本屋、貸しレコード屋、にお世話になりました。今でTSU●●YAの走りですね。車はボンネットをあけるとキャブレターがあり、プラグをはずして磨いたものでした。人の手で直せるものがおおかったですね。電話はダイヤル式の栗電話がどこの家にもありました。

平成に入ると、デジタル化が進みました・・・
電子辞書(ザウルスなんて流行りましたね、今のスマホの原型にもなりそう、手書き入力までできてた)車は電子制御でキャブレターがなくなりました。カーステレオはカセットからMD、CDへ進化、大きなLPレコードがしめていたスペースはCD化で一気に省スペースが実現。パーソナルコンピュータの時代が来て、我が家にもPC98やMacintoshがやってきました。それでも当時はフロッピーで起動するアナログな時代でした。

うーーん、続きはあしたにしよう・・・

9月1回目の三連休は・・・

2018-09-18 10:26:55 | 日記
少々、間が開いてしまいました。

久々の投稿です。

暑さも一段落して、残暑があるものの朝晩はかなり過ごしやすくなってきました。
今年の9月は三連休が2回もあるのですね。うまい具合に日にちの並びが整ったおかげで、
敬老の日、秋分の日の休みが土曜日と重なって死ぬことがなく休みが並びました。
皆様はどのように過ごされたのでしょうか。

私は、久しぶりに南伊豆の方へでかけてみました。
下田のあたりまで来ると、そこにはまだ夏が残っていました。
海岸では、水遊びをする家族連れが沢山おりました。海の家こそありませんでしたが、
気温も水温も暖かく、海水浴には十分でした。

白浜は波がありましたので、水遊びの家族ずれより、サーファーが多く海に出ておりました。
2020年のオリンピック競技にもなったので、この中から出場する方もでるのでは?
なんて思いながら眺めておりました。

南伊豆へ行って楽しみといえば、海の幸なんですが、やはりキンメダイですよね。
刺身も煮付けもここの金目は絶妙でした。
私は、サザエやアワビが食べられないので、もっぱら魚に走りましたが、伊豆の山葵との
相性は抜群ですね。

そんなことを書いていたら、おなかがグーと鳴っています。
また、あとで続きを書きたいと思います。




めっきり秋らしく・・・

2018-08-20 18:43:06 | 日記
二十四節気でいうところの「処暑」を過ぎて、暑さも一段落・・・というか、一気に秋の気候になってしまいびっくりです。
ちょっと小旅行で、北軽井沢方面へ出かけたのですが、夜の気温はなんと12度、明け方は一桁の8度まで下がり、長袖を着てても
寒いくらいでした。ダウンジャケットがほしいくらいの寒さでした。しかし、空気は澄み渡って、浅間山の麓から、草津や万座の
峰々まできれいに見渡すことができました。
また、台風も近づいており、雨や風が去った後は蒸し暑さが戻るかもしれませんが、今は、少しだけ秋の気配を感じられますね。


今年のお盆休みは・・・・

2018-08-14 15:59:49 | 日記
いつもお盆休みは帰省する方が多く、その期間都内はガラガラになって、車も電車も思いきり空いているのですが、
今年は何故かあまり空いていない感じがするのは私だけでしょうか。
この期間どこへ出かけても混んでいるので、仕事は休まず、時期をはずして出かけることが恒例ですが、
今年は、電車も通勤時に座れるほどは空いていません。去年は結構座れたのに・・・
ターミナル駅はキャリーバックを引きずる旅行者が多く、やはり、外国人が目立ちます。国内の人は、帰省している
のかもしれませんが、多くの旅行客が東京に来ているせいかもしれません。
明日は、座れるといいな・・・