二十歳の原点を
読んだひとは多いと思うが、
著者 鉄道自殺した
高野悦子さんは
己に息詰まり
二十歳で逝ってしまった。
未熟であること それが私の二十歳の原点である。と言い残して。
いまジャスト五十歳になり、私にも同じ言葉がある。
未熟であること それが私の 半世紀の原点である。
生涯が旅路、
みくに に 帰るまで未熟なままなのだろう。
へりくだり生きたい
いつ終わるかわからない人生の旅路を、
みこころを求めながら完走したい、ビリケツの走者でいい
わたしは、リチャード師の足をいつか洗いたいと願っていたが叶わなかった。
こんなに突然居なくなってしまうなんて、誰も思いもしなかったから、
日本での宣教に一応のメドがつき、引退なさる時、足をお湯で洗いたいと願っていた。
でも第1回の総会か゛終わった翌日には、先生は召された。
三十年間日本の特に相模原を完走しきるまで走り抜いた先生。
任務遂行。これでよしとされた。神様は。
これからの私たちの教会の基としていま私たちはがんばらなければならない。絆は強い。
さぁ 顔を上げるんだ。まだまだこれからだ。