┏━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 『THE BEATLES ANTHOLOGY 2』 ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛
1996(平成八)年3月18日(mon) JP Released
1996(平成八)年3月18日(mon) UK Released
1996(平成八)年3月19日(tue) US Released
◇Disc two (CD2)
◎LP E-side (Record Disc 3)
‡1967(昭和42)年04月01日(sat) EMI Studios 1:27
12."Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)" (Take 5; mono)
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https://music.amazon.co.jp/albums/B01DJHE4YS
https://music.amazon.co.jp/albums/B07FTBJ8VJ
https://en.wikipedia.org/wiki/Anthology_2
https://music.amazon.co.jp/albums/B00H77Z0I6
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┏━━━━━━━━━━━┓(著)Max Scheler
┃ 『LIVERPOOL DAYS』 ┃(著)Astrid Kirchherr
┗━━━━━━━━━━━┛出版社: Genesis Publications; Limited signed ed (2500)版
1994(平成六)年04月01日(fri) P.122
https://www.amazon.co.jp/dp/0904351440
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ THE BEATLES of 1963 ┃(mon)01 April
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Radio recording:『Side By Side』
Studio One, BBC Piccadilly Studios, London
rehearsal: 2.30 - 5.30 pm
recording: 2.30 - 5.30 pm
broadcast: 5.00 - 5.29 pm, 22 April, BBC Light Programme,
♪Side By Side♪
♪I Saw Her Standing There♪
♪Do You Want To Know A Secret♪
♪Baby It's You♪
♪Please Please Me♪
♪From Me To You♪
♪Misery♪
─――――─――――─――――
Radio recording:『Side By Side』
Studio One, BBC Piccadilly Studios, London
rehearsal: 6.30 - 10.30 pm
recording: 6.30 - 10.30 pm
broadcast: 5.00 - 05.29 pm, 13 May, BBC Light Programme
♪Side By Side♪
♪From Me To You♪
♪Long Tall Sally♪
♪A Taste Of Honey♪
♪Chains♪
♪Thank You Girl♪
♪Boys♪
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http://www.multiplusbooks.com/630401.html
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┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ ビートルズ詳解 The Beatles’Corpus ┃
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①1958(昭和33)年03月13日(木) ライヴ演奏:モーグ・スキッフル・セラー/リヴァプール
②1961(昭和36)年04月01日(土) ライヴ演奏:トップ・テン・クラブ/ハンブルグ (初日)
以後、7月1日のもうひとつの(土)曜日まで92日間、毎日演奏良好だヨ(=^◇^=)
③1962(昭和37)年04月01日(日) ライヴ演奏:カスバ・コーヒー・クラブ/リヴァプール
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①1958(昭和33)年03月13日(木) ライヴ演奏:モーグ・スキッフル・セラー/リヴァプール
モーグ・スキッフル・セラー (Morgue Skiffle Celler) は大きなヴィクトリア朝風の家の地下室に構えられた違法クラブで、リヴァプールのブロードグリーン (Broadgreen) 地区オークヒル・パーク (Oakhill Park) 25番地にあった。 モーグは18歳のアラン・コールドウェル (Alan Caldwell) が経営し、彼はアル・コールドウェルズ・テキサンズ (Al Caldwell's Texans) というバンドの歌手だった。リンゴ・スター (Ringo Starr) は
1959(昭和34)年03月25日(水)からこのグループに加わった。後にバンド名をロリー・ストーム・アンド・ザ・ハリケーンズ (Rory Storm and the Hurricanes) に変更している。 テキサンズとクオリーメンは他の多くの地元グループとともに、このクラブの開店の夜に演奏した。演奏は7:30pmに始まり、100人の客は限られた空間に詰め込まれたが、そこにはトイレも無かった。照明は1個の裸電球と蛍光のストリップライトだけだった。 モーグは
‡1958(昭和33)年04月01日(火)に警察により閉鎖される。こっそり続けようとがんばったが、
1958(昭和33)年04月22日(火)に一巻の終わりとなる。 ライヴ演奏は火曜日と木曜日に開催された。クオリーメンは短命だったモーグの他の営業日にも演奏していたかもしれないが、それについて信頼のおける情報は見つかっていない。
②1961(昭和36)年04月01日(土) ライヴ演奏:トップ・テン・クラブ/ハンブルグ (初日)
ビートルズはこの日、ハンブルグのトップ・テン・クラブ (Top Ten Club) での連続92日の演奏をスタートした。このクラブはハンブルグ・セント・パウリ区 (St. Pauli) のレーパーバーン (Reeperbahn) 136番にあった。オーナーのペーター・エクホルン (Peter Eckhorn) は、1日1人当たり35DM (3ポンド) を出演料として支払う。彼らの演奏ノルマは、平日7:00pm~2:00am、週末7:00pm~3:00amで、45分の演奏につき15分の休憩を入れ、それを繰り返すというものだった。
写真◆スチュアートとポールがどちらもベースギターを持つという珍しい写真
トップ・テン・クラブでのビートルズのショーは大成功で、エクホルンはビートルズとの契約を2度に渡って延長している。1961年7月1日の最終日までに、彼らの延べ演奏時間は503時間に達した。その翌日の7月2日に彼らはイギリスへの帰路についている。
③1962(昭和37)年04月01日(日) ライヴ演奏:カスバ・コーヒー・クラブ/リヴァプール
ビートルズは1960(昭和35)年から1962(昭和37)年の間に、カスバに37回出演しているヨ(=^◇^=)
1960(昭和35)年12月17日・31日
1961(昭和36)年01月15日・29日
1961(昭和36)年02月12日・19日・26日
1961(昭和36)年03月05日・12日・19日・26日
1961(昭和36)年08月06日・03日・27日
1961(昭和36)年09月10日・24日
1961(昭和36)年10月22日
1961(昭和36)年11月19日・24日
1961(昭和36)年12月03日・17日
1962(昭和37)年01月07日・14日・21日・28日
1962(昭和37)年02月04日・11日・18日・25日
1962(昭和37)年03月04日・11日・18日・25日
‡1962(昭和37)年04月01日・07日・08日
1962(昭和37)年06月24日
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①http://gejirin.com/beatles/history/1926-1959/19580313_live_morgue.html
②https://gejirin.com/beatles/history/1961/19610401_live_top_ten_club.html
③https://gejirin.com/beatles/history/1962/0history_index-1962.html
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┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓┌─――――┐
┃ THE BEATLES HISTORY ┃| April 01|091
┃ ザ・ビートルズの今日の出来事 ┃|4月01日|
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‡1961(昭和36)年04月01日(土) 2度の契約更新の後、2度目のハンブルグ巡業がこの日より
1961(昭和36)年07月01日(土)まで行われ、92日間、のべ503時間トップ・テン・クラブのステージに立つ。前回の最初のハンブルグ巡業と並んで、ビートルズのスタミナと実力を飛躍的に向上させた有意義な巡業となった。
1962(昭和37)年04月01日(日) カスバ・コーヒー・クラブに出演。
①【初の全米公演に向けて】
★1964(昭和39)年04月01日(水)、ノーマン・ワイスとGACは仮のツアー・スケジュールをブライアンに送った。
★ブライアン・エプスタインは過度な露出を避けるために、あまりにも巨大な会場は却下した。その中には5万人収容のデトロイト・タイガー・スタジアムや8万人や10万人収容のLAコロシアムやディズニー・ランドがあった。またニューヨークのシェア・スタジアム公演やフリーダムランドで3日間連続公演などもあったという。
★ツアー中の都市から都市への移動に手段について、アメリカン・フライヤーズ・エアライン社と契約を結んだ。
********** http://www.thebeatles.co.jp/contents/index2.htm
http://www.beatlelinks.net/forums/showthread.php?t=16959
http://beatlesdiary.web.fc2.com/day/004/0401.html
https://blogs.yahoo.co.jp/fab4city/15699083.html
①https://beatlepedia.web.fc2.com/usa-tour-64.html
http://www.beatlesagain.com/bhistory.html
楽曲資料https://beatlesdata.info
歌詞充実http://tsugu.cside.com/index.html
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┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 『これがビートルズ THE TRUE STORY OF THE BEATLES』 ┃
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1965(昭和40)年3月20日(土) 印 刷
‡1965(昭和40)年4月 1日(木) 初版発行
著者 Billy Shepherd
訳者 星加ルミ子・青柳茂樹
監修 草野昌一
発行所 株式会社 新興楽譜出版社
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http://cap-yoshida.at.webry.info/201603/article_7.html
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■商品名
版権独占 これがビートルズ BEATLES 初版本
■商品内容
これがビートルズ
発行所:?株式会社新興楽譜出版社
希少な初版本(昭和40年4月1日)です。
古い物なので、状態はそれなりで、特にカバーはシワなどございます。
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/c626951184
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┃ 『この日のビートルズ』 ┃上林 格 P.288 714円(税込) 朝日新聞出版
┗━━━━━━━━━━━━━┛2013(平成25)年11月7日(木) 朝日文庫発行
人類がまだ月面着陸を夢見ていた1960年代、英国出身の4人の若者が世界を席巻した。
ポピュラー音楽史の記録を次々と塗り替えただけではなく、
文化、思想、生活スタイル、あらゆる分野に強烈な影響を与えた。
語り継がれる20世紀最高のファブ・フォーの「この日」にこだわってみました。
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|1969(昭和44)年 4月 1日(火)|「音の壁」に「過剰」反応
|2010(平成22)年 4月 1日(木)|甲虫日記更新日 No.071
└─――――――――――――┘
いまにして思えば、1970年早春の段階で「ビートルズはまだ活動を続けている」と一般に信じられていたのは不思議なことだ。69年8月にアルバム「ABEEY ROAD」の録音が終わると、ジョンは「プラスティック・オノ・バンド」を結成してソロ活動を本格化させた。ジョージは、デラニー&ボニーのツアーに参加するなど他のミュージシャンとの交流を深めていった。映画界でのキャリアを築き始めたリンゴはソロ・アルバムを制作していた。そして、ポールも他の3人には黙ってソロ・アルバムの制作にとりかかっていた。
ただ、4人にはビートルズとしてやり残した仕事があった。何度も発売時期が発表されては延期された幻のアルバム「THE BEATLES GET BACK」を完成させることだ。メンバー間の感情的な対立まで生んだ、いわく付きのセッションからすでに1年が過ぎていた。
ジョンとポールは、ジョージ・マーティンと一緒に録音に携わったグリン・ジョンズに2度も編集を依頼したが、いずれの出来にも満足しなかった。しかし、30時間分にも及ぶ膨大なテープからベスト・テイクを選びだそうというやる気が、4人にどこまで残っていたのかは疑問だ。
その気の遠くなる作業を米国人プロデューサーのフィル・スペクターは、わずか11日間でやってのけ、ビートルズのラスト・アルバムを奇跡的に世に送り出した。タイトルを「LET IT BE」と変更されたスペクターによる再編集の録音は、70年4月1日にクライマックスを迎えた。
この日はジョンの「Across The Universe」、ポールの「The Long And Winding Road」、ジョージの「I Me Mine」にオーケストラ・サウンドが付け加えられた。録音にはリンゴ1人だけが参加。ビートルズのメンバーがオリジナル・アルバムの録音にかかわったのは、この日が最後となる。
スペクターはエコーやエフェクトを多用した独特の音作りで有名になった。多重録音による分厚いサウンドは「Wall Of Sound」と呼ばれ、彼には「音の催眠術師」という冠もついた。
ポールの「The Long And Winding Road」には、計50人によるオーケストラと女声コーラスが加えられた。バイオリン18台、ビオラ4台、チェロ4台、ハープ1台、トランペット3台、トローンボーン3台、リンゴによるドラムス、ギタリスト2人、シンガー14人。スペクターは幾重にも合唱と管楽器を多重録音し、曲を完成させた。
「終点に行き着くことがない道」を歌ったこの曲は、メンバー間での口論や対立が最初に表出した68年の「ホワイト・アルバム」の録音期間中につくられた。当時のバンド内の空気を反映した、悲しい曲だ。
だから、この曲は温かみのあるサウンドにすべく、映画で見ることができるようにライブで録音された。シンプルなピアノ・バラードに仕立てる。そこにポールの意図があった。
◎多重録音が引き金にもなって… 次のページへ
スペクターが再編集したアルバムを聴いて、ポールは最大の不満を過剰にオーケストラが多重録音されたこの曲に向けた。「僕の意見を聞きに来る人が誰もいなかったことは信じられない。僕はビートルズのレコードに女声コーラスをつけることは絶対にしなかっただろう」
1年後、ビートルズのパートナーシップの解消を求めるべく高等裁判所に提訴したポールは、その法廷で、ほかのメンバーが彼の評判をおとしめようとした証拠として、この曲を引き合いにだしたほどだ。
ジョージ・マーティンも「ビートルズの個性を殺してしまっただけでなく、まったくの間違いだった」とまで批判した。驚くことに、スペクターが「GET BACK」のテープに手を加えていることをポールもマーティンにも知らされていなかったのだ。
スペクターを起用したのは、ジョンとジョージと新しいマネジャー、アラン・クラインだ。70年1月、彼はジョージに紹介され、ジョンの3枚目のソロ・シングル「Instant Kama!」のプロデュースを任された。ジョンはその出来に驚いた。「50人が演奏しているようなサウンド」。シングルも英米ともにトップ5に入った。
感謝の印とばかりに、「GET BACK」のテープを渡され、再編集を依頼された。条件があった。5月に公開される映画「LET IT BE」にあわせて、アルバムも発売できるようにすることだった。
皮肉なことに、スペクターがアビイ・ロード・スタジオで再編集の作業に着手した70年3月23日、ポールは同じスタジオの別室で初のソロ・アルバム「McCARTNEY」のマスター・テープを完成させた。変名「ビリー・マーティン」でスタジオを予約し、極秘に作業を続けていた。4人は、すでにバラバラになっていた。
ゲット・バック・セッションは、「もう一度原点に戻ろう」とポールが呼びかけ、可能な限り「生のビートルズ」をとらえて記録することから始まった。そして、アルバム「GET BACK」は、3本のギターとドラムスの演奏を基本に多重録音や編集、オーケストラなどを用いない、シンプルでストレートなアルバムをめざした。
その方針をぶち破った張本人としてスペクターは扱われているが、彼は依頼をこなしただけであり、彼には曲を書き直すことも再録音することもできなかった。過剰な多重録音の件をことさらいうのであれば、彼をプロデューサーに招く前に「I Me Mine」やシングル「Let It Be」は「過剰」でないにしろ、すでに多重録音したバージョンが存在した。ジョンは「奇跡だ」と喜び、ジョージは、ファースト・ソロ・アルバムのプロデューサーに起用した。
アルバム「LET IT BE」に悲劇があるとすれば、プロデューサーが誰だからという問題ではない。真剣に聴こうとすればするほど、聴くものを落胆させる悲惨なセッションを続けた、パフォーマーの責任を認めなければいけない、という悲しさだと思う。
◎『この日のビートルズ』の次回は4月20日です。この日はなんの日でしょうか? お楽しみに。
◎お知らせ ⇒ 「LET IT BE...NAKED」は、ポールの意図を反映して制作当初のシンプルなサウンドに戻そうと企画された。フィル・スペクターのプロデュースによるオーケストラのダビングなどすべての装飾をはずし、新たにミックスをやり直した。ただし、複数のバージョンを部分的につなぎ合わせていて、純粋なライブ録音ではない。「Let It Be」でポールのピアノのミスタッチも修正されている。
レット・イット・ビー・ネイキッド
2003年11月11日 EMIミュージック・ジャパン
***************** https://www.amazon.co.jp/dp/4022617802
https://dot.asahi.com/1satsu/tyosya/2013110700049.html
http://doraku.asahi.com/entertainment/beatles/100401.html
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┃ THE BEATLES Live 1961 ┃
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‡(sat)01 April 1961 Hamburg, Germany, The Top Ten Club ※27 March~2 July 1961
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https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_the_Beatles%27_live_performances
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①┃ Performances at The Casbah 1950s 1961 ┃
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(sun)12 February 1961 The Casbah Club West Derby, Liverpool
Photographer: Phillips (?)
The date for this set is speculative. Lewisohn places a couple of these photos under this date heading but his photo placements can be a bit misleading. In any case this seems a logical, possible date. Upon The Beatles' return from Hamburg
30 November 1960 (Stuart stayed in Hamburg), they played four dates with Chas Newby on bass. Two dates of which were at The Casbah. Newby didn't last and it was determined that Paul would take the bassman role. Without enough money to buy a bass, Paul purloined three piano strings and converted his Rosetti Solid 7 guitar into a bass. This is first evidenced in these photos. Paul made the final payment on the Rosetti on
21 January 1961. He would not purchase his Hofner bass until April or May. That might narrow the date of these photos by a few days. In a letter, Stuart wrote that he returned to Liverpool in January 1961. Lewisohn dates his return as "late February" (but I'm inclined to go with Stuart's date). Lewisohn also states that Stuart returned to Hamburg on
15 March. So these photos must fall between January to March 1961. Between January and
15 March, The Beatles played The Casbah on seven dates with two additional dates in late March (see below). In which case, these photos could actually be any of those dates. Obviously, Paul was THE bass player at this time and Stu was only sitting in with the band as he would do during their next trip to Hamburg on
●01 April. Hand-drawn (by Neil Aspinall) advertisement poster This could be for ANY of the dates listed below.
Performances at The Casbah
January - March 1961 (Note: all dates are a Sunday)
(sun)15 January 1961
(sun)29 January 1961
(sun)12 February 1961
(sun)19 February 1961
(sun)26 February 1961
(sun)05 March 1961
(sun)12 March 1961
(sun)19 March 1961
(sun)26 March 1961 A contemporary photo of "the spider room". See a layout of The Casbah - here
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②┃ CASBAH CLUB dates Spring 1962 ┃
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‡(sun)01 April
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①http://www.beatlesource.com/savage/1961/61.02.12%20casbah/61.02.12casbah.html
②http://www.beatlesource.com/savage/1962/62.03.25%20casbah/62.03.26casbah.html
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┃ THE BEATLES Live at The Casbah Coffee Club ┃
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‡No.35 1962(昭和37)年 4月 1日(sun) The Casbah Coffee Club
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https://en.wikipedia.org/wiki/The_Casbah_Coffee_Club
http://www.petebest.com/casbah-coffee-club.aspx
http://gejirin.com/beatles/history/1926-1959/19590829_live_casbahcoffeeclub1.html
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┃ THE BEATLES on film and television 1963 ┃
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‡(mon)01 April 1963『8mm Home Movie』On this day The Beatles and the Karl Denver Trio were both recording a radio show called 'Side bySide' at the Paris Studios. A member of the Trio shot some 8mm footage of The Beatles outside the studios and this was eventually used in a promo of 'Baby It's You' (from the 'Live at the BBC' album) in 1995.
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http://www.tvtalkin.esy.es/fab4tv/1963.htm
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┃ 『SIDE BY SIDE』 ┃BBC 14th appearance
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‡1963/4/01(mon) rec. 2:30-6:30pm Number 1 Studio, Piccadilly Theatre, London
1963/4/22(mon) trans 5:00-5:29pm broadcast
Recording for BBC's『SIDE BY SIDE』1st appearance
1st『SIDE BY SIDE』performance
♪Side By Side Theme (partial)♪ ※番組のテーマ曲 Karl Denver Trio と共演
♪I Saw Her Standing There♪
♪Do You Want To Know A Secret♪
♪Baby It's You♪
♪Please Please Me♪
♪From Me To You♪
♪Misery♪
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┃ 『SIDE BY SIDE』 ┃BBC 15th appearance
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‡1963/4/01(mon) rec. 6:30-10:30pm Number 1 Studio, Piccadilly Theatre, London
1963/5/13(mon) trans 5:00-05:29pm broadcast
Recording for BBC's『SIDE BY SIDE』2nd appearance
♪Side By Side Theme♪ ※番組のテーマ曲 1963/4/22放送分と同テイク
Why Hamburg (speech)
♪From Me To You♪
♪Long Tall Sally♪
This Is Your Song (speech)
♪A Taste Of Honey♪
♪Chains ♪
Who Had Original Idea (speech)
♪Thank You Girl♪
Number Called Boys (speech)
♪Boys♪
音源◆Side By Side - The Beatles Radio Show - april 1 1963 https://youtu.be/rP0MkuIAwUE
********* https://en.wikipedia.org/wiki/Dig_It_(Beatles_song)
http://beatleslist.web.fc2.com/bbc.html http://www.webers-records.com/134_1420.html
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┃ 『THE BEATLES bootleg recordings 1963』 ┃2013/12/17(tue)
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50.♪Long Tall Sally♪ 『SIDE BY SIDE』13 May 1963
51.♪Chains♪ 『SIDE BY SIDE』13 May 1963
52.♪Boys♪ 『SIDE BY SIDE』13 May 1963
53.♪A Taste of Honey♪『SIDE BY SIDE』13 May 1963
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https://en.wikipedia.org/wiki/The_Beatles_Bootleg_Recordings_1963
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