過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日のTHE BEATLESだヨ(=^◇^=)


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 ┃ ビートルズ詳解 The Beatles’Corpus ┃
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①1961(昭和36)年03月02日(木) ライヴ演奏:リザーランド・タウン・ホール/リヴァプール
②1962(昭和37)年03月02日(金) ライヴ演奏1:セント・ジョンズ・ホール/ブートル
③1962(昭和37)年03月02日(金) ライヴ演奏2:タワー・ボールルーム/ワラジー
④1963(昭和38)年03月02日(土) ライヴ演奏:シティ・ホール/シェフィールド
⑤1963(昭和38)年03月02日(土) TV出演『ABC At Large』/マンチェスター (初)
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②1962(昭和37)年03月02日(金) ライヴ演奏1:セント・ジョンズ・ホール/ブートル
 最後の出演からほとんど1年ぶりに、ビートルズは4回目の出演のためこの会場に戻って来た。ビートルズが1960年12月27日にリザーランド・タウン・ホール (Litherland Town Hall) で記念碑的な大成功をおさめた後、デイヴ・フォーショウ (Dave Forshaw) という10代の地元プロモーターが、ブートル (Bootle) のセント・ジョンズ・ホール (St. John's Hall) で、一月置きに3回のビートルズの出演契約を獲得する。
 ビートルズはこのセント・ジョンズ・ホール (St. John's Hall) に5回出演している。この会場はオリエル通り (Oriel Road) をはさんでブートル・タウン・ホール (Bootle Town Hall) の向かいにあったが、後に取り壊された。
 ここでのショーの後、ビートルズはニュー・ブライトン (New Brighton) のタワー・ボールルーム (Tower Ballroom) で開催されている「マッド・マーチ・ロック・ボール (Mad March Rock Ball)」と名付けられたイベントに出演するため現地に向かった。
 1961(昭和36)年01月06日
 1961(昭和36)年02月03日
 1961(昭和36)年03月03日
‡1962(昭和37)年03月02日
 1962(昭和37)年07月30日
③1962(昭和37)年03月02日(金) ライヴ演奏2:タワー・ボールルーム/ワラジー
 ビートルズはタワー・ボールルームに27回出演しているヨ(=^◇^=)
 1961(昭和36)年11月10日 24日
 1961(昭和36)年12月01日 08日 15日 26日
 1962(昭和37)年01月12日 19日 26日
 1962(昭和37)年02月15日 16日 23日
‡1962(昭和37)年03月02日
 1962(昭和37)年04月06日
 1962(昭和37)年06月21日 29日
 1962(昭和37)年07月13日 21日 27日
 1962(昭和37)年08月17日
 1962(昭和37)年09月14日 21日
 1962(昭和37)年10月12日
 1962(昭和37)年11月23日
 1962(昭和37)年12月01日 07日
 1963(昭和38)年06月14日
④1963(昭和38)年03月02日(土) ライヴ演奏:シティ・ホール/シェフィールド
 ヘレン・シャピロ (Helen Shapiro) をメインスターとするUKツアーは続く。この日はヨークシャー・シェフィールド (Shefield, Yorkshire) のバーカーズ・プール (Barker's Pool) にあるシティ・ホール (City Hall) で公演した。
 ビートルズはこの会場には1963(昭和38)年に4回、1964(昭和38)年に1回、合計で5回出演しているヨ(=^◇^=)
⑤1963(昭和38)年03月02日(土) TV出演『ABC At Large』/マンチェスター (初)
 ヘレン・シャピロ (Helen Shapiro) をメインスターとするUKツアーでシェフィールド (Shefield, Yorkshire) のシティ・ホール (City Hall) で公演した後、ビートルズはABC-TVの生放送番組『ABC アット・ラージ (ABC At Large)』に出演するため、マンチェスターのディズベリー・スタジオ・センター (Didsbury Studio Centre) に移動する。彼らはマネージャーのブライアン・エプスタイン (Brian Epstein) も交えて、司会のデヴィッド・ハミルトン (David Hamilton) からインタビューを受け、最近の成功の理由についての質問に答えている。このショーにはジェリー&ザ・ペースメーカーズ (Gerry & The Pacemakers) のジェリー・マースデン (Gerry Marsden) も出演していた。加えてポップファンへの街頭インタビューや、1963(昭和38)年02月17日(日)に収録した『Thank Your Lucky Stars』でビートルズが♪Please Please Me♪をくちパクするシーンも含まれていた。この番組は11:00pm~11:50pmにミッドランド (Midlands) と北部地域に生放送された。ディズベリー・スタジオは、前のキャピトル・シネマ (Capitol Cinema) をベースとし、1956(昭和31)年から1969(昭和44)年まで使われていたが、ABC-TVがリディフュージョン (Rediffusion) と合併したのを機に閉鎖される。その後その建物はヨークシャーTV (Yorkshire Television) とマンチェスター・ポリテクニック (Manchester Polytechnic) が使っていたが、1990年代に取り壊されてアパート住宅となっている。  
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 ①http://gejirin.com/beatles/history/1961/19610106_live_saint_johns_hall.html
 ②https://gejirin.com/beatles/history/1962/19620302_live_StJohn's_Hall_Bootle.html
 ③https://gejirin.com/beatles/history/1962/19620621_live_Tower_Ballroom.html
  https://music.amazon.co.jp/albums/B00BKB6N3G
 ④https://gejirin.com/beatles/history/1963/19630302_live_CityHall_Shefield.html
 ⑤https://gejirin.com/beatles/history/1963/19630302-2_TV_ABCAtLarge.html
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 ┃ THE BEATLES HISTORY ┃| March 02|061
 ┃    ザ・ビートルズの今日の出来事   ┃|3月02日|
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 1960(昭和)年03月02日(水) スチュワート・サトクリフがベースとして加入したものの、ドラマーが不在ということもあり、春ごろまで目立った活動はない。バンド名を「クオリーメン(The Quarrymen)」から、スチュの発案で「ビータルズ(The Beatals)」に改名した。
 1962(昭和)年03月02日(金) セント・ジョンズ・ホールで10代の若いプロモーター、デイヴ・フォーショー主催のステージに出演。詳細が残っていて、ビートルズのギャラは17ポンド(当時のレートで約18,000円)、前座のサーチャーズは6ポンド。観客数は357人。プロモーターの純利益は11ポンドだった。その後、夜遅くワラシーのタワー・ボールルームで催された「マッド・マーチ・ロック・ボール」というショーに出演。
********** http://www.thebeatles.co.jp/contents/index2.htm
 http://www.beatlelinks.net/forums/showthread.php?t=16929
 http://beatlesdiary.web.fc2.com/day/003/0302.html
 https://blogs.yahoo.co.jp/fab4city/15658694.html
 http://www.beatlesagain.com/bhistory.html
 楽曲資料https://beatlesdata.info
 歌詞充実http://tsugu.cside.com/index.html
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 ‡1968(昭和43)年3月9日(sat)『SGT PEPPERS LONELY HEARTS CLUB BAND』is awarded 4 Grammys
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 ┃ 『この日のビートルズ』 ┃上林 格 P.288 714円(税込) 朝日新聞出版
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛2013(平成25)年11月7日(木) 朝日文庫発行
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 |1964(昭和39)年 4月 5日(日)|「転んでも快進撃」の開幕
 |2009(平成21)年 4月 3日(金)|甲虫日記更新日 No.046
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1964(昭和39)年2月22日(土)に米国から帰国した4人は、ジョージの21歳の誕生日である
1964(昭和39)年2月25日(火)から映画のサントラづくりに入る。ラジオ番組の出演を挟んだ5日間に9曲の録音を済ませた。
翌日の1964(昭和39)年3月2日(月)からは映画撮影に突入し、
1964(昭和39)年4月24日(金)までの約8週間を「俳優」として働いた。
***************** https://www.amazon.co.jp/dp/4022617802
 https://dot.asahi.com/1satsu/tyosya/2013110700049.html
 http://doraku.asahi.com/entertainment/beatles/list.html
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 ┏━━━━━━━━━━━━━┓かみばやし さとる      朝日文庫
 ┃ 『この日のビートルズ』 ┃上林 格 P.288 本体680円+税 朝日新聞出版
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛  2013(平成25)年11月30日(土)第1刷発行
‡No.33 P.187 1967年03月02日「傑作バラードの貢献者」◎♪Michelle♪が第九回グラミー賞年間最優秀楽曲に選ばれた日◎
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 ┃ 『この日のビートルズ』 ┃上林 格 P.288 714円(税込) 朝日新聞出版
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛2013(平成25)年11月7日(木) 朝日文庫発行
  人類がまだ月面着陸を夢見ていた1960年代、英国出身の4人の若者が世界を席巻した。
  ポピュラー音楽史の記録を次々と塗り替えただけではなく、
  文化、思想、生活スタイル、あらゆる分野に強烈な影響を与えた。
  語り継がれる20世紀最高のファブ・フォーの「この日」にこだわってみました。
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 |1967(昭和42)年 3月 2日(木)|「名曲誕生と旧友の妻」
 |2009(平成21)年 3月 2日(月)|甲虫日記更新日 No.044
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米国音楽界の権威、グラミー賞の51回目の授賞式が2月にあった。
今年の主役は、「プリーズ・リード・ザ・レター」で最優秀レコード賞など5冠を制した、レッド・ツェッペリンのボーカル、ロバート・プラントとブルーグラス歌手アリソン・クラウスの英米異色のコラボレーションだった。
受賞こそ逃しはしたが、ポール・マッカートニーが最優秀男性ポップ・ボーカル・パフォーマンス部門など2部門、リンゴ・スターが1部門でそれぞれ候補に選ばれた。
ビートルズとグラミー賞といえば、アルバム「SGT.PEPPER'S……」で4部門を制した第10回が有名だが、第7回では最優秀新人賞など2部門に初めて選ばれ、1967年3月2日の第9回では、ジョン・レノンとポールによる「ミッシェル(Michelle)」が年間最優秀楽曲に輝いた。
この年、ポールは「エリナー・リグビー(Elenor Rigby)」で最優秀ソロ・ボーカル・パフォーマンス賞も受賞。アルバム「REVOLVER」のカバーをデザインしたクラウス・フォアマンは、最優秀アルバム・ジャケット賞に選ばれている。
アルバム「RUBBER SOUL」に収録された「ミッシェル」は、ビートルズの曲のなかでフランス語の歌詞が使われた唯一の曲だ。
ジョンがリバプールの美術学校の学生だったころ、パリ・セーヌ川左岸の知的な生活がファッショナブルとされていた。ベレー帽とひげとタバコの「ジタン」はボヘミア的ライフスタイルの象徴。ジョンの好みの女性はブリジット・バルドーだった。
21歳の誕生日をポールと2人であこがれのパリで迎えたジョンは、セーヌ川左岸のカフェやブティックに足を運んでいる。写真家ユルゲン・フォルマーとも再会し、パリの美術学生風に髪を整えてもらい、これが「ビートル・カット」の起源になった。
「ミッシェル」の起源は、ポールが、あるパーティーでフランス語とおぼしき曲を聞いたのに触発され、その歌をコミカルに模倣した曲を書き始めたことに始まる。その歌にちゃんとした歌詞をつけてはどうか、とジョンが提案したのだった。
希代のメロディー・メーカーのポールではあるが、フランス語は得意ではない。パリ公演の舞台では、「シャンソン」とか「ボンジュール」など誰でも知ってる簡単な単語を発するだけだった。
65年夏の米国ツアーが終わると、ポールは恋人ジェーン・アッシャーを連れて、英国のラジオ司会者のミュリエル・ヤングのポルトガルにある別荘を訪ねた。
ミュリエルによると、まだ「ミッシェル」という単語は登場してなかった。フランス語っぽく聞こえる曲の歌詞づくりに頭を悩ませていた、という。「グッドナイト・スイートハート」とか「ハロー・マイ・ディア」とか、リズムにあったフレーズを次々と試していた。
ポールを助けたのは、かつてのクオリーメンの仲間アイヴァン・ヴォーンの妻で、フランス語教師をしていたジャン・ヴォーンだった。
「僕にもしゃべれるフランス語で、しかも響きのいいフレーズはないか」
ヴォーン夫妻が初めてロンドンのアッシャー邸を訪れたときだった。曲づくりの壁にぶち当たっていたポールは、旧友の妻に頭を下げた。
歌詞をつくるにあたって、ポールの注文は二つあった。ひとつは、フランスの女の子の2音節のファースト・ネームを考えること。もうひとつは、韻を踏ませてその女の子の描写をすること。
ポールがギターで曲を聴かせているうち、ジャンの頭の中に自然と「ミッシェル・マ・ベル(Michelle, ma belle.)」というフレーズが浮かんできたという。「頭を悩ませる必要はありませんでした」とジャン。
数日後、ポールはジャンに電話で「とても連なりのいい言葉(These are words that go together well,)」というフレーズをフランス語に訳してくれ、と頼んだ。ジャンは、「ソン・レ・モン・クィ・ヴォン・トレ・ビエン・アンサンブル(Sont les mots qui vont tres bien ensemble, tres bien ensemble.)」と答えた。
ある日、こうして出来た曲の最初の数小節をポールはハミングしてジョンに聴かせた。そして、いつものようにジョンにきいた。
「このあと、どうしたらいい?」
ジョンは、「I Love You, I Love You」と繰り返すミドル・エイトを追加し、歌うときは「Love」にアクセントを置くようにポールにアドバイスした。
ジョンの頭の中には、ニーナ・シモンが65年8月に英国でヒットさせた「アイ・プット・ア・スペル・オン・ユー」があった。
「その中に『I Love You~』ってとこがあって、サビに使えると思ったんだ」。ただし、シモンは「I Love You」の「You」にアクセントを置いている。
「つまり、ぼくはポールの歌に、いつもちょっとブルージーな気分を加えていたわけさ。でなきゃ、わかるだろう、ミッシェルは単なるバラードになっていたよ」
「イエスタデイ」と並ぶポールの傑作バラードと評価が高い「ミッシェル」だが、発表された当時は「時代遅れ」に近い受け止め方をする向きもあった。
ポールは、ナイトクラブで会った知人に「冗談だろ、こんな曲。ふざけて出したんだろう」といわれ、その知人を怒鳴りつけた、というエピソードもあるくらいだ。
「若者の時代」とか「反体制の時代」とかいわれ、価値観が大きく変動した60年代。ビートルズの幅広い音楽領域の一端を示すこの曲も、当時はちょっとだけ古くさく思われたのかも知れない。
 ◎『この日のビートルズ』の次回は、3月25日です。この日はなんの日でしょうか? お楽しみに。
 ◎お知らせ ⇒ アルバム「ラバーソウル」は、1965年12月に発売された6枚目のアルバム。「ミッシェル」のほか、「ノルウェーの森(Norwegian Wood)」「ひとりぼっちのあいつ(Nowhere Man)」「イン・マイ・ライフ」など、ビートルズ中期の活動を象徴する曲が多く収められている。
 『RUBBER SOUL』1998年03月11日 EMIミュージック・ジャパン 
***************** https://www.amazon.co.jp/dp/4022617802
 https://dot.asahi.com/1satsu/tyosya/2013110700049.html
 http://doraku.asahi.com/entertainment/beatles/090302.html
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 ┃ THE BEATLES on film and television  1963 ┃
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‡(sat)02 March 1963『ABC at Large』Another ABC-TV appearance, but this time for the boys first TV interview. The programme was a regional news magazine called 'ABC at Large' and the band, along with Brian eEpstein, were interviewed by David Hamilton. There was no performance, but a clip of 'Please Please Me' from the 17 February 'Thank Your Lucky Stars' was shown.  No record of this programme is thought to remain. 
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 ┃ THE BEATLES on film and television  1964 ┃
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‡(mon)02 March~(fri)24 April 1964『A HARD DAY’S NIGHT』The filming of『A HARD DAY’S NIGHT』took place on most days over this 7 week period. One recorded (mimed) song 'You Can't Do That' (recorded on 31 March 1964) was cut from the film, though it was shown on 'The Ed Sullivan Show' on 24 May 1964. 
 (fri)24 April(mon)~02 March 1964『A HARD DAY’S NIGHT』The filming of『A HARD DAY’S NIGHT』took place on most days over this 7 week period. One recorded (mimed) song 'You Can't Do That' (recorded on 31 March 1964) was cut from the film, though it was shown on 'The Ed Sullivan Show' on 24 May 1964. 
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 http://www.tvtalkin.esy.es/fab4tv/1963.htm
 http://www.tvtalkin.esy.es/fab4tv/1964.htm
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 ┃ Winter 1963 Helen Shapiro Tour, Part 2  ┃THE BEATLES SHOW
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‡No.13 7 (sat)02   March 1963  Sheffield City, England, Sheffield City Hall 
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 https://en.wikipedia.org/wiki/The_Beatles_Winter_1963_Helen_Shapiro_Tour
 https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_the_Beatles%27_live_performances
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 参考パンフ■Beatles Helen Shapiro Original Tour Programme 1963 £300.00 22:22 2017/03/18 An original concert programme from the 1963 UK British tour that took place between 2nd February and the 3rd March. The tour was headlined by Helen Shapiro and the Beatles appeared as one of the support acts. Programme features a black and white group shot and a brief history of the group. Measures 21cm x 27cm (8.25 inches x 10.75 inches). There is some dirt staining to the cover and a small tear measuring 1cm (0.25 inches). Condition is very good minus.
 https://www.tracks.co.uk/product/b24475-beatles-helen-shapiro-original-tour-programme-1963/

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  ┛THE BEATLES 1967 Recording Sessions ┛Studio 2
 ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛7:00pm-3:30am
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①┃ ♪LUCY IN THE SKY WITH DIAMONDS♪  ┃overdub onto take 8
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛No.3 ■レコラス(ト)■この日にジョンのボーカルとポールのコーラスが2回録音されたが、2回とも微妙にテープ速度を変えて録音(位相の干渉を利用したフェイズ効果を出すためか?)そして最後にジョージのリード・ギターとポールのベースが録音されて完成に至る。このアルバムの曲にしてはリハを含めて合計3日で仕上がったスピード録音である
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     ┛THE BEATLES 1967 Mono mixing ┛Studio 2
     ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛7:00pm-3:30am
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①┃ ♪LUCY IN THE SKY WITH DIAMONDS♪  ┃remixes 1-11, from take 8
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  Producer: George Martin
  Engineer: Geoff Emerick
  2nd Engineer: Richard Lush
 ‡1967(昭和42)年3月2日(thu)
  THE BEATLES are awarded two Grammys ♪Eleanor Rigby♪ and『REVOLVER』
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━┓1996/03/18(mon) JP、UK
②┃ 『THE BEATLES ANTHOLOGY 2』 ┃1996/03/19(tue) US
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ◎Disc two◎
 10.♪Lucy in the Sky with Diamonds♪ (Takes 6, 7 & 8) 1-2 March 1967 EMI Studios 3:06 
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━┓1996/03/18(mon) JP、UK
②┃ 『THE BEATLES ANTHOLOGY 2』 ┃1996/03/19(tue) US
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ◎Disc two◎
 10.♪Lucy In The Sky With Diamonds♪ 67.3. これまた複数の未発表テイクから、いろいろな楽器の音を抜き出し、それを組み合わせて強引に作られたもの。またも残念なテイクだけど、ジョンは随分とラフな歌い方をしており、 公式テイクで感じられる「不気味さ」「不思議な感じ」とは無縁。その分、曲自体のイメージとは違う反面、ジョンの声には初期を思わせるものがある。 
**************** https://en.wikipedia.org/wiki/Anthology_2
 ①https://beatlesdata.info/8/03_lucyintheskywithdiamonds.html
 ①https://en.wikipedia.org/wiki/Lucy_in_the_Sky_with_Diamonds
 ②http://www.geocities.co.jp/Broadway/5266/beaAlb21-2.html
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 ┃ THE BEATLES  America Single Release ┃
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 05.1964(昭和39)年01月30日(thu) 01 3 VEE-JAY VJ-581 ♪Please Please Me♪(2)/♪From Me To You♪(2)【米;2週3位/41位】
‡06.1964(昭和39)年03月02日(mon) 02 1 Tollie 9001  ♪Twist And Shout♪/♪There's A Place♪【米;4週2位/74位】
 07.1964(昭和39)年03月16日(mon) 03 02 Capitol 5150 ♪Can't Buy Me Love♪/♪You Can't Do That♪ 
 08.1964(昭和39)年03月23日(mon) 04 4 VEE-JAY VJ-587 ♪Do You Want To Know A Secret♪/♪Thank You Girl♪【米;2位/35位】
 09.1964(昭和39)年04月27日(mon) 05 2 Tollie 9008  ♪Love Me Do♪/♪P.S. I Love You♪【米;1位/10位】※Tollie 2枚目で最後
 10.1964(昭和39)年05月21日(thu) 06 2 Swan 4182  ♪Sie Liebt Dich♪/♪I'll Get You♪(2)【米;97位】※Swan 2枚目で最後
 11.1964(昭和39)年07月13日(mon) 07 03 Capitol 5222 ♪A Hard Day's Night♪/♪I Should Have Known Better♪【米;2週1位/53位】
 12.1964(昭和39)年07月20日(mon) 08 04 Capitol 5234 ♪I'll Cry Instead♪/♪I'm Happy Just To Dance With You♪【米;2週25位/95位】
 13.1964(昭和39)年07月20日(mon) 09 05 Capitol 5235 ♪And I Love Her♪/♪If I Fell♪【米;2週12位/53位】
 14.1964(昭和39)年08月24日(mon) 10 06 Capitol 5255 ♪Slow Down♪/♪Matchbox♪【米;2週17位/2週25位】
 15.1964(昭和39)年11月23日(mon) 11 07 Capitol 5327 ♪I Feel Fine♪/♪She's A Woman♪【米;3週1位/2週4位】
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 http://yokono.co.uk/collection/beatles/usa/single/usa_single.html
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%81%AE%E4%BD%9C%E5%93%81
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1964(昭和39)年07月06日(月) ロンドンのパヴィリオン劇場で映画『ハード・デイズ・ナイト』が初公開
2017(平成29)年07月06日(木) 執筆者:藤本国彦
いつも走ってる――ビートルズの初主演映画『ハード・デイズ・ナイト』のイメージを一言で言ったら、こんなふうになるだろうか。
まだアルバムを2枚しか発表していないイギリスの「新人」バンドなのに、ほぼデビュー1年後に主演映画も制作されるのだから、ビートルズは当時すでにイギリスでは最も人気のあるグループになっていた、ということだろう。とはいえ、いまじゃ信じられないけれど、ブームは一過性のものと見られていた。これはビートルズに限ったことではなく、売れるアイドルが出てきたら、商品として稼げるだけ稼ごうとプロの商売人が群がってくる。アメリカの「エンターテインメント業界」から見れば、いつ消えていなくなるかわからない存在でもある。予算56万ドル足らずのモノクロ映画というのは、妥当な判断だったに違いない。
思うに、ビートルズはいつも運を味方につけていた。この時も低予算のモノクロ映像で、人前で演技するのももちろん初めて。そうした安手の「素人くさい」作品として仕上がったのが、結果的に大きな効果を生んだ。日常そのままの4人のありのままの1日が生き生きと描かれた作品となったからだ。
50年代半ばにイギリスに移住したアメリカ人のリチャード・レスターがアメリカ人のプロデューサー、ウォルター・シェンソンの依頼で監督を務め、脚本はリヴァプール出身のアラン・オーウェンが手掛けた。監督のリチャード・レスターが、彼らの魅力を肌で理解していたのも良かった。レスターはこんなふうに言っている。
「映画はその時代を映す鏡なんだ。僕の前には、映すのにもってこいの素晴らしいイメージがあった。彼らのエネルギーと独創性だ」。
こうして映画制作は、 
●1964(昭和39)年3月2日(月)から4月24日(金)にかけて、彼らの同名のサード・アルバムのレコーディングと並行して行なわれた。撮影の合間に急遽必要になった映画のタイトル曲は、リンゴのつぶやきをヒントにジョンが書き上げ、4月16日にレコーディングされた。
映画『ハード・デイズ・ナイト』は、1964(昭和39)年7月6日(月)にロンドンのパヴィリオン劇場で初公開された。ロンドンで行なわれるテレビ・ショーに出演するビートルズの2日間をドキュメンタリー・タッチで追ったこの瑞々しいモノクロ映像作品は、日本でも同年8月1日に公開された。当時の邦題は、もちろん『ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!』である。
結果的に、イギリスならではの風刺・諧謔・ユーモアをまぶした内容は、セリフや性格を含めてビートルズの4人を等身大に伝えているかのように観る者には伝わった。スクリーンに飛び込もうとするファンが続出したという話は日本でもニュースとして報道されたが、それは、インターネットで気軽に動画を楽しめるような時代ではなく、情報すら伝わるのが遅い64年当時情報、「動く生身の4人」を観られた衝撃がどれほど大きかったかを物語るものでもあった。
そして64年 、まさに“A Hard Day's Night”を地で行くような1年間を体験した“England's Phenomenal Pop Combo”(イギリスで社会現象にまでなったポップ・コンボ)は、アメリカで最初の頂点を迎えたのだった。
 ≪著者略歴≫藤本国彦(ふじもと・くにひこ):CDジャーナル元編集長。手がけた書籍は『ロック・クロニクル』シリーズ、『ビートルズ・ストーリー』シリーズほか多数、最新刊は『GET BACK… NAKED』(12月15日刊行予定)。映画『ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK』の字幕監修(ピーター・ホンマ氏と共同)をはじめビートルズ関連作品の監修・編集・執筆も多数。最新刊は『ビートルズ語辞典』。  
 http://music-calendar.jp/2017070601

 1964年に書かれたBEATLESのサイン
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‡1964(昭和39)年3月2日(月)~
 1964(昭和39)年3月6日(金)の間に行われた映画「A HARD DAY'S NIGHT」の撮影中にロンドンのEaling駅で書かれたサインです。サインは紙片に4人とも青のボールペンで書いています。紙片のサイズは14.5cm x 10cm。コンディションは、書かれた紙は折畳み跡、経年ヤケ、シミありますが、サインが書かれている箇所はますます良好です。サインをもらった方の手紙付きです。額のサイズは56.5cm×44.5cm。
 http://www.tracks-japan.com/autograph/beatles-autograph.html

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