過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日の浜省さんとetSETOraだヨ(=^◇^=)

 

 君が人生の時…
 CSCL-1165 1979/12/05 released

  ミス ロンリーハート

  ステージ降りてきた時に 君は楽屋のドアにもたれて
 冷えたビール 僕にわたして「よかったわ」と微笑んだ
  ステージ後の寂しさ 吹き飛ばそうと 街へ出かけた
 陽気なバンド仲間達と 車に乗り込んで

  どこから来たの? Miss Lonely Heart
 こんな夜は傍にいて欲しい
 優しい男達が君の耳もとでささやく
 恋のかけひき 苦手な僕は ただ遠くで見てただけ

 束ねた髪をほどいて グラスかたむける君を見てると
  めまいする程 せつなくなる 寂しさのせいかな

  どこから来たの? Miss Lonely Heart
 こんな夜は傍にいて欲しい
  でもいつの間にか 君 他の誰かの腕の中で踊り続ける
  そして いつしか どこかへ消えていった 
70年代の終わりの頃からCMとタイアップしてシングルをヒットさせるという方程式が音楽業界の中に出てきたんですよね。オレも幾つかのCMソング候補にと曲を作ったのですが、苦労は報われずボツってたんですよ。「カップヌードル」のCMソング候補の話が来た時も、どうせ今度もボツだろうと思っていました(笑)。ところが、採用ということになったんです。作詞家の方が書いて下さった歌詞にかなり手を加えた、というか殆ど書き換えた感じでしたね。「簡単に出来る食品」ということで「イージー / Easy」という言葉を入れて欲しいということだったのですが、「EASY」を歌詞の中に入れるのは簡単じゃ無かったですね(笑)。
1979年の夏、CMソング『風を感じて』がTVオンエアーされ、大ヒットではありませんでしたが、それまでの状況を考えると、ビルの谷間に朝陽が昇るって感じで…(笑)。TVにも数回ですが出演して、TVの歌番組がどういうものか学習しました。結果、この頃はライブの本数も年々増えていた頃なので、面倒なTVの世界に関わることはやめて、ライブだけで生きていこう、と決めたのもこの時期です。『風を感じて』の良い反応が消えないうちに、新しいアルバムを早くリリースしよう、ということで1979年12月にリリース日が設定されました。
最近になって気づいたんだけど、“Illumination”から“Mind Screen”のリリース期間が8ヶ月、“Mind Screen”から『君が人生の時…』までが7ヶ月、その後の“Home Bound”までが10ヶ月なんですよ。これって凄いスケジュールですよね(笑)。その間かなりの本数ライブもやってますしね。当時、歌詞が書けなくて、「オレって枯渇したかも…」「失語症かも…」なんて煮詰まっていたのだけど、「2~3年の間に4枚のアルバム・リリースだもの、そりゃぁキツイ!」ということが判明しました(笑)。ましてやリズム・セクションのレコーディングまでに歌詞を含めて楽曲を完成させることなんか出来っこないです(笑)。「レコードって記録するってことだから、完璧じゃなくても、今のままを録音すればいいんだよ」と励ましてくれたディレクターの須藤晃くんの言葉。「なるほど、いいこと言うな」と納得してましたが、今思うに、納得いくまで推敲している余裕は無かったってことですよね(笑)。実際、明日リズム・セクションのレコーディングなのにメロディーさえ出来ていない、そういう状況が『君が人生の時…』のレコーディングの時にありました。
伊豆にあるスタジオでリズム・セクションの録音前日、まだメロディーが3曲足りないということで、近くにあるスタジオの宿泊施設で曲作りをしたのをよく覚えています。今まででこの曲作りの時が一番悲惨というか、もうそれを通り越して、ほとんどコメディーと言っていい一夜でした。宿泊所の居間に須藤くんがいて、オレがメロディーを完成させるのを待っている。隣の寝室でオレはギターを弾きながら唸っている。水谷さんと鈴木さんはスタジオで仮眠しながら待っている。明け方にやっと3曲出来て、水谷さんにメロディーとコードを渡して、オレはスタジオの隅に倒れこむように寝てしまった。あくる日、エンジニアやミュージシャン達が到着し、レコーディングが始まった。その三つのメロディーの内のひとつが『君が人生の時…』です。まさに人生の時でした(笑)。
でも、次のアルバムをリリース出来るということが決まっているわけだから、そういう意味では恵まれているし、有り難いことでした。それに、当時のリリースのタイミングというのはそんな感じだったんですよね。同じレーベルのシンガーやバンドのリリース日、プロモーション・プランや予算の配分…そのような要素からリリース日が決められていたのだと思います。決して当時の制作スタッフのせいにしているわけではありません(笑)。みんなまだ若く、共に学習しながら、一緒に闘っていたのです。
このアルバムの歌詞を書くに際して、オレは比喩や暗喩を用いて表現される、いわゆる「文学的な詩」というのは、読むにはいいけど、歌詞に関しては自分の好みでは無い、ということに気づき始めていて、普段使っている言葉で、自分が経験したことを、日々の生活のひとコマを、つまり「人生の時」を、映像的なタッチで書こうと思いました。音楽を始めた学生時代の話、ステージが終わった後の楽屋の風景、演奏旅行先のホテルの部屋…そのようなことが歌詞のモチーフになっています。そして、自分自身でアルバムの歌詞を全曲書けたことが何よりの収穫であり、転機であったと思います
この頃にはツアーらしきものも始まり、ステージはバンドと一緒にやってました。ドラムの鈴木俊二くん、ベースは岡嶋善文くんから江澤宏明くんへ、ピアノは西本明くんから板倉雅一くんに、オルガンは一戸清くん、ギターはもちろん町支寛二くんです。まだ皆若くてね、やんちゃしてましたね(笑)。振り返ると、この頃のツアーの日々が一番楽しかったかもしれません。観客の数はどこの町も数百人で、客席はガラガラでね。テレビのヒット・チャート番組では沢田研二さん、原田真二くん、甲斐バンド、サザンオールスターズといったシンガーやバンドが脚光を浴びているのに、オレ達は空席だらけのホールで毎晩演奏していました。でも、楽しかった。オレはこれでいいんだ!って思い始めたんですよね。色んな町へ出かけて行って、汗だくで演奏して、食べて、飲んで遊んで、いつもボロボロになって東京に帰ってました(笑)。 
https://shogo.r-s.co.jp/disco/album05.html


 君が人生の時・・・A面音源◆https://youtu.be/QAl7LWOZXmw?list=PLmQIzKRWaBRVKeNybQkJZ-HqXg6GWrU0e
 
 君が人生の時・・・B面音源◆https://youtu.be/cmLBbCNeM3M?list=PLmQIzKRWaBRVKeNybQkJZ-HqXg6GWrU0e
 

  https://www.youtube.com/playlist?list=PLmQIzKRWaBRXvAjoIwvtD17ZvXeImazSN
1 浜田省吾 ラジオ番組 君が人生の時 81 1  27:20
 ①ラストショー 
 ②愛という名のもとに 
 ③モダンガール 
 ④愛の世代の前に
 ※『愛の世代の前に』特集1981 岩手と山形と静岡と福島と兵庫と広島の6県ネット。〒153東京都目黒区下目黒1-2-5堀グループ目黒ビル3Fカレイドスコープ『浜田省吾 君が人生の時・・・』 
2 浜田省吾 ラジオ番組 君が人生の時 81 2  23:27
 ①土曜の夜と日曜の朝 
 ②陽のあたる場所 
 ③悲しみは雪のように
 ※ON THE ROAD'82春のツアー 夢番地が広島市民球場を借りてshogoがBASEBALL KIDになったお話 
3 浜田省吾 ラジオ番組 君が人生の時 81 3  27:57
 ①モダンガール 
 ②ラストショー 
 ③朝のシルエット 
 ④防波堤の上
 ※ドライブに合う音楽がある話。 
4 浜田省吾 ラジオ番組 君が人生の時 81 4  27:57
 ①愛の世代の前に 
 ②悲しみは雪のように 
 ③今夜こそ 
 ④愛という名のもとに 
 ※未亡人で子連れでライヴに行く野口さんに②を贈る。※ 
5 浜田省吾 ラジオ番組 君が人生の時 81 5  21:09
 ①あばずれセブンティーン 
 ②悲しみは雪のように 
 ③路地裏の少年 ※中高生の非行、親父を蹴飛ばした話。※③路地裏の少年♪22歳の最後の夜に作った歌と御紹介の省吾3(=^◇^=) ※回転数?カセット再生が若干遅れ気味で、スローダウンでアイムダウン 
6 浜田省吾 ラジオ番組 君が人生の時 81 6  26:41
 ①HIGHSCHOOL R&R 
 ②涙あふれて 
 ③さよならにくちづけ 
 ④東京。 ※①♪HIGHSCHOOL R&R♪をShogoが一緒にハモるぶちレア。ギター青山徹と叫ぶ。※ 
7 浜田省吾 ラジオ番組 君が人生の時 81 7  30:15
 ①センチメンタルクリスマス 
 ②悲しみは雪のように 
 ③ラブトレイン ※年末の話
8 浜田省吾 ラジオ番組 君が人生の時 81 8  26:23
 ①ロックンロールドール♪烏丸せつこ 
 ②ジンクス♪烏丸せつこ 
 ③街角の天使 ④バラード♪烏丸せつこ ※ゲストは烏丸せつこ様。チマタの噺【鶴瓶がハイテンションすぎる女優・烏丸せつこに脱帽】 6月14日 full https://youtu.be/Y-U_3z5DFoA 
9 浜田省吾 ラジオ番組 君が人生の時 82 9  27:28
 ①HIGHSCHOOL R&R 
 ②反抗期 
 ③明日なき世代) ※1981.12.4大阪厚生年金会館の快感音源。※西暦1982年初の放送。FUSEがゲスト。♪あいつと暮らした半年まるで刑務所みたいで がんじがらめの鎖で 手かせ足かせ 初めて恋した痛みに胸は張り裂けそうで おっ母♪ 
10 浜田省吾 ラジオ番組 君が人生の時 82 10 29:05
 ①愛の世代の前に 
 ②朝のシルエット  
 ③悲しみは雪のように 
 ※2回目ゲスト出演はFUSEです。 
11 浜田省吾 ラジオ番組 君が人生の時 82 11  27:08
 ①涙あふれて 
 ②モダンガール 
 ③子午線 ※
12 浜田省吾 ラジオ番組 君が人生の時 82 12  27:08
 ①東京 
 ②陽のあたる場所 
 ③愛の世代の前に ※1982.1.12日本武道館の速報報告
13 浜田省吾 ラジオ番組 君が人生の時 82 13  26:28
 ①ラブアイランド♪山下達郎 
 ②ホットロッドホット♪ロビーリプリィ 
 ③ カナリア諸島にて♪大瀧詠一。※が人生の時・・・♪じゃなく♪二人の夏♪浜田省吾本人が夏の気分で進行していきたいとのことによる誰がため。※♪ON THE ROAD♪録音を朝5時まで朝10時からサイパンへ旅立ちの朝。※サイパンのお話。 
14 浜田省吾 ラジオ番組 君が人生の時 82 14  11:22
 ①ON THE ROAD 
 ②HOLD i'M COMIN' 
 ③STAND BY ME 
 ④BABY 
 ⑤IN THE MIDNIGHT HOUR 
 ⑥KNOCK ON WOOD 
 ⑦WHEN A MAN LOVES WOMAN 
15 浜田省吾 ラジオ番組 君が人生の時 82 15  27:37
 ①あの娘は僕の大事なべぇいびぃ 
 ②二人の夏 
 ③夢にいざなえ 
 ④恋の西武新宿線 ※AIDOの回。※つなぎが♪AIDOのテーマ ♪。※カセットの回転数が速いヨ(=^◇^=) 
16 浜田省吾 ラジオ番組 君が人生の時 82 16  28:49
 ①当時の新曲♪ON THE ROAD 
 ②ミス・ロンリー・ハート 
 ③MIDNIGHT BLUE TRAIN(『ON THE ROAD』1982アルバムより) ※
17 浜田省吾 ラジオ番組 君が人生の時 82 17  22:45
 ①あの頃の僕 
②さよならにくちづけ ※江田島のお話だヨ(=^◇^=)。
18 浜田省吾 ラジオ番組 君が人生の時 82 18  23:25
 ①シアトル行き最終♪リンダ 
 ②恋に気づいて 
 ③君に会うまでは ④行かないで ※この放送をやっているのは、東京プリンスホテルの近くで録音、小麦色のマーメイドの肌の女話。※EDISON=渡辺君、後にマリファナで逮捕され消息不明。※『LOVE TRAIN』を3カ月聴かなかった 
19 浜田省吾 ラジオ番組 君が人生の時 82 19  23:21
 ①涙あふれて 
 ②グッドナイト・トーキョー 
 ③恋人達の舗道 
 ④片想い ※蒼ざめた『イルミネーション』特集。※1982年の夏のお話 
20 浜田省吾 ラジオ番組 君が人生の時 82 {最終回} 20  28:35
 ①愛の世代の前に 
 ②路地裏の少年 
 ③MIDNIGHT BLUE TRAIN 
 ※つなぎは♪東京♪ ※曲は全て武道館『ON THE ROAD』より ※約半年後に発売する『約束の地』の話 
21 浜田省吾 君が人生の時… (1979 Remade in 2015) 6:58
  https://www.youtube.com/playlist?list=PLmQIzKRWaBRXvAjoIwvtD17ZvXeImazSN


 https://www.youtube.com/playlist?list=PLlUC7qgEhzh1r7WWokREpOw4qQzCtxLKV
 浜田省吾 ラジオ番組 君が人生の時 82 {最終回} 20 
 浜田省吾 ラジオ番組 君が人生の時 82 19 
 浜田省吾 ラジオ番組 君が人生の時 82 18 
 浜田省吾 ラジオ番組 君が人生の時 82 17 
 浜田省吾 ラジオ番組 君が人生の時 82 16 
 浜田省吾 ラジオ番組 君が人生の時 82 15 
 浜田省吾 ラジオ番組 君が人生の時 82 14 
 浜田省吾 ラジオ番組 君が人生の時 82 13 
 浜田省吾 ラジオ番組 君が人生の時 82 12 
 浜田省吾 ラジオ番組 君が人生の時 82 11 
 浜田省吾 ラジオ番組 君が人生の時 82 10 
 浜田省吾 ラジオ番組 君が人生の時 82 09 
 浜田省吾 ラジオ番組 君が人生の時 81 08 
 浜田省吾 ラジオ番組 君が人生の時 81 07 
 浜田省吾 ラジオ番組 君が人生の時 81 06 
 浜田省吾 ラジオ番組 君が人生の時 81 05 
 浜田省吾 ラジオ番組 君が人生の時 81 04 
 浜田省吾 ラジオ番組 君が人生の時 81 03 
 浜田省吾 ラジオ番組 君が人生の時 81 02 
 浜田省吾 ラジオ番組 君が人生の時 81 01 
 https://www.youtube.com/playlist?list=PLlUC7qgEhzh1r7WWokREpOw4qQzCtxLKV
 https://www.youtube.com/playlist?list=PLlUC7qgEhzh1r7WWokREpOw4qQzCtxLKV
「セイヤング」他、ラジオの中の省吾さんhttp://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2429&id=64844352

『君が人生の時・・・』http://shogo21.jugem.jp/?page=1&cid=10

 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓1987(昭和62)年8月24日(月)
 ┃ NHK-FM『マイ・セレクション』DJ 浜田省吾 ┃    ON AIR 日
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛http://www.uta-net.com/song/78347/
  1979(昭和54)年[26歳] M06.♪風を感じて♪   http://www8.big.or.jp/~most/bbs/nfm5.html
  音源◆浜田省吾 ラジオ番組 マイ・セレクション Vol.① https://youtu.be/9ZBvEBwQ-ns
  
  ※これは1987年8月にNHK-FM『マイ・セレクション』という番組で放送されたものから、にゃみこさんがテープ起こし&タイプ打ちしたものです。14曲分、いきまっせ~~~!! 
  ■1979(昭和54)年[26夏] ♪グッド・ナイト・エンジェル♪終わって)・・・・・
この頃は町支のコーラスもまだまだシンプルで、なかなか、なかなかって感じですが・・・。
えー、26歳の夏だったと思うんだけど、友達にナシキ君と、中原君というのがいて、高校時代の友達で、すっごい仲が良かったのね。でー、ナシキ君はバスケット・ボール部のキャプテンでねぇ、女の子に凄くもてた。中原君は、えー、チョッとお金持ちの息子で、ちょっとニヒルなところがあって、やっぱり女の子にもてた。俺は野球部で丸坊主で、あんまり女の子にもてなかったんだけど、とにかく仲が良かった。で、久しぶりに会ってねぇ。赤坂のビルかな? 上にビアガーデンがあるんだけど、そこにビールを呑みに行った。でー、26歳だから、俺はまー、そんなにまだ芽が、そのー、出てなかったんだけど、ミュージッシャンとして、まあまあやり始めたところで。ナシキって奴は、九州大学の理工学部を出て勤めていた。で、中原は、早稲田へ行って、えー、あのー、アルジェリアとかねぇ、留学したのね、1回。フランスに留学して、そのまま、あのー、向こうに住んで、アルジェリアとか、もう70何カ国かなぁ? アフリカ、インド、あっちこっちを回って放浪の旅をしている真っ最中で、久しぶりに会ってねぇ。みんなで会って、そのー、話をしたわけね。ナシキはナシキで、俺と中原のことを、「お前達はいいなぁー。 中原お前はあっちこっち旅行して、気ままに人生を送って。で、浜田は浜田で好きなことやって。俺なんか毎日今日も・・・」その日もねぇ、あのー、白いシャツにネクタイをしてたんだけど、「こんな暑い日もネクタイして・・・」とか言ってる。で、中原は、「イヤー、そんなこと言っても浜田やナシキはもうやることが決まっていて、ビッシリ歩いているけど、俺なんかまだフラフラしている。今からまた俺は大学に戻って、今度は建築の方をやろうかと思っているんだ・・・」とか言ってる。で、俺は俺で、「中原は気ままであっちこっち行って・・・」とかねぇ、「ナシキはほんとにもう将来設計もしっかりして・・・」10歳ぐらい年下の女の子と付き合ってたんだけど、その後に結婚しましたが、えー、「いい彼女もいて・・・」とかねぇ。お互いが、お互いの人生をねぇ、えー、確かめ合ったというかねぇ・・・。俺って本当にこれで良かったのかなぁ、なんてね。丁度26位ってそんなこと、みんな思うのかなぁ?そんな感じのビアガーデンの夜、っていうのはいまでも覚えていて・・・。夏になるとねぇ、あいつらいったい何をしてるかなぁー、なんてね、思ったりします。で、その夏、夏だったかなぁ、多分夏だったと思うんだけど、やっと俺もヒットらしいヒットというのが、まあ、たいした事なかったんだけど、出た。それがこの曲です。しばらくはCMソングだっていうんでねぇ、スゴイ抵抗があって、ステージで歌わなかったんだけど・・・。あのー、なかなか、今になってみりゃぁ、(フッ)いーんじゃぁないんか、って感じで・・・『風を感じて』
・・・・・(『風を感じて』が流れ始める・・・・) 


 ♪4年目の秋♪http://d.hatena.ne.jp/tk1968/20110920/1316521147

 23.今夜はごきげん◎調査中 19XX.XX.XX広
 http://www.flashandshadow.com/shogo/el/i_el_index.html

 いつかもうすぐ(弾き語り)http://youtu.be/qdOpxgPHVqM
【日付不明・ラジオ局不明】1980年頃アルバム「君が人生の時・・・」発売後のスタジオライブより
 ★いつかもうすぐ(弾き語り)★いつかもうすぐ ★とぎれた愛の物語

1979年12月に出された5枚目のアルバム「君が人生のとき・・・」に収録された曲です。
 浜田さんの歌にはめずらしく、他の人の作曲です。
 作曲は、イアン・タイソンという人で、原曲はイアン&シルビアというグループが歌った「Someday Soon」という曲です。
 浜田さんは、ジュディ・コリンズが歌ったバージョンのこの曲が好きで、あるインタビューでは、「エンドレステープに録音して聞いていた」と話しているほどです。それで、自分で歌いたくて日本の詞を自分でつけたそうです。
 浜田さんがDJをやっていた番組では、この曲について次のように話しています。
 「ふとしたきっかけ、車の中でこの曲を聴いて、ずっと何という曲だろうと捜し続けてやっと誰の曲かわかって、レコードを捜しまくって、買って、一日に20回くらい聴いて、英語で歌詞を覚えて、それでも飽きたらず、自分で日本語の歌詞をつけて、ステージでも唄っている歌で、21の男の子がコロラドからやってきて、自分を・・・女の娘が歌う歌なんだけど・・・自分をカリフォルニアに連れてってくれ、一緒にいこう、パパやママが反対するけど・・・っていう、可愛い歌なんです」
 調べてみたら、最近のツアーでは、「ON THE ROAD 2006-2007」の昨年11月の横須賀芸術劇場でのコンサートで、浜田さんはこの歌を歌ったようです。
 最近のコンサートで、この歌はあまり聴かないと思うのですが、やはり、横須賀といえば米軍基地。同じ米軍基地のある岩国を歌ったこの歌を取り上げたのでしょう。
 そのときのコンサートで、浜田さんは概ね次のように話したそうです。
 「大学時代(神奈川大学)、横須賀に遊びに来たことがあります。予備校生の時は、岩国の米軍基地のそばに住んでいたから、横須賀は馴染みのある場所です。当時は、ベトナム戦争が終る少し前くらいで、岩国はすさんでいました。アメリカの若者は、当時はまだ徴兵制で、無理やり戦場に行かされていたんです。だから岩国には、脱走する若い兵隊もいて、そんな兵隊さんたちを匿ってくれるカフェがあったんです。そのカフェに知り合いの女の子が働いていました。俺が18歳で、その女の子が17歳でした。反戦デモにもいっしょに参加していました」
 そして、この曲を弾き語りで歌ったそうです。
 それでは、どうぞ。
 浜田省吾で、「いつかもうすぐ」です。
 http://pochicoro.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/shogos_words_no_3630.html
 
 1977(昭和52)年の今日、キャンディーズの「わな」がリリース。ミキが初めてセンターを務める
 2015(平成27)年12月05日(土) 執筆者:寺田正典
 キャンディーズのシングル曲の中で音楽的に最も高度な一曲ではないかとも言われる「わな」は、1977年の今日、
 1977(昭和52)年12月05日(月)にリリースされた。
 1977(昭和52)年07月17日(日) 衝撃の解散宣言から約5カ月後、ファンも彼女たちも翌年の解散コンサートに向け異常な心理状態に入りつつあった時期に発売された16枚目のシングルであり、それまでシングルでは“センター”を務めたことがなかったミキがラン、スーの後押しもあって初めて真ん中に立ち、メイン・ヴォーカルを任されることになったエピソードで知られる一曲だ。作曲は「年下の男の子」「春一番」といったキャンディーズの代表曲を手がけた穂口雄右が久々に担当。時期的にも彼女たちの最終シングルではないことはわかっていたが、穂口自身は自分がキャンディーズに書く最後の曲になるかもしれないと考え、そのつもりで臨んだ仕事だったという。当時のCBS・ソニーの担当プロデューサー、酒井政利からはこう依頼されたとか。「キャンディーズは最近とっても綺麗になりました。キャンディーズがもっと綺麗に見える作品をお願いします」。そこには「食べてしまいたいくらい可愛い」からという理由でキャンディーズという名前をもらった3人が大人の女性としての美しさを身につけつつあり、それをさらに引き立てるような楽曲を!という含意があったのだろう。その言葉に「創作意欲を書き立てられた」と語る穂口は、音楽的にも「大人」の曲をと考えたようだ。勿論、久しぶりに組んだ彼女たちは、それを充分こなせるだけの実力を身につけていた。そうして作られた曲「わな」は、右チャンネルで躍動する斎藤ノブ(現在は斉藤ノヴ)のコンガの響きからも明らかなようにラテン的ニュアンスの強い曲調。編曲も担当した穂口が指名した優秀なスタジオ・ミュージシャンたちのスケジュールをまとめて押さえるのはかなり困難だったという。しかも、せっかく押さえた時間に、交通渋滞のためドラマーの林立夫が遅刻を余儀なくされるという事態が発生。やむなく選択された方法が「ドラムレスでのリズム録り」で、1時間半遅れでスタジオに到着した林立夫はそこへのドラムスのオーヴァーダビングを1テイクで成功させたという。出来上がったリズム・トラックは独特の緊張感が溢れるものに仕上がったが、それを可能にした林立夫の高いスキルの中に、キャラメルママ~ティン・パン・アレーのドラマーとして細野晴臣や大滝詠一との活動の中で鍛え上げられてきたニューオーリンズ・スタイルをも含む高度な技の蓄積をぼくは見る。そんなミュージシャンたちの技術に応えた歌唱を聴かせるには、シングルのB面やアルバムの中で「ソフィスティケイテッド・キャンディーズ」とでも呼びたいような洗練された楽曲に次々とチャレンジしてきたミキをメインにした編成で挑むのは最良の選択だった(実際、穂口も作曲に際しては「ミキが歌っている姿」をイメージしていたと後に語っている)。歌詞も鮮烈な印象を残す。紅茶を入れるとかタマネギをむく、といった具体的過ぎるほど具体的な描写を含んでいながら仄めかし表現も多く、曲全体としては非常に難解なのだ。男と女の別れの歌らしいということはわかるにしてもその先の状況は特定しにくい。聴けば聴くほど、この具体表現と暗喩連発の間に仕掛けられた「わな」にかかってしまう。彼女たちの次の最終シングル「微笑がえし」のタイトルにつながるフレーズまで出てきており、今からだと「微笑がえし」の歌詞構造まで先取りしていたようにさえ見えるのだから恐ろしい。
『わな』写真提供:ソニー・ミュージックダイレクト 
 ソニーミュージックOTONANO『キャンディーズ メモリーズ FOR FREEDOM』スペシャルページはこちら>
 http://music-calendar.jp/2015120501

 1977(昭和52)年の本日、ピンク・レディーの「UFO」がオリコン・チャートの1位を獲得
 2017(平成29)年12月19日(火) 執筆者:丸芽志悟
 1977(昭和52)年12月19日(月)、の本日、オリコン・チャートの1位に立ったのは、ピンク・レディー6枚目のシングルとなる「UFO」である。またも私事で恐縮だが、先日開催した「歌のない歌謡曲」のレコードをかけまくるイベントでこの曲のカラオケ・ヴァージョンを流したところ、当時まだこの世に生まれていなかったダンサーA嬢が、嬉々として「あの振り」をやりながら歌い始めるという光景が展開され、特大ヒット曲の持つ神秘的な力を思い知らされたばかり。それだけ、「ピンク・レディーの新曲がリリースされること」は当時を生きて来た者にとってはわくわくする事件であり、無意識のうちに次の世代へと遺伝されてきたわけである。特にこの曲の場合は、ときめき状態MAXのタイミングだったことを否定のしようがない。前週1位の座に立っていたのは、テレビ的狂騒と無縁の場所にいながら万人の心を揺さぶった中島みゆきの初の自唱大ヒット曲「わかれうた」だったが、その更に1週前にはPLの「ウォンテッド(指名手配)」がなんと12週目の1位をキープしており、その前の1位曲は驚くなかれ、PLの「渚のシンドバッド」だったのである。まさに社会現象。「UFO」の1位は翌年
 1977(昭和53)年02月20日(日)になるまで続き、その後もしばらく、PL以外が1位を奪ったと思ったらその倍の期間PLが1位を奪い返すという状態が続くことになる。もっとも、「サウスポー」「モンスター」「透明人間」と続く1978年は、狂騒というより安定の時期、と見た方がいいか。この曲に関して個人的に最も思い出深いのは、最早周知の事実となった「シングルとアルバムのヴァージョン違い」である。他にも、おなじみビクターのレーベルがこの曲から新しいデザインに変わったこととか、「UFO」の一般的な読みがいつから「ユーフォー」になったかとか(ちなみに焼きそばUFOの発売は前年からで、この曲のヒット後PLがCMキャラクターとして起用された)、興味深いポイントがいくつもあるけれど、追求してたらきりがない。当時よく聴いていたFMの音楽番組でPLの近日発売の新曲が流れるというので、ワクワクしてテレコの録音ボタンを押して、レコードが出るまで何度も聴いた。この方法では「振り」を覚えることはできないけれど、予習することでなんとなく優越感を感じたものだった。そして、やっとの思いでレコードを買って、聴いてみたら、なんかイメージが違う。エアチェックしたカセットとの音質の違いとか、そんな大味なものではない。しかし、その「違い」を知った時、ちょっと大人になったような錯覚がした(えヘヘ)。このシングルと同じ
 1977(昭和52)年12月05日(月)に、それまでの5枚のシングルとこの「UFO」のそれぞれ両面、そしてファースト・アルバムに入っていたミーとケイのソロ曲をまとめた初のベスト・アルバム『ベスト・ヒット・アルバム』がリリースされ、どちらかというとシングルチャートより大人な世界となっていたアルバムチャートでも10週間1位をキープするなど、一家に一枚もののヒットとなった。ヒット曲を一気に聴けるという便利さは、さしずめコンサートの疑似体験に近いものを当時のキッズ達に感じさせたのではないだろうか。ともあれ、ある日友達の家に遊びに行った時彼がそのアルバムをかけていて、謎が解けた。そこに収められたヴァージョンこそ、発売前にFMで聴いたものと同じだったのである。まず、イントロの響きが違う。アルバムヴァージョンの方がちょっときらびやかで、宇宙的なイメージを強調してある。こちらの方が「緻密にプロデュースされた」という感じがする。演奏のバランス自体は大層な違いを感じさせないが、ヴォーカルが完全に別テイク。シングル版の方が「歌い慣れている」という感じがするが、これはシングル市場での勝負を意識してのことか。つまり、どちらのヴァージョンにも捨てがたい魅力があるので、こっそりアルバムとシングルで使い分けたのではないだろうか。翌年~翌々年になると、沢田研二の「サムライ」がアルバムと後発シングルで全く違うテイクだったり、サザンオールスターズ「思い過ごしも恋のうち」がシングルカットに際して微妙にリミックスしてあったりと、ヴァージョン違いに気付くのに楽しみを感じるようにさえなっていた。その後、歌謡史を振り返ってみて、公式に世に出たレコードと違うヴァージョンがプロモーション用のレコードに使われている例を知ったり、もしくは再発CDにうっかり収録されたりというケースに何度も遭遇し、その度にニヤリとしているけれど、その道へと導いてくれたものこそこの「UFO」だった。まさに「謎の円盤」さまさまである。
≪著者略歴≫丸芽志悟 (まるめ・しご) : 不毛な青春時代~レコード会社勤務を経て、ネットを拠点とする「好き者」として音楽啓蒙活動を開始。『アングラ・カーニバル』『60sビート・ガールズ・コレクション』(共にテイチク)等再発CDの共同監修、ライヴ及びDJイベントの主催をFine Vacation Company名義で手がける。近年は即興演奏を軸とした自由形態バンドRacco-1000を率い活動、フルートなどを担当。 5月3タイトルが発売された初監修コンピレーションアルバム『コロムビア・ガールズ伝説』の続編として、新たに2タイトルが10月25日発売された。  
 http://music-calendar.jp/2017121901

 広島県江田島市大君 ユウホウ紡績工場
 http://wakiwakidonn.blog97.fc2.com/blog-entry-3452.html

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「日記」カテゴリーもっと見る