┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 『池田大作と宮本顕治「創共協定」誕生の舞台裏』 ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
2020(令和二)年08月17日(月) 著:佐高信 平凡社新書 951
2020(令和二)年08月14日(金)現在 ベストセラー1位 カテゴリ 平凡社新書
https://www.amazon.co.jp/dp/4582859518
削除動画◆最新情報!「池田大作」の現在とは?Amazon!池田大作と宮本顕治から、佐高信×朝堂院大覚の対談!【実践実学大学】https://youtu.be/eSMKaDWvhGQ
2020(令和二)年08月14日(金) YouTube公開
削除動画◆数千人とも言われる池田大作の美女愛人と個人情報の関係とは?佐高信×朝堂院大覚の対談!【実践実学大学】https://youtu.be/Jo2_M7l1MWA
2020(令和二)年08月14日(金) YouTube公開
┏━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 『池田大作宮本顕治人生対談』 ┃著:池田大作
┗━━━━━━━━━━━━━━━┛著:宮本顕治
1975(昭和50)年01月01日(水) 毎日新聞社 P.204
‡1975(昭和50)年01月10日(金) 第2刷発行
¥10,480~¥24,883 ¥257(配送料)
■関心がなければ☆は0、関心があれば資料価値は☆5つ
2013(平成25)年08月23日(金) ご隠居
1973(昭和48)年に行なわれたジャーナリスト大森実氏と池田大作氏の週刊現代での「大森実の直撃インタビュー」をきっかけに実現した“ビッグ対談”。対談は
1975(昭和50)年07月12日(土)に、ホテル・ニューオータニの山茶花荘で行なわれた。当時、毎日新聞東京本社編集局長であった五味三勇氏が企画し、1974(昭和49)年の暮れから池田・宮本両氏と折衝し半年以上をかけて実現した対談である。
1975(昭和50)年07月13日(日)付の読売新聞はこの対談に関しての自民党の「衝撃」を伝えた。
1975(昭和50)年07月15日(火)から毎日新聞紙上で、『宮本顕治 池田大作 人生対談』の連載がはじまったが、同日夜、公明党の竹入義勝委員長が池田大作氏と面談した。翌
1975(昭和50)年07月16日(水)には、青木亨副会長が『聖教新聞』に「池田・宮本会談について 人間次元で平和・文化語る」と題する一文を掲載して、対談は「組織的共闘を意味するものではない」「政治抜き」のものであると火消しにつとめた。この時点では創価学会と日本共産党との「十年協定」の存在はまだ伏せられていた。つまりこの対談は「十年協定」公表の緩衝材として位置づけられていたと思われる。対談全体としては生臭さを消したものであるが、各所に興味深い記述もあり、資料性はある。今後、この編が復刻再刊されることはないだろうし、『池田大作全集』に収録されることもないだろう。創価学会や池田大作氏について考えるための資料とはなるが、関心の無いひとにとってはほとんど無用無価値の1冊だろう。
・・・・・・・・・・・・・・・
【目次】巻頭カラー写真
◎平和について
二十年前の出会い/11
入信・入党に機縁/18
ルビコンを渡る/22
レニングラード攻防戦/26
“世界市民”の良心/29
原点としての中堂/33
共存は人類の英知/37
◎組織について
組織の理念と活力/45
真理を確信して/49
“組織嫌い”の風潮/53
組織悪はどうして/57
“人間の論理”に立って/61
組織の主人公に/65
地方の活動を尊重/69
世代の調和を重視/73
若い人材を生かす/77
次代の指導者を待望/81
◎文学について
文学を語ろう/87
『「敗北」の文学』の陰に/90
革命とロマンを/94
文学精神の衰弱/98
人間文化の多様性/102
次代を超える作品/106
自然の美と心/109
國土と民族/114
心に残る『万葉集』/117
現代の誌情/122
◎伝統文化と歴史について
伝統文化の保存を/129
“反戦万葉集”の夢/133
「西洋」と「東洋」/138
人類社会の「前史」/142
変革の歴史と人間/146
偏見なき話合いを/151
愛と良心の基底/155
◎青年と婦人について
現代青年への期待/163
婦人の地位と活動/167
開かれた家庭/171
家庭教育と父母/175
母を悲しませるな/179
◎編集注記/189~200
◎あとがき(毎日新聞東京本社編集局長・五味三勇)/201
https://www.amazon.co.jp/dp/B000J9HECO
┏━━━━━━━━━━━┓
┃『衝撃の瞬間』season4┃
┗━━━━━━━━━━━┛
①2010(平成22)年02月17日(水) ep.1「クイーンズ墜落事故」
2001(平成13)年11月12日(月) ニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港とドミニカ共和国のサントドミンゴとを結ぶ代表的なフライト、アメリカン航空587便。9/11のテロ事件から2ヵ月たった2001年12月12日、エアバスA300-605Rはいつもどおりの路線をたどるべく離陸した。午前9時16分、離陸から2分後に大きなトラブルが発生し、587便は非常事態に陥った。尾翼が機体から脱落してしまったのだ。
②2010(平成22)年01月04日(月) ep.2「タイタニック沈没事故」
1912(明治45)年04月15日(月) 遠洋航路船の黄金時代に、これまでの船をはるかにしのぐ、素晴らしい船が建造された。タイタニック号である。「不沈船」とうたわれたこの船は、技術の粋を集めて造られ、革新的でいて豪華な外観を誇った。しかし航海開始後 数日で、タイタニック号は悲劇的な最期を迎え、史上最悪の海難事故のひとつとして記憶されることになるのである。
③2010(平成22)年02月19日(金) ep.3「ミュンヘンオリンピック事件」
1972(昭和47)年09月05日(火)のミュンヘンオリンピックは、第二次世界大戦後に生まれ変わったドイツの姿を世界に披露するという意味で重要なイベントであった。しかし、開催されて程なく悲劇的な事件に見舞われたのである。9月5日午前4時過ぎ、パレスチナのテロリストたちがイスラエル選手2人を殺害、9人を人質にとった。
④2010(平成22)年02月22日(月) ep.4「空母爆発事故」
1967(昭和42)年07月29日(土)「あちこちで火の手が上がり、ともかく逃げなければと思った」 航空母艦フォレスタル艦載機のパイロットだったデイヴ・ダラハイドのこの言葉が、アメリカ軍の歴史において最悪の事故の1つを物語っている。ベトナム戦争中の1967年7月29日、デッキに積まれた6機のスカイホークのうちの1機のパイロットであったダラハイドは空爆の準備を行っていた。
⑥2010(平成22)年02月24日(水) ep.6「スマトラ沖大津波」
2004(平成16)年12月26日(日) ここ40年で最大の地震がインド洋深部で発生した。揺れは8分も続き、震源域は1600キロメートルに及び、マグニチュードに至ってはリヒタースケールの想定値を上回るほどであった。午前8時15分過ぎ、広島型原子爆弾3万発分の破壊力に値する何十億トンもの海水が、陸地に迫ってきた。数分のうちに恐るべき水の壁が陸地を襲い、通り道にあった町をまるごと飲み込んでいったのである。
⑧2010(平成22)年02月15日(月) ep.8「コメット墜落の謎」
1954(昭和29)年当時、デハビランド社は世界初のジェット旅客機を製造するなど、定期運行路線ではトップの実績を誇っていた。
‡1954(昭和29)年01月10日(日) 午前10時31分、国際線として最後の航程を終えるべくローマから飛び立った旅客機には、休暇を終えて家に戻る子供たちや有名なBBCのレポーターなど、イギリスに向かう乗客が乗っていた。
amazon・・・近年起きた世界最悪の惨事を再現し検証する「衝撃の瞬間」がナショナルジオグラフィックチャンネルに戻ってきた。再現された主要な目撃者や生還者の証言のほか、保管文書やフォトリアリスティックなCGによって、大惨事が起きるまでの混乱やパニックが明らかになる。真珠湾攻撃、パディントン駅での列車事故のほか、ボパールで起きた世界最悪の工場事故に迫る。
https://www.amazon.co.jp/dp/B07DC11ZM4
①https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%83%B3%E8%88%AA%E7%A9%BA587%E4%BE%BF%E5%A2%9C%E8%90%BD%E4%BA%8B%E6%95%85
②https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF_(%E5%AE%A2%E8%88%B9)
③https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%B3%E3%83%98%E3%83%B3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF%E4%BA%8B%E4%BB%B6
④https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%AB_(%E7%A9%BA%E6%AF%8D)#%E7%81%AB%E7%81%BD%E4%BA%8B%E6%95%85
⑥https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%88%E3%83%A9%E5%B3%B6%E6%B2%96%E5%9C%B0%E9%9C%87_(2004%E5%B9%B4)
⑧https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%A1%E3%83%83%E3%83%88%E9%80%A3%E7%B6%9A%E5%A2%9C%E8%90%BD%E4%BA%8B%E6%95%85
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%9D%E6%92%83%E3%81%AE%E7%9E%AC%E9%96%93
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃フィンセント・ファン・ゴッホよりテオ宛書簡No.065┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
1875(明治八)年 1月10日(日)『1958年版書簡集50』パリ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%83%E3%83%9B#.E6.89.8B.E7.B4.99.E3.81.AE.E5.87.BA.E5.85.B8
┏━━━━━━━━┓
┃ビートルズ友の会┃
┗━━━━━━━━┛
‡2015(平成27)年01月10日(土)にグループは作成されましたヨ(=^◇^=)
https://www.facebook.com/groups/720792321370235/about
日本武道館の初演から20年後の
2002(平成14)年01月10日(木)
2002(平成14)年01月11日(金)。
浜田省吾は、2度目の日本武道館のステージに立った。
富岡車両基地
‡2013(平成25)年01月10日 開設
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%B2%A1%E8%BB%8A%E4%B8%A1%E5%9F%BA%E5%9C%B0