映像◆『The Beatles: GetBack』The Rooftop Concert in IMAX https://youtu.be/xXNv9CwrAOk
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映画『ザ・ビートルズ Get Back:ルーフトップ・コンサート』公開劇場でCDを買うと『レット・イット・ビー/ゲット・バック』両面ジャケット・ポスターが特典に
‡2022(令和四)年02月08日(火)
映画『ザ・ビートルズ Get Back:ルーフトップ・コンサート』のIMAX劇場での公開は明日から今週いっぱいの5日間限定! そして公開劇場でCDを買うと『レット・イット・ビー/ゲット・バック』両面ジャケット・ポスターが特典になるようです。ぜひ劇場へ!
映画『ザ・ビートルズ Get Back:ルーフトップ・コンサート』公開劇場でCDを買うと『レット・イット・ビー/ゲット・バック』両面ジャケット・ポスターが特典に。ザ・ビートルズの最後のライヴとなった “ルーフトップ・コンサート” をとらえた65分の長編映画『ザ・ビートルズ Get Back:ルーフトップ・コンサート』が2月9日(水)から2月13日(日)までの計5日間、全国39か所のIMAXR シアター限定で公開されるのに合わせて、劇場の売店でザ・ビートルズ『レット・イット・ビー』〈スペシャル・エディション〉のCDを購入すると、『レット・イット・ビー/ゲット・バック』両面ジャケット・ポスターが購入特典としてつくことが決定した。特典付き対象劇場は全国22館となる(対象劇場のリストは以下に掲載)。『レット・イット・ビー』は、1970年5月8日に発売されたザ・ビートルズの最後のアルバム。『ゲット・バック』は1969年1に行なわれた「ゲット・バック・セッション」で演奏された楽曲を収録して発売される予定だったが、最終的に未発売となったもので、2021年10月に発売された『レット・イット・ビー』〈スペシャル・エディション〉には、『ゲット・バック』のステレオLPミックスが収録されて話題となっていた。また『ザ・ビートルズGet Back:ルーフトップ・コンサート』公開劇場にて、ディズニー・プラスで独占配信中の『ザ・ビートルズ:Get Back』の公式告知ポスターと、そのライヴの模様を撮影した写真で作成された公式ポスター(いずれもB2サイズ)の2種類のポスターが映画公開の5日間限定で、発売されることも発表となった(映画が公開される全39館の映画館で販売)。
■期間■
2022(令和四)年02月09日(水)から
2022(令和四)年02月10日(木)
2022(令和四)年02月11日(金)
2022(令和四)年02月12日(土)
†2022(令和四)年02月13日(日)までの計5日間
■劇場特典詳細■
『レット・イット・ビー/ゲット・バック』両面ジャケット・ポスター
・イメージ:添付の2枚のジャケット写真
・サイズ:30cm x 30cm *数に限りがありますので、なくなり次第終了となります。
■対象商品■
・『レット・イット・ビー』スペシャル・エディション スーパー・デラックス・エディション 5CD+1ブルーレイ 商品番号:UICY-79760
・『レット・イット・ビー』スペシャル・エディション 2CDエディション 商品番号:UICY-16030/31
・『レット・イット・ビー』スペシャル・エディション 1CDエディション 商品番号:UICY-16032
■特典付き対象劇場・全国22館■
ユナイテッド・シネマ札幌
109シネマ菖蒲
ユナイテッド・シネマ浦和
ユナイテッド・シネマテラスモール松戸
ユナイテッド・シネマとしまえん
109シネマ木場
T・ジョイPRINCE品川
109シネマズ二子玉川
109シネマズグランベリーパーク
109シネマズ川崎
横浜ブルク13
109シネマズ湘南
ユナイテッド・シネマ豊橋18
イオンシネマ大高
109シネマズ名古屋
109シネマズ大阪エキスポシティ
109シネマズ箕面
ユナイテッド・シネマ岸和田
広島バルト11【IMAX】19:00~20:15 シアター10
シネマサンシャイン衣山
ユナイテッド・シネマキャナルシティ13
ユナイテッド・シネマPARCO CITY 浦添
■劇場販売ポスター情報■
・The Beatles Get Back B2 Poster (USZZ-15487) 1,650円(税込)*商品画像添付 縦728mm x 横515mm 用紙:コート135kg、つやアリグロスニス表面仕上げ
・The Beatles Rooftop Concert B2 Poster (USZZ-15508) 1,650円(税込) *商品画像添付 縦728mm x 横515mm 用紙:コート135kg、つやアリグロスニス表面仕上げ
https://www.musiclifeclub.com/news/20220208_04.html
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┃『THE BEATLES GET BACK』┃
┗━━━━━━━━━━━━┛Disney+
2021(令和三)年11月25日(thu) Part 1: Days 1?7
2021(令和三)年11月26日(fri) Part 2: Days 8?16
2021(令和三)年11月27日(sat) Part 3: Days 17?22
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https://en.wikipedia.org/wiki/The_Beatles:_Get_Back
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■『ザ・ビートルズ:Get Back』伝説の復活に、熱いコメントが続々!※敬称略
ピーター・バラカン(ブロードキャスター/ラジオDJ)『Let It Be』というアルバムが1970年にイギリスで発売された時、デビューの時から、ずっとリアルタイムで聴いていた、かなりのビートルズファンでした。ただ解散が決まっていて、なんとなくシラけたムードの中だったので、正直言って、そんなに好きなアルバムではなかったです。今回の『ザ・ビートルズ:Get Back』は予告編を観ましたが、「え、こんなに違うのか!」ってびっくりする程です。トーンも明るいし、なんか冗談を飛ばしあっているような雰囲気で、あのアルバムがどのようにして出来上がっていったのかを覗かせてもらえるというだけでも、ワクワクしてきます!
和田唱(TRICERATOPS)予告編を何度見たか!伝説のGET BACKセッションが、こんな綺麗な映像で、全世界の人間が平等に見たことのない未公開シーンだらけの作品として、6時間にも渡って公開される。演奏シーン満載の密着ドキュメントを6時間!ビートルズの活動期間中も解散後の50年間も、こんなこと一度もないのだ。こういう大プレゼントをタイムカプセルに入れておいてくれたビートルズ....やっぱりすごい。皆さん、共にじっくり味わいましょう!
真島昌利(ザ・クロマニヨンズ)映画「Let It Be」には秋から冬の寒さを感じましたが、この映画「Get Back」からは春の匂いを感じます。ジョンもポールもジョージもリンゴも楽しそうでよかった、よかった。どんどはれ。
武部聡志(音楽プロデューサー)成功を収めたバンドが、解散ムードが漂う不穏な感じかと思いきや和気あいあいとした雰囲気で、最後に向かっていくとは思えない輝きを感じました。このドキュメンタリーを見ると「Let It Be」にしても「Get Back」にしても曲の持つ意味がちょっと違う感じで聴こえてくる。そして、彼らの名曲は今でも色褪せず、若いミュージシャンに影響を与え続けていることに改めて感心しました。素晴らしいドキュメンタリー作品です。
松尾 レミ(GLIM SPANKY)(ミュージシャン)まるで同じ空間にいるかの様な、部屋の隅から覗き見しているかの様な距離の近さと鮮やかな映像に、ファン心が掻き立てられます。素の表情、リアルなレコーディング風景、素敵なファッションなど、至る所に魅力が溢れていて早く見たすぎる!
安田顕(俳優)世界中で公開された世界一のバンドの映画が正式に観られなくなってからどれ程の月日が経ったんでしょう。彼らがいた、あの日あの場所へ、共に戻れるこの日が、遂に来ました。ずっと観たかったあの時の彼ら。誰も観たことのない素顔の彼ら。伝説の真実。お腹いっぱい、いただきます。
糸井重里(「ほぼ日」代表)ピーター・ジャクソン監督の「予告篇」を見たとき、想像してなかった明るさにうれしい驚きがあった。映画『Let it be』は沈鬱で、これじゃ解散してもしょうがないと納得できるような内容だったからだ。しかし、どうやらそういうものではなかったようだ。とにかく、これは「バンド」だ!
山田貴洋(ASIAN KUNG-FU GENERATION)(ミュージシャン)解散後に知ったビートルズの音楽は、彼らが実在してたかどうかすら朧げなままでも、少年時代の自分を虜にしていきました。数十年経ち情報量も技術も目まぐるしく発達した現代、時を超えてここまで鮮明かつリアルなドキュメントと生々しい演奏を体感できるのはまさに夢のよう。そして、これからの世代にも新たな影響を及ぼしていくことでしょう。この先、永遠に語り継がれる伝説を我々は目の当たりにしているのかもしれません。
藤原さくら(シンガーソングライター)既に何度も何度も予告動画を見てます。わたしがイメージしていた後期のビートルズより、もっとずっと、皆でふざけ合い笑いながら音楽を作っていたんだなぁ。あの時代の些細なやりとりが綺麗な映像で見れることも感激ですし、ジョンとポールが手を取ってダンスするシーンにはホロっと来ました…。もう待ち切れません!
リリー・フランキー(イラストレーター)あの時期にあのメンバーが屋上に集まっての最後の演奏になったライブを含む、未公開の映像がこれだけ大量な物量で出てくるというのは、本当にこれが最後だ 思いますし、ピーター・ジャクソン監督が、また新たにエディットしたということで、これは映画としても、大変すばらしい作品になっていると思います。ひとつの音楽、ひとつの世界を変えたグループの、最後の伝説の映像を、皆様に観ていただきたいと思っています。
YO-KING(真心ブラザーズ)(ミュージシャン)全部観れてるわけじゃないけど、メンバーが楽しそうでいい。なんか、レットイットビーって暗い印象があるから。解散間近でバラバラでみたいな。例のポールとジョージの揉めてる場面とか。レコーディングって楽しくなきゃね!いいもの作るのは二の次で、その時間を味わって楽しむことを心掛けるのが、大事だと個人的には思っている。かえって、その方がいいものができる。そんな感じがふと伝わってきて、嬉しかった。
浦沢直樹(漫画家/ミュージシャン)'70年公開の映画「Let It Be」を観た時、その険悪な雰囲気、倦怠感に、ビートルズも普通のバンドだったのか、と思ったものです。だけど、今回の明るく、創造性に溢れたビートルズを捉えた「Get Back」を観たら、まったく逆の意味で普通のバンドだったんだ!と嬉しくなりました。ただひたすら音楽が大好きな若者たちが集まった普通のバンド、ただしそれは人類史上最高にイカしたバンドだった、ということで全然普通ではないのは当たり前なんですが。今回、大量の映像と鮮明さが、伝説のベールを剥がし、本当のビートルズを観せてくれます。これを観たらまた、世界中にバンドがたくさん誕生しますね!
PUFFY(アーティスト)音があんなに前のものなのに、なんであんなに良いのだろうっていう驚きと、映像が本当に奇麗。ああいう風に、今となってはすごいレジェンダリーなバンドのレコーディング風景を映像に残しておいてもらって、よかったなって思うし、私たちもこれから思い出を残したいと思います。当時のあの雰囲気をそのまま知れる映画だなと思いましたので、是非みんなで見よう!
はっとり(マカロニえんぴつ)「ジョン!帰ってこいよ!」ポールがそう込めたGet Back。ビートルズが最後にもう一度 “バンド” になったアルバムLet It Beレコーディング。予告編・先行映像からすでに釘付けです…。しかも監督は大好きなロード・オブ・ザ・リングのピータージャクソン!ワクワクが止まらないッ。
中川絵美里(フリーアナウンサー)当時を再現した新作映画のような本当に綺麗で鮮明な映像で驚きました。私にとってビートルズは伝説的な偉大すぎるロックバンドで現実味がなかったんですが、動いている彼らを拝見できて本当に存在していたんだなと改めて実感できました。往年のビートルズファンの皆さんにとっては、思い描いていた、知っていたビートルズの歴史が変わってしまうかもしれない、それぐらいの新発見がきっとあると思いますし、ビートルズに詳しくないという方にも、新鮮な気持ちで6時間楽しむことができると思います。
ハマ・オカモト(OKAMOTO’S)信じられないぐらいの映像や音や色で、とてもあの時代のものとは思えないような蘇り方をして本当にビックリしました。本の中で読んだ世界を鮮明な映像で見られて、“こんな日が来るのか”と思っていますし、ワクワクする内容で本当に楽しみにしておりました。本当に素晴らしい技術で、蘇るべくして蘇った映像たちだと思うので、みなさんもぜひ楽しんでいただければなと思います。
亀本 寛貴(GLIM SPANKY)(ミュージシャン)後期の彼らのバンドらしい姿を多くは見たことがなかったのでとても貴重な内容ですし、予告映像だけでもライブ演奏の生々しさはやはり別格に感じました。6時間全く目と耳が離せない内容なんじゃないかなという気がします!50年以上経ってもこうしてまだまだ彼らの音楽にインスピレーションを受けて、新しい音楽が生まれてくる機会があると思うととてもワクワクします!
■感動と絶賛コメントが到着!※敬称略
宮永正隆(金沢大学オープンアカデミー ビートルズ大学学長・音楽評論家)どの場面も情報や意図が満載だ。字幕を日本語と英語と切り替えながら観てしまい、なかなか観終わらない。「こんな事が起きたらいいけど、夢のまた夢」という事をやった、このべらぼうさこそビートルズ。もはや第一世代も解散後の世代もない。我々はビートルズ年表の更新に立ち会えた幸運な世代である。実現させた配給元にも拍手喝采だ。「ビートルズとディズニーの夢の顔合わせ」とはこういう事か。胸が熱くなる。
山崎洋一郎(ロッキング・オン編集長)3篇で計6時間に及ぶ完璧なドキュメンタリー作品。これ以上にリアルなビートルズ・ドキュメントはあり得ないだろう。膨大な未公開の映像と、現在の優れたデジタルレストア技術は、まるで身近な物語のような温度感でビートルズの真実を僕らに見せてくれた。4人が、4人それぞれの誠実さで最後までビートルズであろうとする姿が胸を打つ。ピーター・ジャクソン監督に拍手を。
曽我部恵一(ミュージシャン)ロックはじめアートのすごいところは、受け手に「自分もなにかやってみよう!」と思わせること。ここにいるビートルズはぼくにまた「オレもなにかやらなきゃ!」と奮い立たせてくれた。ありがとう、ビートルズ。最高のクリスマスプレゼントだ。
藤本国彦(字幕監修担当者)半世紀以上も前に解散したのに、なぜ未だに現役感があり、魅力を全く失わないのか?お茶目なジョンや、真面目なポールや、無邪気なジョージや、寝ているリンゴなどを眺めているだけでも幸せになれるこの究極のドキュメンタリー作品に、その答えがあると実感しました。ビートルズを知らない若い方にもぜひ観てほしい。強くそう願っています。
SUGIZO(ミュージシャン)半世紀前の伝説の時が信じられないほど美しくレストアされた映像で蘇った!これほどジョン、ポール、ジョージ、リンゴをリアルに感じるのは初めてだ。ノーカット版ルーフトップ・コンサートの存在は、もう奇跡と言っていいと思う。この映画は涙モノの至上の喜びだ!
立川直樹(プロデューサー/ディレクター)映画というメディアの魔法によって僕達は1969年1月のロンドンに飛んでいける。名声と富を手にした男がロック・ミュージシャンとして交わす会話と演奏は本当に興味深く、それを短く編集しなかったことで、本当に伝説のセッションを覗き見しているような感じで楽しめ、たくさんの発見ができる。ヨタ話と名言が次々と飛び出し、驚きのカバー曲も…。でもこの時ジョンがまだ28歳だったことを考えると、それも当然か。「僕らはバンドだ」というポールの言葉が全てを表している。
佐橋佳幸(ミュージシャン)大志と野心を抱いて、そして何より自分たちの音楽のチカラを信じて世界に躍り出た20代の若者たちの夢が、少しずつ綻びを帯びていく様を、新たな視点で描いたこの作品に触れ、涙を禁じ得ませんでした。まさに「Band On The Run」。創造の神に後押しされるかの如く、背水の陣ながら新たな作品を生み出していく彼らの情熱と葛藤が、見事に描かれたドキュメンタリー。
佐藤竹善(ミュージシャン)中一の時、青森の名画座で観たLet It Beの映画はとてもとても悲しかった。大ファンになったばかりの13歳のぼくには、あまりに酷な寂しい終焉のドラマだった。でも!実際はこんなにハッピーな瞬間にも満ちた時だったんじゃないか!アルバムLet It Beはこの歳になって、ぼくの中でまたまた色を変えた。
SETA(シンガーソングライター/クリエイター)あの名曲が録音された瞬間に。あの伝説の屋上ライブに。まるであの日あの場所にいたかのような体験ができる作品。世界中の人達が知っている数々の名曲を生み出したそのパワーと魂に鳥肌が止まりませんでした。最新技術で、より鮮明になった映像と音の迫力にも驚きました。ビートルズのディープなファンに、ライトなファンに、観る人全てに、元気と勇気が届くと思います。
https://disneyplus.disney.co.jp/program/thebeatles.html.html
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ビートルズ映画『Get Back』の12時間版を! ディズニーにネットで要望続々
2022(令和四)年02月07日(月) 17:00 石井節子 FORBES JAPANウェブ編集部 エディター
ビートルズの「最後のライヴパフォーマンス」までの日々を追った記録映画「ザ・ビートルズ: Get Back」が昨年11月、Disney+(ディズニープラス)で「全3話・計6時間独占配信」され、ビートルズファンの間で大きな話題となった。この作品は、かつて1970年に公開された映画「レット・イット・ビー」(マイケル・リンゼイ=ホッグ監督)のために撮影された素材のなかから、「ロード・オブ・ザ・リング」のピーター・ジャクソン監督が3年間をかけて映像をリストアし、編集したもの。映像のなかには長らく封印されていた約60時間の未公開映像も含まれただけに、配信時のファンの熱狂は推して知るべしである。
■最後のライヴまでの克明記録■作品のクライマックスは、
1969(昭和44)年01月30日(木)、ファンにとっては「聖地」ともいえる場所、ロンドンのサビル・ロウにあったアップル・コア(アップル・レコードを含むビートルズが設立した会社)社の屋上での、予告なしゲリラライヴの模様だ。この日の歴史的ライヴ「ルーフトップ・コンサート」は、事実上ビートルズの最後のライヴ・パフォー??マンスとなった。「ザ・ビートルズ: Get Back」にはそのライヴ画像はもちろん、新年から始まりその当日までのスタジオでの様子が「実録」の形で生々しく残されている。なによりも、カメラが捉えたビートルズの4人の表情から伝わる情報の質と量が圧倒的だ。また、この映画はビートルズとして最後に発表したアルバム(最後に録音されたのは「アビー・ロード」で、こちらが先に発表されている)「レット・イット・ビー」収録までの3週間も収められており、アルバム用の曲をつくって演奏もしなければならないという彼らのプレッシャーがうかがい知れる。「ゲリラライヴ」が決まるまでの苦悩や緊張が伝わる生々しい会話も残された、貴重な記録なのである。
■「Change.org」でファンたちが──■この映画の「配信のみ」という公開方法に多くのファンが不服を申し立てた結果でもあるのか、実はこの
†2022(令和四)年02月09日(水)~13日(日)の5日間限定でIMAX上映が決定された。実は、ファンたちの「配信だけとは納得いかない」気持ちは、キャンペーン・サイト「Change.org」を通してある種のムーブメントとなって伝わっていった。「Change.org」は世界196カ国の4億人超が、発信者あるいは賛同者として参加する国際的なオープン・プラットフォームだ。そして目下、さらに同じ「Change.org」で、「全3話・計6時間」では飽き足らない熱烈なビートルズ・ファンの1人であるマーティン・ゲリーが、Disney+を運営するディズニーに対して、12時間のエクステンデッドディレクターズカット(ブルーレイ・4K ブルーレイ・DVD)のリリースを訴えるページを立ち上げた。すでに「投票」が続々と進行中で、本稿執筆の時点で4500人超が「賛同」している。12時間におよぶブルーレイディスクのリリースを果たしてディズニーは承諾するのか。見守りたいところだ。
https://forbesjapan.com/articles/detail/45718?
https://news.yahoo.co.jp/articles/3401022674a865d6f2e9446630f9e550653068a6
映像◆♪Strawberry Fields Forevere♪https://youtu.be/HtUH9z_Oey8
映像◆♪Penny Lane♪https://youtu.be/S-rB0pHI9fU
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┃THE BEATLES America Single Release┃
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‡24.1967(昭和42)年02月13日(mon) 1 16 Capitol 5810 ♪Penny Lane♪/♪Strawberry Fields Forever♪【米;8位/1位】
25.1967(昭和42)年07月17日(mon) 2 17 Capitol 5964 ♪All You Need Is Love♪/♪Baby You're A Rich Man♪【米;1位/34位】
26.1967(昭和42)年11月27日(mon) 3 18 Capitol 2056 ♪Hello, Goodbye♪/♪I Am The Walrus♪【米;3週1位/56位】
*************************** http://www.uta-net.com/song/8783
http://yokono.co.uk/collection/beatles/usa/single/usa_single.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%81%AE%E4%BD%9C%E5%93%81
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ジョン・レノンゆかりの地「ストロベリー・フィールズ」、一般公開
2019(令和元)年09月19日(木) 15:40 発信地:リバプール/英国 [ 英国 ヨーロッパ ]
ビートルズの楽曲「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」のモチーフとなった英リバプールにある元孤児院の門(2019年9月18日撮影)。(c)Paul ELLIS / AFP
【9月19日 AFP】英ロックバンド、ビートルズ(The Beatles)の地元リバプール(Liverpool)で、故ジョン・レノン(John Lennon)が名曲「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー(Strawberry Fields Forever)」を作るきっかけとなった孤児院の跡地が一般公開されている。
レノンは子ども時代、叔母の家のフェンスを登って、孤児院「ストロベリー・フィールド(Strawberry Field)」に行っては、他の子どもたちと遊んでいた。リバプールのウールトン(Woolton)にあるこの孤児院を見ようと、毎年約6万人のファンが訪れては有名な赤いゲート越しに写真を撮っていたが、これまで敷地内が一般公開されたことはなかった。しかし、2005年まで慈善団体の救世軍(Salvation Army)が運営していた孤児院の門は今後、永遠に開かれたままとなる。門の前でAFPの取材に応じた救世軍のアリスター・バースフェルド(Allister Versfeld)少佐は、「多くの人が言う、真の静けさと安らぎを感じる庭をぜひ味わってほしい」と語る。しばらく放置されていた孤児院は今、学習障害のある18~25歳の若者の就職支援を行うセンターとなっており、その運営資金の一部が一般公開によって賄われる。バースフェルド氏によると、カフェや売店が併設されるセンター内では、救世軍やこの孤児院の歴史、レノンの子ども時代に関するエピソードや、「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」の直筆の草稿が展示されている。壁には「僕にとってはどうでもいいことさ」という歌詞の一節やモザイクでできたレノンの顔が飾られ、またレノンが大ファンだったエルビス・プレスリー(Elvis Presley)の邸宅「グレースランド(Graceland)」から貸し出された品々もある。レノンの母ジュリアは自動車事故で亡くなるまで近所に住んでいたが、レノンを育てたのは叔母だった。ストロベリー・フィールズはレノンにとって、他の子どもたちに会うだけではなく、物事をじっと考える場所でもあったとバースフェルド氏は言う。「彼は遊びに来ては、そこで起きていることを観察していた」「ここの静けさと安らぎを感じ、ある種の聖域のように思っていた」「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」の歌詞を見て多くの人は「何を歌っているんだろうと思うかもしれないが、それは彼が見つけた、自分にとって特別な場所のことなんだと思う」とバースフェルド氏は語った。(c)AFP/Paul BARKER
https://www.afpbb.com/articles/-/3245243
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┃ Paul Edmund Cole ┃
┗━━━━━━━━━┛ポール・エドモンド・コール
1911(明治44)年07月07日(金) Born
†2008(平成20)年02月13日(水) Died (aged 96)
ジャケット写真の背景の歩道に立っているのはアメリカ人観光客のポール・コール(Paul Edmund Cole, 1911年 - 2008年2月13日[12])という人物であり、彼は撮影の数か月後に本アルバムが発売されるまで自分が撮影されていたことに気付いていなかった
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https://www.findagrave.com/memorial/64865797/paul-cole
https://ja.wikipedia.org/wiki/アビイ・ロード#ジャケット写真
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┃George Martin ジョージ・マーティン誕生┃
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1926(大正15)年01月03日(日) ビートルズの音楽創造に極めて重要な役割を果たした「ジョージ・ヘンリー・マーティン (George Henry Martin)(ジョージ・マーティン (George Martin) )」は、1926年1月3日にロンドン・ホロウェイ(Holloway, London) で生まれす。彼の家庭にはピアノが備えらており、彼は6才時以降音楽に興味を持つようになり、その2年後には両親に許しを経てピアノのレッスンを受けるようになりますが、このレッスンは長くは続かず、その後は独学でピアノの演奏法を身につけます。ホロウェイの修道会学校や聖ジョーゼフ初等学校など、複数の学校を様々な理由で(資金面の多々あり)入退学し、最終的には奨学金を勝ち取りスタンフォード・ヒルの聖イグナティウス大学に入ります。そして、戦争が始まり、聖イグナティウス大学の学生はウェルウィン・ガーデン・シティに疎開させられることとなり、その影響もあり、マーティン一家はロンドンを離れ、マーティン自身はブロムリー・グラマー・スクールに編入します。ジョージ・マーティンは語ります、「私が初めて交響楽団を聞いたのはティーンエージャー時だった。その時の事はよく覚えているよ。公開コンサートでエイドリアン・ボールトが私の学校にBBC交響楽団を連れて来た時だった。魔法に掛けられたような衝撃だった。それは規模の大きななサウンドで、光輝いていた。ただ、真鍮や木製の器具を吹き、弦を馬の毛の弓でこすったりする90人の男女の様をその壮麗な音と結びつけることはその時の私にはができなかったよ」その後彼は、積算士として働き出しますがそれは短期間で、続いて国防省の臨時職員となり、1943年には、17歳で英国海軍のパイロットになり同時に将校もなります。しかし、戦闘に巻き込まれることなく戦争は終わり、退役軍人の助成金で1947年から1950年までの間「ギルドホール音楽演劇学校」 に通い、ピアノとオーボエを学びます。そこでは、モーリス・ラヴェル(=『スペイン狂詩曲』やバレエ音楽『ダフニスとクロエ』、バレエ音楽『ボレロ』の作曲や『展覧会の絵』のオーケストレーションでよく知られたフランスの作曲家)やセルゲイ・ラフマニノフ(=ロシア帝国出身の作曲家、ピアニスト、指揮者で、ピアノ演奏史上有数のヴィルトゥオーソであり、作曲とピアノ演奏の両面で大きな成功を収めた音楽家としてフランツ・リストと並び称される存在)、コール・ポーター(=6歳でヴァイオリンを、8歳でピアノを習いイェール大学卒業後、ハーバード大学に入学するが、最終的に音楽家としての道を選んだ、アメリカ合衆国の作曲家・作詞家)、ジョニー・ダンクワース(=(別名John Philip William Dankworth)英国エセックス州ウォルサムストウ生まれのジャズ奏者であり、アルトサックス奏者、クラリネット奏者、アレンジャーとして活動)などの音楽を学びます。この時のオーボエの教師は、偶然にも1960年代にポールと恋仲になる「ジェーン・アッシャー」の母のマーガレット・アッシャーです。そしてマーティンは在学中にもかかわらず、
1948(昭和23)年01月03日(土)(彼の22歳の誕生日)に、シーナ・チザムと結婚し、アレクシスとグレゴリーの2子を儲けますが後に離します。
1966(昭和41)年06月には、ジュディ・ロックハート・スミスと再婚し、ルーシーとガイルズの2子を授かります。その後、ギルドホール音楽演劇学校を卒業し、BBCのクラシック音楽部局で働きますが、短期間で止めてしまいます。そして1950年、パーロフォン社長のオスカー・プロイス氏の助手としてE.M.I.に入社します。過去においてのパーロフォンは伝統のあるドイツ系の重要なレーベルでしたが、マーティンが入社した頃はE.M.I.のマイナーなレーベルの一つにとなっており、マネージャーのプロイスの1955年の引退に伴い、マーチンがE,M,I.傘下レーベルのパーロフォンのマネージャーであり実質のヘッドとなり、成功の道へと突き進みだします。彼の最大の成功はコメディや企画物のレコードで、コメディ俳優のピーター・セラーズらの作品など、コメディ色の強いレコードの制作を多く手がけ実績を積み、1962年にマーティンは、レイ・カソード のペンネームで「タイム・ビート」と云うエレクトロニック・ダンス曲を録音してリリースし、「戦場にかける橋」のパロディ作品を作った際、収録曲の「クワイ河のマーチ」について会社上層部からのクレームを受け、既に録音し終えていた曲中の「クワイ(Kwai)」というフレーズから「K」の部分だけ削除して「ワイ河のマーチ」に作り直したと云うエピソードもあり、頑固で洒落っけがある気質はここでも見受けられます。その後、英国で芽を出し始めていたロックンロールの波に乗ろうと、彼はパートナーとなるグループを探し始めます。そしてマーティンは、デッカのオーディションを不合格になり、その他の大方のレコード・レーベルにも相手になさなかったポップ・グループのマネージャーである「ブライアン・エプスタイン」を知ります。彼は
‡1962(昭和37)年02月13日(火)にエプスタインと会う手はずを調え、その場でビートルズのデッカでのオーディションでの録音を聞くことになります。マーティンは語ります、「彼らの音楽性は非凡だったが、ジョン・レノンとポール・マッカートニーのヴォーカルには好感を持ったよ。」。そして、マーティンとエプスタインは
1962(昭和37)年05月09日(水)にE.M.I.スタジオ(アビイ・ロード・スラジオ)で再度打ち合わせすることになります。
マーティンは語ります「『僕はまだ彼らビートルズに会ったことはないし演奏も聞いたこともないが、君の熱意に打たれ、契約することに合意するよ。』とエプスタインに言った。この時『失うものは何もない』と考えて、「1枚のレコード売上げに付き、1ペニーのロイヤリティをビートルズ払うこと」を契約に入れると約束した。」。そして、マーティンはそのバンドのパフォーマンスを聞いてから契約書にサインするという条件で合意します。
1962(昭和37)年06月06日(水)に、プロデューサー:ロン・リチャード、エンジニアノーマン・スミスでE.M.I.のオーディション・テープの録音が行われます。マーティン不在のレコーディング・セッションですが、終了後彼はビートルズに会い、テープを聴きます。
マーティンは語ります「僕はビートルズと云うバンドのオリジナル曲はあまり良くないと思った。彼らに『何か気に入らない事はあるか』と尋ねると、ジョージ・ハリスンが『まずはあなたのネクタイですね』と答えた。この時を境にガラッと楽しいムードに変わったね。僕は彼らのウィットだけでも契約する価値があると感じたよ。」。1962年にビートルズを見出したことによりプロデューサーとして大成功を収め、1965年にはEMIから独立しますが、ビートルズのプロデュースは継続します。その後もジェフ・ベック、アメリカ、チープ・トリック、ポール・マッカートニーなどのプロデュースを手がけ、1997年、ダイアナ妃を追悼したエルトン・ジョンの「キャンドル・イン・ザ・ウィンド97」が、彼にとってのイギリスにおける30曲目のチャート1位作品となり、1998年、ジェフ・ベック、セリーヌ・ディオン、ヴァネッサ・メイ、BONNIE PINK、フィル・コリンズらの参加したビートルズのトリビュート盤『イン・マイ・ライフ』を息子のジャイルズと共にプロデュースし、自分の名義で発表します。1999年、聴力の衰えを理由にプロデューサー・エンジニアを引退し、その後は公演会でのパネル活動を主軸にしています。 そして、
2016(平成28)年03月08日(火)に亡くなったことが、海外メディアで報じられます(90歳没)。1962年のデッカのオーディションに不合格となったビートルズは、マネージャーのブライアン・エプスタインの貢献により、ジョージ・マーティンへの売り込みに成功します。マーティンはビートルズのメンバーと直接面会していないにもかかわらず、ビートルズにレコーディングを要請し、
1962(昭和37)年06月06日(水)、彼らをE.M.I.スタジオに呼び、多くの曲を演奏させ、演奏技術を確かめた後、その場でデビュー曲のレコーディングを行います。彼マーティンのビートルズに対する第一印象は「彼らはだいぶひどかった(They were pretty awful)」と云うものですが、彼はビートルズと契約すことを決めます。その決断こそが、彼らとマーティンとの長きにわたる関係の始まりとなります。この時、緊張していた彼ら4人にマーティンは「何か気に入らないことがあるか?」と尋ねたところ、ジョージ・ハリソンの回答が「あなたのネクタイが気に入らないね!」と云うもので、その時に感じたセンスやユーモア、そして音楽性が、お互いを認め合うスタートであると云われています。彼は最初のレコーディング時のドラマーであるピート・ベストの演奏が気に入らず、レコーディングには使えないことを指摘します。マーティンのこの指摘が直接的な引き金となってピート・ベストが解雇され、あらたにリンゴを加入させるというメンバー再編となったと報道されてますが、後に発表されたジョージ・マーティンの自伝『耳こそすべて(ALL you need is ears)』によれば、マーティンはベストの脱退に関してはまったく関与していないと語っており、現在ではピートの脱退はマーティンの示唆によるもの、という説はほぼ否定されています。マーティンの音楽的専門知識は、ビートルズの天賦の才能と達成しようと考えていたサウンドとのギャップを満たすことを助け、ビートルズの楽曲におけるクラシック的アプローチやオーケストレーション、複雑なサウンド・エフェクトの多くが、マーティンとの共同作業によるもので、代表的な例として「ペニー・レイン」におけるピッコロ・トランペットのソロや「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」でのテンポもキーも違った二つの曲を一つの曲にするという離れ業を行うなど(注意して聞くと開始から1分ちょうどを境にテンポが違っているのが分かります)、彼はメンバーからの困難なリクエストに応え、その音楽的な成功に大きく貢献します。ただし、実際はジェフ・エメリックの手腕によるところが大きいとも云えるでしょう。彼自身は「アレンジの際、ポールは音楽的に解り易く説明してくれたので、あとはそれに基づいて譜面を書けばよかったけど、ジョンは抽象的な表現だけで説明してくるので苦労した」と振り返っています。
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https://beatles-in-ashtray.jimdofree.com/1926-%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8-%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3-%E8%AA%95%E7%94%9F/
https://en.wikipedia.org/wiki/George_Martin
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映像◆Beatles in Miami
‡February 13-20, 1964
https://vimeo.com/201664372
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┃ 『THE BEATLES ANTHOLOGY 2』 ┃
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1996(平成八)年3月18日(mon) JP Released
1996(平成八)年3月18日(mon) UK Released
1996(平成八)年3月19日(tue) US Released
◇Disc two (CD2)
◎LP D-side (Record Disc 2)
‡1967(昭和42)年02月13日(mon) EMI Studios 2:44
1967(昭和42)年02月14日(tue) EMI Studios 2:44
1967(昭和42)年04月20日(thu) EMI Studios 2:44
07."Only a Northern Song" (Takes 3 & 12) Harrison
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https://music.amazon.co.jp/albums/B01DJHE4YS
https://music.amazon.co.jp/albums/B07FTBJ8VJ
https://en.wikipedia.org/wiki/Anthology_2
https://music.amazon.co.jp/albums/B00H77Z0I6
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┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 『ザ・ビートルズ・LPレコード・コレクション』第11号 ┃ 180g
┃ 『BEATLES FOR SALE』 ┃VINYL
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ 重量盤
2018(平成30)年01月16日(火) 発売『ビートルズ・フォー・セール』
‡2018(平成30)年02月13日(火) 発行 THE BEATLES
通常価格・・・本体2,759円+TAX(8%)=2,980円
発行所・・・DeAGOSTINI JAPAN (デアゴスティーニ・ジャパン)
マガジンの内容①・・・世界的成功を収めて1年、ビートルズは過密スケジュールを縫って、クリスマス・シーズンに向けたLP制作に着手する。
マガジンの内容②・・・「アイム・ア・ルーザー」「エイト・デイズ・ア・ウィーク」「ベイビーズ・イン・ブラック」を聴けば明らかなように、ビートルズのサウンドは1964年、大きく進化を遂げたが、チャック・ベリー、バディ・ホリー、リトル・リチャード、カール・パーキンスによる楽曲のカヴァー・ヴァージョンには、ロックンロールのルーツへの回帰も見られる。
映像◆隔週刊 ザ・ビートルズ・LPレコード・コレクション【デアゴスティーニTVCM】https://youtu.be/2nH7M9fnU48
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https://deagostini.jp/btr/backnumber.php?issue=11
https://www.amazon.co.jp/dp/4813521746
https://en.wikipedia.org/wiki/Beatles_for_Sale
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