過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日のTHE BEATLESだヨ(=^◇^=)

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 ┃ 『ザ・ビートルズ・LPレコード・コレクション』第13号 ┃ 180g
 ┃         『with the beatles』         ┃VINYL
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ 重量盤
‡2018(平成30)年02月13日(火) 発売『ウィズ・ザ・ビートルズ』
 2018(平成30)年03月13日(火) 発行   THE BEATLES 
     通常価格・・・本体2,759円+TAX(8%)=2,980円
      発行所・・・DeAGOSTINI JAPAN (デアゴスティーニ・ジャパン)
 マガジンの内容①・・・イギリスでビートルマニアが隆盛を極める最中に録音されたこのアルバムが、ビートルズの世界的成功に火をつける。すべてを変えた一枚だ。
 マガジンの内容②・・・1963年11月に発売された、レノン=マッカートニー名義のオリジナル曲「オール・マイ・ラヴィング」「オール・アイヴ・ゴット・トゥ・ドゥ」や、「プリーズ・ミスター・ポストマン」「マネー」を含むアメリカのR&Bヒット曲を収録した、ビートルズによる自信みなぎるセカンド・アルバム。 
 映像◆隔週刊 ザ・ビートルズ・LPレコード・コレクション【デアゴスティーニTVCM】https://youtu.be/2nH7M9fnU48
 
************************* https://deagostini.jp/btr
 https://deagostini.jp/btr/backnumber.php?issue=13
 https://www.amazon.co.jp/dp/4813521762
 https://en.wikipedia.org/wiki/With_the_Beatles
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 ┃ THE BEATLES of 1963  ┃(wed)13 February
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 Concert: Majestic Ballroom, Witham, Hull, Yorkshire
 A page from a large format autograph book that has been signed in a blue pen by Paul McCartney and Ringo Starr. An unknown hand has written '13.2.63 Paul Beatles' and 'Ringo Starr Beatles' along the edge of the page. The autographs were obtained at the Majestic Ball Room in Hull on the 13th February 1963. Page measures 18cm x 12.5cm (7 inches x 5 inches). Very good plus condition. 
 Source: Tracks
 "IT IS thought The Beatles received less than £100 for performing in Hull. 
 But almost half a century later the autographs they gave to a Hull fan that day are set to fetch £7,000 at auction. 
 The mystery female fan - known only as Pat - still lives in Hull. 
 She obtained the signatures after The Beatles played at the Majestic Ballroom in Hull on February 13, 1963. 
 Pat was granted backstage access to the stars and got them to sign a copy of their vinyl single Love Me Do and a Parlophone Records publicity card. 
 The record is set to fetch between £3,000 and £4,000 at Christie's in London on June 24. 
 The signed card is likely to sell for between £2,000 and £3,000. 
 The record is signed in black ink by Paul McCartney, John Lennon and Ringo Starr and George Harrison. 
 The publicity card is signed in blue ink: "Lots of love to Pat from The Beatles, Paul xxx, John xxx, Ringo Starr, xxx and George Harrison." 
 A spokesman for Christie's said: "The Beatles fan was lucky to be taken backstage after the show by Leon Riley, a local singer who compered the show.""
 Source:(fri)04 June 2010, This Is Hull and East Riding,
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 Photo◆DICK JAMES MUSIC LIMITED No,122
 3/12 to John Lennon
 3/12 to Paul McCartney
 6/12 Publisher share
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 http://www.multiplusbooks.com/630213.html
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 ┃ ビートルズ詳解 The Beatles’Corpus ┃
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①1962(昭和37)年02月13日(火) ライヴ演奏:キャバーン・クラブ (昼) /リヴァプール
②1963(昭和38)年02月13日(水) ライヴ演奏:マジェスティック・ボールルーム/ハル
 これはビートルズのヨークシャー (Yorkshire) のハル (Hull) にあるマジェスティック・ボールルーム (Majestic Ballroom) への2回目の出演であった。彼らは
 1962(昭和37)年10月20日(土)に初めてここで公演していた。会場のマジェスティック・ホールは当時英国で最大のエンターテイメント企業、トップ・ランク社 (Top Rank) の所有するダンスホールであった。ビートルズは
‡1963(昭和38)年02月13日(水)に再びこのホールのステージに立つ。トップ・ランク社は全国でダンスホール、映画館、劇場、ビンゴ・ホールを経営しており、ビートルズはこの企業の経営する28のダンスホールの内、12会場に出演している。この会場はホールダーネス・ホール・シネマ (Holderness Hall Cinema) として1920(大正九)年11月にオープンした。12,000ポンドの建造費をかけて贅沢に装飾を施され、2,000の座席が備えられた (後に1850席に減らされる)。1950(昭和25)年にゴーモン・シネマ (Gaumont Cinema) に改名されて、1959(昭和34)年には閉店するが、すぐにマジェスティック・ボールルームとして再オープンする。そして1965年にはビンゴホールに転じた。建物は2004年に取り壊されている。ビートルズは1963(昭和38)年11月と1964(昭和39)年10月にもこのハルの地でショーを行っている。
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 ①https://gejirin.com/beatles/history/1962/0history_index-1962.html
 ②https://gejirin.com/beatles/history/1963/19630213_live_Majestic_Hull.html
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 ┃ THE BEATLES HISTORY ┃| February 13|044
 ┃    ザ・ビートルズの今日の出来事   ┃| 2月13日 |
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 1963(昭和38)年02月13日(水) ハルのマジェスティック・ボールルームに出演。
 1964(昭和39)年2月13日「エド・サリバン・ショー」2回目の出演のため、ニューヨークからフロリダへ移動する。
 1967(昭和42)年02月13日(月) 午後7時から翌午前3時30分まで「A Day In The Life」の4種類のモノ・ミックスを作った後、ジョージの「Only A Northern Song」のレコーディングを開始。この日にはまだタイトルが決まっていなかったので「Not Known」と呼ばれていた。この日、リズム・トラックを9テイク録音して、テイク3がベストとなった
********** http://www.thebeatles.co.jp/contents/index2.htm
 http://www.beatlelinks.net/forums/showthread.php?t=16911
 http://beatlesdiary.web.fc2.com/day/002/0213.html
 https://blogs.yahoo.co.jp/fab4city/15644975.html
 http://www.beatlesagain.com/bhistory.html
 楽曲資料https://beatlesdata.info
 歌詞充実http://tsugu.cside.com/index.html
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 ┃ 『ビートルズを聴こう 公式録音全②①③曲完全ガイド』 ┃2015/4/23(木) 中公文庫
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛https://www.amazon.co.jp/dp/4122061113
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 ┃ Winter 1963 UK Tour, Part 2 ┃THE BEATLES SHOW
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‡No.24 02 (wed)13 February 1963 Hull, England, Majestic Ballroom 
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 https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_the_Beatles%27_live_performances
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     ┛THE BEATLES 1967 Mono mixing ┛Studio 2
     ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛7:00pm-3:30am
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①┃ ♪A DAY IN THE LIFE♪  ┃remixes 2-5, from take 7
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 No.1 1967(昭和42)年1月19日(木) アビイ・ロード第2スタジオにて録音が開始された。第1テイクの布陣は、ピアノ(ポール)、ギター(ジョン)、ドラム(リンゴ)、マラカス(ジョージ?)のみで録音。トラック1に楽器、トラック4に大量のエコーをかけたジョンのボーカルが入ってるだけだった。 中間部分の空白をどうするかを決めてなかったが、小節数をはっきりさせるためにマル・エヴァンスに1から24までカウントさせて、最後の部分に目覚まし時計を鳴らす事にした(偶然、この部分が後で生かされることになる)このカウントにも徐々にエコー処理が深くなるようにした。この日の第4テイクには空きトラックにジョンがそれぞれボーカルを録音。この段階で、1トラックの演奏以外は全てエコー処理したジョンのボーカルという状態になっている。
 No.2 1967(昭和42)年1月20日(金) 第4テイクをリダクションしてそれぞれ設定の違う第5~7テイクを作成。この中で第6テイクがベストと判断されて、それにジョンのボーカルとポールのベース、そしてリンゴのドラムをオーバーダブする。ポールのボーカル部分も録音されたが、歌い出しの「Woke up,fell out of bed」には中間部分の目覚まし時計の音がしっくりきたので、この目覚まし時計の音はそのまま残すことにした
 No.3 1967(昭和42)年2月10日(金) 映像撮影日。アビイ・ロード第1スタジオ。この日はまさにビートルズの歴史で忘れられないセッションになる。ポールの提案で、24小節の中間部分の空白を「●赤字●90人のオーケストラにそれぞれの一番低い音から最高音まで出してもらおう」という事になった。もちろんこの為のスコアを書いたのはジョージ・マーティンである。「●赤字●それぞれこの小節の間で最低音から最高音まで滑らかに上がって下さい。他人と同じ音を出さずに。」40人のオーケストラの前でこの説明をしたのだが、ずっとクラシックをやってきたオーケストラ団員は「(´・ω・`)モキュ? ( ゚д゚)ポカーン (゚Д゚) ハア?? 」という状態だったという。一番下の音から一番上の音まで上げるだけでギャラが貰える、という事実に目が点になるだけだった。この日のセッションの前に、ジョージ・マーティンはエンジニアのケン・タウンゼントに「●赤字●4トラックのレコーダーを2台同時に同期させる事は可能か?」という打診をしている。ケンは片方のレコーダーから信号を取り出して、もう片方のレコーダーに直に配線を繋ぐことでこれをクリア。これでビートルズの4トラックマスターを聞きながら、4トラックのオーケストラの録音が可能になった。オーケストラ人数は、ポールが望んだ90人の半分以下の40人だったが、この録音を4トラック全てで4回行ったために160名以上のサウンドになったのである。セッション中には期せずして巻き起こった拍手喝采の音も録音されている。この時点で第6テイクをリダクションして第7テイクを作成した。技術面だけでなく、この日は「●赤字●正装してレコーディングに来てくれ」という通達も出ていた。夜会服でこのスタジオに集まった人達は、その上に変なメガネや変な帽子をハゲヅラなどを被らされまた招待されたビートルズの友人(ミック・ジャガー、キース・リチャーズ、マリアンヌ・フェイスフル等)も仮装させられて、スタジオの中にはふわふわとシャボン玉まで飛んでいる有様。この様子は映像「アンソロジー」にも収録されている。オーケストラが帰った後に、ビートルズと友人達はピアノの周りに集まって最後のコーダ部分をハミングで録音することを試みた。これは編集用テイクとして第8~第11テイクまで録音されたが、後日あの「ピアノ・コード」が録音されたためにボツ。
 No.4 1967(昭和42)年2月22日(水) 最後のハミング部分を長い「ピアノ・コード」に変えようと言う事で、ジョン、ポール、リンゴ、マル・エヴァンスがそれぞれ3台のピアノに陣取り、同時に「バーーーーン」と鍵盤を叩くというセッションが行われる。まず4人が完全に同時に出るのも難しいが、ずっと持続させるのも難しくジェフ・エメリックはコンプレッサーをキツくかけて、フェーダーを徐々に上げていくという方法をとった。全部でこの「バーン」は9テイク録音されて、ベストと判断された第9テイクに、ジョージ・マーティンのハーモニウムを加えたオーバーダブを3回繰り返して4トラック全てを埋めた。リリースされた音源をヘッドホンで聞くと、50秒ほどの間にイスのきしみ音や紙がこすれる音などが聞こえる。
 No.5 1967(昭和42)年3月 1日(水) ■レコラス(ト)■なぜか第6テイク(過去テイク)にピアノがオーバーダビングされたがこれは未使用。
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  ┛THE BEATLES 1967 Recording Sessions ┛Studio 2
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②┃ ♪Only A Northern Song♪ ┃takes 1-9
 ┗━━━━━━━━━━━━━━┛No.1 この曲が録音されたのは『SGT PEPPERS LONELY HEARTS CLUB BAND』制作中。アビイ・ロード第2スタジオ。ジョージが「サージェント」に最初に提供したのがこの曲だったが、最終的に収録から漏れたのである。この日、リズムトラックを9テイク録音して(その内完全バージョンは4テイク)、第3テイクがベストと判断された。
   ♪Not Known♪ working title of ♪Only A Northern Song♪
   Producer: George Martin
   Engineer: Geoff Emerick
   2nd Engineer: Richard Lush
   Recording of ♪Only A Northern Song♪ rythm track
  ‡1967(昭和42)年2月13日(mon)
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━┓1996/03/18(mon) JP、UK
③┃ 『THE BEATLES ANTHOLOGY 2』 ┃1996/03/19(tue) US
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ◎Disc two◎
 07.♪Only a Northern Song♪ (Takes 3 & 12) 13-14 February & 20 April 1967 EMI Studios 2:44 
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━┓1996/03/18(mon) JP、UK
③┃ 『THE BEATLES ANTHOLOGY 2』 ┃1996/03/19(tue) US
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ◎Disc two◎
 07.♪Only A Northen Song♪ 67.2.&4. YELLOW SUBMARINEに収録されたジョージの作品だが、もともとはSGT. PEPPERSに収録される予定だった。公式テイクと大差がないが、SEやトランペットがなく、エンディング付近の歌詞が一部違っている。 
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 ①https://beatlesdata.info/8/13_adayinthelife.html
 ①US写真◆https://en.wikipedia.org/wiki/A_Day_in_the_Life
 ②https://beatlesdata.info/12/02_onlyanorthernsongs.html
 ②https://en.wikipedia.org/wiki/Only_a_Northern_Song
 ③https://en.wikipedia.org/wiki/Anthology_2
 ③http://www.geocities.co.jp/Broadway/5266/beaAlb21-2.html
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 ┃2005『ザ・ビートルズ フロム・リバプール・トゥ・サンフランシスコ』 ┃00:00~
 ┃2003 WOWOW『ザ・ビートルズ ライブ・イン・ワシントンD.C.』   ┃51:46~
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 1964(昭和39)年2月 7日(金) アメリカへ初上陸
 1964(昭和39)年2月 9日(日)『エド・サリバンショー』に初出演
 1964(昭和39)年2月11日(火) ワシントンD.C.で公演
 1964(昭和39)年2月12日(水) ニューヨーク・カーネギー・ホールで公演
‡1964(昭和39)年2月13日(木) マイアミで二日間休暇 初 日
 1964(昭和39)年2月14日(金) マイアミで二日間休暇 二日目
 1964(昭和39)年2月16日(日) マイアミのホテルで『エド・サリバンショー』出演
 1964(昭和39)年2月18日(火) カシアス・クレイ(モハメド・リ)と面会
 1964(昭和39)年2月22日(土) イギリスに帰国
 映像◆ザ・ビートルズライブ・イン・ワシントンD.C.1964 http://video.fc2.com/content/20150604QCmThBwL


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①┃ Sir George Henry Martin、CBE ジョージ・マーティン ┃
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 Born 1926/1/3(sun)
 Died 2016/3/8(mon) aged 90
彼は1926(昭和一)年1月3日(日)に、ロンドンのでジョージ・ヘンリー・マーティン (George Henry Martin) として生まれる。6歳の時、マーティン家が手に入れたピアノが彼の音楽への関心に火をつける。2年後に彼は両親にねだってレッスンを受けさせてもらうようになるが、母親と教師の折り合いが悪く、わずか8回のレッスンで終わっている。その後マーティンは独学でピアノを習得したと語っている。彼は子供の頃、ホロウェイの修道会学校、ハイゲイト (Highgate) の聖ジョーゼフ初等学校 (St Joseph's elementary school) を含めていくつかの学校を渡り歩く。そしてスタンフォード・ヒル (Stanford Hill) にある聖イグナティウス大学 (St Ignatius' College) に入り、そこでは奨学金を勝ち取る。戦争が始まると聖イグナティウス大学の学生はウェルウィン・ガーデン・シティ (Welwyn Garden City) に疎開させられたため、彼の一家はロンドンを離れ、彼はブロムリー・グラマー・スクール (Bromley Grammer School) に編入した。初めて交響楽団を聞いた時のことをよく覚えている。それは私がティーンエージャーで、エイドリアン・ボールト (Adrian Boult) が公開コンサートで私の学校にBBC交響楽団を連れて来た時だった。それはまったくの魔法だった。その壮麗なサウンドを聞いた時、私はその音と、真鍮や木製の器具を吹いたり、弦を馬の毛の弓でこすったりする90人の男女とを、結びつけることができなかった。彼は少しだけ積算士 (quantity surveyer) として働き、それから国防省の臨時職員となる。彼が17歳の1943年に英国海軍のパイロットそして将校になるが、戦闘に巻き込まれる前に戦争は終わる。彼は退役軍人の助成金で1947年から1950年までギルドホール音楽演劇学校 (Guildhall School of Music and Drama) に通い、そこでピアノとオーボエを学び、またラヴェル (Ravel)、ラフマニノフ (Rachmaninov)、コール・ポーター (Cole Porter)、ジョニー・ダンクワース (Johnny Dankworth) などの音楽を学んだ。偶然にも彼のオーボエの教師は、1960年代にポール・マッカートニーと関係を持つ、ジェーン・アッシャー (Jane Asher) の母のマーガレット (Margaret) であった。
1948(昭和23)年の22歳の誕生日に、まだ在学中のマーティンはシーナ・チザム (Sheena Chisholm) と結婚、アレクシス (Alexis) とグレゴリー (Gregory) の2子を儲けるが、後に離婚。1966年6月にジュディ・ロックハート・スミス (Judy Lockhart-Smith) と再婚し、やはりルーシー (Lucy) とガイルズ (Giles) の2子を儲ける。ギルドホール音楽演劇学校を卒業後、BBCのクラシック音楽部局で働き、そして1950年にパーロフォン (Parlophone) 社長のオスカー・プロイス (Oscar Preuss) 氏の助手としてEMIに入る。パーロフォンは過去においては最も伝統のあるドイツ系の重要なレーベルだったが、その頃にはEMIのマイナーなレーベルの一つに零落していた。プロイスが1955年に引退した後を受けて、マーティンがパーロフォン社のヘッドとなる。彼の最大の成功はコメディや企画物のレコードだった。1962年にマーティンは、レイ・カソード (Ray Cathode) のペンネームで「タイム・ビート (Time Beat)」というエレクトロニック・ダンス曲を録音してリリースする。英国で芽を出し始めていたロックンロールの波に乗ろうと、彼はパートナーとなるグループを探し始めた。マーティンは、デッカ (Decca) をはじめ大方のレコード・レーベルに蹴られたポップ・グループをマネージングしているというブライアン・エプスタイン (Brian Epstein) のことを聞かされた。
彼は●1962(昭和37)年の2月13日(火)にエプスタインと会う手はずを調える。そこで彼はビートルズのデッカでのオーディションの録音を聞く。彼は彼らを有望だとは思わなかったが、ジョン・レノンとポール・マッカートニーのヴォーカルには好感を持った。
マーティンとエプスタインは
1962(昭和37)年5月9日(水)にEMIのアビーロード (Abby Road) スタジオで再び会う。マーティンはまだビートルズに会ったことはなかったし演奏も聞いたことはなかったが、エプスタインの熱意に打たれ、契約することに合意する。マーティンは「失うものは何もない」と考えて、その契約では1枚のレコード売上げに付き、1ペニーのロイヤリティをビートルズ払うことを約束していた。マーティンはそのバンドのパフォーマンスを聞いてから契約書にサインするという条件で合意した。そして1962年6月6日に、プロデューサー:ロン・リチャード (Ron Richard)、エンジニア:ノーマン・スミス (Norman Smith) でオーディション・テープを録音する。マーティンはそのレコーディング・セッションには姿を見せなかったが、終了後ビートルズに会い、テープを聞いた。彼はそのバンドのオリジナル曲はあまり良くないと思った。彼らに何か気に入らない事はあるかと尋ねると、ジョージ・ハリスンが「まずはあなたのネクタイですね」と答えた。これからガラッと楽しいムードに変わり、マーティンは彼らのウィットだけでも契約する価値があると感じたのだった。
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 https://en.wikipedia.org/wiki/George_Martin
 http://gejirin.com/beatles/person/George_Martin.html
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