過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日の『徹子の部屋』だヨ(=^◇^=)


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 ┃ 『徹子の部屋』 ┃ テレビ朝日
 ┗━━━━━━━━━┛13:15~13:55
①1976(昭和51)年11月05日(金)小泉清子
②1979(昭和54)年11月05日(月)中尾ミエ
③1980(昭和55)年11月05日(水)名古屋章
④1981(昭和56)年11月05日(木)清川虹子
⑤1982(昭和57)年11月05日(金)トニー谷
⑥1984(昭和59)年11月05日(月)有馬稲子
⑦1985(昭和60)年11月05日(火)菅井きん
⑧1986(昭和61)年11月05日(水)大沢節子
⑨1987(昭和62)年11月05日(木)高橋昌也
⑩1990(平成二)年11月05日(月)樹木希林
⑪1991(平成三)年11月05日(火)渡嘉敷勝男
⑫1992(平成四)年11月05日(木)由紀さおり×安田祥子
⑬1993(平成五)年11月05日(金)大村典子
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 ┃ 『徹子の部屋』 ┃ テレビ朝日
 ┗━━━━━━━━━┛13:55~14:50
⑭1996(平成八)年11月05日(火)瀬川昌治
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 ┃ 『徹子の部屋』 ┃ テレビ朝日
 ┗━━━━━━━━━┛13:20~13:55
⑮1997(平成九)年11月05日(水)天童よしみ
⑯1998(平成十)年11月05日(木)おぼん・こぼん
 2001(平成13)年11月05日(月)中尾ミエ
 http://www.tisen.jp/pukiwiki/?%C5%B0%BB%D2%A4%CE%C9%F4%B2%B0%A1%CA1976%A1%CB
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 ┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
 ┗━━━━━━━━━┛午後1:20~1:55放送
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 |2002(平成14)年11月 5日(火) 石川文洋 |第回
 └─―――――――――――――――――┘放送日の出来事・・・ノーベル賞受賞の田中さんに文化功労賞 
 http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2002/h14-11-5.html
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 |2007(平成19)年11月 5日(月) 仲間由紀恵 |第回
 └─――――――――――――――――――┘「自宅前にナゾの物体が!?」超売れっ子の仲間さんがスタジオに。最近2年連続で紅白歌合戦の司会にも抜擢されている。最初の年は知恵熱が出たほど緊張したとか。華奢な外見に似合わず、車はもちろん船舶免許も持っていて、大型バイクの免許も欲しかったと言う行動的な仲間さん。そんな仲間さんの恐怖(?)体験!自宅の前に小枝が置いてあって日々増えていく!さて、それは何故?
 ☆舞台「ナツひとり」11月1日~11月26日(木)場所:新橋演舞場・チケットWeb松竹 URL:http://www1.ticket-web-shochiku.com/p/ ・チケットホン松竹(午前10時~午後6時)TEL:03-5565-6000 公演に関するお問合せは新橋演舞場販売課:03-3541-2600 チケットWeb松竹に関するお問い合わせは 03-3545-2200  
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/071105.html
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 |2008(平成20)年11月 5日(水) 有馬 稲子 |第回
 └─――――――――――――――――――┘「老後を100倍楽しむ方法…」昨年から生活をケアしてくれるライフケアマンションに移り、今の生活がとても充実しているという有馬稲子さんに、そこでの暮らしぶりを伺った。ある雑誌で「夏羽織1枚残して死んだ」という記事を読んで、それを見習いたいと有馬さんが始めた “小さな暮らし”。それはトランクルームにしまい込んであったたくさんの物や身の回りの物をどんどん処分し、生活の範囲を小さくするというものだそうだ。また、瀬戸内寂聴さん訳の「源氏物語」、その一節をスタジオで朗読していただいた。
 ※注意!番組中にお話されていたライフケアマンションについては、有馬さんのプライバシー及び、そのマンションに住まわれている方への御配慮のため、場所や名前・ご連絡先をお教えすることはできませんのでご了承ください。有馬稲子さん出演 瀬戸内寂聴訳「源氏物語 朗読」日時:11月20日(木)~23日(日)場所:銀座・博品館劇場 有馬さんは23日(日)のみ出演です。料金:6000円(税込み)お問合せ 博品館劇場:03-3571-1003 有馬さんが番組中にご紹介した本 多田富雄著「寡黙なる巨人」集英社1,575円税込  
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/081105.html
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 |2009(平成21)年11月 5日(木) 元木 大介 |第回
 └─――――――――――――――――――┘「今語る王・長嶋の・裏話」現役時代には元読売巨人軍の長嶋監督から『クセ者』と呼ばれ大活躍。そしてプロ野球を引退して4年。現在は野球解説以外でもクイズやバラエティなどでも大活躍している元木さんが初登場。妻は元日本テレビのアナウンサー大神いずみさんで、3歳になる息子の父でもある。今日は、元木さんだから語れる長嶋さん・王さんの意外な裏話が次々と!
 ■本「元木大介の1分で読めるプロ野球テッパン話88」発売元:ワニブックス 定価:1143円+税  
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/091105.html
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 |2010(平成22)年11月 5日(金) シルク |第回
 └─――――――――――――――――┘「若返り変身術を指南する芸人」“噂年齢50歳”の今も、惜しげなく披露するそのスタイルや肌の美しさが話題を呼んでいる「芸人」の シルクさんを迎える。シルクさんが「美」に目覚める前の写真と比べると変化は歴然!その美容法を教えてくれる。国立大学を卒業し、親友のミヤコさんと漫才を結成したシルクさん。37歳で逝ったミヤコさんへの想いを語る。  
 ☆本「シルクのべっぴん塾」発行・ヨシモトブックス / 1,200円(税込み)  
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/101105.html
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 |2012(平成24)年11月 5日(月) 木の実ナナ |第9351回
 └─――――――――――――――――――┘「亡き父の思い出と母の介護秘話を」芸能生活50年を迎える木の実ナナさんが、情熱的に生きた両親の思い出を語る。元々ダンサーだった母は、楽団の花形トランペッターだった父と結婚。ハンサムで女性にモテた父は浪費家で、家族は貧しさを強いられたという。そんな父の趣味は8ミリ。6畳一間に暮らしていた当時の映像を紹介する。認知症だった母が示してくれた深い愛とは…。
 ☆紹介したCDは デビュー50周年記念アルバム『SHOW GIRLの時間旅行~my favorite songs』発売日:11月14日(水) 価格:3000円(税込)株式会社徳間ジャパンコミュニケーションズ 
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/121105.html
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 |2013(平成25)年11月 5日(火) コウケンテツ |第9606回
 └─―――――――――――――――――――┘「黒柳の大好物(秘)絶品料理を」イケメン料理研究家としてお馴染みのコウケンテツさん。現在は、男児と女児のパパで、“イクメン”としても大変評判だ。長男誕生の際は、実家で出産をした妻の元に駆け付ける新幹線の中で感極まり、周囲の人が心配するほど号泣してしまったとか。その長男は3歳にして包丁も火も使い、1人で盛り付けまでこなすという。今回は特別に黒柳の大好物を振る舞い喜ばせてくれる。
 ☆「黒ごま粥」の作り方 <材料>白米 1/2カップ  黒ごま 1/2カップ  塩 少々
 1 米は洗って2~3時間水につけざるにあげ、ミキサーに米と水1カップを入れペースト状にする
 2 鍋にペースト状にした米と水2カップを加えよく混ぜながら10分ほど煮る
 3 ごまを弱火で香ばしく煎り、ミキサーに水1カップを入れペースト状にする
 4 煮た米にペースト状のごまを加えてさらに10分ほど煮て塩で調味する
 ☆本『コウケンテツのおかず ザ ベスト』発行/テレビ朝日 ¥980(税込)
 全国の書店で販売中 こちらからもご購入できます。※ここから先は、「アマゾンジャパン株式会社」が運営する「Amazon.co.jp」です。 
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/html/131105.html
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 ┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
 ┗━━━━━━━━━┛午後12:00~12:30放送
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 |2014(平成26)年11月 5日(水) 湯原昌幸 荒木由美子|第9835回※解説放送
 └─――――――――――――――――――――――┘「結婚と同時に倒れた姑を20年介護」年齢差13歳のカップル湯原昌幸さん、荒木由美子さんを迎える。夫妻は結婚と同時に湯原さんの母と同居を開始したが、結婚からわずか2週間後に母が突然の病に倒れた。母の認知症が進み由美子さんの介護が極限を迎えた時、湯原さんは母の首に手をかけてしまったこともあったという。亡き義母を送るまでの20年を語る時、由美子さんの目には大粒の涙が。 
 ☆湯原昌幸さんの新曲「俺でよかったのか」テイチクエンタテインメントより発売中¥1,234
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20141105.html
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 |2015(平成27)年11月 5日(木) 小久保裕紀 |第10115回
 └─――――――――――――――――――┘「野球日本代表“侍ジャパン”の監督が初出演!」野球日本代表“侍ジャパン”の小久保裕紀監督を迎える。小久保さんが野球を始めたのは、小学1年生のとき。入部して1カ月足らずでやめると言い出す始末だったが、家族の愛に支えられここまで続けてこられたと感謝の言葉を口にする。また尊敬する恩師の王貞治さんの気配り秘話も披露してくれる。さらに侍ジャパンの注目選手について、黒柳が直球勝負で質問! 監督も思わずタジタジに!? 
 ☆世界野球WBSCプレミア12 侍ジャパン強化試合 日本VSプエルトリコ 11月5日(木)19:00(福岡 ヤフオク!ドーム)
 ☆世界野球WBSCプレミア12 日本VS韓国 11月8日(日)19:00 (札幌ドーム)
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20151105.html
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 |2018(平成30)年11月 5日(月) 三田佳子 |
 └─―――――――――――――――――┘「病気・ケガ・3人の孫…77歳の波瀾万丈」
 77歳を迎えた女優の三田佳子さんが29年ぶりに出演する。現在は夫婦2人暮らし。家事をイチから学ぶなど、60歳を機に一新した生活は? 昨年、頸椎硬膜外膿瘍を患いIUCにも入るほどの大きな手術を受けた。さらに今年は躓いて顔面を強打し、救急車で搬送される出来事も。今では3人の孫をもつ「ばあば」になった三田さんが、現在の暮らしぶりを語る。 
 ☆朗読劇『九十歳。何がめでたい』11月30日(金)~12月1日(土)明治座 明治座チケットセンター 03-3666-6666(10:00~17:00)
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20181105.html
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 |2019(令和元)年11月05日(火) 森口博子 母:玉枝|
 └─―――――――――――――――――――――┘「女手一つで4人姉妹を育てた母と」※解説放送
 ☆アルバム「ガンダムソングカバーズ」発売:キングレコード
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20191105.html
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 |2020(令和二)年11月05日(木) A.B.C-Z  |
 |         河合郁人 塚田僚一 |
 └─―――――――――――――――――┘「人気急上昇!“遅咲き”アイドル」※解説放送
 ☆映画『オレたち応援屋!!』公開中
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20201105.html
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 |2021(令和二)年11月05日(金) 大黒摩季 |
 └─―――――――――――――――――┘「人気歌手がヒットの裏での闘病と母の介護を明かす」※解説放送
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20211105.html
 https://ja.wikipedia.org/wiki/徹子の部屋
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 |2002(平成14)年11月 5日(火) 石川文洋 |第回
 └─―――――――――――――――――┘放送日の出来事・・・ノーベル賞受賞の田中さんに文化功労賞
黒柳「どうもうしばらくでございました。ご活躍で写真家でいらっしゃいます報道写真家でいらっしゃいまして先程ご紹介申し上げましたようにベトナム戦争の時ベトナムに住むようにして本当にあそこ、何年もずいぶんいらしたんですね。あの時ベトナムには
石川≪そうですね。まる4年住んでいました。
「ベトナム戦争中ですからねあの写真を撮りになったのは。まあ1965年から68年ぐらいまで
≪そうですね68年
「ほとんど住んでいることになって。大変なんですけども。
≪はい
「さっきの写真なんですけども1番最初に皆さんに見ていただいた写真、これはやっぱりベトナム戦争と関係あるんですか。もともと沖縄のご出身でいらっしゃる石川文洋さんなんですけども。特にそういうお気持ちが強いんだと思うんですけども。この写真なんですけども、これ普通のバス?
≪そうですね。今の言われる1号道路と言っていましたけども沖縄のメーン道路ですよね。そこはベトナムの爆撃機のB 52が飛んでいくと
「大きいですね。B 52という爆撃機。嘉手納基地からベトナムに向けてこういう写真をおとりになるときに写真家の方はいつもここ通っているからそういうふうになるかもしれないと、それとも偶然なんですかこの写真は?
≪家やっぱりその日の風によってですねこちら飛んでいったりあちらを飛んでいったりしますからね。今日はまあこちらから向かい風が飛んでくるからこっちで待っていようということで待っていた
「なるほど。
≪まあこの偶然バスがですね
「偶然バスが来た。まあそうでしょうね。報道写真家の方の写真手で瞬間をおとりになるんだから
≪待ってますからね粘りますからね。
「粘り強さにかけては本当に粘り強くなければ報道写真家にはなれないというふうに思うんですけども。数多くの写真を撮っていらっしゃるんです。それで今年は沖縄復帰30周年
≪30年ですね
「30年ということで特に思い入れがおありだと思うんですけども。あのお日アメリカの基地のそれからヘリコプターの中とかそういうものも随分とらしておもらいになった
≪そうですねぇベトナム戦争中ですねたまたま私はベトナムから帰って行ってまたベトナムに戻る予定だったんですけども、その時に69年の2月4日にですね大ゼネスト嘉手納包囲をして沖縄最大のゼネストをしようということでそれを取材に行ったんです。そしたら私はベトナムのプレスカード持っていたからをそれでいろんなものを撮影できました。
「だからこれなんかはヘリコプターなんですか?
≪ヘリコプターですね。当時はやっぱり基地の上を飛ぶヘリコプターに乗るということはかなり難しかったんですけどもねぇ
「そうですよね。兵隊さんと同じ立場でお乗りになるわけですから。アメリカの。それから基地の中の当時の基地の中も撮らしておもらいになった。
≪はい。やっぱり中でベトナムに行く前の兵士がですねいろんな訓練を受けていたりですね、帰ってきた兵士。
「そうですねで今年の2月ごろにはアフガニスタンに行っていらっしゃった。
≪はい。アフガニスタンに
「はい私も2月に行ってたんですよ。ちょっと日が暮れると寒いですね。
≪そうですね。あそこは1,800メートルぐらいあるでしょう。都市そのものがね寒いですよ。特に私の泊まったホテルは冷房、暖房もない(笑)
「電気がない。私もそうだった。ユニセフの寮みたいなところにいましたけどもね。こういうはもちろん出ないですし、電気もしょっちゅうしょうちゅうあの消えちゃうんでまあこういうところにいらっしゃってまあカブール、ジャララバードとかにいらっしゃって。あそこもまだ定まらない感じでね
≪そうですね。あそこの都市の破壊というものはすさまじいですね。
「バーミヤンにいらっしゃったって。私たちは初めてタリバンという名前を聞いたのはバーミヤンの仏像が壊されたときだったんですけども。このとにかくこれでカブールの街の中ですよね?
≪ええ
「街の中でもこれは家なんですね皆さん。家というふうには思えないですよね。
≪そうですね
「なにか砂漠の中にいたみたいですけども。町中
≪これは一部分だけをとったわけではないんですよ。もあちこちがですねこういう破壊されている。
「土みたいにして作ってある家だったりするからそれが壊れてまた雨が降ったりするから本当に廃虚というか。私もずっと町の中を通って行くときにアフガニスタンのユニセフの職員の人にあれはだれが壊したの?王宮とか全部そういうところも、あれはだれが壊したのって聞くでしょう、そうするとねぇあなたね20年以上もね内戦があってで敵はどんどん変わるんですからねだれが壊したっていいちいちいえませんよっておっしゃってましたけども。とにかく首都のさっきもご覧になったのは首都ですからねあれが首都だとはちょっと思えない。さっき私がバーミヤンていたからこれはバーミヤンだと思ってらっしゃる方もいらっしゃるかもしれない。これはカブールの街の中ですから首都でしかもアレですよねぇ東京なんかは割と早く復興したんですけどもはこの間までタリバンがいたところもありますけどもなかなか復興は難しそうな感じがしますね。でもずいぶんソマリアだとか、サラエボとかいろんな所を回りになって廃虚と化したところをご覧になったけどもこのアフガニスタンほどひどいところはご覧になったことないんですって
≪そうですねあの戦争中のねサイゴン、今のホーチミン市に住んでいましたけどもこれほどやっぱりひどくないですね1部は破壊されていましたけども。それからあの北ベトナム当時のハノイ。ハノイもそんなにひどくなかったですね地方へ行くと見事に壊されていましたけどね。それからはソマリア、サラエボ、特に私の見た世界の戦争の中ではこのアフガニスタンのカブールが1番ひどいですね。
「なるほどねえ。地雷がたくさんあるということでアフガニスタンは有名で一千万個約あると言われてるんですけども、これはどういう状況でお通りになったんですか?
≪あの向こうでは今8つのNGOですけども入っていて、その人たちがグループで各地で地雷を撤去してるんですね。ですからこれはあのとにかくバーミヤンに行く道の途中ですけどももあってずっと除去作業していて道路の横にですね赤い石とか旗を立ててですね
「そうですね石に赤いペンキを塗ってあるんですね、そういうところは危ないということで。ただでこれじゃちょっと見分けがつかないという感じがするんですね。あそこに石が点々とありますけども
≪ずっと並んでいるんです
「赤いペンキがぬってあってここから先は地雷があるから危ないと言って赤い旗が立っているんですけども被害はもうたえないですね。
≪これはもう戦争中も被害に遭っているそれからは現時点でも毎日のように被害に遭っている。これからもずっと被害に遭う。
「そうなんですよね。まあ随分被害を受けた人たちも写真に撮ってらっしゃるんですけども子供ですよねぇやっぱり。
≪あのアフガニスタンの子供というのは本当に明るいでしょう
「かわいい
≪可愛いです。この被害を受けた子供たちの表情を見ると本当につらいですよね。
「そうですよね。でもここに連れてこられて一応義足とかつけてもらったり治療をしてもらった子供は幸せで、そうでない子供が多いわけですから。
≪そうですよねここへ来るということはまた生命があるわけですからね。犠牲になった人も多いわけですからね。やっぱり子供のような弱い人たちにねしわ寄せがいく
「本当にそういう写真もたくさん撮ってらっしゃるんですね。その後地雷の被害を受けた子供たちの写真とか、ただあの去年からタリバンがいなくなったんで女の子たちが小学校に、学校に行ってもいいといわれてそれから外で仕事をしてはいけない女の人たち先生やなんかが学校に戻ってきた。そういうのがやっぱり
≪これは見ているとですねみんなの勉強できる喜び、社会で仕事ができる喜びというのは非常に強いものがありますね
「いかにも机もイスもないコンクリートのところにちょっと何かを引いて座って勉強しているぐらいなんですけども。
≪そうなんですよ。机もイスも全部盗まれちゃってそれからこの学校だけじゃないですよ。
「全部ですよねほとんどですね。
≪でもここはまだ学校が教室があるからいいですよね。
「そうそうそうそう。ここは何かタリバンが占領していたかのこれは学校じゃないかしらと思うんですけども。タリバンがやっぱり寒いものだからずいぶん燃やしたって言っていました。机やなんかをね。まあそういう略奪やなんかがあったんですけども。あの子どもたちの笑顔とかそういうものが石川さんが写真に撮るときにとてもうれしくていらっしゃると思うんですけども。女の人とか
≪またですでこのアフガニスタンの人たちというのは本当に写真が好きなんですよね。
「そうなんですか
≪私は他でですね写真を撮っていたらですねタクシーがこうパッと止まったんですよ。何かなと思ったら運転手が窓を開けて俺の顔を撮れと。写真に撮ったですねありがとうと言って取ってもらって写真が欲しいというわけではないですね。
「何かうつりたいという感じ。今のは水汲み場のところなんでしょうかね。子供たちが集まっているんですけども。やっぱり水というのはいい水飲み水がないですから、ユニセフなんかも一生懸命掘っているんですけどもね。でもこういう夕方になると零下10何度というところになるところで子供たちは裸足でいる子がいっぱいいましたでしょう
≪そうですね。話でもあるし
「ここは雪も積もってないし氷もないからわからないですけども本当に寒いいてつくようなという感じなんですよね。みそいうところ裸足で歩いている子がいっぱいいて
≪冬は寒いし夏は暑いし
「去年は7月に行ったら50度ありましたから。日こんなに差のあるところってないと思うんですけども。ただアレなんですってでこれは(写真)かわいいんですけども弾痕のあったところ
≪ここは破壊されたところの地域の1部ですね
「女の子はかわいいですけども弾の跡がどこにでもある。それから石川さんはとっても気にしてらっしゃることは子供たちの絵
≪絵ですね。去年は沖縄で今年は京都でベトナムの子供たちが描いた絵の展示会というものをですねえ私の写真展と一緒にしたことがあるんですけども。で今度は向こうへ行ってですね道路で働いている子供たちを収容しているところがあるんですね
「それはアフガニスタンの
≪アフガニスタンのカブールの中にですね。それでその中で書いてあった絵ですね。
「ずいぶん空爆。
*戦争をテーマにした絵がたくさんある
≪空爆や戦争で。ベトナムの場合はもう戦争が終わって27年たちますから昔の記憶や写真、両親の記録や写真を見て書いている。アフガニスタンの子供たちは自分の記憶で書いているんですね。
「またタリバンが銃を持っているところとかね。やっぱりこの飛行機があんな大きな飛行機はきっと見たこともなかったんでをとても印象に残っている。今の現在の子供たちの絵ですもので。
≪そうですね。やっぱりこの子供たちはこういった状況を心の傷として将来背負っていくと言えますね。
「何かは戦争の絵ばっかりなんだそうですけども。でもこれはですね私はボスニア・ヘルツェゴビナでもコソボでもみんなそうでしたね。子供たちは黒い色ばっかり使うのね。赤いのとから黄色いのとか使えばっていうと「嫌い」と言ってただ黒いのばっかりでぬっていましたね。心の傷がねぇやっぱり
≪色に出てくるでしょうね。
「そうなんですね。やはり写真を撮りになるときに1番やっぱりうれしいのは子供の笑顔女性のやはり
≪そうですね。傷ついた子供たちが暗くてその他の人たちは本当に繰り返すようですけども本当に明るい。あれはやっぱり救いですよねぇ。
「そうですよね。
≪やっぱりいい国だなと思いますね。
「なにかクリーンを復興させるのはこの笑顔だって。
≪そうです
「いつもお思いになるそうですけども。まあ男の人は集まるとやっぱり戦争とかつらい話をするんだけども女の人たちはわりと明るく。それはどこの国もそうでしょうか?
≪そうですね日本も日を女性の力というのは強いいいですけども、アフガニスタンを復興させていくためにはですねぇ女性の力というものはとても必要になると思いますね。
「そうですねぇ今までずっと家の中に置かれて外に出て働けなかったからその力はきっとすごいと思いますね。ものね何人
≪まあいろんな有識者の座談会にも行きましたけどもやっぱり優秀な女性というのは本当に多いですね。
「多いんですね。特にアフガニスタンは多いんですね。
≪あの人たちを見ていると安心しますよね。
「そうですね
≪将来安心というか力強く感じる。
「教養のある人そしてやはり頭のいい人、知的な人とかがああいう中でねそれを育てていったのかと思いますね20年も戦争をしてたのにね、内戦してたのにって思いますけども。石川文洋さんのアフガニスタンの写真を今ご紹介しましたけども本当はあの沖縄の方でいらっしゃるんで沖縄の写真ベトナムの写真をなぜこんなに命をかけてお取りになったのかというのはコマーシャルをはさみまして石川文洋さんの生い立ちというか沖縄のご出身ということにあると思うんですけどもそこをちょっとお話ししていただきたいと思いますちょっとコマーシャルです

黒柳「石川文洋さんは報道写真家でいらっしゃるからもちろんそういったそういうものを皆さんにお伝え私たちに伝えて下さるために写真を撮りになるんですけども特にこのベトナム戦争の時それから沖縄のこととってもあの考えてらっしゃるということは沖縄出身なんですけどもいつも自分の中にこの負い目みたいなものがあるって
石川≪そうですね私を38年の生まれなんですけども沖縄戦の時はですね本土に来ていたんですね。
「地上戦があったときはこっちに。
≪こっちにいた。ですからと沖縄戦を体験していないということがですねまあコンプレックスのように残っているんですね。というのは沖縄に帰るとそれを体験をしていた人たちが同じ年代でいるんですね。そうするとよくあれも生き残っていて私は本土にいて
「まぁ小さかったですねまた
≪それは子供のころですね。5歳のときですから
「それにしても島民の方は随分たくさんあの時なくなったんですね
≪そうですね。もう本当に4人に1人、3人に1人
「122,000人。と言われていますけどももっとかもしれませんけども。でお父様は小説家でいらっしゃった
≪はい。沖縄で歴史小説を書いていました。
「歴史小説を。で大阪にいらしてそれから今度東京の近辺で船橋にそこで少年時代を
≪そうです。
「その時沖縄って呼ばれていたんですって
≪そういう点では私の小学校八坂小学校というんですけども1番有名だったですね。2つ点があるんですね1つは沖縄、もうひとつは父が入学の時に赤いカバンを買ってきたですね。赤いカバンといわれて。赤いカバンの沖縄といったら
「石川さんと分かってしまう。
≪特に私はアサドウと言っていたものですから中学校までは
「石川さんじゃなくて
≪アサドウという名前が非常に珍しくて先生がちゃんと読める人が先生がいなくてみんなアンリとかヤスザトとかですね。
「じゃ皆と字が違うということで。それで初めて沖縄にいらしたときは何歳の時?
≪高校を卒業してですね私は定時制の高校にいったので18歳です。
「初めていらっしゃった沖縄はどういう
≪5歳からですね13年ぶりですからね、で私の心の中には故郷小さいころのイメージがまだ残っているわけです。その小さいときのイメージと沖縄が戦争で破壊されたと基地になっているというイメージがあってそれで船で行きましたからね当時は。近づいてくると故郷とはどういったものだろうかということで本当に胸がドキドキしました
「まだパスポートが必要だった
≪パスポートが必要だったです。はい。で今はですね他の港につくんですけども当時は那覇軍港のこっち側についていたんです。港ですから基地が見えるわけですね。今の軍港は今は静かですけども当時はもいろんなものが動いていましたからね。そこでやっぱり基地の島なんだということが強く印象に残りましたね
「それからラジオで聞いていらしたら幕普段日本にいるときは聞くことのないコマーシャル何ですかで向こうのいろんな歯磨きの名前とかチューインガムの名前とか
≪私は首里なんですね。那覇の港からタクシーに乗ったときにタクシーのコマーシャルでコルゲートとかありましたでしょう。そういうのがどんどん流れてきてやはり本土と違うなと思いましたね。
「でもそのころまだ焼け野原にバラックが。
≪そうですね。またあの時は私のいた首里なんかでもそういうかやぶきの家もありましたし、トタン屋根もありましたですね
「東京は割と復興が早かったんですけども、それでもずいぶん長いことなど考えてみたらあれですね私も音楽の大学に行っているときにまた池袋の方はヤミ市みたいなのバラックがありましたですね東京でもねぇ。
≪結局昭和32年ですからまだ戦争が終わってで7年しかたっていませんからね。
「それはそうかもしれませんね。でそういうことがあったのでその後毎日映画社というところにお入りになって大人になってですけども。それでよく沖縄にもいらっしゃってそれで写真を撮っていらっしゃったんですがベトナム戦争が始まってそして沖縄から
≪沖縄から行きました
「ベトナムに飛行機が出ていったのさっきもを取りになったのがいっぱいあったんですけども。でも今年30周年になるんですけども沖縄復帰その復帰の時の写真も撮っていらっしゃるんですね復帰の日の
≪復帰の日ですね。1972年5月15日ですね。午前0時から24時間ですね1日もありました。復帰の日の1日は
「みんなの顔が違っていましたかその時は?
≪そうですね復帰に対する期待というのが非常に大きかったですから、当時の沖縄というのは復帰にて一丸となってですねって運動に参加しましたから。
「沖縄には国際通りというところがあるんですって、その国際通り(写真)これですか
≪ええ
「これで私よく見てみると右側通行なんですね。当時はね
≪当時はそうですね
「今はもう左側になっていますけどもこの当時はアメリカのように右側通行なんですね。で左側のが向こうから来て右側のがこっちから行くという形になっているんですけども。みんなここで持って大変なお祭りをやっていたんですか?
≪やお祭りというよりもでもですね。沖縄は復帰ということで沖縄の人たちは本土並みと基地の縮小も含めてですねそれと核と核抜きとかをのぞんだけどもですね自分たちの思ったような復帰の形にならなかったということで当日ですね5月15日夜にデモしているということで。沖縄処分糾弾と書いてありますね。
「お祭りじゃないですね。
≪はい。沖縄処分というのはいわゆる琉球処分というで前要するに琉球王国が明治政府に吸収されたときも処分と言っていますけども、今度はそれと同じようにですね
「沖縄は本当にそういったことではねぇお気の毒な歴史が繰り返されているところですのでね。まだまだお写真があるんですけどもちょっとコマーシャルです

黒柳「石川文洋さんはお子さんのアサトさんというお名前だったとさっきおっしゃったんですけどもアサトというのはのは確かに珍しい。アサトというのは
石川≪安心の安に里ということです。母方の
「のちに石川さんにおなりになってた。ちょっと写真に戻るんですけどもベトナム戦争の時本当に沖縄が基地だなとつくづく思ったというふうな写真をたくさん取ってらっしゃるんですけどもこれもやっぱり中からおとりになったですか?
≪そうですねベトナムの中でのアメリカ軍の作戦そのものがヘリコプターを使った作戦だったものですから。
「そうですよで映画を見てもそうですから。
≪ありましね黙示録とか。
「そうですそうです大きいびっくりするようだ。
≪この兵士たちはこれからベトナムに行こうとする兵士ですね。沖縄で訓練をして。
「それからこれから行こうとするベトナムに行く兵士たちの中からとったという。それからやっぱり既にデモ隊とアメリカの人たちの声ですごい写真なんですよ皆さんこれは、したがデモ隊
≪はい。これは結局2月4日ですね沖縄の最大のデモをしようというときに要するにみんなB 52が飛んでいってベトナムの人たちをここで爆弾を落として傷つき死んでいきますからですねそれに対して反対をすると。その反対をしている頭上を飛んでいくと。ですからみんな怒っていましたね。
「だから本当に報道写真というのは本当に皆さん、下にキャプションがないとちょっとなんだかわからないかもしれないですけども本当に話をうかがってこの写真を見るとやはり写真てすごいなと思いますね。やはり話を聞くのももちろんですけども写真を見てその話を聞くと本当にすごいと思うんですか。(写真)これは沖縄がどう変わったか同じ所から撮ってあるんですよね。1番上の写真が20年前になるですね。ちょうど。
≪半島がありましてですねこっちにヘンザ島、こっちにミヤギ島こっちにイケ島というふうに3つ島があったんですねぇ。
「橋があるんですね
≪そこにその石油の基地を作ろうということでですねそのミヤギ島では・・・反対運動が起こったんですけども今はですねそこに橋ができて海中道路ですねヘンザとミヤギ島の間は埋め立てて
「1番下の写真に行っていただくと20年前です。これが現在ですかね。
≪そうですね
「埋め立てちゃった
≪向こうに海があってですねわたしはこちらの島にですねトウバル風いうところで校長先生のですね家で向こうを眺めながら海があるころですね
「初めの写真にはあれ海なんですね。
≪海なんです
「1番最初の写真を見せてください。海ですね。これ20年前ですね。で次も海なんですけども3年後ぐらいですから。いや1年後ですか。そして1番下の写真埋め立てちゃってすごいですね。変わりましたね
≪校長先生と海を見ながら泡盛を飲んでキラキラ向こうで光で海を見ながらそういう風景もなくなりましたね。
黒柳「2日さて現在の沖縄なんですけども基地の街はそのまま残されているということで、あの本当にこれもまた象徴的な写真だと思うんですけどもこれはどういう
石川≪これは読谷村ですね。で特殊部隊がパラシュート訓練をしているところ
「下では農村。
≪そうですね
「働いているところ
≪まあ普通に見るとですねなんかこうのんびりしているなと思えるかもしれないけども異様な風景ですよね。あの農村、農場というのは生活の場ですからね。そこでですねパラシュート訓練をしているですからね
「であの来年の3月10日の大空襲の日に65歳におなりになるんで日本縦断北海道から沖縄まで歩くをつもりだそうで
 http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2002/h14-11-5.html

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