┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 『THE BEATLES Interviews Database』 ┃
①┃ 163 Beatles interviews & press conferences ┃
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‡1963(昭和38)年8月28日(水)
‡No.006(05) 1963-08-28(wed) Beatles / BBC-TV, The Mersey Sound (4 photos) A Beatles' dressing room chat in Manchester. Cup of tea, Madam?
Beatles Interview: Manchester Dressing Room 8/28/1963
『The Mersey Sound』documentary attempted to analyze the Mersey Beat phenomenon. It would be first telecast in Britain a little over one month later
on October 9th(wed), John Lennon's 23rd birthday.
②━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
‡1964(昭和39)年8月28日(金)
‡No.047(31) 1964-08-28(fri) Beatles / New York City (2 photos) The Beatles chat up the press at the Delmonico Hotel.
Beatles Press Conference: New York City 8/28/1964
③━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
‡1965(昭和40)年8月28日(土)
‡No.075(16) 1965-08-28(sat) Beatles / San Diego, California Press Conference (3 photos) The press greet the Beatles at Balboa Stadium.
Beatles Press Conference: San Diego, California 8/28/1965
④━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
‡1965(昭和40)年8月28日(土)
‡No.076(17) 1965-08-28(sat) Beatles / San Diego, California Interview (1 photo) The Beatles hang out with Jerry G. Bishop.
Beatles Interview: San Diego 8/28/1965
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①http://www.beatlesinterviews.org/db1963.0828.beatles.html
②http://www.beatlesinterviews.org/db1964.0828.beatles.html
③http://www.beatlesinterviews.org/db1965.0828pc.beatles.html
④http://www.beatlesinterviews.org/db1965.0828.beatles.html
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モノクロ映像◆Beatles Los Angeles Press Conference 1966 https://youtu.be/O8MgItRRaTo
(tue)23 August 1966 New York City, United States, Shea Stadium
(wed)24 August キリスト発言に答えるジョン・レノン
(thu)25 August 1966 Seattle City, United States, Seattle Center Coliseum (Afternoon)
‡(sun)28 August 1966 Los Angeles City, United States, Dodger Stadium
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┃ THE CAVERN CLUB キャヴァーン・クラブ ┃
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‡1962(昭和37)年 8月28日(火) 別の "ブルージーンズゲストナイト"。ビートルズは最初のバーミンガム・グループ、ジェリー・リーヴェンとアベンジャーズと一緒に演奏した[46]。
Note・・・ビートルズのキャバーン・クラブへの正確な出演回数は判っていない。しかし1961年2月9日から1963年8月3日までの期間に、少なくともランチタイムショーで155回、イブニングショーで125回の演奏を行っている。
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https://en.wikipedia.org/wiki/The_Beatles_at_The_Cavern_Club
http://gejirin.com/beatles/history/1961/19610209_live_cavern_first_beatles.html
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①┃ Summer 1963 UK Tour“THE BEATLES SHOW” ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
‡No.61 (wed)28 August 1963 Southport, England, Odeon Cinema (3)
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①┃ Summer 1964 United States & Canada Tour ┃THE BEATLES SHOW
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‡No.08 (fri)28 August 1964 New York City, United States, Forest Hills Stadium
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┃ Beatles {U.S.A.} Ltd. ┃
②┃ THE BEATLES' 1965 US Tour ┃
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‡No.12 (sat)28 August 1965 San Diego City, United States, Balboa Stadium
01.♪Twist and Shout♪ (excerpt) (not played at Minneapolis due to problems with Lennon's voice)
02.♪She's a Woman♪
03.♪I Feel Fine♪
04.♪Dizzy Miss Lizzy♪
05.♪Ticket to Ride♪
06.♪Everybody's Trying to Be My Baby♪
07.♪Can't Buy Me Love♪
08.♪Baby's in Black♪
09.♪I Wanna Be Your Man (♪Act Naturally♪, also sung by Starr, played at Shea Stadium)
10.♪A Hard Day's Night♪
11.♪Help!♪
12.♪I'm Down♪
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┃ Beatles {U.S.A.} Ltd. ┃
③┃ THE BEATLES' 1966 US Tour ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
‡No.18 (sun)28 August 1966 Los Angeles City, United States, Dodger Stadium
01.♪Rock and Roll Music♪
02.♪She's a Woman♪
03.♪If I Needed Someone♪
04.♪Day Tripper♪
05.♪Baby's in Black♪
06.♪I Feel Fine♪
07.♪Yesterday♪
08.♪I Wanna Be Your Man♪
09.♪Nowhere Man♪
10.♪Paperback Writer♪
11.♪Long Tall Sally♪
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①https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_the_Beatles%27_live_performances
②https://en.wikipedia.org/wiki/The_Beatles%27_1965_US_tour
③https://en.wikipedia.org/wiki/The_Beatles%27_1966_US_tour
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┛THE BEATLES 1968 Recording Sessions ┛Trident Studios
┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛5.00pm-7.00am
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┃ ♪Dear Prudence♪ ┃take 1
┗━━━━━━━━━━━┛No.1 トライデント・スタジオの8トラックレコーダーを使って録音されている。先日の「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」に引き続いてのセッションの為にリンゴ不在で録音が行われている。まず、ポールのドラム、そしてジョンとジョージのギターでベーシックトラックを録音。ジョンはインドでドノヴァンに教わった3フィンガーアルペジオを使って終始ギターを弾いている。6弦でD音を使用するために、ギターはドロップDチューニング(6弦のみ1音下げる)が使用されている。この日は第1テイクを徹底的に作り込んだ。
⑧Note・・・このアルバムのセッションでポールは8月22日の「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」●8月28日の「ディア・プルーデンス」でドラムを叩いてはいるが「人として」そのリンゴ脱退騒動があって、和解して復帰した後に、またドラムを叩けるのか?という個人的な疑問もあったりするw 同じトライデントで録音された「ディア・プルーデンス」と比べてみると、リズムはともかくフィルインのシャープさがまるで違う気がする。いわばとても「リンゴ臭い」オカズなのである。
Producer: George Martin
Engineer: Barry Sheffield
2nd Engineer: unknown
‡1968(昭和43)年8月28日(wed)
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https://beatlesdata.info/10/02_dearprudence.html
https://en.wikipedia.org/wiki/Dear_Prudence
⑧https://beatlesdata.info/10/09_marthamydear.html
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映像◆The Beatles at Balboa Stadium, San Diego CA https://youtu.be/DdRcdH75z7I
‡28 August 1965 Balboa Stadium, San Diego CA
2010年8月にレイモンド・ジョーンズは、ビートルズを紹介するサイトにメールアドレスを添えて、コメントを残しました。それで、そのサイトの運営者は、彼に対し、電話とメールでインタビューに応ずるつもりがあるかどうかを尋ねました。その会話の中で彼は、リヴァプール時代のこと、それからビートルズ、ブライアン・エプスタインのことについて語り、そして、なぜ、彼が今まで率直に真実について語らなかったのかを話しました。そのインタビューの内容は次の通りです。
cdn-ak.f.st-hatena.com
Q「ビートルズ伝説は、あなたが18歳の時から始まり、当時、あなたはリヴァプールのハイトンから来た印刷の見習工だったという話は正しいですか?」
A「ブライアン・エプスタインが書いた『A Cellarful Of Nois』という本の中で、私を皮のジャケットを着た18歳の若者として描いていました。私は、きっと実年齢より若く見えたんだと思います。私は、1941年7月21日生まれなので、当時はもう20歳だったんです。私と友人のロン・ビリングスレイは、ビートルズを観たり聴いたりする以前から、好んで皮のジャケットを着ていました。私は、ロンのオートバイに2人乗りしました。私は、小さな印刷工場で働いていました。そこは、元はデイル・ストリートのパブでした。」
Q「あなたは、どのようにしてビートルズを知ったのですか?」
A「私は、キャヴァーン・クラブのランチタイム・ショーの常連だったんです。そこから歩いて5分ぐらいのところにあるデイル・ストリートで働いていたんです。社長は、私がどれだけ長いこと休憩していようと、夜まできっちり働いていれば何も言いませんでした。今思えば、とてもラッキーでしたね。」
「最初に私がビートルズを観たときは、衝撃でぶっ飛びましたよ。私が観るものも聴いたものも信じられませんでした。あんなサウンドを聴いたのは初めてです。その頃は、ピート・ベストがドラマーでした。彼は、良くカール・パーキンスの『マッチ・ボックス』を歌ってたんですが、私は、カール・パーキンスの熱烈なファンで、彼らがどんなコードで演奏するのか興味があったんです。」
「ある日、キャヴァーンのDJだったボブ・ウーラーが、私の仕事場に何枚かのチケットを持って来たので、次に彼らがどこで演奏するのか彼に聞いたんです。そしたら、彼は、今度チケットを手に入れたら、いつどこで演奏するか教えてくれると言ったんです。」
「彼は、チケットの束を手に入れるとそのうちの2枚を私にくれ、それにサインしてくれたので、私は、タダで会場へ入ることができました。その会場は、『ノッティ・アッシュ・ヴィレッジ・ホール』でした。その後、私は、ビートルズの追っかけをするようになり、演奏がある夜は殆ど通いました。まあ、完全にはまっちゃたってことです。」
Q「ビートルズは、『マイ・ボニー』をハンブルクでレコーディングしました。そのレコードのことをどうやって知ったのですか?」
A「私の以前の義兄だったケニー・ジョンソンは、『マーク・ピーターズ・アンド・ザ・サイクロンズ』というバンドのリード・ギターをやっていたんです。私は、彼からビートルズがドイツでレコードを制作した話を聞きました。次の土曜日、私は、NEMSレコード店へ行き、誰が出したかわからないレコードをブライアン・エプスタインに尋ねました。彼は、私に質問し始めました。『彼らのグループ名は何?どこで演奏したの?どんなタイプの曲を演奏したの?』」
「私は、その日にNEMSレコード店へ行くまでは、キャヴァーンでもほかの場所でも、トニー・シェリダン/ビートルズのレコードは聴いたことがなかったんです。さっきも言った通り、ケニー・ジョンソンから話を聞いて店へ行って、レコードを買おうと思ったんです。それから大体2週間ぐらい経ってから、私は、ボブ・ウーラーからその曲はキャヴァーンで演奏していると聞かされました。」
Q「それまでにビートルズに会ったことはありましたか?」
A「私は、彼らのことは知りませんでしたが、彼らに話しかけたことは何度かあります。私の父は、ジョージのお父さんと同じでバスの運転手をしていました。彼らは、良くリヴァプールのドヴコートにある『トラムウェイ・ソーシャル・クラブ』というパブに通っていました。私は、私の父とジョージのお父さんも一緒に飲みに行きました。ジョージは、その夜はあまりしゃべりませんでしたね。」
「ジョージは、ステージに上がると別人になるんです。ある日、彼は演奏の合間に短いインスルトゥルメンタルを演奏していました。彼らは、皆いつもシャドウズ(ビートルズが登場するまで、イギリスで最も人気のあった歌手クリフ・リチャードのバック・バンドで、バンドとしても多くの曲をヒット・チャートに送り込みました。)の曲から演奏を始め、舞台の前に出たり後ろに下がったりしながら演奏しました。もちろん、彼らは、薬の入った酒を飲んでいました。将来彼らがあんなビッグアーティストになるなんて、誰も思ってもいませんでした。」
「それからほどなくして、彼らは、ビル・グランディが演出したテレビのショーに午前6時30分に出演しました。そのショーの放送があった後、誰もが流行に乗りました。それまでは、演奏の間中、彼らの近くにいることができたのに、テレビで放送された後にはもう近づけなくなってしまったんです。それ以来、私は、キャヴァーンへ行かなくなりました。私にとっては、もう行く場所ではなくなったんです。」
「ビートルズが2曲をレコーディングした後、ブライアン・エプスタインは、一般の新聞に彼らについての記事を載せ、それには私は18歳の『みすぼらしい』皮のジャケットを着た若者として描かれていました。私は、NEMSにそのことについて私がその記事を不愉快に思っているという手紙を書きました。私は、その手紙で、その頃は、スーツなんか仕事で必要な人しか着てなかったと書いたんです。」
「少し経ってから、NEMSの関係者が手紙で、デイル・ストリートから離れたムーアフィールズにあるエプスタインの事務所に来て欲しい、と書いて送って来ました。私は、彼と連絡を取ると、彼は、自分の事務所に来てくれと依頼し、個人として謝罪したいと言いました。彼は、軽く謝罪の言葉を述べた後、私とデイル・ストリートにあるパブへ行って一緒に酒を飲みました。彼は、私に様々な質問をし、同時にノートに書き留めました。彼は何も言いませんでしたが、私は、『A Cellarful Of Noise』という本に書くつもりに違いないと思いました。」
「少し後に、私は経緯をはっきり覚えていないのですが、私の隣人がエプスタインに手紙を書いたんです。すると、エプスタインの秘書のダイアナ・ヴェロから、彼の本を送るので住所を教えてほしいと返信が届きました。1週間かそこらで私はそれを受け取りました。」
(参照文献)The Beatles Bible, MUSICASTORIA
http://abbeyroad0310.hatenadiary.jp/entry/2016/01/17/014449
(その32)~ ビートルズとブライアン・エプスタインとの出会い(その2)
2016-01-21
レイモンド・ジョーンズに対するインタビューの続きです。
Q「なぜ、あなたは、これまで公けの場に出てビートルズの歴史について主張しようとしなかったんですか?伝記では、あなたは不確かな実在しない人物として描かれているのに、あなたがそれに対して沈黙を続けてきたのは疑問なんですが。」
A「私は、ボブ・ウーラーが企画した、リヴァプールでの一番最初のビートルズ・コンベンションに招待されたんです。でも、大勢の人前に出るのは自分の性格には合わないと感じ、その場で自分のプロフィールについては封印することにしました。」
「何年か後に、レイモンド・ジョーンズが、他のコンベンションに登場すると宣伝されました。私の友人のロン・ビリングスレイの妻シルヴィアは、私に会えると思ってそこへ行ったのですが、そこで彼女が目にしたのは、ボブ・ウーラーとアリステア・テイラーが議論していて、ボブが自らをレイモンド・ジョーンズと名乗っているところです。」
「ボブは、自分がウソをついていることを知っていて、もし、誰かが私の消息について知っていたとしても、黙っていてくれるよう参加者に口止めしていました。シルヴィアはとても内気で、自分の意見を言える性格ではありませんでしたが、彼女は、ボブの話の後で彼のところへ行き、彼女は私と連絡を取れると告げました。彼女の夫と私の友人は連絡を取り、今度は私が、ボブと連絡を取りました。」
「ボブと私は、テイラーの主張を不愉快に感じ、行動を起こす計画について話し合いました。ボブは、彼が本を出版することを計画していて、その中で真実を公表するつもりだと話しました。スペンサー・リーは、既にボブについて本を書いていました。それは、『最も優れたヤツ』と呼ばれ、ボブ・ウーラーに関する話でした。」
「スペンサーはまた、雑誌『モジョ』の中で『ノーウェア・マン(どこにもいない男。これはジョンの同名の名曲に引っかけてるんですね)が見つかった!』という記事で、私のことについて書きました。少し経ってから、モジョ出版社は、私に接触してきて、この話を本として出版することに関する許可を求めてきました。10年後、それは世界に衝撃をもたらしました。」(終わり)
え?この話、そんな経緯があったの?って今さらながら思いました(; ̄O ̄)ビートルズとブライアン・エプスタインとの出会いについては、ビートルズ・ファンは良く知ってる出来事なんですが、ビートルズの歴史の始めの方で簡単に触れられるだけで、それも「どこの誰だか分からない一人の青年」として描かれているだけでした。未だに公式ガイドブックにも彼の名前は出てきません。
それに、本当にそんな人物が実在するなら、絶対名乗り出たでしょう。自分のことだということは、すぐに分かったはずですから。そのため、「エプスタインがビートルズのサクセス・ストーリーを盛り上げるために作り上げた架空の人物」という話があり得るとして信じられたのもムリはありません。
私だったら、絶対黙ってられませんけどねf^_^;「その青年ってのは、オレだ、オレだ、オレだ?!」ってすぐに名乗り出ますよ(笑)その当時の詳しい話をすれば、状況が一致するからすぐに真実だと分かってもらえるでしょう。そうすりゃ、歴史に名前が残るじゃないですか!こんなオイシイ話ありませんよ。
でも、世の中には世間の注目を集めたくない人も大勢いるのは確かです。ジョーンズもそんな一人だったんでしょう。ただ、余りにもデタラメがまかり通って、流石に黙ってられなくなったんですね。
それにしても不可解なのは、コンベンションでのウーラーの言動です。自らジョーンズを名乗り、しかも観客に口止めまでしてたなんて信じられません。彼は1926年生まれですから、1961年当時は35歳ですよ?それが18歳だなんてサバ読み過ぎでしょ?何でそんなことをしたんでしょうか?それに、キャヴァーンで彼がDJをやってたのは、通ってた人はみんな知ってますから、もし、会場にいたらすぐバレちゃうじゃないですか!現にバレましたしね。
しかも、ジョーンズ本人が現れるとウーラーは、テイラーに抗議し、真実を明らかにすると約束までしています。言動が支離滅裂で訳が分かりません( ゚д゚)まあ、テイラーがジョーンズの存在を否定していたのが気に食わず、自らジョーンズを名乗ることでその存在を明らかにしようとしたとも考えられますが、いかにもムリがあり過ぎでしょう。
歴史というのは怖いもので、事実と信じられていたことが後になって否定されることもあるんですね。肝心のジョーンズの話の信ぴょう性については、ブライアンもウーラーも故人なので確かめようがないのですが、具体的で客観的事実とも符合する点が多く、友人も多く関わっていることから、高いと考えて良いと思います。
5年も前に報道されてたんですが、私は知りませんでしたf^_^;っていうか、ネットニュースでも流れて無かったと思うんですが。余りにもマニアックな話題だったので、報道されなかったんでしょうかね?
そもそも、この話は、ブライアン・エプスタインが自伝の中で、レイモンド・ジョーンズの存在を明らかにしたことが発端です。ところが、張本人のジョーンズ自身が名乗り出なかったため、信ぴょう性に疑いも持たれていたのです。
そこへ、1995年11月4日に突然、アリステア・テイラーが「デッチ上げ説」を唱えたために、大騒ぎになってしまったのです。
しかし、レイモンド・ジョーンズが架空の人物であるというアリステア・テイラーの話は、BBCのラジオ・プレゼンターであったスペンサー・リーによって否定されました。彼は、レイモンド・ジョーンズを取材し、雑誌モジョに記事を掲載しました。彼は、2002年10月25日に「The Best of Fellas」という書籍を出版し、この問題について詳しく記述し、NEMSとブライアンが、ジョーンズがビートルズが有名になったことについて果たした役割を知るために接触したことを記述しています。これは、スペンサー・リーが自筆のサインでジョーンズにプレゼントした書籍です。
リーの自筆で「To Ray, At last-your rightful place in Beatle history! All the best」とサインがしてあります。「レイさんへ ついにあなたは、ビートルズの歴史において正当に位置づけられました。最高です。 スペンサー・リー」
ビートルズの伝記作家であるマーク・ルイソンは、リーが記述したジョーンズに関する情報は、証拠に裏付けられた正確なものであると主張しています。
一方、アリステア・テイラーは、2002年4月10日に受けたインタビューに対して、次のように答えています。
「キャヴァーン・クラブでビートルズを初めて見たのは、1961年11月9日だった。ブライアンと私は、店から出てマシューストリートを歩いてクラブに行き、彼らを見た。
彼らをマネジメントするつもりじゃなく、単に好奇心をそそられたからなんだ。誰もが我々が彼らのことを知っていたから行ったんだというが、そうじゃない。『マイ・ボニー』が沢山売れたし、キャヴァーンは店のすぐ近くにあったからね。
レイモンド・ジョーンズは、この40年の間に一度だけ酷く酔っ払って、マージーサイドラジオに電話して来たんだ。私は、レイモンド・ジョーンズのことは全く記憶にない。だから、彼のことは気に留めないことにした。ボブ・ウーラーと私のどちらを信用するかは、あなた次第だ。レイモンド・ジョーンズか私のどちらかがやったことだよ。」
つまり、彼の主張では、レイモンド・ジョーンズなる人物は実在せず、あくまでマイ・ボニーが凄く売れたことで、ブライアンとテイラーがビートルズに興味を持ち、キャヴァーンが店から近いこともあって見に行ったのであって、決して彼らのことを知っていたわけではないということですね。スペンサー・リーの本が出版されても、自説を曲げなかったことになります。これがテイラーです。
私は、テイラーは、本人の個人的見解を述べたのであって、決してウソをついたつもりはないと思います。彼が記憶していることを忠実に語ったのでしょう。例え、それが結果的に真実に反していたとしても、そのことをもって彼を非難することはできないと思います。そして、ブライアンとジョーンズとのやり取りの時には、テイラーはたまたまその場にいなかったんでしょう。だから、知らなかったとしても不自然ではありません。
ただ、ブライアンの生前に何故そのことを本人に確かめなかったのかという素朴な疑問は残ります。このことについてテイラーは、ブライアンが伝説を作り、しかもそれが独り歩きしてもはや止めることができなくなったので、そのままそっとしておこうと考えたのだと語っています。テイラーは、ブライアンの片腕でしたから、彼の名声に傷を付けてはいけないと考えたのでしょう。
しかし、それならそれで、何故沈黙を守らず、何十年も経ってから突然ネタばらしをするようなことをしたのでしょうか?それに故意ではないにしても、ジョーンズを全く架空の人物と決め付けてしまったことには大いに問題があります。彼がジョーンズの発注を受けていなかったのは事実だとしても、それが直ちにジョーンズを架空の人物と決め付ける根拠とはなりません。店長が客との些細なやり取りを一々店員に告げることも無いでしょう。ブライアンとジョーンズとの出会いも、ブライアン自身が忘れてしまったとしても何ら不思議ではない位些細なやり取りですから。
確かに、マイ・ボニーが売れたことも、彼らをキャヴァーン・クラブへ向かわせた動機の一つであったことには違いありません。しかし、ブライアンにはそれに加えて、ジョーンズの存在があったのです。テイラーが、自分が目撃していなかった、あるいは、証拠となるものが存在しないという理由だけで、ジョーンズが実在しないと決め付けてしまったことは、ミスリーディング以外の何物でもないと思います。
しかも、それに加えて、ブライアンがビートルズ伝説を盛り上げるために作り話をしたとまで主張していますが、これは彼の憶測に過ぎず、これこそ何の根拠も無かったのです。このことで50年近くも世界中が惑わされたこと、それからブライアンの名誉を傷付けたことについては、批判されても致し方ないと思います。
一方、ジョーンズは責められないでしょう。確かに、彼がもっと早く名乗り出てくれさえすれば、世界中が惑わされることもなかったのですから。しかし、名乗り出ればマスコミが殺到し、一躍時の人に祭り上げられ、平穏な生活ができなくなってしまうおそれがあります。人によっては、それを苦痛と感ずることもあるでしょう。
でも、彼が勇気を奮って名乗り出てくれたお陰で、ビートルズにまつわる大きな謎の一つが解明されました。私は、(その5)でブライアンがビートルズ伝説を盛り上げるために、話を盛ったという説もあると書きましたが、もうその時点で真相が明らかになってたんですね。調査不足のために誤った情報を提供してしまいました。ここで訂正してお詫びしますm(_ _)m「過去の歴史は、後世になって書き換えられる可能性がある。」ということも良く分かりました。
それから、天国のエピー、ごめんね。少なくとも、このブログを読んで頂いた皆さんに、あなたが話を盛った可能性もあるなんて印象を与えてしまって、申し訳ありません。
ということで、このお話しはここまでとしておきます。
(参照文献)THE BEATLES BIBLE, THE ALISTAIR TAYLOR INTERVIEW, BEATLES MUSIC HISTORY
(続く)
http://abbeyroad0310.hatenadiary.jp/entry/2016/01/21/000359
映像◆The Beatles Magical Mystery Tour Filming: Fish 'N' Chips https://youtu.be/fa7cJ4d_Ch0
1967(昭和42)年09月15日(fri) 撮影映像
映像◆The Beatles Magical Mystery Tour - The Wizards Filming Session https://youtu.be/t9mcsmpnUPg
1967(昭和42)年09月20日(wed) 撮影映像
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┃『MAGICAL MYSTERY TOUR』┃
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1967(昭和42)年09月11日(mon) 撮影開始
1967(昭和42)年09月25日(mon) 撮影終了
1967(昭和42)年12月26日(tue) BBC1 白黒放送
1968(昭和43)年01月05日(fri) BBC2 カラー放送
1968(昭和43)年08月11日(sun) New York City:Fillmore East AM8:00&AM10:00
1975(昭和50)年01月10日(fri) アップルのオフィスで上映
1979(昭和54)年12月21日(fri) BBC2『ビートルズ・アット・クリスマス』までTV放映無
1993(平成五)年11月01日(mon) MTVヨーロッパ「ビートルズ・デー」の一部
https://en.wikipedia.org/wiki/Magical_Mystery_Tour_(film)
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┃『ビートルズのふしぎな旅』┃
┃ 『マジカル・ミステリー・ツアー』 ┃
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1968(昭和43)年10月10日(木) TBS 日本初放送 ちなみに……「日本での初OA時は放送事故があった」という伝説を、雑誌「レコード・コレクターズ」2012年11月号で大村亨という方が、見事に検証されています。
2012(平成24)年10月14日(日)25:35~28:00
2012(平成24)年10月15日(月)01:35~04:00
フジテレビ三夜連続企画《THE ROCK MOVIES》第一夜
1967:イギリスBBC『マジカル・ミステリー・ツアー』
2012:イギリスBBC『アリーナ:マジカル・ミステリー・ツアー リビジデッド』の2本をノーカット(ただしCMあり)放送
http://webneo.org/archives/5910
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┃『マジカル ミステリー ツアー』┃
┃ 『シェア スタジアム』 ┃
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2007(平成19)年11月20日(火) 今回は、
‡1977(昭和52)年08月28日(日) 有楽町は数寄屋橋横、丸の内ピカデリーの地下にあった丸の内松竹で見たビートルズ「シェア スタジアム マジカル ミステリー ツアー」豪華2本立ロードショーのプログラムから全ページを載せました。まあ、プログラムそのものも250円で16ページというペラペラのものですから省略のしようがないといったところ!?今年もこの時期になるとビートルズものが多数リリースされます。そんな中、先日購入した「ヘルプ!4人はアイドル」のデラックス・エディションはすごい!! とくに写真集がすばらしかったですね。その他附随するグッズも良い!! 値段も高いですが、ずっしりとした豪華感!? は十分でした。そこでビートルズ映画といえばこれがあったではないですか!! 当時、解散してから7年とはいうものの、この年ビートルズのライブ・アルバムも発売されグループの人気は高まる一方。そこで「シェア スタジアム」のライブ映画と「マジカル ミステリー ツアー」を2本立で公開するという暴挙!? いや、快挙にうって出た松竹さん!! わたしのように伝説の世界でしか知らなかったシェア・スタジアムの全貌、マジカルの映像が見られるとあっては、映画館に行かないわけにはいかなかった!!と、勇んで見たはいいがこれまた今となってはこの映画自体の記憶はほとんどないですね。お客さんも満員というわけでもなく、ライブのほうもレコードを流した疑似ライブだったように感じました。でも、映像は映像なのでファンの反応のすごさには圧倒されましたけど。マジカルは、放映当時不評だったというのもわからなくはない出来。ちょっとフェリーニの映画みたいでおもしろかったことはおもしろかったですが。ビートルズのライブ史の中、重要な位置をしめるシェア・スタジアムでのライブ。現在では「アンソロジー」でより美しい映像によるライブが全体の半分ぐらい見られます。演奏も詳しくはわかりませんがライブ録音のようです。それでも映像と違和感があるので、わたしが映画館で見た時も疑似ではなく実際にこの音だったのかもしれません。また、後年「シェア スタジアム」はビデオでも発売されていたようですが、現在では当然のように存在しません(と思いますが)。「マジカル ミステリー ツアー」の方はOK!! そのうち豪華絢爛!? のデラックス・エディションなんてのも出てくるでしょう!! プログラムは素材があまりなかった(使えなかった)のか、デザインの苦労がしのばれます。立川直樹さん、石坂敬一さん2人の文章も当たり障りのないものに。それでもビートルズの4人が写っていればカッコイイネ!!
http://mamedama2.cocolog-nifty.com/rockpop_park/2007/11/post_900d.html
【ビートルズ最大の失敗作】マジカル・ミステリー・ツアー
「永遠に10年早い映画」「名高いビートルズの音楽に申し訳程度の映像がおまけ」「ビートルズの“マジック”は失敗」「愚かなホーム・ムービー 伝説の終焉」など散々な評価をされたビートルズのテレビ映画”マジカル・ミステリー・ツアー”とは何なのか?
2013(平成25)年05月25日(土) 更新日
https://matome.naver.jp/odai/2136911843869313301