過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日の走る投げる打つシンプルなゲーム等だヨ(=^◇^=)

 

 映像◆三島由紀夫vs東大全共闘(長尺版) http://youtu.be/5wLaND09VF8
‡1969(昭和44)年05月13日(火) 東京大学900番教室
 
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 ┃ 刑事裁判 原審 ┃
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 2002(平成14)年10月25日(金) 事件
 2002(平成14)年11月18日(月)起訴
 2003(平成15)年01月21日(火)10:00~12:00 第01回公判(425号法廷)
 2003(平成15)年02月20日(木)15:00~17:00 第02回公判(425号法廷)
 2003(平成15)年04月22日(火)10:00~12:00 第03回公判(425号法廷)  秘書1への尋問
‡2003(平成15)年05月13日(火)13:30~16:30 第04回公判(425号法廷)  秘書2、被告人が住んでいた賃貸人への尋問
 2003(平成15)年06月09日(月)10:00~12:00 第05回公判(425号法廷) 
 2003(平成15)年06月26日(木)13:30~16:30 第06回公判(425号法廷) 
 2003(平成15)年07月18日(金)13:30~16:30 第07回公判(425号法廷)  警察官への尋問、被告人質問
 2003(平成15)年09月01日(月)13:30~16:30 第08回公判(425号法廷)  被告人質問
 2003(平成15)年09月22日(月)13:30~16:30 第09回公判(425号法廷)  被告人質問(検察側)
 2003(平成15)年10月29日(水)10:00~12:00 第10回公判(425号法廷) 被告人質問
 2003(平成15)年11月14日(金)13:30~16:30 第11回公判(425号法廷) 取調検事への尋問、被告人質問
 2003(平成15)年12月24日(水)10:00~12:00 第12回公判(425号法廷) 被告人質問(弁護側)
 2004(平成16)年02月06日(金)10:00~12:00 第13回公判(425号法廷) 証拠物(ビデオテープ)の取調べ、被告人質問(双方)
 2004(平成16)年03月05日(金)15:00~15:30 第14回公判(425号法廷) 証拠の取調べ
 2004(平成16)年03月24日(水)13:30~16:30 第15回公判(425号法廷) 遺族の意見陳述と、論告求刑(無期懲役が求刑)
 2004(平成16)年04月27日(火)13:30~16:30 第16回公判(425号法廷) 弁護側弁論と被告人の意見陳述(結審)
 2004(平成16)年06月18日(水) 10:00~10:30 第17回公判(425号法廷) 判決(104号法廷) -無期懲役の実刑判決が出ました。
 2004(平成16)年06月18日(水) UP 衆議院議員石井こうき氏の刺殺事件に関し、本日、判決が出されました。2年前の10月25日の事件から1年8ヶ月がたとうとしています。期日も17回を数えました。求刑が無期懲役のところ、判決も無期懲役という判決です。日本の現状の実務を前提とすると、もっとも重い判決と言ってよいと思います。朝日新聞:読売新聞:毎日新聞:東京新聞:産経新聞
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 http://masakikito.com/ishii/ito-kohan.htm
 https://www.uta-net.com/song/11684/
 https://matome.naver.jp/odai/2147997226852760901
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 映像◆日本崩壊まであと〇年 殺された石井紘基議員が調べていた日本を蝕む特別会計の闇の話https://youtu.be/dpq-_e0Og4Y
 2019(令和元)年08月11日(日) 公開 説明どうも削除されたみたいですが、基礎知識としてこの程度のことは必要と思いますので再掲します。じっくりご覧ください。官僚、公僕?とは名ばかりで陰でいかにえげつないことをしているかよくわかります。一度徹底的に懲らしめないとだめね。
 2019(令和元)年12月29日(日) 347,725回視聴 良6,579 悪291 
 

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 ┃ コロナ NEWS 2020 ┃
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 夏のボーナス全額カット 福岡、北九州両市長「コロナ対策に」
‡2020(令和二)年05月13日(水) 21:07配信 西日本新聞
 福岡市の高島宗一郎市長と北九州市の北橋健治市長は13日、新型コロナウイルス対策に取り組む姿勢を示すとして、夏の賞与を全額カットするとそれぞれ発表した。高島市長の支給予定額は約347万円だった。副市長や教育長などほかの特別職7人も30~50%削減する。市によると、市長と特別職計8人の削減額は計約970万円。高島市長は「市の医療・介護従事者応援基金に寄付したいが、公職選挙法でできない。賞与カットでコロナ対策などに使う」としている。北橋市長は賞与約300万円の全額、副市長は5割、教育長と常勤監査委員が3割返上する。市によると計760万円に上るという。北橋市長は「少しでも対策の一助になればという思いで決めた」と話した。福岡県の小川洋知事も今月から来年3月まで、賞与を含む給与の20%カットを実施している。削減額は計453万円。副知事など特別職の給与も12~15%減額している。(内田完爾、古川大二)
 https://news.yahoo.co.jp/articles/a9d6bc0f172925a1957b778c867f3a2b7896fad3
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 「78円」⇒「31円」マスク価格競争激化 中国から流入、値崩れ進む
 2020(令和二)年05月18日(月) 11:13配信 西日本新聞
‡2020(令和二)年05月13日(水)写真◆商店街の店頭に積まれて販売される箱マスク。看板に「購入数に制限なし」の文字も=13日、福岡市博多区
 新型コロナウイルスの感染拡大により一時は品薄となった不織布マスクだが、供給が追い付かないドラッグストアや量販店の一方で、衣料品店や飲食店など「異業種」の店頭で大量陳列されるケースが目立ってきた。中国からの輸入が増えた影響で、価格競争は激しさを増している。
 福岡市博多区の博多川端商店街では大型連休明けから複数の露店が、50枚入りの1箱を2千円前後で販売している。「3千円で売るつもりだったが競合を考慮して2500円に下げ、さらに500円値引きした」とある販売員は打ち明ける。
 同市・天神地区では50枚入りマスクを3500円で売る衣料品店や2千円台の宝飾品店など乱立状態だが、中には「1355円から」との看板を掲げた化粧品店も。インターネット通販の価格比較サイトでは、マスク1枚当たりの平均価格は不足感が強かった
 2020(令和二)年04月24日(金)に78円だったが、
 2020(令和二)年05月14日(木)には31円にまで下がった。
 一方、ドラッグストアなどではなお品薄が続く。大手量販店は「仕入れ値が以前の10倍に跳ね上がり、扱えない」。だが、別のチェーン店は取引先の開拓で今月に入荷が急増したといい、事業者によってばらつきがあるようだ。(布谷真基、仲山美葵、黒田加那)
【写真】いくら?商店街の露店に積まれて販売される箱マスク
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「おごってくださいよ」うどん店で絡む酔った若者…年配の男性客の対応に感服
「ヘルスかソープかな」女性を売買する男たち
 https://news.yahoo.co.jp/articles/1e3e07ffe50197a0be6da7410b7c1a901fdee9e1
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 ┃ 今日は何の日? ┃※名称、肩書き、年齢などは当時のものです
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 1972(昭和47)年05月13日(土) 大阪・千日デパートビルで火災 ⇒ 大阪ミナミの複合ビル、千日デパートビルで火災が発生。7階のキャバレーを中心に多くの客や従業員が逃げ遅れた。防火設備の未整備もあって死者は118人に膨らみ、国内で史上最悪のビル火災惨事となった。建物は火災後、取り壊された。写真は、黒煙を出して激しく燃える千日デパートビル=大阪市中央区【時事通信社】
 1939(昭和14)年05月13日(土) NHK放送技術研究所が国産テレビの試験電波発信を開始 ※2021(令和三)年記事削除
 1950(昭和25)年05月13日(土) 英国シルバーストンでF1世界選手権第1戦が開催
 1989(平成元)年05月13日(土) ロッテ・村田兆治投手がプロ野球21人目の200勝投手に
 https://www.jiji.com/jc/daily
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①┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=内田孝治
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‡2010(平成22)年05月13日(木) ロッテ・福浦和也がビデオ判定で代打満塁弾
‡2017(平成29)年05月13日(土) 11:10 プロ野球の歴史の中で、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は5月13日だ。 
 写真◆福浦は自らアピールし、ビデオ判定に持ち込んだ
 開幕は二軍スタートながら現在は井口資仁との併用でDHや一塁に入り、5月11日の試合では四番打者として4打数2安打をマークしたロッテの“生きる伝説”福浦和也。通算2000安打に向け、少しずつ少しずつ近づいている41歳のベテランだ。 
 2010年5月13日は、おそらく福浦にとっても思い出深い試合ではないだろうか。 
 この年、一塁でポジションの重なる金泰均の加入もあって、当初はDHか代打起用のケースも多く、セの主催でDHのなかった、この日の横浜戦(横浜)もベンチスタートとなった。なお、当時交流戦は今より試合数が多く、スタートも5月12日からと早かった。 
 1点を追う6回表だった。満塁の場面に代打で登場した福浦の一打は、右翼ポール際の大飛球。ファウルのジャッジだったが、福浦自ら「ポールを巻いたと思うんですが」とアピールし、ビデオ判定となった。結果は判定が覆っての代打逆転満塁ホームランだ。 
「満塁というチャンスで代打に立たせていただいて、結果を出せてよかった」と謙虚な言葉で喜びを語った福浦。ふつうならチャンスの少なさにくさってしまうところだが、福浦は真摯な姿勢を貫き、その後、指名打者のスタメンに定着。終盤は四番を打つこともあった。最終的には規定打席未満ながら打率.295、本塁打は6年ぶりの2ケタとなる13本塁打をマーク。自身初のベストナインを指名打者で受賞した。 
 まさに、その努力を野球の神様は見ていた、ということだろう。来季以降の達成と思われている2000安打だが、もしや、もしやのサプライズもあるかもしれない……。 
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②┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
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‡2005(平成17)年05月13日(金) 西武・西口文也「ノーヒットノーランなんか、やっていいのかという気持ちだった」
‡2018(平成30)年05月13日(日) 7:05 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は5月13日だ。
 写真◆9回二死から本塁打で記録ならず
 試合後、報道陣が西武・西口文也を囲み、ある言葉を引き出そうと必死に質問をぶつける。 
「悔しかった」である。 
 ただ、当時パ・リーグの現役最多勝投手だった男は笑って「全然」と言い続けた。 
 2005年5月13日、交流戦の巨人戦(インボイス)、先発した西口はスライダーのキレとコントロールが抜群だった。セ・リーグではお目にかかれないボールに巨人打線は完全にお手上げ。2回表、清原和博の死球以外、まったく走者を出すことができなかった。 
 そして9回表の巨人の攻撃もあっさり二死。しかし、ここで清水隆行が西口2球目のスライダーをライトスタンドに叩き込み、ノーヒットノーランも完封もパーとなった(試合は6対1で西武の勝利)。 
「完ぺきに打たれたからすがすがしい。ノーヒットノーランなんかやっていいのか、という気持ちだったから」と西口。 
 02年8月26日のロッテ戦(西武ドーム)でも9回二死までいきながら記録を逃している西口は「2度も阻まれたのがタイ? 日本シリーズの5連敗もタイだし、いいんじゃないすか」。 
 なお、この人のあと一歩のドラマにはまだ続きがある。それはいずれまた。
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③┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
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‡1989(平成元)年05月13日(土) 22年間をかけて200勝に到達した村田兆治
‡2019(令和元)年05月13日(月) 7:05 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は1989年5月13日だ。 
 写真◆200勝達成で花束を掲げた村田
 ウイニングボールが一塁手・愛甲猛のミットに収まるのを目で追いながら、ロッテ・村田兆治は22年間苦楽をともにしてきた右腕を、少し照れたように天に突き上げた。39歳と5カ月。若林忠志(毎日)の39歳8カ月に次ぐ、史上2番目の“高齢200勝達成投手”の誕生だ。 
 このシーズン、4月9日の西武との開幕戦で完封勝ちし、200勝に王手をかけた村田だったが、次の16日の近鉄戦は延長11回の末に6対7で負け、30日の日本ハム戦にも4回でK0。村田にとって“三度目の正直”で200勝を手にした。 
 68年の初登板から82年5月7日までに156勝した村田だが、そこで右ヒジを痛めたため、157勝目は85年4月14日。約3年もブランクを置いたため、22年かかった200勝。「よくここまで来られたなというのが正直な気持ちだよ」と村田は実感を込めて言った。
************************* https://www.uta-net.com/song/78844
 ①http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20170513-01
 ②http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?id=097-20180513-14&pid=column_detail
 ③https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20190513-11
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①┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画 No.057 ┃  30円
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛写真=BBM
‡1959(昭和34)年05月13日(水)号 特集 プロ野球・当り屋四人男~豊田・藤尾・江藤・張本
 2017(平成29)年12月23日(土) 11:07 2018年に創刊60周年を迎える『週刊ベースボール』。おかげ様で、すでに通算3400号を超えている。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 
◎人物スポット『躍出た第二のハワイ打撃王』
 写真◆表紙は阪神・小山正明
 今回は『1959年5月13日号』。創刊57号で定価30円だ。カラーグラビアは『快調ホークス』。開幕から好調を維持する南海の選手の集合写真である。 
 本文巻頭は開幕から打ちまくる4人のバットマンの特集。見出し込みで紹介しよう。「好球必打のファイター」西鉄・豊田泰光、「貫録のついた感激居士」巨人・藤尾茂、「気の強い研究家」中日・江藤慎一、「クソ度胸の新入り」東映・張本勲だ。さすがハリさんか。 
 対談は『チームを引張る飛燕~巨人・阪神の伝統を支える柱』で巨人・広岡達朗、阪神・吉田義男が登場する。ともに球史に残る名ショートだけに濃密な守備論を期待したが、皆無。チームリーダーとしてチームの現状を語り合っていた。 
 おそらく4月18日からの阪神─巨人3連戦(甲子園)の合間で行ったものだと思うが、結果は巨人の3勝ながら、その第1戦は阪神の小山正明が完全試合まであとわずかまで迫った。最後は8回、22人目の長嶋茂雄にヒットを打たれ、この回に2対2の同点に追いつかれると、延長戦13回表に決勝打を許した。小山は完投負け、相手の藤田元司は完投勝ちだ。 
 人物スポットでは『躍出た第二のハワイ打撃王』として、南海の二番打者・半田春夫を紹介。ハワイの日系人選手で内野守備の名手で知られるカールトン半田だ。 
 マイナー・リーグでプレーした後、ハワイで教師をしながらノンプロチームでプレーしていた異色の経歴。来日2年目だが、この動機については次のように語る。 
「アメリカでは子どもたちに日本のこと、たとえば東京、大阪という都市について教える。しかし、先生自身が実際その都市に行ってみなければ納得のいくようには教えられない。日本はぼくの親の国、いわば母国です。この際、野球をしながら日本を知ることができれば自分のためにどんなにいいか」 
 と語っているから地理の教師だったのだろう。半田は73年まで日本球界でコーチ歴がある。教師の道はあきらめたのか。 
『被害者はぼくだ!~審判を殺すのが選手ではない!』という激しい記事もあった。 
 大洋の捕手・土井淳の手記だが、広島戦で打者がバントの構えをしたため、三塁側に飛び出した土井だが、打者がその球を見送り、ボールが球審の右ヒザに当たった。それに対し、審判が「わざとやった」と判断。土井の右肩を強く押してから「退場」を命じたことへの怒りの手記だった。 
 前回触れた連載『ぼくの雑記帖』は中日の森徹が登場している。どうやら週替わりとなるらしい。 
 では、またあした。<次回に続く>
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②┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画 No.267 ┃  40円
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛写真=BBM
‡1963(昭和38)年5月13日(月)号 巨人・王貞治、ただいま四冠王?
 2018(平成30)年7月24日(火) 12:55 今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 
◎栄ちゃん涙の初勝利
 写真◆表紙は巨人・長嶋茂雄
 今回は『1963年5月13日号』。定価は40円だ。 
 読者のコーナーでは巨人・王貞治のイラストの下に「ただいま四冠王」とある。要は「打点王、打率王、本塁打王、名前が王」というオチだ。 
 この年の巨人は開幕戦を落とした後、13連勝で首位に立ったが、その原動力が王、長嶋のON砲だった。 
 4月29日、15試合消化時点の王の数字が打率.456、本塁打9、長嶋が.407、本塁打8と打ちまくっている。 
 この年はストライクゾーンが狭くなり、かつ「飛ぶ」と言われた馬革ボールへの変更で打高投低になると言われていたが、この時点では想定どおりか。 
 本誌では、イニシャル砲の元祖と言われるヤンキースのマリス、マントルの「MM砲」からONへのメッセージをもらい、2人に見せている。内容はたわいもないが、サイン入りの実物もあったから、本当なのだろう。 
 南海では4月21日の大毎戦で高橋栄一郎がプロ初勝利を挙げた。 
 61年ニッポンビールから巨人に入団も丸2年勝ち星がなく、この年、南海に移籍となっていた。 
 9回完投勝利。目は真っ赤だった。 
「何しろ、僕は勝つ味を知らなかったでしょう。なんかこうおかしいですよ。親分が使ってくれるからです。巨人時代は敗戦処理ばかりだったんで、変われば変わるものです」 
 親分、鶴岡一人監督も「これで栄ちゃんも自信をつけたやろ」と笑顔だった。 
 では、またあした。<次回に続く>
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③┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画 No.522 ┃  60円
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛写真=BBM
‡1968(昭和43)年05月13日(月)号 長嶋茂雄、狂い咲き?
 2019(令和元)年08月07日(水) 10:14 昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 
◎明大・星野仙一の逸話
 写真◆表紙は巨人・長嶋茂雄
 今回は『1968年5月13日号』。定価は60円。 
「川上君が大監督というが、まだまだ苦労が足りないと思いますね。大巨人という強力なチームにいたら、そりゃ勝てますよ。1回でいいから外に出てみれば分かると思いますよ。弱小球団の監督がいかにつらいものかということが」 
 これは近鉄・三原脩監督の言葉だ。現在3年連続日本一。泣く子も黙る大監督・川上哲治だが、当時は同じようなことをいう、小姑みたいな監督が、三原だけでなく、阪神・藤本定義、やめたばかりだが、水原茂と3人いた。 
 パでは開幕から万年最下位の近鉄が順調に滑り出し、三原忍法とも言われていた。 
 情報取集のため須古球団部長が天体望遠鏡のような大きな望遠鏡を球場に持ち込み、相手チームのサインを細かくチェックし、それをクセ盗みの名手と呼ばれた本堂コーチが整理し、三原監督に伝えていた。 
 鈴木啓示は13試合中8試合に登板し、4勝とフル回転。三原監督は「本当のエースというものは、どんどん試合に投げて育つものだ」と言うが、鈴木は、 
「いつでも投げられるようにしていないといかんのでランニングも控えめ。どうも下半身がしっかりせず、会心のピッチングができない」と、あまり納得してない様子も。 
 巨人では長嶋茂雄が絶好調。あれこれと理由を分析する記事が多かった。当の長嶋にも直撃。 
 ──好調の理由は。 
「狂い咲きだよ、まったく。新聞記者の人たちにも、よく聞かれるけど、みんなそういって俺の狂い咲きをひやかしているんだな。まったくホームランは出過ぎだから。しいて言えば、体づくりに専念したのがよかったと思う。それが最大だ」 
 ──若返ったとサンケイの別所毅彦監督に言われていたけど、それも体づくりの成果? 
「そうだろうね。でも、いやだね、若返ったなんて、いかにもいま俺がロートルみたいじゃない。見てくれよ、俺はまだ若いんだよ。これ以上若返ったら赤ん坊だね(笑)」 
 東京六大学の暴力事件の記事もあった。 
 4月27日、神宮の慶大─明大戦だ。5回無死満塁から慶大の打者が投手ゴロ。1-2-3で併殺かと思ったが、走者が一塁手にスパイクを向けての危険スライディング。アウトにはなったが、一塁手が怒って、走者に向かい、ミットをたたきつけた。 
 その後だ。明大の投手が一塁へダッシュ。審判、明大の助監督らが止めるが、それを振り切って前へ。ついには島岡吉郎明大監督まで飛び出し、抱きかかえるように止め、慶大・榊原監督も激怒した投手を説得し、ようやく投手も落ち着いた。 
 この投手が星野仙一だった。 
 では、またあした。<次回に続く>
 備考・・・2018(平成30)年に創刊60周年を迎える『週刊ベースボール』。1日に1冊ずつバックナンバーを紹介
************************* https://www.uta-net.com/song/78844
 ①http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20171223-10
 ②http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180724-04
 ③https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20190805-01
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━┓『週刊ベースボール』
 ┃ プロ野球仰天伝説 No.141 ┃ ONLINE
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 バッティングセンター勤務からはい上がった山本和範
‡2018(平成30)年5月13日(日) 11:05
 何度もクビになりながら……
 ダイエー・山本和範
 まさに波乱万丈の野球人生だ。 
 1977(昭和52)年、近鉄に入団したカズこと、山本和範である。80年に一軍初出場を果たすが、82年限りで解雇になってしまう。一度は野球をあきらめ、故郷の福岡に帰ろうと思ったが、わずかな可能性に懸け、近鉄時代の同僚・久保康生に紹介されたバッティングセンターでアルバイトをしながら練習、復帰を目指すことにした。 
 幸い近鉄の二軍時代、山本のバッティングに注目していた穴吹義雄監督に誘われ、83年南海入団。84年からスタメンに定着し、勝負強い打撃と明るい性格で人気選手となった。 
 1995(平成七)年、右肩の亜脱臼もあって46試合の出場に終わると、自由契約。それでもテストを受けて96年は古巣・近鉄と契約。99年には球団から引退を勧められるも現役続行宣言。最後のダイエー戦でなんと決勝ホームランを打ってしまった。 
 ただ、この本塁打で逆に完全燃焼。引退を決めた。
************************* https://www.uta-net.com/song/78844
 http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180513-10
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B1%E5%88%8A%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB
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