過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

骨だヨ(=^◇^=)


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 ┃ 『Mr.Children 1996-2000』骨 ┃TFCC-88181
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛\2,800(with tax)
 Mr.Children 2回目(3枚目)のベスト・アルバム作品
 2001(平成13)年07月11日(水) リリース日
‡2018(平成30)年05月10日(木) mora配信開始日
********************** http://www.mrchildren.jp
 http://www.mrchildren.jp/disco/#album/album11
 https://ja.wikipedia.org/wiki/Mr.Children_1996-2000
 音源◆https://music.amazon.co.jp/albums/B07D37H5MP
 mora◆https://mora.jp/package/43000034/TFCC-88181/
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 「ミスチル現象」とまで言われた94、95年の活躍は、1996(平成八)年に入っても衰えをみせなかった。年が明け、2月にリリースされた♪名もなき詩♪は、これまでにも増して、ピュアに相手と添い遂げようとする愛を描き、創意に満ちた曲構成も新鮮で、大ヒットを記録した。しかし頂点に立った者にしかわからない虚無感が、一方では忍び寄り始めていたのだ。
 「百万枚セールスする曲を」と、そう夢を語っていた頃とは違ってきた。それが現実になり、出すシングル出すシングル、それが普通になった。「でも、あいつはどこかで、何かを背負ってるようだった」(鈴木)。周囲は「音楽シーンの頂上」と言ったが、本人達がそこから見た景色は、何の感情も涌かない「無」であった。20代で成功を手に入れた桜井に対するマスコミの興味は、彼のプライベートな部分にも向けられた。しかし彼らは、休むより作り続けることで、それを解決していった。
『Atomic Heart』以降の活動が濃密過ぎて、気がつくと、丸2年アルバムを出していなかった。未収録のシングル曲が、多数存在していた。これらを軸に新曲も加えてレコーディングを始めたら、10曲や12曲では到底納まらない。そこで考えられたのが、経口の違う二枚のアルバムを、同時に作っていくという方法論だ。その時、当初予定されたのは、アメリカやヨーロッパ、ジャマイカなども候補地に入れた、世界一周レコーディングだった。実に刺激的なアイデアではあったが、諸事情から収縮された形で実現され、東京・ニューヨーク・ロンドンをまわりながらのものとなった。
 メンバーにはかねてから、再び訪れたい場所があった。4人の等身大のサウンドを得るためにも、そこは不可欠だった。ニューヨークの「ウォーター・フロント・スタジオ」である。しかも今回は、レニー・クラヴィッツのアナログ・サウンドの立役者、ヘンリー・ハッシュが直々に音作りに加わってくれる。滞在は4ヵ月に及び、やがてアルバム全体をひとつの流れに繋げてまとめる、コンセプト・アルバムの構想が生まれた。冒頭の♪手紙♪という曲に結末があり、そこに至る経過を、以下に続く楽曲によって解き明かしていくような、そんな構成となった。ヘンリー・ハッシュの音作りは厳しいまでに徹底し、演奏する4人に集中力を要求した。桜井の書く詞には、例えば愛ならば、希望だけでなく絶望も同居させた。それが当時の彼にとって、もっともリアリティのあることだった。
 日本から持っていった楽曲の中に♪花-Memento-Mori-♪があった。痩せた音なら、歌の世界観も痩せてしまいそうなこの曲が、自信に満ちた演奏とスタジオの鳴りの良さで、見事に仕上がった。「思い描いていた以上の大きな道が見えた」(中川)。この曲を先行シングルに、遂に問題作『深海』は完成した。普段3分間のポップスを気軽に聴いている耳には、とてもヘヴィな内容だった。「ミスチル・ファンであり続けていくための踏み絵」とまで言われた。しかしセールスは、トリプル・ミリオンを突破。
 アルバムの完成にともなって計画されたツアーは、「REGRESS OR PROGRESS」、つまり「退化か進化か?」と題されて、『深海』をまるまる演奏するという、今までにない試みを含むものとなった。しかもアリーナ・クラスを55公演という、観客動員も破格なものだった。しかし、スケジュールも内容もメンバーにはキツかった。「あのアルバムを作っていた頃の内側に籠もっていく感覚が、毎回蘇ったから」(田原)。
 もう1枚、並行して準備されていたアルバムは『BOLERO』と名付けられた。あのラベルの「ボレロ」になぞらえて、少しずつ、徐々に拓いていく、という、そんな想いを込めてのものだった。『深海』がアナログ・サウンドを究めた内容だったのに較べ、こちらはデジタルなものへのアプローチも旺盛で、つまり2枚のアルバムを同時に作る際に、基本コンセプトとして最初にあったのがこのことだったのだろう。これまでに出された5枚ものミリオン・ヒットを含み、どうしてもベスト・アルバム的に受け取られる面もあったが、新たに書き下ろされた6曲は、決してそれらに依存しないタフな輝きを持っていた。♪タイムマシーンに乗って♪や♪傘の下の君に告ぐ♪などは、攻めに転じたイメージだった。かくしてこの2年半の活動が、このアルバムによって、完結することとなった。1997(平成九)年に入ると、ツアーのファイナルとして初のドーム公演も行われる。
 やがてミスチル解散説が囁かれ始める。区切りをつけたら「1年くらい休養しよう」という計画なら、当初からあった。しかし解散など、毛頭考えていなかった。「バンドが解散するのは才能がないか、仲が悪いか、解散するしか話題がない時だけ」。その時、桜井は、こんなウィットのある言葉で、世間の噂を笑い飛ばして見せた。ヨ(=^◇^=)
 1997(平成九)年3月31日(水)。「恵比寿ガーデンホール」周辺は、ものものしい雰囲気だった。ファン1000人を集めての、シークレット・ライヴが行われようとそていたからだ。しかし会場内は、いたってリラックスしていた。彼らはお酒を飲みながら、十数曲を演奏した。このスペシャルな企画は、ツアーの打ち上げの意味を持っていて、♪また会えるかな♪を最後に、4人はステージを去っていった。
 「ロック・バンドに有給休暇があったっていい」(桜井)。実際、ここ2、3年、休みなく突っ走った。田原と中川は、運転免許を取得すべく、教習所に通った。鈴木の自宅の留守電には、大勢の友人から「飲もう」と誘いの連絡が入った。桜井は、さらに充実した曲作りの環境のため、最新コンピューター機材を購入し、まずそのマニュアルを読むことから始めた。彼らはこうして、おのおのの休みに突入した。
 中川と鈴木には、ある計画があった。「林英男」という名前のセッション・バンドを結成し、ライヴハウス・ツアーを行った。マイ・リトル・ラヴァーの藤井謙二と、デビュー当時から親交のあるザ・ピロウズの山中さわおが一緒だった。田原は人のライブを観たりゆっくりCDを聴いたり、普通の音楽ファンの生活をした。そうやって観に行ったひとつが、「林英男」だった。田原にとってそれは、ミスチルというものを客観的に捉えるいい機会となった。
 彼らはオフに入ったが、映像関連の新譜リリースは続いた。ビデオ・クリップ集や先のツアーのドキュメントなどが出された。桜井の曲作りは、時間を見つけては続いていた。今までのようにギターで作るものもあったが、サンプリング音源を土台にループ作りから発想していくものもあり、それらはそのまま、このバンドに新しい風を送ることにもなった。休みとはいえ、4人で集まることもあった。サッカーや野球を楽しみ、そして行きつけのお店で、ばったり出会ったりもした。そんな時、桜井はメンバーに、まるでタバコを一本勧めるかのように、出来立てのデモ・テープを聞かせた。彼の手元には、コンピューターの肩慣らし的に作った曲も、活動再開にあたり、指針になりそうな曲もあった。
 ♪ニシエヒガシエおんは前者、とはいえ、試みを越え、やがて見事に完成していったこの曲に、タイミングよくドラマ主題歌の話が舞い込む。結果、まずは楽曲だけの“復活”となった。この曲と♪光の射すほうへ♪は、明らかにいままでと違うミスチルだ。複雑に絡まっていくループのリフと、それに触発された、まさに言葉の奔流のような歌詞。ちょうど宅録派ミュージシャンの音楽が注目を浴びた時期でもあったが、彼らの作品は音圧的にも上だった。
 そして本格的に活動を再開したのは、休みからちょうど1年後、1998(平成十)年4月だった。「久しぶりに音を出した時は、興奮したけど緊張した」(鈴木)というように、中学・高校の同級生から始まった彼らは、ここで再びフレッシュな気持ちでバンドに向かえる状態になった。構えずにレコーディングが始まった。そして完全復活を遂げたのが、♪終わりなき旅♪の時である。♪閉ざされたドアの向こうに 新しい何かが待っている♪。このフレーズが印象的だった。「このドアは自分の中にある、自分で自分を閉ざしてるドアなんです。だからそれを開けるのも自分自身」(桜井)。その後もレコーディングは、プライベート・スタジオで、まさに自宅で寛ぐような雰囲気の中で行われた。桜井がアレンジも含め煮詰めて作ったもの以外は、誰かの閃きから曲の方向性を探し、それが連鎖反応でまた新たなアイデアを生んでいく、といった、まさにバンド・セッションを優先した作り方だった。休み中、サーフィンの腕を磨いた桜井の作る曲は、何かに逆らったり、ではなく、そこに身を任し同調してくような、そんな作風も身につけていた。「曲を作るのも波を捉えるのも似てる。大きな波じゃなくても、小さな波にはそれなりの“乗り方”がある」(桜井)。こうして、自らのバンドの力量を、再度、掘り起こしたアルバムは『DISCOVERY』と命名された。『深海』の頃の桜井は、もういない。30代に突入した彼らは、むしろ身軽になっていた。
 ツアーも同様だった。旅の荷物は少なめ、いや、最低限だった。それはまず、何よりも「音楽」。巨大スクリーンの演出などを排して、でも今まで通り、アリーナ規模の会場を涌かせてみせた。スタジオでレコーディング中に、4人で演奏する、その姿こそ真のミスター・チルドレンなんだと再認識した彼等。だったらそれに一番近い形を、ファンの人達にも見てもらいたい。このツアー・コンセプトはここから生まれた。ところで彼らには、まだやってないことが、ひとつあった。それはライヴ・アルバムを出すことだ。この時の42公演の中の一夜、札幌での公演が、『1/42』のタイトルでリリースされた。
 2000(平成十二)年を迎えての彼らは、熱心なファン達が待ち望んでいた、ストレートなラブ・バラード♪口笛♪でスタートした。散歩中にふと口をついて出てきたメロディを書き留めたような、そんなこの歌の佇まいは、今現在に至るまでの彼らの活動を、まさに象徴していた。イントロから、メロディに深みをもたらす小林武史のキーボードが効いた音作りも、ギターサウンドにこだわりをみせていたここ1、2年とは違っていた。この年の音楽界はバラード・ブームとなったが、その先鞭をつけたのが、この楽曲ではなかろうか。
 このように、『DISCOVERY』でバンドの絆をたしかめあった4人は、さらに伸び伸びと次のレコーディングへと向かっていった。「前作も決め事なしにやったけど、自由にバンド・サウンドをやろう、ということ自体が決め事になってた」(桜井)という、この言葉がすべてを物語っている。
 シーンの動向を気にしながら、つまり音楽の中から音楽を捻り出す窮屈さではなく、日常の様々な楽しみの横に、さり気なく音楽があるといった、そんなスタンスが確認される。たとえばこんなことがあった。4人はスタッフとともに、「ジュビケン」というサッカーチームを組んでいる。このチームが大活躍して、テレビのサッカー番組でゴールシーンだけが編集されて放映されたら、そこにはどんなカッコいい音楽が流れるのか? こんな発想から作られた曲がある。実際その時、彼らはスタジオのリビングでそんな番組を楽しみ、その気分のまま楽器を手にして、その高揚感のまま、それを楽曲にしていった。
 そこに名曲を作るためのセオリーなどなかった。不確定な要素を、あえてスタジオの中に持ち込むことすらあったのだ。“2000年ミスター・チルドレン・ダーツの旅”である。楽曲のテンポ感というのは、スタジオでは3桁の数字で表される。それを投げたダーツによって決定したりもした。コード進行を、あみだくじで決めた曲もあった。別に考えることをやめたわけじゃない。そうやって、ひとつの楽曲に対しての可能性を増やし、試していった、ということだ。後日、そんな話をメディアに向けて披露した彼らは、「え、ダーツ!?」と、キョトンとする相手の姿を楽しんでいた。
 レコーディング環境は、ますます良くなっていた。1時間使用しただけで目の玉が飛び出るくらいの経費がかかる街中のスタジオではなく、彼らのプライベート・スタジオ、そして、残念ながら閉鎖された「ウォーター・フロント・スタジオ」のヴィンテージ機材を譲り受けて完成した、所属事務所のニューヨーク・スタジオもオープンした。これらを存分に使えたのだ。日本でセッションしたものをニューヨークに持って行って、再び日本でレコーディング。この往復によって、楽曲が揃えられていった。そのニューヨークでの様子は、1999(平成十一)年の暮れ、スペースシャワーのスペシャル番組として放映された。この番組とともにいったん完成したのが♪Hallelujah♪だったが、それをさらに別のヴァージョンで年明けに再び試してみた。こういうことが可能なレコーディングだったのだ。
 ソングライターとしての桜井のスタンスも変わっていった。『DISCOVERY』ではバンド・サウンドを優先したため、個人的な歌はそぐわなかった。しかし今回は、その制約もなかった。喋り言葉の語感を、より大胆にメロディに乗せてみた曲もあった。21世紀への望みを、胸を張り高らかにうたいあげるものもあった。愛しい人への想いも、ストレートに歌ったものもあった。小林武史のピアノと対話するかのようなバラードも出来上がった。アルバムは、リリースを待つばかりとなった。時間はあっという間に経過して、前作から1年7ヵ月、『Q』がリリースされる。こうしてかれらの歴史を追っ掛けているが、現在に近づくほど、活動方針はゆったりしたものになっていることがわかる。そして最新アルバムは、今までのどのアルバムとも違う、もっともリラックスした彼らの姿を捉えたものだった。アルバムに続いてツアーがスタートした。よく「最新アルバムを引っ提げて」と表現されるが、このツアーこそ、まさにそれを引っ提げてのものだった。これまでの楽曲も、もちろん演奏されたのだが、後半の盛り上がりどころを、すべて『Q』の中の曲でまかなった。音楽以外のことを排除した前回のツアーとは違って、スクリーンなどの演出も、必要とあらば加えられたものとなった。
 この7月は、初のベスト・アルバムのリリースにあわせて、1995(平成七)年「空」以来の野外コンサートが実現する。30代の脂の乗り切った時期へと突入していく彼らが、来年どんなオリジナル・アルバムを発表するのかが楽しみだ。まだ気が早いが、あの♪Hallelujah♪をも遥か上空に突き抜けた、文字通りの新境地を期待したいものだ。

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01|♪名もなき詩♪|(5:30) 10thシングル
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 骨・・・1996年の好スタートを告げた曲。和久井映見主演のドラマ『ピュア』の主題歌としても親しまれた。剥き出しのバンド・サウンドになっているのは、生身の自分達を感じて欲しいという、当時のメンバーの想いからでもあった。曲が進むに連れて次々とビルド・アップされる構成ゆえ、カラオケした時のカロリー消費量も多い。ボーイ・ミーツ・ガール的な世界観を越えて、人と人をつなげる根本的な感情としての「愛」を歌い掛ける、そんな桜井のストイックさが眩しい。「君」ではなく「ダーリン」という言葉が使われているのもポイントだ。“愛はきっと奪うでも与えるでもなくて”のフレーズを書き終えた時、彼はこう思った。「絶対にこの曲を歌入れするまでは死にたくない!」。その思いから間もない1995(平成)年11月。スタジオのボーカル・ブースで、無事にこの曲を歌いあげて、♪名もなき詩♪は完成した。
 1996(平成八)年02月05日(月)にリリースされ、初登場第1位、255万枚のヒットとなる。
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02|♪花-Memento-Mori-♪|(4:48) 11thシングル
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 骨・・・シンプルながら音の核心が一切ブレない、ズシリと響くサウンドだ。これはニューヨーク「ウォーター・フロント・スタジオ」で録音された成果である。サブ・タイトルの“-Memento-Mori-”は、桜井が友人から薦められ感動した藤原新也の著作から取られている。意味は“死を想え”。人間は結局、一度は死ぬ。でもそう認識したからこそ得られる、自由な発想もあるし、持てる希望もある。それがこの歌のテーマだ。聴いてるうちに、ネジれた気分が元にもどり、素直に前向きになってく不思議な名曲。でも、そもそも歌が発想されたのは、「もし女性ボーカル・ユニットに曲を提供したとしたら?」という、そんな遊び心からで、当時聴いていたリサ・ロープのスタイルなども参考にしつつ、この計画は実際に進められた。しかし作品の出来の良さに、結局は自分達のレパートリーに。バンドの絆を確かめ合うようなPVも感涙モノ。この曲のみ入った定価500円CDの形で
 1996(平成八)年04月10日(水)にリリースされ、初登場第1位。175万枚のセールスを記録した。
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03|♪Mirror♪|(3:01)
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 1996(平成八)年06月24日(月) 05thアルバム『深海』収録曲
 骨・・・アルバム『深海』はヘヴィな内容と言われるが、こうして楽曲を取り出してみると、実は軽やかな作品も多いのだ。これはその典型的な1曲。山形の海に休みを利用してサーフィンに出かけた際、「さぁ作るぞ」ではなく、ポロンと弾いたギターとともに浮んだメロディが、この曲のモチーフ。桜井はティーンの頃、その海で誰に聴いてもらうでもなく、よくギターを弾いて自作曲を歌っていたというから、因縁の場所でもあったのだ。詞は某しゃぶしゃぶレストランで食事中にふと浮んだものを、そのまま箸袋の裏にメモ書きしたものを元に膨らませた。間奏のS・ワンダーを想わせるハーモニカのソロも心地良いし、リラックスした中に、メロディの恵みはギッシリ詰まった。聴き心地が、70年的といえば言えなくもないし、メロディの恵みを素直に感じる、といえば、その後の♪口笛♪にもつながっていったのかもしれない。
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04|♪Everything (It's you)♪|(5:23) 13thシングル
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 骨・・・ひとりの男が両足をすくっと立ち、自伝的な半生を語り出すかのような出だしが、実に逞しいこの曲は、以前はあまり興味なかったハード・ロックに突然目覚めた桜井が、仮タイトル♪エアロ♪で作り始めたもの。それは“TOUR Atomic Heart”終了直後の曲を大量生産していた時期であり、「文科系というより体育会系な気持ち」で作ったものだと、後に彼は語っている。当初は大サビも加えて展開していく構成も考えられたが、個人的であるがゆえに力強いこの曲の世界観を尊重するため、欲張らない構成に。しかしその代わり、演奏者のポテンシャルの高さが問われる楽曲となり、ライヴでも毎回、気合を演奏された。個人的、といえば、間奏のギター・ソロは桜井が弾いている。ハード・ロック的ということと関係あるのかは不明だが、この頃が4人とも、一番長髪だった。ドラマ『恋のバカンス』主題歌として
 1997(平成九)年02月05日(水)にリリースされ、初登場第1位。140万枚のセールスを記録した。
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05|♪ALIVE♪|(6:43)
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 1997(平成九)年03月05日(水) 06thアルバム『BOLERO』収録曲
 骨・・・『深海』と同時進行で制作された『BOLERO』に収録された新曲。このアルバムのレコーディングはロンドンの『アビー・ロード・スタジオ』でも行われたが、そもそもこの時期、彼らは世界一周レコーディングも計画していた。曲に関しては、桜井が現地で書き下ろしたもの。「まるで降りて来るように」あっという間に完成し、歌入れも、軽い気持ちで仮で歌ったものが、そのまま採用されることに。当時彼は手塚治虫の『ブッダ』にはまっていて、だからなのか、この曲には「一生懸命に生きる」ではなく「自分で自分を生かしておく」的な、達観した雰囲気がある。響くことを自ら拒絶するようなコードの鳴りから始まり、徐々にサビに向かって、少しずつ光が差して来るように広がっていく。
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06|♪ニシエヒガシエ♪|(5:00) 14thシングル
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 骨・・・活動再開に先駆けてリリースされた、彼らの新生面をハッキリ現した曲。アコースティック・ギターとデジタルな音と、床を踏み抜かんばかりのドラムスが、ものの見事に同居し、スリリングなループを成している。活動休止の期間中、桜井はさらなる音つくりの進化を目指し、自宅の録音機材を補強。その際、プロ・トゥールスの試運転も兼ねて、この曲を作っていった。様々な音がサンプリングされていて、自らの頬を叩いた音がパーカッションの代わりになっていたりもする。この曲のデモテープをメンバーが聴いたのは、実は長期オフに入ろうとする、その最後のフォト・セッションの時。「自分が新しい曲を作ることで、常に他の3人を挑発していたい」という、そんな桜井の意思表示でもあった。ドラマ『きらきらひかる』の主題歌として
 1998(平成十)年02月11日(水)にリリースされ、初登場第1位。95万枚のセールスを記録。
  備考・・・活動休止中に発売された唯一のシングル曲ですヨ(=^◇^=)
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07|♪光の射す方へ♪|(6:53) 16thシングル
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 骨・・・桜井がコンピューター機材を駆使してループを作るデジタルな方法論という意味では、♪ニシエヒガシエ♪の発展形といえる内容。しかしここでは、それがさらに振り幅の大きいパワーアップしたものになっている。閉塞感を抱えた一人の男の一日を、女性への下心も自己矛盾も、生き生きした口調であけすけに綴っていき、それにともない次々と場面が移り変わっていく、そのテンポの良さが耳に残る。実は曲も詞も一日で出来てしまったらしく、この曲が完成に至るまでの細かいことは、あまり本人も覚えてないという。それはアルバム『DISCOVERY』のレコーディングの後半の出来事だった。その後ツアーが始まるとともに、大会場で観衆を揺り動かしていく上でも大切な楽曲に成長した。
 1999(平成11)年01月13日(水)にリリースされ、初登場第1位、72万枚をセールス。
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08|♪終わりなき旅♪|(7:08) 15thシングル
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 骨・・・活動休止中、「意図的に曲を作ることから、いかに離れて作品を生み出せるか」を考えていた桜井が、「もし再開するとしたら、こんな曲はどうだろう」と、用意していた楽曲が本作だった。シンプルなギター・バンドの形態でいて、ギターのコードの微妙な重なり合いにシンフォニックな広がりのあるサウンドである。後半で展開されるストリングスも、取ってつけた感じが一切なく、音に手を抜かないこのバンドの姿勢を現している。活動休止中に、次の再開に向けて書かれたものとして聴くと、自分達に言い聞かせてるようにも聴こえる、が、「誰の真似もすんな」のところなど、歌を聴いてくれる人全員への「精神的な自立の勧め」とも受け取れる。
 1998(平成十)年10月21日(水)に、ドラマ『』の主題歌としてリリースされ、初登場第1位、120万枚をセールスした。
  備考・・・活動再開後、初のシングル作品ですヨ(=^◇^=)
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09|♪ラララ♪|(5:23)
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 1999(平成11)年02月03日(水) 07thアルバム『DISCOVERY』収録曲
 骨・・・『DISCOVERY』のレコーディングは、彼らのプライベート・スタジオで行われた。デビューした頃のように、合宿しながら、その日の気分で演奏する曲が決められていった。天候も左右した。この♪ラララ♪の場合なら「天気の良い日に、晴れやかな気分を上乗せしながら進められた。そんな肩の力の抜け具合は、仕上がった音からハッキリ感じ取ることが出来るだろう。それにしても、なんていじらしい歌なんだろう。でも、誰でも日常のなかで、ふとやってそうなことが描かれている。桜井の歌声も、ロックスターというより、歌のお兄さんという風情だ。ライブでは大合唱になるサビの“ラララ”の部分は、曲が仕上がる途中まで“ホニャララ”という言葉が充てられていたが、メンバーの反対により現在の形に。
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10|♪つよがり♪|(5:09)
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 2000(平成12)年09月27日(水) 09thアルバム『Q』収録曲
 骨・・・アルバム『Q』の中で、すでに名曲の誉れ高いこのナンバーは、ミスター・チルドレンのコンポーサーとしてというより、ごく個人的に桜井が紡いだ曲である。小林武史のピアノを中心に、実にリリカルに歌われる。こうしたベスト・アルバムの使命は、歌い継がれていくであろう楽曲を、手ごろに揃えられることだが、この曲は、まさに必須。曲が出来たのは『DISCOVERY』の頃だが、バンドの勢いを優先したあのアルバムにはそぐわないということで未発表だったもので、まさに桜井の、バラード・マスターとしての風格を感じる出来ばえだ。曲が終わった後の、余韻こそが御馳走だ。
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11|♪口笛♪|(5:50) 18thシングル
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 骨・・・「甘からず凡庸でなく、朴訥としていながらも、力強い」。桜井の言葉が、まさにこの歌を言い当てている。“TOUR '99 DISCOVERY”の最中に、楽屋で自分たちの過去の作品を聴きながら、初期のポップな作風の心地よさを再認識した彼らが、その後、あの頃を思わすストレートなラブ・ソングを作り上げたことは必然でもあったのだ。アレンジはロック的な音圧を優先するより、聴き手がストーリーやその背景を様々に連想出来る、“感動のスペースを保った”バランスになっている。小林武史のシンセのイントロのフレーズが、すでに十分に歌っている。気分が良いとき、人はつい鼻唄してたりするが、最後に再び、作者の言葉を。「口笛が出る瞬間と歌を口ずさむ瞬間と、音楽が出来る瞬間は、どこか似ている」。
 2000(平成12)年01月13日(木)にリリースされ、初登場第1位。91万枚のセールスを記録。
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12|♪NOT FOUND♪ |(4:56) 19thシングル
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 骨・・・愛情という、賞味期限が不確かなものを、ある日クリックしたら、無情にも・・・・・・。インターネットの発達とともに浸透した“NOT FOUND”という用語は、桜井がヘアメイクの人との会話の中で、ふと思い立ったもの。4人全員が同時にテンションを上げ、少しずつ駆け昇っていくかのような演奏だが、「すごく綺麗なメロディに、敢えてトンガったものをぶつける面白さ」と桜井が言う通り、一見平坦なようで、そこに彫りの深いメロディが内包されてる感覚。ドラマ『バスストップ』の主題歌として
 2000(平成12)年08月09日(水)にリリースされ、初登場第1位。85万枚のセールスを記録した。
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13|♪Hallelujah♪|(6:47)
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 2000(平成12)年09月27日(水) 09thアルバム『Q』収録曲
 骨・・・“TOUR Q”のエンディングを飾ったこの曲は、完成までに紆余曲折があったことで知られる。
 1999(平成11)年12月27日(月)に放映されたスペースシャワーのドキュメント番組の中で、CD化未定の未発表曲として、いったんは完成。しかしさらなる達成感を求め、年が明けてから、再び新ヴァージョンが試された。合計で5ヴァージョンは録音され、気がつくと彼らは、音楽に集中しながら21世紀を迎えることに。キリスト教文化の中で「ハレルヤ」という言葉が持つ意味というより、ここでは♪ラララ♪にも似た、たどり着きたいけど的確に言い表せない何処かに対して歌いかけてる気がする。田原のギターが新たな局面を見せる中、バンドの音が今までにないミクスチャーを果たした楽曲として、次のミスター・チルドレンを期待させる。

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