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┃ 『この日のビートルズ』 ┃上林 格 P.288 714円(税込) 朝日新聞出版
┗━━━━━━━━━━━━━┛2013(平成25)年11月7日(木) 朝日文庫発行
人類がまだ月面着陸を夢見ていた1960年代、英国出身の4人の若者が世界を席巻した。
ポピュラー音楽史の記録を次々と塗り替えただけではなく、
文化、思想、生活スタイル、あらゆる分野に強烈な影響を与えた。
語り継がれる20世紀最高のファブ・フォーの「この日」にこだわってみました。
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|1967(昭和42)年 9月 5日(火)|「TV映画『マジカル・ミステリー・ツアー』制作が本格化」
|2007(平成19)年 9月 5日(水)|甲虫日記更新日 No.007
└─――――――――――――┘
ビートルズを成功に導いたマネジャー、ブラインアン・エプスタインが過度の薬物摂取による不慮の死を遂げた。4人は予定していたインド行きを延期。今後は自分たちがマネジメントすることを決め、遅れていた映画「マジカル・ミステリー・ツアー」の制作を本格化させた。
40年前になる1967年9月5日、4人は映画挿入歌となるジョンの曲「アイ・アム・ザ・ウォルラス」のレコーディングに入る。これを皮切りに未完成だったタイトル曲などの挿入歌を仕上げ、2枚組の6曲入りシングル盤として12月8日に英国で発売した。
最高位は2位。トップの座を阻んだのは、11月24日に発売した彼らのシングル「ハロー・グッドバイ」だった。ジョンは「アイ・アム・ザ・ウォルラス」がポールの曲のためB面に追いやられたことを侮辱だと感じていた。
シングル盤のA面をめぐり、ジョンとポールは常につばせり合いをしてきた。愛しあい、競い合い、嫉妬(しっと)もする。これがビートルズ・マジックの原動力だ。解散後、ちょっとずつ効果は薄れていくが、ジョンが射殺されるまで2人には魔法がかかっていた。
映画のアイデアはポールによるもの。アルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」の録音が一段落した同年4月、恋人ジェーン・アッシャーの誕生日を祝うため米国へ。旅行中、「カッコーの巣の上で」の原作者ケン・キージーが恋人とバスで国内横断旅行する冒険談を読んで、ビートルズがカラフルな大型バスに乗って多彩な俳優陣ともども奇妙なバス旅行に出る、というあらすじを思いついた。
8ミリカメラを使い、電子音楽のサウンドトラックをつけて、映画を自作する作業に熱中していたポールは、「脚本のない映画制作」が念頭にあった。ロケ地と俳優陣は決めておくが、ストーリーは撮影を進めながら、成り行き任せで展開していくというものだ。
英国へ帰る飛行機の中でアイデアをメモに書きとめ、タイトルソングのメロディーと詞を1行書き上げた。数日後、ほかのメンバーにメモを見せると、4人はその日のうちに60分の特別番組をつくることを決めた。4月25日にはタイトルソングの録音にとりかかる。
しかし、アニメ映画「イエロー・サブマリン」のためのレコーディング、初の世界衛星生中継テレビ番組「アワ・ワールド」への出演と多忙を極めていた。ようやく映画のための録音が再開した矢先の8月27日、マネジャー、エプスタインの死に遭遇する。
撮影のほうは9月11日から始まった。人気コメディアンや抽選で選ばれたファンら総勢43人が、ボディーに「MAGICAL MYSTERY TOUR」のペイントを施したバスでロケに出発した。ところが、この派手なバスがマスコミやファンの追跡を受けて予定外のハプニングを引き起こし、ことは構想通りに進まなかったという。
約52分のTV映画に編集され、12月26日のゴールデンタイムにBBCから英国全土に向けてTV放送された。視聴率75%という関心の高さだったが、カラー作品なのに白黒で放送された不運も重なり翌日の新聞は猛烈な酷評を浴びせた。
「難解」「ナンセンス」「ビートルズも失敗をする」「神話の終焉(しゅうえん)」――。
日本では68年にテレビ放送された。4本のフィルム・リールの順番が間違ってオンエアされたのに視聴者からの反応はほとんどなかったそうだ。僕は30年ほど前に映画館で初めてみた。4人が白いタキシード姿で「ユア・マザー・シュッド・ノウ」を歌いながら長い階段を下りてくるラストシーンにたどりついて、ようやく安心したのを覚えている。一体何の話なのか、彼らの作品を好意的に見るのにも限界があると感じていた。
だが、この映画にストーリー性を求めてはいけない。60年代後期のサイケデリック時代に先駆的につくられたロック・ムービーと考えれば随所にみるべきところはある。
なかでも「アイ・アム・ザ・ウォルラス」の演奏シーンは出色だ。
ポールの合図でリンゴがフィルインする冒頭からゾクゾクさせられる。4人がセイウチのマスクをするアイデアはレコードジャケットに採用された。手をつないだ警官がバスの後について草原を歩いていくエンディングは、映画全体を包むシュールリアリスティックの象徴だろう。
「黄色い膿(うみ)みたいなカスタード、緑のぐちゃぐちゃのパイ、死んだ犬の目と一緒にまぜて、パンにベシャッと塗りつけろ……」
意味不明でナンセンスな言葉がちりばめられた風変わりな曲は、詞の意味を探ろうとするものをわざと混乱に陥れるために書かれたようだ。
曲が完成すると、ジョンは親友のピート・ショットンに「こいつの解釈は、イカレポンチどもにおまかせしようぜ」と告げたという。
◎『この日のビートルズ』の次回の更新は、9月14日です。この日はなんの日でしょうか? お楽しみに。
◎お知らせ『マジカル・ミステリー・ツアー』1998.3.11発売 EMIミュージック・ジャパン
◎2007(平成19)年8月25日に『MAGICAL MYSTERY TOUR:ROCK MILESTONES』のDVDが発売されました。
http://doraku.asahi.com/entertainment/beatles/070905.html
***************** https://www.amazon.co.jp/dp/4022617802
https://dot.asahi.com/1satsu/tyosya/2013110700049.html
http://doraku.asahi.com/entertainment/beatles/list.html
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┃ どらくスペシャル「ビートルズの目撃者 日本公演から40年」 ┃
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ジョン・レノンが生きていれば、ことし66歳。
リアルタイムで4人を知る世代から、リバイバルヒットした数々の名曲でとりこになった30代、40代もいる。
そんなビートルズ世代が集うのが、『どらく』だ。
1966(昭和四十一)年、世界を席巻したザ・ビートルズが来日し、
厳戒態勢の中、計約5万人が東京・日本武道館で公演を見た。
あのときの目撃者、『どらく』ピープルたちは、何をいま思うのか――。
公演・滞在こぼれ話などを間にはさみながら、7回にわたって報告します。
『どらく』編集長によるドクダンのアルバム・レビューとともにお楽しみください。
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‡|2006(平成18)年 9月 5日(火)|第6回 「自由なき滞在 絵で発散~1005号室で生まれた名作」
└─――――――――――――┘ザ・ビートルズは来日した5日間、コンサート以外のほとんどの時間を東京ヒルトンホテル(現キャピトル東急ホテル)で過ごした。そこで4人は、数枚の絵を描き残した。彼らが宿泊した1005号室のプレジデンシャルスイートを訪れた日本人もそれらの絵を目にしていた。プレジデンシャルスイート(1005号室)で水彩画を描くジョン・レノン(手前)とポール・マッカートニー大阪府に住む会社役員(56)は20年前、「イメージ・オブ・ア・ウーマン」(53センチ×80センチ)と題するビートルズの絵を競売で落札した。サイケデリックな色調が目を引く水彩画だ「4人が来日したとき宿泊したホテルで描いた絵。マニアとしては究極の1点ものだった」1枚のキャンバスに4人が四隅から描いて、中央にサインを残した。当時日本にあった公認ファンクラブ会長を部屋に招いて贈った。
◇おれの目の前で絵描いた4人 ⇒ 俳優の加山雄三さんが、この絵の制作現場に立ち会っていた。ビートルズが来日した6月29日の夕方、東芝レコード役員らと訪ねた。新作のレコードを聴いたり、すき焼きの食べ方を教えたりした。「誰かが絵を描きたいといったら、あっという間に道具がそろった」。机の周りに4人がいすに腰掛けて30分以上は描いていた。4人のサインがある丸い部分はデスクライトが置かれていた。「その部分をどうするのか楽しみにみていたが真っ白のままだった。おれの心の中には、彼らがおれの目の前で絵を描いたという誇りがある」当時はビートルズ批判派とみられてもいたが、「音楽的に優れたやつらだとは思っていた。本当にそう思うようになるのは会った後だ」
◇爆発したジョン「もう解散だ」 ⇒ ミュージックライフ編集長だった星加ルミ子さんは7月2日昼公演の前に訪れた。前年、ロンドンで単独インタビューに成功していた。ファン投票で1位に選ばれた記念の盾を渡して写真を撮るのが目的だった。部屋に入るとジョージが「ハーイ、ルミ」と名前を呼んで出迎えてくれた。ジョンから「日本の子どもは何が好きなんだ」と聞かれ、ブームだった漫画「おそ松くん」に登場するイヤミの手足を曲げてする「シェー」のポーズを彼らに教えた。4人は自由に行動できない公演旅行の生活にうんざりしていた。リンゴは「こんなに稼いでいるのに、いったいどこでお金を使えばいいんだ」と嘆いた。ジョンは「世界中に足を運んでも窓から見る景色しかしらない」とヒステリーを起こし、「もう解散だ、解散だ」と叫ぶのを聞いた。マネジャーのブライアン・エプスタインから「いまの発言は絶対に書くな」と真顔で頼まれた。ビートルズの絵「無題」部屋には数枚の絵が乾かしてあった。完成したと思われる画用紙程度の小品4枚がいすの下やテーブルの上にあった。エプスタインが「捨てるよ」というのでもらうことにした。二つ折りにして盾を入れてきた箱にしまったが、置き忘れてしまった。昨年8月、札幌市の貿易会社長(57)は都内の友人を介してビートルズの1枚の絵「無題」(53.8センチ×79センチ)を手に入れた。星加さんが絵を手にする写真が載ったミュージックライフ66年8、9月号が証明書だったが、星加さんがもらった絵とは違う大きな作品だ。パステル、水彩、水性ペン、鉛筆の4種類で描かれている。7月8日から札幌で展示会が開かれる。「美術的価値よりも彼らが日本で描き残した点に価値があり、札幌にあることに夢がある」
◇離日前夜の取材 もらった絵は ⇒ 音楽評論家の湯川れい子さんは、4人が離日する前日の7月2日午後10時前に訪れた。週刊読売の契約記者としてホテルの9階に寝泊まりして機会をうかがっていた。最後は知人だったプロモーターに泣きついた。「4人がほしがっている、武道館と日本語で書かれた腕章を手渡す」という口実を作ってくれた。いつ部屋から追い出されるか内心ドキドキしながら雑談をつなげていった。取材の証拠にリンゴとのツーショットを撮り、最後に4人が描いた絵をもらって別れた。「赤と黒の線で描かれた小品。4人は自分たちには絵の才能はない、と話していた。公演主催者の読売が来日記念展覧会に使うから貸してくれ、と持って行ってそのままになってしまった」ハウスキーピングの責任者だったホテルの元従業員(73)によると、4人がチェックアウトした後、部屋には鉛筆の黒い線で描かれたような絵が数枚残されていたという。その場ですべて同僚にあげてしまった。行方はわからないという。
http://doraku.asahi.com/special/beatles/060905.html
********** http://doraku.asahi.com/special/beatles/list.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%BA%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%85%AC%E6%BC%94
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┃ 『THE BEATLES Interviews Database』 ┃
┃ 163 Beatles interviews & press conferences ┃
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‡1964(昭和39)年9月5日(土)
‡No.049(33) 1964-09-05(sat) Beatles / Chicago, Illinois (1 photo) The Beatles hook up with Chicago reporters at the Stockyards Inn.
Beatles Press Conference: Chicago 9/5/1964
映像◆The Beatles - Concerts in Chicago, 1964-1966 https://youtu.be/QMItrCGxL-Q
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http://www.beatlesinterviews.org/db1964.0905.beatles.html
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┃ 『THE BEATLES Interviews Database』 ┃
┃ 163 Beatles interviews & press conferences ┃
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‡1971(昭和46)年9月5日(日)
‡No.150(3) 1971-09-05(sun) Lennon / St. Regis Hotel, NYC (4 photos) A lost John Lennon interview that almost never saw the light of day.
John Lennon Interview: St. Regis Hotel, New York City 9/5/1971
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http://www.beatlesinterviews.org/db1971.0905.beatles.html
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┃ The Savage Young Beatles 1950s 1962 ┃
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‡Late September 1962 - Wednesday Liverpool docks, Liverpool
Photographer: Les Chadwick
The next Peter Kaye photo session was the exterior shots taken around the Liverpool docks. As for date, all I have is that it was a drizzly Wednesday. According to Kaye, "We worked on principle, contrasting their appearance in suits against drains and rubble. The group looked neater than they really were. Toward the end of the session we finished up on the Pier Head, against the Liver Building. Then we used the fire salvage vessel, The Salvor." Another account I have relates the locations as follows... The first location was a derelict bonded warehouse. The location with the car was a local beauty spot called 'The Bally' on the dock road. After this they went onto to the Albert dock and had photos taken in front of and on board 'The Salvor'. Then they had the famous photo taken of them in front of the Liver building. Quotes taken from Gareth Pawloski's How They Became The Beatles.
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http://www.beatlesource.com/savage/1962/62.09.XX%20peter%20kaye/62.09.xxkaye.html
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┃ The Savage Young Beatles 1950s 1962 ┃
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‡(wed)5 September 1962 The Cavern Club Mathew Street Liverpool
Unsatisfied with the audio from the 22 August 1963 Cavern film, Granada TV sent a recording crew back to The Cavern to record another Beatles' performance with the intention to dub it onto the August film. These recordings survive today in the form of acetates. Read additional details about the acetates - here
Listen to the acetate:
♪Some Other Guy♪
♪Kansas City♪
写真◆1962 Cavern membership card
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http://www.beatlesource.com/savage/1962/62.09.05%20cavern/62.09.05cavern.html
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┛THE BEATLES 1967 Recording Sessions ┛Studio 1
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①┃ ♪I Am The Walrus♪ ┃takes 1-16
┗━━━━━━━━━━━━┛No.1 アビイ・ロード第2スタジオにて録音開始。このレコーディングの数日前、1967年8月27日にデビュー以来のマネージャーであった、ブライアン・エプスタインが死亡している。ビートルズは「船頭」と呼べる唯一の人を失いながらも、まずこのテレビ映画のプロジェクトを完成させるべく動き始めたのである。ブライアンが死んでから初めてのレコーディングセッションがこの日だった。この日はエレピ(ジョン)、ギター(ジョージ)、ドラム(リンゴ)の編成で16テイクを録音。その内、完全に演奏できたのは5テイク。これにメロトロンをオーバーダブして、この日のセッションは終わる。
Note・・・『The Beatles Anthology 2』に1967年9月5日、第16テイクが収録されている。エレピ、ドラム、ギター、タンバリンの編成。ポールがタンバリンを振っているんだろうか?この時期はポールのベースは全て後からオーバーダブされているので、そうかもしれません。しかし、このテイクですでにジョンのボーカルは神憑り的ではある。。。。
Recording of rythm track of ♪I Am The Walrus♪. Proper first『MAGICAL MYSTERY TOUR』session.
Producer: George Martin
Engineer: Geoff Emerick
2nd Engineer: Ken Scott/Richard Lush
‡1967(昭和42)年9月5日(tue)
┏━━━━━━━━━━━━━━━━┓1996/03/18(mon) JP、UK
②┃ 『THE BEATLES ANTHOLOGY ②』 ┃1996/03/19(tue) US
┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ◎Disc two◎
14.♪I Am the Walrus♪ (Take 16) 5 September 1967 EMI Studios 4:02
┏━━━━━━━━━━━━━━━━┓1996/03/18(mon) JP、UK
②┃ 『THE BEATLES ANTHOLOGY ②』 ┃1996/03/19(tue) US
┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ◎Disc two◎
14.♪I Am The Walrus♪ 67.9.5. ストリングスやコーラス、SEの入っていない、4人のみによるベーシック・トラック。公式テイクではほとんど聴けないジョージのギターもはっきりと聞こえる。ブートでもこの曲の「4人だけによるベーシック・トラック」はいっぱい発掘されていたが、 これとは違うテイクも出回っている。ただし、出来に大差はない。
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①https://beatlesdata.info/9/06_iamthewalrus.html
①https://en.wikipedia.org/wiki/I_Am_the_Walrus
②https://en.wikipedia.org/wiki/Anthology_2
②http://www.geocities.co.jp/Broadway/5266/beaAlb21-2.html
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音源◆The Beatles - I Am The Walrus Recording Session 1967 https://youtu.be/2Ra8ZjHgnIk
‡5 September 1967 EMI Studios, Abbey Road, Following the death of Brian Epstein on 27 August 1967, The Beatles regrouped at Paul McCartney's London home on 1 September 1967, where the decision was made to continue work on the Magical Mystery Tour project. Four days later they began work on one of the soundtrack's highlights, John Lennon's surrealist masterpiece I Am The Walrus. Sixteen takes of the rhythm track were recorded during this session, which began at 7pm and ended at 1am the following morning.
01. I Am The Walrus (Take 7) [0:00]
02. I Am The Walrus (Take 8) [1:51]
03. I Am The Walrus (Take 9) [2:34]
04. I Am The Walrus (Rehearsal Take) [6:57]
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┛THE BEATLES 1967 Recording Sessions ┛Studio 2
┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛7:00pm-3:45am
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┃ ♪While My Guitar Gently Weeps♪ ┃overdub onto take 16
┃ ♪While My Guitar Gently Weeps♪ ┃[re-re-make] takes 17-44
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛No.4 アビイ・ロード第2スタジオ。この日、アビイロードにリンゴが帰ってきた。ドラムセットは「おかえりリンゴ」とばかりに花で覆われていたそうだ。8トラックに移し替えた先日の第16テイクにジョージのボーカル、マラカス、そしてギターをオーバーダブするも、この段階でジョージは「サウンドに納得がいかない」として今までのテイクを全て破棄。ここで再リメイクを第17~第44テイクまで録音する。ジョージはこのテイク番号に不服だったのか、第17テイクと告げる声に自分のマイクで「テイク1!」と返している。この中の第25テイクがベストと判断されて、翌日にオーバーダブを施す事になった。
Ringo returns to the studio. His drum kit is decorated with flowers
Producer: not assigned ☆\(=^◇^=)/☆
Engineer: Ken Scott
2nd Engineer: John Smith
‡1968(昭和43)年9月5日(thu)
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https://beatlesdata.info/10/07_whilemyguitargentlyweeps.html
https://en.wikipedia.org/wiki/While_My_Guitar_Gently_Weeps
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┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ The Quarrymen Live at The Casbah Coffee Club ┃
┃ ザ・クオリーメン ザ・カスバ・コーヒー・クラブ ┃
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No.1 1959(昭和34)年 8月29日(sat) The Casbah Coffee Club
‡No.2 1959(昭和34)年 9月 5日(sat) The Casbah Coffee Club
No.3 1959(昭和34)年 9月12日(sat) The Casbah Coffee Club
No.4 1959(昭和34)年 9月19日(sat) The Casbah Coffee Club
No.5 1959(昭和34)年 9月26日(sat) The Casbah Coffee Club
No.6 1959(昭和34)年10月 3日(sat) The Casbah Coffee Club
No.7 1959(昭和34)年10月10日(sat) The Casbah Coffee Club ※THE END.
**************** https://en.wikipedia.org/wiki/The_Quarrymen
http://gejirin.com/beatles/history/1926-1959/19590829_live_casbahcoffeeclub1.html
http://gejirin.com/beatles/history/1926-1959/19591010_live_casbahcoffeeclub7.html
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┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ Summer 1963 UK Tour“THE BEATLES SHOW” ┃
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‡No.66 (thu)05 September 1963 Taunton, England, Gaumont
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┃ Summer 1964 United States & Canada Tour ┃THE BEATLES SHOW
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
‡No.14 (sat)05 September 1964 Chicago, United States, International Amphitheatre
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https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_the_Beatles%27_live_performances
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┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ ザ・ビートルズ オリジナルアルバム作品 ┃
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1964年 6月26日 米『A HARD DAY’S NIGHT -ORIGINAL MOTION PICTURE SOUND TRACK-』
1964年 7月10日 英『A HARD DAY’S NIGHT』
1964年 9月 5日 日『A HARD DAY’S NIGHT』
http://yokono.co.uk/collection/beatles/beatles.html
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓西暦1964年は
┃ ザ・ビートルズ 日本 シングル リリース ┃日本で最もザ・ビートルズの
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛シングル作品がリリースされた年だヨ(=^◇^=)
01.1964(昭和39)年02月05日(水) 01 \330 ♪抱きしめたい♪/♪こいつ♪
02.1964(昭和39)年03月05日(木) 02 \330 ♪プリーズ・プリーズ・ミー ♪/♪アスク・ミー・ホワイ♪
02.1964(昭和39)年02月10日(月) 02 \330 ♪プリーズ・プリーズ・ミー ♪/♪アスク・ミー・ホワイ♪
03.1964(昭和39)年04月05日(日) 03 \330 ♪シー・ラヴズ・ユー♪/♪アイル・ゲット・ユー♪
04.1964(昭和39)年04月05日(日) 04 \330 ♪キャント・バイ・ミー・ラヴ♪/♪ユー・キャント・ドゥ・ザット♪
05.1964(昭和39)年04月05日(日) 05 \330 ♪フロム・ミー・トゥ・ユー♪/♪アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア♪ *日本独自発売(1)
06.1964(昭和39)年05月05日(火) 06 \330 ♪ツイスト・アンド・シャウト♪/♪ロール・オーヴァー・ベートーヴェン♪
07.1964(昭和39)年05月05日(火) 07 \330 ♪ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット♪/♪サンキュー・ガール♪
08.1964(昭和39)年05月05日(火) 08 \330 ♪オール・マイ・ラヴィング♪/♪ラヴ・ミー・ドゥ♪ *日本独自発売(2)
09.1964(昭和39)年06月05日(金) 09 \330 ♪プリーズ・ミスター・ポストマン♪/♪マネー♪ *日本独自発売(3)
10.1964(昭和39)年08月05日(水) 10 \330 ♪ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!♪/♪ 今日の誓い♪
‡11.1964(昭和39)年09月05日(土) 11 \330 ♪恋する二人♪/♪ぼくが泣く♪
‡12.1964(昭和39)年09月05日(土) 11 \330 ♪リンゴのテーマ(こいつ)♪/♪アンド・アイ・ラヴ・ハー♪<ジョージ・マーティン楽団>
13.1964(昭和39)年10月05日(月) 12 \330 ♪アンド・アイ・ラヴ・ハー♪/♪恋におちたら♪
14.1964(昭和39)年11月05日(木) 13 \330 ♪マッチボックス♪/♪スロウ・ダウン♪
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┃ ザ・ビートルズ 日本 シングル リリース ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
29.1966(昭和41)年01月15日(土) 1 \370 ♪恋を抱きしめよう♪/♪デイ・トリッパー♪
30.1966(昭和41)年04月15日(金) 2 \370 ♪ひとりぼっちのあいつ♪/♪消えた恋♪
31.1966(昭和41)年06月15日(水) 3 \370 ♪ペイパーバック・ライター♪/♪レイン♪
‡32.1966(昭和41)年09月05日(月) 4 \370 ♪イエロー・サブマリン♪/♪エリナー・リグビー♪
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┃ ザ・ビートルズ 日本 シングル リリース ┃
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42.1970(昭和45)年03月25日(水) 1 \400 ♪レット・イット・ビー♪/♪ユー・ノウ・マイ・ネーム♪ ※現役時代最後のシングル発売
43.1970(昭和45)年06月05日(金) 2 \400 ♪オー!ダーリン♪/♪ヒア・カムズ・ザ・サン♪ *日本独自発売(15)
‡44.1970(昭和45)年09月05日(土) 3 \400 ♪ロング・アンド・ワインディング・ロード♪/♪フォー・ユー・ブルー♪ ※\400最後のレコード
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http://yokono.co.uk/collection/beatles/japanese/single/single.html
シングル写真一蘭◆http://d.hatena.ne.jp/hideaway_juju/20120717/1342515521
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%81%AE%E4%BD%9C%E5%93%81
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ビートルズの名曲に隠された音楽史上屈指のミステリー~謎のイントロコードを、数学者が解明したと発表した日
2012年9月5日 ⇒ ビートルズの名曲「A Hard Day's Night」のイントロのコードの一番最初の音は、強烈で不思議な音だっただけに、これまで数多くの人が解明しようと挑んできた。1990年代まではG7sus4という説が有力だったが、カナダの数学教授ジェイソン・ブラウンが数学者らしくフーリエ変換を行って構成音を特定し、そこから各楽器の演奏内容を推定したという。しかし、それに対してさらに反論となる論文もイギリスのリーズ大学数学講師ケヴィン・ヒューストンによって2012年9月5日に発表された。その他にも、いろいろな説が飛び出し、いまだに謎のままのこのイントロコード、果たして真相は?
http://enigma-calender.blogspot.jp/2014/03/beatles-hard-days-night.html
イギリスの数学者が「A Hard Day's Night」のイントロのコードを解明したと主張
2012年9月10日月曜日
http://blog.kouchu.info/2012/09/AHardDaysChord.html
音源◆The Beatles - Live At The Cavern Club, September 5 1962 https://youtu.be/RNhqkvjQGl4
†The Cavern Club, Liverpool, 5 September 1962
The Beatles had been filmed by Granada Television at the Cavern Club on ●22 August 1962, performing Some Other Guy for the Know The North programme. On this day their sound technician Gordon Butler returned to the venue to make a better-quality recording. Butler used three microphones rather than one for this evening show. He made an hour-long recording of The Beatles, of which performances of Some Other Guy and Kansas City/Hey-Hey-Hey-Hey! have survived. The first source for Kansas City is the one found on the Anthology proyect with an intro. The other is the complete acetate but without the intro.
01. Some Other Guy [0:00]
02. Kansas City/Hey-Hey-Hey-Hey! (Source #1) [2:17]
03. Kansas City/Hey-Hey-Hey-Hey! (Source #2) [3:18]
音源◆The Beatles - Live/Rehearsals, At The Cavern Club 1962 https://youtu.be/GQ8MOtb7HDc
22 August 1962: Track 1
‡05 September 1962: Track 2 & 3
October/November 1962: Tracks 3, 4, 5, 6, & 7
01. 00:00 Some Other Guy
02. 02:07 Some Other Guy
03. 04:18 Kansas City/Hey-Hey-Hey-Hey!
04. 07:04 One After 909
05. 10:26 Catswalk (1st Rehearsal)
06. 11:51 Catswalk (2nd Rehearsal)
07. 13:11 I Saw Her Standing There
Personnel: John Lennon: Vocals, Guitar, Harmonica
Paul McCartney: Vocals, Bass
George Harrison: Backing Vocals, Guitar
Ringo Starr: Drums
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┃ 東芝音楽工業株式会社 ┃
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1960(昭和35)年10月01日(土) 音楽レコード事業部門が分離独立して東芝音楽工業株式会社が設立される。設立時の資本金は1億5千万円である。
1962(昭和37)年XX月XX日(?) 英EMIのコロムビアと日本コロムビアが契約終了により英コロムビア音源の発売権を取得し、EMI傘下レーベルは他レーベルと共同制作盤など一部を除きすべてが東芝から発売される。メロディアとEMIの共同制作盤は、アナログ盤時代にメロディアの発売権を有していたビクターエンタテインメント(現:JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)から発売された。CD化時にEMI側の権利から東芝EMIからの発売となった。
1971(昭和46)年10月01日(金) 富士山の麓、静岡県御殿場市に最新鋭の生産機能を取り入れた御殿場工場を開設。
‡1973(昭和48)年09月05日(水) ニュー・サウンズ・イン・ブラス第2集の発売開始。「発売開始の時の名前はヤング・ポップス・イン・ブラス!!」。以降、今日まで製造・発売している。
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https://ja.wikipedia.org/wiki/EMIミュージック・ジャパン
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ザ・ビートルズがハリウッドを圧倒した時『Live At The Hollywood Bowl』
‡2016(平成28)年09月05日(月) Published
北米に進出し始めた段階で、ザ・ビートルズは既に3年間もライヴ活動の経験を重ねていた。そのあいだには故国イギリスだけにとどまらず、過酷なハンブルグ巡業(スター・クラブへの出演)もこなしている。こうしてジョン、ポール、ジョージ、リンゴの4人は、しっかりとライヴの経験を重ねたベテランとなっていた。イギリスで熱烈なファンを獲得した彼らは、ザ・ビートルズ旋風がピークに達した1964年の初め、次の照準をアメリカに定めた。この時点になると、ザ・ビートルズのメンバーは観客席から投げつけられそうなものは既に全部見たと考えていた ―― なにしろハンブルグでは、文字通りありとあらゆるものが投げつけられていたのだから。それでも、イギリス最高のバンドを歓迎するために集まったアメリカのファンはイギリスのファンを上回る熱気で4人を圧倒した。ザ・ビートルズがアメリカで最初に大きな反響を呼んだのは、「エド・サリヴァン・ショー」に出演したときのこと。その模様は、1964年2月9日に北米全土の家庭に向けて放送された。視聴者数は推定7,300万人 ―― このとき「エド・サリヴァン・ショー」は番組始まって以来の最高視聴率を叩き出した。この出演を皮切りにブリティッシュ・インヴェイジョンが怒濤の勢いで始まり、ザ・ビートルズは一夜にして有名人になった。首都ワシントンで初コンサートを行ったあと、ザ・ビートルズはニューヨークの有名なカーネギー・ホールのステージを踏む。その後「エド・サリヴァン・ショー」にはさらに2回出演した(どちらも放送日は日曜日)。本人たちが帰国したあとも、アメリカのザ・ビートルズ熱は高まるばかり。ただし夏に再びアメリカを訪れた4人は、過去の開拓者と同じ目的地 ―― つまり西海岸を目指した。こうしてザ・ビートルズは、
1964(昭和39)年08月23日(日)にハリウッド・ボウルに出演した。会場はスケールの面ではおそらくシェイ・スタジアムに次ぐ大きさ。そんな大会場であるハリウッド・ボウルに、ザ・ビートルズは1年間に3度出演することになる。この1964年8月のコンサートのあとは、1965年の8月29・30日に2日続けてライヴが行われている。それら3公演から選りすぐりの演奏を集めたのが、1977年のアルバム『The Beatles At The Hollywood Bowl(邦題:ライヴ・アット・ザ・ハリウッド・ボウル)』だった。この音源は観客の絶叫が演奏に被さっていることで有名だ。おそらくこれは、ザ・ビートルズ旋風の熱狂ぶりを最もよく伝える作品なのではないだろうか。そのマスターテープをジャイルズ・マーティンとアビイ・ロードのエンジニア、サム・オーケルが発掘したことにより、この『Live At The Hollywood Bowl』はまた新たなかたちで蘇った。ボーナス・トラック4曲が追加されたこのリマスター版で、ファンはついに当時のザ・ビートルズの演奏をはっきりと確認することができる(メンバー自身は自分たちが演奏する音を聴くことさえできなかったのだが)。このニュー・マスターでも、ハリウッド・ボウルに詰め込まれた約2万人の熱狂的ザ・ビートルズ・ファンの絶叫は完全には消えていない ―― しかしそれは決して悪いことではない。イギリス最高のバンドを目にしただけで身も心も張り裂けんばかりになった観客の声は、50年後の今聴いても驚異的なのだから。こうした様子からは、ザ・ビートルズが台風の目だったことが感じ取れる。ただしその台風は実に貪欲な台風であり、進路にあるものすべて、そして最終的には自分自身をも飲み込もうとしていた。そんな狂乱の渦に周りを囲まれているにもかかわらず、ザ・ビートルズの面々はステージ上で奮闘し、驚くほど平静に曲をやりこなしている。ここでの「ツイスト・アンド・シャウト」(演奏位置がコンサートの最後から最初に移されたばかりだった)は、有名なアルバム『Please Please Me』収録ヴァージョンをもしのぐ強烈な仕上がりになっていた。ここでのジョンは、ほとんどの歌手がステージ最後まで取っておくような激しい歌声を披露している。そうした爆発的なエネルギーが『Live At The Hollywood Bowl』には記録されていた。一方このアルバムでは、ザ・ビートルズのメンバーの熟練した演奏ぶりも確認できる。周囲の狂騒をよそに、彼らは最初から最後までプロとしての仕事に徹していた。観客の絶叫にかき消され、自分たちの演奏さえ聴くことができない……とザ・ビートルズが発言していたのは有名な話(このアルバムでも、ある時点でポールは「こちらの音、聞こえてる?」と尋ねている)。しかし「Ticket To Ride(邦題:涙の乗車券)」を聴けば、それでも演奏には問題がなかったように思える。ジョージの弾く冒頭のフレーズもリンゴの正確なドラムスも完璧な仕上がりだった。ただし、プロの仕事に徹していても、メンバーの個性が消えたわけではない。曲を紹介するジョンとポールは、上品な司会役であると同時に小粋な芸人コンビでもあった。自分たちのいる状況をユーモラスに感じたふたりは、おどけた囁きを交わしている ―― ある時点では、ジョンが観客の馬鹿げた振る舞いを見て吹き出していた。そうしたやり取りからは、当時のザ・ビートルズが置かれていた状況が痛烈なまでに伝わってくる。激流の真ん中で、このリヴァプール出身の4人の若者たちは音楽を一緒に演奏しながら、世界を変えようとしていたのだ。
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