過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日のTHE BEATLESだヨ(=^◇^=)


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 ┃『SGT PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND』┃
 ┃アルバム・カヴァーに登場しているのは誰?┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛STORIES
 2020(令和二)年05月30日(土)『discovermusic.jp』Published
 ザ・ビートルズの『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』は、史上最高にアイコニックなアルバム・ジャケットの座をいまだ維持し続けている。ポール・マッカートニーの着想から、イギリスのポップ・アーティスト、ピーター・ブレイクと妻のジャン・ハワースによる最終デザインに至るまで、これは単なるアルバム・ジャケットの枠を超えている。当時を象徴する見事なモダン・アート作品なのだ。このアートワークは、当時としては画期的なデザインだった。また、制作費用が3,000ポンド(現在では5万ポンド以上に相当する)と破格で、当時のポップ・アルバムのジャケットでは最高額である。コンセプトは、ザ・ビートルズが「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」に扮して登場し、今ちょうどコンサートを終えたところで影響力の大きな人々の集団に囲まれている、というものだ。合計58人が、最終版のアートワークに登場している。ジャケットに登場した人々は、ジョン、ポール、ジョージ、ピーター・ブレイク、ジャン・ハワース、そしてロンドンの美術品商、ロバート・フレイザーが共同で作ったリストから選ばれた。イエス・キリストとアドルフ・ヒトラーは、掲載には不適切とされ、マハトマ・ガンジーやレオ・ゴーシーといった人々は、別の理由で削除された。また、エルヴィス・プレスリーの顔がないのも気になるが、これはポール・マッカートニーが後年語っているが、「あまりに重要で、雲の上の存在すぎて、口にするだけでも畏れ多い存在」だったからだという。最終ヴァージョンに残った人々は、文化人や重要人物、さらにはザ・ビートルズのメンバーが関心を持つ人々が並ぶ魅惑的な顔ぶれだ。「Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band」の歌詞のように、「皆さんも長年、このバンドのことは知っているだろう。それでは、『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』のジャケットに掲載されている残りの人々を皆さんに紹介しよう……」
 ┌─―――――――――――┐Top row <一行目>
02|  Aleister Crowley  |『Wikipedia』オカルト研究家
02|アレイスター・クロウリー|『discovermusic.jp』
 └─―――――――――――┘非常に多くの作品を残した作家。オカルティズム(神秘主義)に共感し、セレマ(Thelema)という自身の宗教を創設した。クロウリーの中心的信条は「汝の意志することを行うことが、法の全てである。愛は法であり、愛は意志の下にある」ヨ(=^◇^=)
‡1875(明治八)年10月12日(tue) Born
 1947(昭和22)年12月01日(mon) Died. 72 years old
 ┌─――――――┐Third row <三行目>
40|  Tom Mix  |『Wikipedia』
40|トム・ミックス|『discovermusic.jp』
 └─――――――┘ハリウッドにおけるウェスタン映画の第1号スター。1909年から1935年の間に、291本もの映画に主演したヨ(=^◇^=)
 1880(明治13)年01月06日(tue) Born
†1940(昭和15)年10月12日(sat) Died. 60 years old
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 https://sgtpepper.udiscovermusic.com/
‡https://en.wikipedia.org/wiki/Aleister_Crowley
†https://en.wikipedia.org/wiki/Tom_Mix
 https://www.udiscovermusic.jp/stories/whos-who-on-the-sgt-peppers-album-cover
 https://www.udiscovermusic.com/stories/whos-who-on-the-beatles-sgt-peppers-lonely-hearts-club-band-album-cover/
 https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_images_on_the_cover_of_Sgt._Pepper%27s_Lonely_Hearts_Club_Band
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‡2021(令和三)年10月12日(火)
 新証言でしょうか?
 https://www.facebook.com/groups/720792321370235/posts/4420381464744617/
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「ビートルズ解散に関するポールの発言報道について」
 2021(令和三)年10月14日(木) 09:20 島川 宏
 ネットニュースのみならず、一般紙までも賑わせた今回のポールの発言は、こちらのグループでも複数の方が投稿されていました。いろいろ誤解もあるようなので、私の記憶や調べてくださったメンバーさんのコメントを基に出来るだけ客観的に考察したいと思います。
 ①報道によっては、「ビートルズの解散はジョンの責任」との見出しもありましたが、発言は「最初に言い出したのはジョン」という内容です。
 ②新事実という受け取り方もありますが、1970年代には明らかになっていることです。メンバーによるミーティング中、アビーロード後の活動についてポールが力説する最中、「ポール、キミは間抜けだよ。ボクはビートルズを抜けるよ」と言い放ったというものです。
 ③一方でビートルズの解散をマスコミに最初に公言したのはポールです。最初に脱退を言い出したのはジョンですが、マスコミに公表したのがポールだったため、ポールがビートルズを解散させた張本人だとの世間的な見方もあり、そのことが今回のやり取りにもつながったのだと思います。
 ④ジョンはポールによる解散発表に対して激怒しました。脱退を言い出したのは自分だから、世間に公表するのも自分だという思いがありました。また、ポールによる公表時期がソロアルバム「McCartney」の発売時期と重なったため、宣伝にも利用されたとも受け取ったようです。ジョンからすると、ビートルズを作ったのは自分だという自負があったと思いますし、ポールはポールでエプスタイン亡き後、グループを引っ張ってきたのは自分だという思いはあったでしょう。ビートルズ解散の原因はひとつでない。確かにそうでしょう。しかし、本人たちに続ける意思があれば、大抵のことはクリアになっていたように思います。やはり続けられないと本人たちが思ったことに尽きるのでしょう。今回のポールの発言は前述の通り新事実でも何でもありませんが、騒動になったことで、図らずもそのことに改めて気づかせられました。駄文、長文、失礼しました。
 https://www.facebook.com/groups/720792321370235/posts/4425634704219293/
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 ビートルズの解散、レノン氏が「引き起こした」マッカートニー氏が主張
‡2021(令和三)年10月12日(火) 12:38配信 BBC News マーク・サヴィッジ、BBC音楽担当編集委員
 英ロックバンド、ビートルズの解散をめぐっては50年近く、サー・ポール・マッカトニーに責任があると広く思われてきた。しかし、マッカートニー氏はBBCとの最新インタビューで、この見方を否定した。マッカートニー氏が解散のきっかけを作った「証拠」とされてきたのが、同氏が1970年に出したソロアルバム「マッカートニー」の報道発表資料だ。その中で同氏は、ロック界最大のバンドから「休み」を取っていると明らかにした。また、自分で自分にインタビューする形で、「レノンとマッカートニーが再び曲作りの現役パートナーになる時期を展望」できないと述べた。
■解散は「レノンが促した」■しかし、マッカートニー氏は今回のBBCインタビューで、解散はジョン・レノン氏(故人)が促したと述べた。
「解散のきっかけを作ったのは僕じゃない。そうしたのは、われらがジョニーだ」と、マッカートニー氏はインタビューをしたジョン・ウィルソン氏に述べた。
「解散のきっかけを作った人間は僕じゃない」
「ああ、違う違う。ある日、ジョンが部屋に入って来て、ビートルズを離れるつもりだと言った。『とてもぞくぞくする。離婚に似ている』とも言った。残された僕たちが、後片付けをしなきゃならなかったんだ」
■「続けたかった」■ウィルソン氏は、レノン氏が去らなければ、ビートルズは続いたか尋ねた。マッカートニー氏は「かもしれない」と答えた。
「要するに、ジョンはヨーコとの新生活をスタートさせ、(中略)平和のためにアムステルダムで1週間、ベッドインをしようとしていた。それに反対するわけにはいかなかった。あれは僕の人生で一番つらい時期だった」
「これは僕のバンド、僕の仕事、僕の人生そのものだった」と、マッカートニー氏はビートルズについて付け加えた。
「続けたかった。自分たちはかなりいい仕事をしてると思っていた。『アビイ・ロード』や『レット・イット・ビー』は悪くなかった。続けられると思っていた」マッカートニー氏は、ビートルズの解散をめぐる混乱は、新しいマネージャーのアレン・クライン氏(故人)によって悪化したと述べた。マッカートニー氏はクライン氏と共に働くのを拒んだが、クライン氏は当時、ビートルズのビジネス面に区切りをつけるには、時間が必要だと話していたという。
「それで数カ月間、僕たちは何事もないふりをする羽目になった」
「妙な感じだった。自分たちはみんなビートルズは終わりだと知っていたのに、さっさと離れられなかった」
■メンバーを相手取り訴訟■マッカートニー氏はその後、他のバンドメンバー全員を相手取り訴訟を起こした。ビートルズの作品をクライン氏が管理できないようにするため、契約関係の解消を求めた。
「(クライン氏と)闘わなくてはならなくて、そのためにはビートルズの他のメンバーたちを訴えるしか方法がなかった。3人はクラインに同調していたので」
「後になって、みんな僕に感謝した。でも、解散のきっかけを作ったのは僕じゃない」マッカートニー氏はこれまで、ビートルズ作品の権利を守るため自分が法廷で争わなければ、1995年から発表を開始した「ザ・ビートルズ・アンソロジー」や、ピーター・ジャクソン監督による近日公開のドキュメンタリー「ゲット・バック」などのアーカイブ・プロジェクトは実現しなかっただろうと話している。今回のマッカートニー氏のインタビューの全編は、BBCラジオ4のシリーズ「This Cultural Life」で今月23日(イギリス時間)から放送の予定。BBCラジオはオンラインで日本からも聞くことができる。
 2021(令和三)年10月25日(月)からは、マッカートニー氏が新著「ザ・リリックス」を自ら朗読した録音を、BBCサウンズで聞けるようになる。
 英語記事 Paul McCartney says John Lennon split the Beatles
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【関連記事】バンクーバー美術館でオノ・ヨーコ展始まる 来館者参加型の作品や「ベッド・イン」など みんなの経済新聞ネットワーク 10/13(水) 9:54
 https://news.yahoo.co.jp/articles/644b47fdc2d44ec9e79bf09d795e0721cd56873e?fbclid=IwAR1jE9ehsenCmj7ms-w6gmzJVUOXD8ZHuap5kgQr_oSR73JRJn1QkRV0SnM


 映像◆The Beatles - Eight Days A Week https://youtu.be/kle2xHhRHg4
 
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ 『ザ・ビートルズ日本公演』再放送 第1回 ┃
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‡1978(昭和53)年10月12日(木)『ビートルズ日本公演!今世紀最初で最後たった1度の再放送』
 1966(昭和41)年06月30日(木) 夜公演、再放送ではない初放送。VHS&LD VERSION
 1965(昭和40)年08月15日(日) シェアスタジアム公演。前座の模様も初放送
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 ┃ 『ザ・ビートルズ日本公演』再放送 第2回 ┃
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 1980(昭和55)年02月09日(土) 06/30公演+新ビートルズヒストリー放送
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 ┃ 『ザ・ビートルズ日本公演』再放送 第3回 ┃
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 1988(昭和63)年11月03日(木) 06/30公演リマスター放送
 備考・・・ノーカット放送ではないMCカット放送
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 https://ja.wikipedia.org/wiki/ザ・ビートルズ日本公演_(テレビ番組)#再放送
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 S53/10/12 19:30- 「ビートルズ日本公演」(1966/6/30) NTV 広川さんのナレーション版です。 CT
 http://www.geocities.co.jp/MusicStar-Vocal/6398/tvdata.htm


‡S53/10/12 19:30-「ビートルズ日本公演」1966/6/30 NTV 広川さんのナレーション版
 http://www.geocities.co.jp/MusicStar-Vocal/6398/tvdata.htm
●1978(昭和53)年10月12日(木) 午後7時30~8時54分に日本テレビ系21局で『木曜スペシャル』枠内で「今世紀、最初で最後、たった一度の“再放送”」と銘打たれ、ビートルズのヒストリーなど
 1965(昭和40)年 8月15日(日)に行われたシェアスタジアム公演の模様とともに放送された[注 8]。またこの放送では前座の模様も初めて放送された。だが、1966年の当時放送されたのは
初日の1966(昭和41)年6月30日(木)ではなく、
翌日の1966(昭和41)年7月 1日(金)の模様を放送したため正式には再放送とはならない。
ちなみに1966(昭和41)年7月 1日(金)の公演の模様のマスターテープはマネージャーのブライアン・エプスタインが持ち帰ってしまったため、
日本には1966(昭和41)年6月30日(木)のテープが残された。皮肉にも78年の放送が本当の再放送では無いので
1966(昭和41)年6月30日のテープが初めて日の目をみた事になる。しかし、武道館内張られていた企業看板(ライオン。因みに『木スぺ』には同業者の花王石鹸がスポンサーの一つだった)は放送に写らないようにとの契約だったため、ライブ中画面が引きで撮影された際に企業看板が写ってしまっていたため、78年の放送では写らないようにトリミング処理をされて放送された。
[注 8] なお、その前週の1978(昭和53)年10月5日(木)放送の回顧特番『力道山からピンク・レディーまで テレビ25年総集編』でも当番組が放送、2週連続してビートルズ関連特番が放送された事となった
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%BA%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%85%AC%E6%BC%94_(%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E7%95%AA%E7%B5%84)
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 音源◆The Beatles - Live in Japan (Full Performance) https://youtu.be/XPTEZlIZNYE
 From the last concert the Beatles played in Japan on July 2, 1966.
 
  映像◆The beatles 日本公演 前座(最長版)http://youtu.be/Xrt8Ego2kvQ
  
  今夜の映像◆http://video.fc2.com/content/20110702d26HCNSz
 1966.6.30映像◆黒服◆http://video.fc2.com/content/20140226xqWzvbfG
 今や伝説と化した日本公演。全11曲のライブと来日ドキュメンタリーシーンで構成。
 01. ロック・アンド・ロール・ミュージック
 02. シーズ・ア・ウーマン
 03. イフ・アイ・ニーデッド・サムワン(恋をするなら)
 04. デイ・トリッパー
 05. ベイビーズ・イン・ブラック
 06. アイ・フィール・ファイン
 07. イエスタデイ
 08. アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン(彼氏になりたい)
 09. ノーホエア・マン(ひとりぼっちのあいつ)
 10. ペイパーバック・ライター
 11. アイム・ダウン
 1966.6.30 ザ・ビートルズ日本公演映像◆http://video.fc2.com/content/20140518tyLnzL1u/
 ビートルズ来日も利用!日本人洗脳計画とは!! 映像◆http://video.fc2.com/content/201406174pKPdfgt/
 映像◆ビートルズ日本公演の価値がわからなかったTBS映像◆http://video.fc2.com/content/20140827bSPEBHzY/
 1988.11.3(thu)映像◆CH.4 12:00映像◆http://video.fc2.com/content/20130411rqkU3pgv/
木曜スペシャル「ビートルズ日本公演」から30周年
2008年09月16日 00:00
今から30年前の秋、昭和53年10月12日(木)のことです。日本テレビ系「木曜スペシャル」でビートルズ日本公演が放映されました。日本公演のフィルムについてはエプスタインが持ち帰ったため日本には存在しないというのが当時の定説でしたが、その持ち帰ったフィルムは実は7月1日昼の部であり、6月30日夜の部が今回見つかったということで、この時はファンの間でかなりの話題となりました。ビートルズ日本公演から12年後、当時を知る30才以上のファンはもちろんのこと、「動くビートルズ」に接する機会に恵まれなかった若いファンもこの日のテレビにかじりつくように見入ったものです。小生は当時中学生で“12年前”という言葉の響きに時代を感じたものです。書物でコンサートの曲順等は知っていましたが、それでも新鮮さいっぱいのコンサートでした。当時はパソコンやDVDなどは当然ながら存在せず、家庭用ビデオデッキも普及には至ってなかったため、テープレコーダーでの録音(!)やテレビ画面の写真撮影(!!)に熱心に取組んだファンも少なくなかったようです(今では信じられない話ですが)この「木曜スペシャル」では来日当時に放映されたドキュメンタリーフィルムも放映され、パトカー護衛の専用車のバックに「ミスター・ムーンライト」が流れるシーンもそのまま流れて感動した当時からのファンもいたそうです。また、アンコールを絶対にしないビートルズでしたが日本テレビの編集により「イエスタデイ」が歌詞対訳テロップ付きで再度番組のラストに流されたのが個人的には印象に残っています。あれから30年。ちなみに今から12年前は「アンソロジーブーム」の頃で、オサーンとしてはたいして昔のことでもないな…というのが率直な気持ちですね。当時の“12年前”は凄く昔のことに感じたものです。現役時代のファンのかた、「木曜スペシャル」で初めて日本公演を観たファンのかた、はたまた「えっ、30年前にそんなことが有ったのか!」とお感じのファンのかた、どうぞご随意にお書き込み下さい。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=515&id=35065848
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓シンコー・ミュージック・ムック
 ┃ 『MUSIC LIFE ザ・ビートルズ日本公演 1966』 ┃2016/06/17(金) B5判 P.196
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛\1,944(本体1,800+税)ISBN:978-4-401-64311-0
  https://www.shinko-music.co.jp/item/pid1643119/
『MUSIC LIFE ザ・ビートルズ日本公演 1966』をちょっと読んで
今年はBeatles来日50周年ということで、記念本(あるいは関連本)がいくつか発売された「MUSIC LIFE ザ・ビートルズ日本公演 1966」は、博多駅隣の商業ビル「KITTE博多」内HMV&Booksで平積みで売られていたので、2週間ほど前に購入した。その時点では、Amazon以外ならネットでも買えた気がする。それ以外に、高価だったが「来日学」も買った。僕が買ったのはその2冊だけ。 僕はいつの間にやら、購入した書籍(だいたいオーディオか音楽関係)を隅から隅まで読むことはなくなった。気が向いたときにパッと開いては、目に入った部分だけ読む、みたいな読み方になってしまった。この本も同じだ。きっとBeatlesに夢中だった中高生の頃ならば、本当に隅から隅まで読んていたに違いなし、何度も読み返しているに違いない。まぁ、そんなことはさておき、これ(や「来日学」)を読むと、やはり1978年に一度限りの放送という条件でTV放送されたBeatlesの日本公演の全曲放送の衝撃は、いろんな意味で大きかったことが伺える。今の目から見ると、放送当時の方が日本公演の映像は幻だった。今ではブートDVDで6/30も7/1も観ることができる。けれども、あの頃、フィルムフェスティバルを除けば映像を観ることなどできなかった。それに、何よりもTVで放送されたのだから画期的だった。当時、家庭用のビデオレコーダーはまだまだ高額品だった。クラスに一人だけ家にレコーダーがあったが、たぶん学年全体でも彼の家だけぐらいだったのでは?と思える。なので録画も録音もできず、テレビにかじりついて観るしかなかった。それがまさか、来日当時には放送されずお蔵入りになった6/30の演奏であることなど知る由もなかった。なので、演奏の不出来と言うかやる気の無さと言うか、あまりよろしくなく、「なんか乗ってないなぁ」という印象。その後フィルムフェスティバルで7/1公演を観てあまりの違いに驚かされるわけだが。当時学校ではハードロックを好む連中からBeatlesはヘタクソだと言われ続けていた。ギターが速弾きしないという点こそが彼らにとっては下手だった(笑)さらに、何よりも彼らにはBeatlesはロックではなかったのだ。Beatlesはポップス、Deep Purple、Kiss、Van Halenこそがロックだった。なので、「MUSIC LIFE ザ・ビートルズ日本公演 1966」で書かれているように、6/30の演奏が世に出たせいでBeatlesの演奏は下手という考えが広まった・・・・・・わけではなかった。少なくとも僕の育った環境では、それ以前から(中高生のロックファンの間では)そう言われていた。かと言って、Rolling stonesは下手ともうまいとも言われず、Whoは存在自体知られていない、そういう時代だった。この本を読んで、そんな他愛もない事がふと頭に浮かんだ(苦笑)僕のBeatlesに関する最初の記憶は、ラジオから流れた「Hey jude」なので68年以降(万博よりも前の記憶なので68年か69年)なのだから、来日の頃は何も記憶に無い。でも78年のTV放送も1回限りだったから、フルで覚えているとは言いがたい。
http://jdanalog.blog111.fc2.com/blog-entry-1025.html


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