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┃『Home Bound』┃
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1980(昭和55)年10月21日(tue) released
1985(昭和60)年12月01日(sun) CD released ※初CD発売
1990(平成二)年06月21日(thu) CD released ※再CD発売
‡1999(平成11)年09月08日(wed) REMASTERING 初回限定版 SRCL-4601
1999(平成11)年09月29日(wed) REMASTERING
①原田真二くんとか世良公則くんとか、自分たちより後輩がどんどんブレイクしていって、ひょっとしたら俺の時代は来ないまま終わってしまうのかなあって思ってたんですね。で、このアルバムを作ってコンサートも少し出来るようになって日本中を回りはじめたら、違うものが見えはじめたんです。夢のようなサクセス・ストーリーとか、金持ちになってアメリカに留学してみたいとか、いろんなことが夢なんだなあというなかで、300人や400人のお客さんしかいないんだけど、そこで演奏してすごく楽しかったんですよ。これでいいじゃないかって思いはじめた。ある意味じゃ、俺の本当のデビュー・アルバムっていう感じがしますね。当時、ジャクソン・ブラウンが好きで、彼はセクションというバンドをやってたんです。俺はロンドンに行きたかったんだけど、セクションとやれるかもしれないというんで、このアルバムをロサンゼルスでレコーディングしたんです。ロックの生まれた国で音を録ろう、本当のピュアなミュージシャンというのはどういう感じなのか会ってみたいと思って。結局、セクションのメンバーはジャクソン・ブラウンのあの"HOLD OUT"ツアーでいなかったんで、メンバーは変わったんですけど、すごくいい体験でしたね。
②「戻ってくるために離れることが必要だった」。レコードの帯には、そう記されていた。日本を離れた海外録音、そこに自らのルーツであるRock、そしてR&Bに回帰することを重ねた秀逸なコピーだった。1980年の夏、初めての海外録音でロサンゼルスに。当初は、アメリカ西海岸ではなく、イギリスでレコーディングしたいと思っていました。ニューウェイウ゛の出てきたイギリスの、たとえばエルウ゛ィス・コステロなどのロックなザラつき感が、自分のサウンドイメージに近いと思っていたから。でも、ジャクソン・ブラウンのレコーディングメンバーのザ・セクションと出来るかも……という話があって、それならアメリカもいいな、と。ただ、交渉中にザ・セクションのメンバーがジャクソンとのツアーに出ることになってしまって。それで、改めてデヴィッド・キャンベルという、ジャクソンなどの弦のアレンジをしている(キャロル・キング『つづれおり』ではウ゛ィオラを演奏)プロデューサー/アレンジャーがミュージシャンをコーディネートしてくれることになったんです。彼は、最近では〝ベックのお父さん?ということでも有名だよね。アルバムの1曲目は「終りなき疾走」。俺の感覚としては、ニューウェイウ゛の出てきたイギリスのロックなザラつき感が俺のサウンドイメージに近いと言ったけど、アメリカでいえば当時、イギリスのパンクやニューウェイウ゛に影響を与えたラモーンズのサウンドをイメージしていました。70年代になってロックがビッグビジネスになって産業化されていって、R&Bがディスコになる。その流れに対抗するように、60年代の古き良きロックを過激なサウンドでプレイして70年代後期に流行ったのが、ラモーンズにも代表されるパンクだよね。実は、その頃はほとんど聴いていなかったんだけど、ブルース・スプリングスティーンも、流行の音に振り回されることなくロックやR&Bのルーツの音を再生させていたという点では、パンク的だったとも言える。「終りなき疾走」や2曲目の「東京」でギターを弾いているのがTOTOのスティーヴ・ルカサー。俺達、彼がスタジオに来る前の日に、当時はまだ野外劇場だったユニバーサル・アンフィシアター(のちのギブソン・アンフィシアター、現在は閉館)にボズ・スキャッグスのコンサートを観に行って、そのゲストミュージシャンがTOTOのメンバーだったんだよね。その演奏を聴いた次の日の朝、スタジオに行ってそこに“TOTO”と書いた楽器車があったときには「お、本当に来てるんだ!?」と思った(笑)。TOTOとパンクじゃ正反対だけど、ギター奏者の水谷さんや町支くんは大喜びでした。そして、スタジオのブースの中にマーシャルのアンプが並んでいて、彼はスタジオの調整室のほうで弾くんだけど、地鳴りしていたね。プロデューサーの鈴木さんも「ルカサーのプレイは圧巻だった。若くていちばんいい時期に弾いてもらえたのは、僕らにとって大財産。すごくラッキーでした」と言っています。「丘の上の愛」などのピアノを弾いてくれたニッキー・ホプキンスも、とても印象深い人でした。ローリング・ストーンズのあのロックンロールピアニストのイメージが強かったけど、会ってみたらすらっと背が高くて優しい人で、モーツァルトとかシューベルトがすごい好きというクラシック派でした。間奏では、ウーリッツァーと生ピアノを重ねて、テープをスロー回転にして、それを速くして2回ダイビングしてバロックの感じにしてくれた。イントロは、コード進行に合わせて彼がアドリブで弾いていたのがあまりに美しいフレーズだったので、そのまま録音させてもらいました。「バンドを集めて行くから、日本で一緒にツアーをやろう」と住所も教えてくれたんだけど、彼は50才の若さでなくなってしまって、叶わないままになってしまいました。当時俺はザ・クリトーンズというニューウェイウ゛系のバンドも好きで、そのバンドのギタリストのマーク・ゴールデンバーグも参加してくれました。イメージとしてはタイトな、モッズみたいなスーツで演奏していたイメージなんだけど、スタジオに来たときはビーチサンダルに短パンにTシャツのカルフォルニア青年で(笑)。しかも、彼の12弦ギターが大好きだったのに持ってきてなくて「俺はきみの12弦ギターがすごく好きなんだ」と言ったら、「オッケー、わかった!家は近いから」って車で取りに行ってくれた。「明日なき世代」で弾いてくれています。ミュージシャン達が「傷心」のメロディーラインをすごく気に入ってくれたのも意外でうれしかった。「beautiful tune」と言っていたけど、マイナーでヨーロッパ的なメロディーだからかな、新鮮だったみたいでみんないい演奏をしてくれているよね。ハーモニカをトミー・モーガンという人が吹いてくれたんだけど、俺が待合室でまだ出来ていない歌詞を書いていたら、エンジニアが来て「なんでこの素晴らしい演奏を聴かないんだ!」って(笑)。曲は出来ていたけど、テーマもタイトルも歌詞もまったくないままロサンゼルスに向かった、そんなアルバム制作だった。アルバムのタイトルになった「家路」にしても、ロス滞在中にかなり苦しんで書いた。「反抗期」の歌詞は行きの飛行機、エコノミークラスの通路側の席で、まわりは暗くなっている中で、灯を点けてずっと書いてた。なんでもいいからとにかく書かなきゃって、必死だった(笑)。でも、「家路」にしても、実は苦し紛れのぎりぎりのところで書いているからリアルだったりするのかもしれません。それと、ミュージシャン達の出す音が詞に向かう気持ちを大きく増幅してくれたんだと思います。テーマもタイトルも歌詞もなかったけど、自分がやりたいのはロックだ!というのだけはあったんだよね。デビュー2枚目の『LOVE TRAIN』から『君が人生の時...』まで、70年代のアルバムのメロディーやサウンドや歌詞はポップソングだけど、ファーストアルバムのロックに戻るという気持ちが強くありました。だから、アルバムタイトルを『Home Bound』としました。すごく満足のいく作品が出来たという気持ちがあったし、高く評価してもらえると思ってはいたけど、一方で、ポップな「風を感じて」が少し売れたあとに、ロックなこのアルバムを発表したので、覚悟はしてたけど、前作の半分くらいの売れ行きだったから、少しがっかりした(笑)。ただ、70年代にはテレビにも出たけど、自分のいる場所はあそこじゃない、自分の音楽をやる場所はライブなんだ、サクセスストーリーは夢かもしれないけど、300人、400人という観客の前でライブをやっていることが楽しい、そう感じるようになってきた時期でもありました。ヒットチャートを意識するのではなく、いいアルバムを作っていいライブをやる。歌詞もメロディーもサウンドも、まさに原点に戻るようなアルバムが、この『Home Bound』だと思う。ロックナンバーだけでなく「今夜こそ」のような、俺のもうひとつのルーツであるR&Bのポップな曲もあるし、習作時代を経て、本当の意味でデビューアルバムという見方も出来る感じがします。初の海外レコーディングだった『Home Bound』のあと、ミックスやマスタリングは海外で何回もしているけど、レコーディング工程を全て海外でやったのはこのときだけ。コンサートツアーで年間に何本もライブをやるようになると、一緒にやっているミュージシャン達と自分の音楽を分かち合いたいという気持ちが強くなってくるんです。ステージだけではなく、アレンジやレコーディングもツアーメンバーとやるべきだと。それが後の『DOWN BY THE MAINSTREET』あたりから現在に至る考え方になっていきます。
https://shogo.r-s.co.jp/disco/album06.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/Home_Bound
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┃『Down by The Mainstreet』┃
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1984(昭和59)年10月21日(sun) released
1984(昭和59)年11月01日(thu) CD released ※初CD発売
1990(平成二)年06月21日(thu) CD released ※再CD発売
‡1999(平成11)年09月08日(wed) REMIX AND MASTERING 初回限定版 SRCL-4604
1999(平成11)年09月29日(wed) REMIX AND MASTERING
『PROMISED LAND~約束の地』ですごく大きなテーマを抱えたんで、もう1回等身大のところに戻って、ふつうに生きている少年たちというか、自分がかつて作りそこねた曲を作りたくて、このアルバムになったんです。『生まれたところを遠く離れて』というアルバムを作ったあと、『君が人生の時…』まで、すごくポップなものばっかりだったでしょう、本当はその頃に作らなきゃいけなかったんです。それをはじめて自分でプロデュースして作ったんです。だからアレンジにしてもサウンドを作るにしても失敗だらけだったんですけど、はじめてプロデュースして、はじめてツアー・バンドで作ったアルバムなのですごく思い入れがありますね。このアルバムの主人公というのは、みんな少年なんです。ここではじめたことが、『J.BOY』につながるんです。
https://shogo.r-s.co.jp/disco/album11.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/DOWN_BY_THE_MAINSTREET
『J.BOY』'86年盤と'90年盤の音源は同じ
違うのは、
ジャケットの背表紙と
レコード(CD)番号
1986年のジャケットの背表紙は小さな■色は、黄色。
CD:5000円(消費税無) LP:4200円(消費税無)
1990年のジャケットの背表紙の小さな■色は、青色。
CD:??円(消費税有)
1 1986(昭和61)年9月04日(木) オリジナル盤
1 1990(平成二)年6月21日(木) オリジナル盤再発盤
2 1999(平成11)年9月08日(水) 初回盤 リマスタリング、リミックス&リアレンジメント盤
2 1999(平成11)年9月29日(水) 通常盤 リマスタリング、リミックス&リアレンジメント盤
3 2016(平成28)年11月9日(水) 1999音源のリマスター盤(CD)
4 2016(平成28)年11月9日(水) 1986音源のリマスター盤(アナログLP)
㊤↑の『J.BOY』は4パターンあるヨ(=^◇^=)
564 : NO MUSIC NO NAME
2016/11/09(水) 01:40:56.19 ID:SwBEV/jM
>>561
単なるリミックスじゃなくて大幅に楽器が差し替えてあるよ
ギターのオブリがやたら増えてたり、ノイズ系のループが乗ってたりする
メインストリートのリミックスは悲しいくらい貧相なドラムが改善されててよかったけど
J.BOYはオリジナルがいいかな
リマスタしたのに何でアナログだけなんだ?
今後CD別売とかじゃねーだろうなw
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/musicjm/1478361517/l50
763 : NO MUSIC NO NAME
2016/11/10(木) 15:33:18.87 ID:jyBH4qpo
やっと今2016リマスタを聴き始めてるがこれ'99を聴いてまず思った
うげっ!と思うような刺々しさが無くなってていいな
まだNSWなんだがこれ内緒で軽くミックスやり直してないか?
771 : NO MUSIC NO NAME
2016/11/10(木) 15:58:00.33 ID:jyBH4qpo
やっぱ2016Remaster凄いわ'99Retake大嫌いだったんだけどこの音なら聴けるわ
一見まろやか緩く聴こえるが'99のが棘棘してただけ
被せた松原正樹のギターとか浮きまくってんなーと思ってたがしっかりなじんでる
'99盤はこれもう欠陥品だわ
もっとも'86オリジナルの2016リマスターどんだけ良いんだよという気にもなってきた
オリジナルはやり直したい気持ちも判るアンサンブルの弱さのシンセ鍵盤アルバムだったが
あれはあれでいいところもあるんだよな
というか'99がやりすぎw
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/musicjm/1478361517/
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┃浜田省吾 #29 J.BOY 2┃
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2016(平成28)年8月05日(金) J.BOY Part.2です。
++++++++++++++++++++++++++++++++
「遠くへ - 1973年・春・20才」は結果としてアルバムの中で二番目に長い曲になった。「遠くへ」ではあえて間奏にソロ楽器を入れないで、コード進行や楽器のアンサンブルで聴かせる構成にした。レコーディングのリズム録りは、大体どの曲でも最初の1テイク目でアレンジの構成やテンポの確認等をして、次の2テイク目か3テイク目ぐらいで元となるOKテイクを録ってしまうことが多い。あまり何回もテイクを重ねると鮮度と集中力が落ちて、結果としてあまり良いテイクが録れなくなる。 OKテイクが録れて次にやることは、間違えた箇所や演奏し直したい箇所の修正。それぞれが演奏し直したい箇所を自己申告して録音する。これをパンチインと呼ぶ。パンチイン、パンチアウトはスタジオ作業の中で頻繁に使われる用語で、ミュージシャンとエンジニアの間で「3小節目の2拍目からパンチインして 、4拍目のアタマでパンチアウトして下さい」と言ったような会話が飛び交っていた。「遠くへ - 1973年・春・20才」は長い曲だったので、何回もテイクを重ねると集中力が持たなくなるため、少ないテイクでOKになるようにバンド全員が高い集中力で録音に臨んだ。 インストゥルメンタルナンバーの
「滑走路 - 夕景」は、浜田さんが井上鑑さんのアルバムに提供した曲のセルフカバー。ぼくはエレキギターがリードを取るインストナンバーにするのが良いのではと思い、浜田さんに提案したところ、それで行こうということになった。例によってイントロのメロディが浮かんだ時点で、ぼくはほぼアレンジが出来た気分になったが、この曲に関してはそこから先が結構大変だった。 法田勇虫さんの弾くラリー・カールトンばりのエレキギターが格好良い。レコーディングスタジオでの唯一の息抜きは、短い食事の時間だった。食事と言っても外に食べに行くわけではなく、スタジオで出前を取ることが殆どだった。また全員が同じタイミングで食べられるわけではなかったので、出前のメニューも延びてしまう麺類は基本的にNG。必然的に弁当か揚げ物系になってしまうことが多かった。しかもそんな脂っこいものを深夜に食べるものだから、レコーディングの期間中はいつの間にか体重が増えてしまっていた。出前でミュージシャン、スタッフに人気があったのが、信濃町ソニースタジオの1階に入っていたレストラン「VEGA」のオムライスとにんじんリンゴジュース。特ににんじんリンゴジュースはNo.1の人気メニューだった。ぼくもにんじんリンゴジュースを飲むのが信ソでの楽しみのひとつだった。それと当時はレコーディングと言えば煙草が当たり前の時代だった。スタジオにいるほぼ全員が煙草を吸っていた。勿論ぼくもその中の一人で、レコーディングになると緊張からか、普段の3倍ぐらいの本数を吸っていた。町支さんはコーラスダビングの最中に、狭いボーカルブースの中で歌いながら矢継ぎ早に煙草を吸うものだから、ブースの中が白く煙って本人の姿が見えなくなるほどだった。 それでいてあの美声のコーラスを決めるのだから、ぼく達は感心するしかなかった。アルバムタイトル曲でもある
「J.BOY」は、ぼくと江澤くんの共同アレンジ。アレンジをするにあたりまず決めたことは、リズムはタイトなエイトビートにして、その上にホーン・セクションを入れようということで、江澤くんの家で二人でリズムのコンビネーションやホーンのフレーズを考えた。「J.BOY」は同じコードの展開が続く曲だったので、途中ベースソロを入れたり、クラビネットを入れたりして、サウンドに起伏を付けるようにした。サウンド的にはイントロのツインリードギターと、間奏のギターソロからサックスソロにバトンするところがスリリングで気に入っている。ただホーンセクションがミックスの段階で、かなりレベルを下げられてしまって、サウンドのダイナミズムが減少してしまったのがちょっと残念だった。
「AMERICA」は町支さんアレンジ。ザ・バーズを彷彿とさせる12弦ギターのフレーズがとても印象的なナンバー。町支さんが弾いたのは、リッケンバッカーのエレクトリック12弦ギター。ぼくはヤマハDX5シンセサイザーで作ったオルガンの音色をプレイした。「AMERICA」のサウンドの鍵を握っているのは、町支さんの多重録音によるコーラスと、リッケンバッカーの12弦ギター。
「想い出のファイアー・ストーム」「悲しみの岸辺」「晩夏の鐘」「A RICH MANS GIRL」は江澤くんのアレンジ。アルバムの前半は江澤くんのアレンジした曲が続くせいか、彼のカラーが色濃く出ている。江澤くん&ドラムの高橋さんの新リズム隊コンビも、ノリがバッチリ決まっていて心地良い。 このあたりの曲は、ぼくの演奏もシンセサイザー全開といった感じで、殆どシンセでプレイしている。「想い出のファイアー・ストーム」のイントロとアウトロの箇所で、印象的なパーカッションを演奏しているのはペッカーさん。”シモンズ”というシンセドラムを使ってプレイしている。ペッカーさんとは、1988(昭和63)年渚園でのA Place In The Sunでも一緒にステージに立った。
「悲しみの岸辺」で登場するフリューゲルホルンの音色は、イミュレーター2というサンプリングマシンでサンプリングしたもの。間奏とエンディングで登場するフリューゲルホルンの音色によるソロは、江澤くんが鍵盤で弾いている。
「晩夏の鐘」はインストゥルメンタルナンバー、ぼくと古村くんと江澤くんの三人だけで演奏した。この曲も 江澤くんの弾くシンセベースがいい味を出している。この頃はシンセサイザーのマニピュレーターという職種の人がいて、スタジオに山のような機材を持ち込んで、音色を作ったり打ち込みのデータを作ったりしていた。J.BOYのレコーディングでは梅原篤さんという方が、マニピュレーターでぼくとタッグを組んだ。使用したシンセは、オーバーハイムOB-8、 プロフィット5、ミニ・ムーグ、イミュレーター2等々。86年当時の流行だったとはいえ、 アルバムJ.BOYには今聴くとびっくりするぐらいたくさんのシンセの音が入っている。「DOWN BY THE MAINSTREET」のレコーディングの時は、フェンダー・ローズ・エレクトリックピアノやハモンドB3オルガンといった、本物の楽器を使っていたのに、J.BOYのレコーディングでは殆ど使っていない。今思えば「何で?」と首を傾げたくなるが、86年当時はやはりそういう時代だったのだろう。
「勝利への道」や「路地裏の少年」での古村くんによる躍動感溢れるアレンジも、他のメンバーのアレンジと違って、イギリスっぽいアプローチで古村くんらしい尖ったサウンドが格好良い。
「路地裏の少年」もとても長い曲になったため、リズム録りは大変だった。1テイク録り終える毎に、どっと疲れたのを覚えいてる(笑)ぼくがこのアルバムで一番好きな曲は
「19のままさ」。浜田さんの書くプロテスト・ソングも嫌いではないが、ぼくは浜田さんのメロディックでセンチメンタルな雰囲気の曲が特に好きだった。「19のままさ」は町支さんのアレンジも素晴らしくて、ぼくは町支さんの考えたイントロのピアノのフレーズを、レコーディングの時に感動しながら弾いた。
「八月の歌」と「こんな夜はI MISS YOU」も 町支さんのアレンジ。 「八月の歌」では、ぼくはアコースティックピアノを弾いた。シンセは福ちゃんこと福田裕彦さんが演奏している。
「こんな夜はI MISS YOU」は町支さんとドラムの高橋さんの共同アレンジ。高橋さんはリズムマシンのプログラミングを担当した。過酷なツアーのヒトコマを描いた小品だが、ぼくはとても好きな曲。 J.BOYのレコーディングは締め切り日が決まっていたため、終盤になると大忙しとなった。時には二つないし三つのスタジオで作業が同時進行していて、あるスタジオでダビングが終了したばかりのテープを、エグゼクティブ・プロデューサーの鈴木幹治さんが抱えて別のスタジオに持って行き、そこで待機しているミュージシャンがそのテープにダビングしたりと、終盤は綱渡りのようなレコーディングが続いた。レコーディングの最後のほうは、自宅からそう遠くない目黒川近くのスタジオでのダビングが多かったので、ぼくは自転車でスタジオに通った。長かったレコーディングも終わり、最終ミックスはロスアンゼルスで行うことになっていた。アレンジを担当したぼく達バンドのメンバーも、当然ミックスに同行するものだとばかり思っていたのだが、ミックスには浜田さん以外には事務所とレコード会社のスタッフ、カメラマン等が同行することになり、ぼく達はミックスに立ち会うことが出来なかった。何だか腑に落ちないものを感じながら、ぼく達はレコーディングした音を渡米するスタッフに託した。ロスでのミックスを終えた音を聴いて、ぼくは複雑な気持ちになった。ミックスを担当したのは、ジャクソン・ブラウンやTOTO、ドン・ヘンリー等のアルバムのミックスを手がけていたグレッグ・ラダニー。ぼくはジャクソン・ブラウンの「The Pretender」や「Running On Empty」等のアルバムの音がとても好きだったので、大いに期待してグレッグのミックスしたJ.BOYを聴いた。グレッグのミックスしたサウンドは、タイトで音像がくっきりとしていてリバーブも浅めで、確かにLAっぽい乾いた音をしていたが、いかんせん全体的に小じんまりとしていた。そしてぼくがアレンジした際にイメージしていたサウンドとは少し違っていた。J.BOYが完成して少し経った夏のある日、ぼくは下北沢で浜田さんとばったり会った。お茶でも飲もうと言うことになって、近くの喫茶店に入った。自然と話題はロスでのミックスを終えたばかりのJ.BOYのことになった。浜田さんから感想を聞かれたぼくは、アルバムを聴いて自分が感じたことを率直に伝えた。そんな経緯もあってかどうかは分からないが、J.BOYは
‡1999(平成11)年09月8日(水)にリミックス、リアレンジ、リマスタリングが施されてリイシューされた。その内容は1986(昭和61)年版のオリジナルバージョンのJ.BOYとは別物と言っていいぐらいにかなり違っていて、ぼくは99年版を聴いてますます複雑な気持ちになった。 二枚組アルバム「J.BOY」は、
1986(昭和61)年09月4日(木)に発売されると4週連続でチャートの一位になった。ツアーに出ていたぼく達は、初のアルバムチャート一位獲得の知らせを旅先で聞いた。初の一位獲得で沸き立つ周囲の喧噪をよそに、ぼく達は快挙の知らせをまるで人ごとのように感じていた。J.BOYは今の耳で聴くと結構ポップな印象を受ける。そして全編を通して伝わってくる勢いが凄い。サウンドに悔いは残るが、浜田さんのシンガー/ソングライターとしての創造力と、バンドの勢いが最初のピークに達した作品だと思う。
2016(平成28)年11月9日(水)に"J.BOY" 30th Anniversary Editionが発売される。
オリジナルバージョンの86年版J.BOYも、リマスターが施されて2枚組アナログ盤でリイシューされるとのこと。今回のリマスターで、どこまで音質が向上しているか楽しみだ。
写真◆J.BOYツアーパンフより。
http://air.edisc.jp/ima/
http://mi-mychronicle.blogspot.jp/2016/08/29-jboy-2.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/THE_FUSE
40回目の誕生日を迎えたある男の歌を贈りますhttp://www.uta-net.com/song/11681/
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13145146438
♪MONEY (FIRST VERSION) 浜田省吾
アニメ◆
ダイジェスト◆
♪MAINSTREET(メインストリート) <FIRST VERSION)> 浜田省吾
アニメ◆
ダイジェスト◆
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■『DOWN BY THE MAINSTREET』1984.6.21 リリース予定が4か月後の10月21日にリリース
「POP STATION KISS 木曜スペシャル」 http://youtu.be/9lvZpASz0RI
1984.10.4(火曜日)23:00~25:00
ラジオ大阪「POP STATION KISS 木曜スペシャル」
ゲスト:浜田省吾
No.⑦ 路地裏の少年 1999 RE-TAKE VERSION
アニメ◆
ダイジェスト◆
静止画◆
No.⑤ 路地裏の少年 1986 RE-TAKE VERSION?
アニメ◆
ダイジェスト◆
静止画◆
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┃『FATHER'S SON』┃
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(sat) March 7, 1931
https://en.wikipedia.org/wiki/Father%27s_Son_(1931_film)
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┃『FATHER'S SON』┃
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(wed) February 12, 1941
https://en.wikipedia.org/wiki/Father%27s_Son_(1941_film)
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┃『FATHER'S SON』┃
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1988(昭和63)年03月16日(wed) released
‡1999(平成11)年09月08日(wed) released REMASTERING SRCL-4607
sound 01 BLOOD LINE
sound 02 RISING SUN
sound 03 DARKNESS IN THE HEART
sound 04 WHAT'S THE MATTER,BABY?
sound 05 A LONG GOODBYE
sound 06 I DON'T LIKE "FRIDAY"
sound 07 BREATHLESS LOVE
sound 08 NEW YEAR'S EVE
sound 09 RIVER OF TEARS
sound 10 THEME OF FATHER'S SON
このジャケットは、わざとスプリング・スティーンのパロディーにしたんです。
綺麗すぎてあんまり洒落になんなかったかもしれないけど、
ようするにライク・アメリカン・ボーイなんですね。
最初はマッカーサーと同じ恰好をして撮ろうかって言ってたんですよ。
俺と同じレイ・バンしてたでしょ。
それは俺のアイデアだったんだけど、拒否された。
そのときは面白いと思うかもしれないけれど、あとで嫌になるよって。
『J.BOY』ではじめたことにケリをつけたって感じがしますね。
♪路地裏の少年♪って家を出る少年の歌なんですよ。
家出をしていく。
で♪THEME OF FATHER'S SON♪って♪遙かなる我家♪なんですよね。
ある種、気持ちで帰郷してるんですね。
やっぱり終わったんだと思いますね。
俺のなかで一巡して帰って来たんだと思います。
♪路地裏の少年♪がはじめて父の息子なんだということを意識して、
少年でなくなったんだと思う。大人になったんじゃないかと。
ただ、あとから自分でこうやって解釈をつけてるだけであって、
作ってるときは、そんなこと考えて作ってるわけじゃないですけどね。
男の子が家族をなくしたりとか、離婚したかもしれないし、
社会に出て成功したかもしれない。
『DOWN BY THE MAINSTREET』
『J.BOY』
『FATHER'S SON』3つでひとつとしてつながっています。
ツアーでは♪RISING SUN♪という曲で、原爆が落ちた瞬間から戦後をスライドで流すんです。
それで、コンサート・ツアーの最後の頃に昭和が終わって、
自分が抱えてきたテーマと昭和が終わったのが一緒だったから、
本当に区切りがついた気がした。
それがちょうど1989(平成元)年だったんです。
https://shogo.r-s.co.jp/disco/album14.html
803 :NO MUSIC NO NAME
2016/11/16(水) 23:21:46.37
>>800 Father's sonは父親の弔いのためのアルバムだからもうやらないって言ってた気がするよ
821 : FATHER'S J.BOY
2016/11/17(木) 00:49:23.84 ID:7B7TTjil
>>805
『FATHER'S SON』は、オリコンアルバム週刊ランキング
ヒットチャートはNo.①を獲得していますヨ(=^◇^=)
https://ja.wikipedia.org/wiki/FATHER%27S_SON
『FATHER'S SON』の中の曲の
最初のタイトルは、以㊦↓
2.♪RISING SUN(風の勲章)♪は、♪Since 1945♪
3.♪DARKENSS IN THE HEART(少年の夏)♪は、♪FATHER'S SON♪
4.♪WHAT'S THE MATTER,BABY?♪は、♪WORKING PLACE♪
8.♪NEW YEAR'S EVE♪は、♪MY SWEET LADY♪
9.♪RIVER OF TEARS♪は、♪LET IT ROCK TONIGHT♪
https://www.youtube.com/playlist?list=PLmQIzKRWaBRVu1r2FhaLD4qTOENEjRK_n
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/musicjm/1478861090/
673 : NO MUSIC NO NAME
2017/02/16(木) 02:12:47.98 ID:vwEKZRCv
>>670に関連して投下します
浜田省吾って左翼的ってよく言われるけど
ほんとにそうなのか?
戦後日本はそれまでの大日本帝国の全てを否定し
欧米のシステムに組み込まれることで経済に特化した国となって
大国として復活し、だがそのせいで情緒的な文化や精神性は崩壊し
金こそが豊かさであるという拝金主義に犯され社会を歪めてしまったと
そのことを浜田省吾が常に批判し警鐘を鳴らし続けてきたことは明白だ
となれば、RISING SUN-風の勲章-の中の1節の過ぎ去った昔のことと
子供たちに何一つ伝えずにこの国何を学んできたのだろうって部分は
はたして戦時中悪いことをしたことを隠して子供たちになにひとつ
それを伝えなかったっていう自虐的な意味なのだろうか?
いや、戦後日本がどんな悪いことをしたかについては
過剰なほどマスコミの報道においても教育の場においても
語られてきた訳でありそのことは浜田省吾自身よく知っているはずだ
そう考えると浜田省吾がこの曲の中で言わんとしていることは
逆に戦争に負けてその後、日本が戦前持っていた慎ましさを尊ぶ精神性とか
長年に渡って受け継ぐことで培われてきた文化とかそういう素晴らしい面を
すべて否定しちゃんと子供たちに伝えずに自虐的なことばかりを伝えたために
子供たちは日本という国に誇りを持てなくなりブラウン管の前でしか笑えなくなったと
そのことを伝えようとしているのではないのか?
戦後、飢えを枕に敗北を発条に風向きを道しるべに駆け抜けてきたのは
そんな国になるためだったのか?と言っているのではないだろうか?
おれにせよこの国にせよ 確かにチャンスはあったはず
胸を張って志を高く持って進むべき道が確かにあった
だけどおれたちどこかで見失ってしまった
というのはそういうことではないのだろうか?
浜田省吾は憂国の士であるだけで、決して左翼なんかではないと思う
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/musicjm/1484917179/