過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日の浜省さんとetSETOraだヨ(=^◇^=)


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 ┃♪この新しい朝に♪┃
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 2021(令和三)年03月13日(土) DIGITAL SINGLE 先行配信
‡2021(令和三)年06月23日(水) MAXI SINGLE 発売
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 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%93%E3%81%AE%E6%96%B0%E3%81%97%E3%81%84%E6%9C%9D%E3%81%AB
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 ┃『僕と彼女と週末に』┃
 ┗━━━━━━━━━━┛7th DVD
 2010(平成22)年10月06日(水)   released SEBL-2030
‡2021(令和三)年06月23日(水) re-released SEBL-2030
 1986(昭和61)年10月05日(日) 10,SF1「ON THE ROAD'86"I'm a J.BOY"」代々木競技場 第一体育館
 1988(昭和63)年08月20日(土) 04,12,17,SF2「A PLACE IN THE SUN」浜名湖畔 渚園
 1991(平成三)年08月10日(土) 11「ON THE ROAD'91"ONE AND ONLY"」みちのく杜の湖畔公園
 1998(平成十)年06月18日(木) 06「ON THE ROAD 2001"THE MONOCHROME RAINBOW"」静岡市民文化会館
 2000(平成12)年07月28日(金) 13「ON THE ROAD 2001"THE MONOCHROME RAINBOW"」NHKホール
 2001(平成13)年09月09日(日) 09「ON THE ROAD 2001"THE SHOGO MUST GO ON"」さいたまスーパーアリーナ
 2001(平成13)年10月07日(日) 08,15「ON THE ROAD 2001"THE SHOGO MUST GO ON"」横浜アリーナ
 2007(平成19)年06月16日(土) 14「ON THE ROAD 2006-2007 "MY FIRST LOVE IS ROCK'N'ROLL"」NHKホール
 2009(平成21)年06月20日(土) 07,SF4「2009 FAN CLUB CONCERT」JCB HALL
 01 THEME OF FATHER'S SON ―遥かなる我家
 02 桜 (Instrumental)
 03 RISING SUN ―風の勲章 (Acoustic Version 2010)
 04 MY HOMETOWN「A PLACE IN THE SUN」浜名湖畔 渚園
 05 J.BOY ON THE ROAD 1986~2007 MIX
 06 詩人の鐘「ON THE ROAD 2001 "THE MONOCHROME RAINBOW"」静岡市民文化会館
 07 とらわれの貧しい心で「2009 FAN CLUB CONCERT」JCB HALL
 08 A NEW STYLE WAR「ON THE ROAD 2001 "THE SHOGO MUST GO ON"」横浜アリーナ
 09 裸の王達「ON THE ROAD 2001 "THE SHOGO MUST GO ON"」さいたまスーパーアリーナ
 10 八月の歌「ON THE ROAD '86 "I'm a J.BOY"」代々木競技場 第一体育館
 11 AMERICA「ON THE ROAD '91 "ONE AND ONLY"」みちのく杜の湖畔公園
 12 BLOOD LINE ―フェンスの向こうの星条旗「A PLACE IN THE SUN」浜名湖畔 渚園
 13 東京「ON THE ROAD 2001 "THE MONOCHROME RAINBOW"」NHKホール
 14 MONEY「ON THE ROAD 2006-2007 "MY FIRST LOVE IS ROCK'N'ROLL"」NHKホール
 15 愛の世代の前に「ON THE ROAD 2001 "THE SHOGO MUST GO ON"」横浜アリーナ
 16 OCEAN BEAUTY (Instrumental)
 17 僕と彼女と週末に「A PLACE IN THE SUN」浜名湖畔 渚園
 18 我が心のマリア (Instrumental)
■Special Features[特典映像]
 1986.10.05 01 八月の歌「ON THE ROAD '86 "I'm a J.BOY"」代々木競技場 第一体育館
 1988.08.20 02 BLOOD LINE ―フェンスの向こうの星条旗「A PLACE IN THE SUN」浜名湖畔 渚園
 03 J.BOY ON THE ROAD 1986~2007 MIX
 2009.06.20 04 とらわれの貧しい心で「2009 FAN CLUB CONCERT」JCB HALL
 解説・・・貴重な未発表ライブ映像をベースに、歴史上の記録写真や映像をミックスし、池上彰氏によるそれぞれの時代や各テーマの解説文、年表・キャプションなどを付加し偏りなく史実を伝えられるよう構成。さらに未発表ライブ映像のみで編集された特典映像も収録。
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 https://shogo.r-s.co.jp/disco/dvd07.html
平https://www.amazon.co.jp/dp/B003X03COA
令https://www.amazon.co.jp/dp/B094VR58X1
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%83%95%E3%81%A8%E5%BD%BC%E5%A5%B3%E3%81%A8%E9%80%B1%E6%9C%AB%E3%81%AB_(%E6%98%A0%E5%83%8F%E4%BD%9C%E5%93%81)
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①┃『CLUB SURFBOUND』┃
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 1987(昭和62)年06月28日(日) LP&TAPE released 
 1987(昭和62)年07月06日(月) オリコン週間LP&TAPESチャート第1位
 1987(昭和62)年07月20日(月) オリコン週間LP&TAPESチャート第1位
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②┃『CLUB SURF&SNOWBOUND』┃
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 1987(昭和62)年06月28日(日) CD released
 1990(平成二)年06月21日(木) CD re-released
‡2021(令和三)年06月23日(水) CD re-re-released
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①https://ja.wikipedia.org/wiki/CLUB_SURFBOUND
②https://ja.wikipedia.org/wiki/CLUB_SURF%26SNOWBOUND
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 ┃ R O A D & S K Y ┃Vol.48
 ┗━━━━━━━━━┛Hiroshima
  ON THE ROAD 1991
   ONE AND ONLY
 TOUR REPORT by RINKO
    PHOTO by JUNJI NAITO
 1991(平成三)年08月発行。会報第48号全36ページ。
 【ON THE ROAD 1991 ONE AND ONLY】レポートで構成。
 【ShogoStation NO.42】"ON THE ROAD'91 Fan'sレポート"
 1991(平成三)年06月22日(土) 11本 広島サンプラザ くもり 
‡1991(平成三)年06月23日(日) 12本 広島サンプラザ くもり時々雨 今日の開演は午後6時なので、メンバーはいつもより少々早めにホテルを出発することになっていた。出発は先発組と後発組があり、私は後者に便乗するつもりでロビーに降りてみて、そこでビックリ!!ものすごい人の数でロビーが埋めつくされているのだから…。何でも、ある代議士を励ます会のようなものが催されるということで、中年いや壮年の男性・女性がウロウロしている。先発組の1人である関さんは"人に酔ってしまった"らしい。ロビーで待っていたファンの人達も居場所がなさそうにしていたし、ビックリしたことだろう。コンサートのほうは、きのうより―きのう観た人、失礼!―いいステージだったと思う。私も観る場所を2階席に変えたせいか、音もクリアだったし客席のノリも悪くなかった。今日はMCの時、新しいアルバムのトラックダウンが無事終了したことと共に、古村さんの誕生日ということもあってか、彼のソロアルバムのことも加えて話してくれた。ただ、メンバーの方にはまだ少し問題があるらしい。メンバーは各自の足元の下にモニターが埋めこめられていて、そこから自分の音や他の音を確かめるのだけれど、やはり外に出るスピーカーの音とこのモニターの音は違うので、観ている方はよかったとしても、演奏している側はしっくりしなかったりすることがあるようだ。私のような素人にとっては"フゥーン、ヘェー"の毎日が続いている。
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 https://shogo.r-s.co.jp/fanclub/backnumber/backnumber048.html
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 ┃ 浜田省吾 #23 河口湖レコーディング 1984 ┃
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 2016(平成28)年06月10日(金)
 1984(昭和59)年の初夏、浜田省吾のニューアルバム『DOWN BY THE MAINSTREET』のレコーディングが始まりました。今回はその話を。
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‡1984(昭和59)年6月23日(土)、ぼく達は河口湖でのレコーディングに向けて、それぞれ車で東京を出発した。その頃ぼくは環七沿いのマンションを出て世田谷区経堂に引っ越していた。ルームシェアをしていたビビノ音響のMくんが、次の浜田省吾さんのツアーのPAを担当することになって、西本明くんの時と同じくまたもぼくは、旅に出ても家に帰っても同居人と一緒の生活が始まろうとしていた。しかしもう同じ轍は踏みたくなかったので、ぼくはMくんが浜田さんのツアーに出ることが決まった時から密かに部屋を物色していた(笑)そして横浜スタジアムでのコンサートが終了してしばらくたったある日、ぼくは一人で経堂に引っ越した。河口湖に出発する日、ぼくの車に同乗したのはベースの江澤くんと、浜田省吾のマネージャー。ぼく達三人は経堂を出発するとすぐに甲州街道に出て、そこから中央高速で河口湖に向かった。小雨が降りしきる中、約二時間程で一口坂・河口湖スタジオに到着した。この日は梅雨の真っ最中で河口湖周辺もどんよりとした雲に覆われていた。スタジオに着くと間もなく、機材のセッティングに取りかかった。今日から二日間で四曲のリズムセクションのレコーディングを行う予定になっていた。この日河口湖スタジオに集結したメンバーは以下の通り。
 ドラムス:滝本季延 (としのぶ)
 ベース:江澤宏明
 ギター:町支寛二
 キーボード:板倉雅一
 サックス:古村敏比古
 The Fuseからの残留組+ドラムの滝本くんという編成だった。滝本くんは以前、浜田さんのバンドメンバーだったドラマーで、当時のバンドは滝本くんと鈴木俊二くんとのツインドラム編成だった。滝本くんは、ぼくやベースの江澤くんとも旧知の間柄で、ぼくは彼の素晴らしさを知っていたので、滝本くんと一緒にレコーディング出来ることがとても楽しみだった。各楽器のサウンドチェックを終えると、早速レコーディングが始まった。広いスタジオ内は音のかぶりを防ぐために、各楽器ごとにパーテーションで仕切られていた。ドラムとアコースティックピアノは、ちょっとした個室のようなスペースにセットされていた。最初に録音したのは
「Money」。アレンジはギターの町支さん。この時レコーディングしたアレンジは、後に正式バージョンとして発表されたものとは全く別のバージョンで、後にアルバム『DOWN BY THE MAINSTREET』に収録されたバージョンよりもかなりテンポも速くて、もっとパンクっぽい軽めのサウンドだった。あまりの曲のテンポの速さに、演奏しながらみんな手がつったほどだった。次に録音したのは
「The Pain」という仮タイトルの付いたバラード。アレンジはぼく。この曲も当初はレコードになったものとはかなり違うアレンジだった。もう少しブラコン(ブラック・コンテンポラリー)っぽいアレンジで、ちょっと洋楽っぽいと言うか完成版よりはあっさりとした感じのサウンドだった。二曲のリズムを録り終える頃、ちょうど夕食の時間になった。河口湖スタジオは賄い付きで、朝夕と美味しい食事が用意されていた。ぼく達はレコーディング作業が一段落すると、スタジオに併設された建物の二階にある広いリビングに集まって食事をした。夜はここでお酒を飲みながらその日に録った音を聴いた。スタジオの二階にあるルーフバルコニーからは、雲の隙間から時折顔をのぞかせる美しい富士山を眺める事が出来た。食事を終えるとまだダビング作業が残っていた。ダビング作業は主にぼくと町支さんの担当で、リズムを録り終えた滝本くんと江澤くんはすでにこの日の仕事を終えて寛いでいた。ベーシックなキーボードとギターのダビングが終わるとすでに深夜だった。スタジオには宿泊施設も付いていて、さながらシンプルなリゾートホテルと言った趣だった。明けて
 1984(昭和59)年6月24日(日)は残りの二曲のリズム録りから始まった。一曲目は
「DANCE」。12インチシングルバージョンとは違うアレンジで、中心になってアレンジを担当したのは浜田さん。こちらのバージョンはスティーリー・ダンのような、ちょっとアーバンな雰囲気の漂うアレンジだった。ぼくはスタジオに常備されていたフェンダー・ローズ・スーツケースピアノを弾いた。河口湖スタジオのローズはとても良い音がして、ぼくは弾いていてとても気持ちが良かった。ローズピアノは個体差が激しくて、モノによっては全く良い音がしない場合もある。ここのスタジオのローズは当たりだった。もう一曲録音したのは後に
「Silence」と題されるナンバー。この曲は古村くんアレンジ。先日のぼくの家でのプリプロで骨格が出来上がっていた曲。独特のベースラインに特徴のある、古村くんのアイデアが光るカッコいいアレンジだった。このベースラインを演奏した江澤くんは大変そうだったが、二つの異なるフレーズをダビングして重ねることで、あのカッコいいベースラインが完成した。「Silence」のドラムにはリズムマシンを使用した。ドラムの滝本くんが持って来たアメリカのメーカー、シーケンシャル・サーキット社の「ドラムトラックス」という、まだ発売されたばかりのリズムマシンを使用した。このドラムマシンは当時としては結構ハイスペックで、8ビットPCM音源 6パラアウトという仕様だった。今では笑ってしまうぐらい貧弱なスペックだが当時はこれが先端だった。この日も夕食後に少しダビング作業を行ってから、ぼく達は河口湖スタジオを後にした。河口湖から戻って何日から経ったある日、浜田さんから電話がかかって来た。
「この間、河口湖でレコーディングしたオケだけど一旦ボツにするから。」
「えぇ??!?ボツですか?」「そう、あれから何度も聴いたんだけど何か物足んないんだよね。特にMoneyとThe Painの二曲。」どうも浜田さんは町支さんがアレンジした曲と、ぼくがアレンジしたバラードのオケが今一つしっくり来ないらしい。「せっかくレコーディングしたのに悪いんだけど、もう一度アレンジを練り直してくれないかなぁ。」「そうですか、分かりました。もう一度考えてみます。」そうしてぼくと町支さんは再びアレンジをし直すこととなったのである。以下続く。
 写真◆ボツになった♪Money♪と♪Pain♪が収録されたテープ。
 ㊤↑写真◆『浜田省吾 84.6.23.24. 河口湖スタジオ ベーシックトラック 4曲』
 写真◆スタジオに併設されたレジデンスエリア。二階部分がリビングで一階が宿泊施設。    
 写真◆♪Silence♪で使用したドラムトラックス(Wikipediaより) 
**************** http://air.edisc.jp/ima/
 http://mi-mychronicle.blogspot.jp/2016/06/23-1984.html
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 ┃ 浜田省吾 #16 怪奇現象? ┃
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 2016(平成28)年04月24日(日)
 浜田省吾1982年の春のツアーで起きたちょっとコワい話です。
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 1982(昭和57)年6月15日(火) 松山市民会館を皮切りに、浜田省吾の四国?中国?山陰?大阪と廻る長い旅がスタートした。この時点で82年春のツアーは約50本のコンサートを消化して、残りはあと3分の1ぐらいの本数になっていた。松山から始まったツアーのスケジュールは以下の通り。
 6/15(火) 松山市民会館
 6/16(水) 高知県民文化会館
 6/17(木) 徳島文化センター
 6/19(土) 倉敷市民会館
 6/20(日) 広島郵便貯金会館
 6/22(火) 三原市文化会館
‡6/23(水) 山口市民会館
 6/24(木) 岩国市民会館
 6/26(土) 島根県民会館
 6/27(日) 鳥取市民会館
 6/29(火) 島根県民会館
 7/01(木) 大阪フェスティバルホール  17泊18日の長い旅だった。
 1982(昭和57)年6月15日(火) 初日の松山公演を終え、この日は疲れていたこともあって、ホテルのレストランで食事を済ませたぼく達は早々に各自の部屋に戻った。ぼくも部屋に戻って、シャワーを浴びるために着替えをバッグから取り出そうと思って腰を屈めた時、どこからかヘンな音がすることに気がついた。何かパチン!という手を叩いたときのような音がどこからか聞こえてくる。部屋のドアを閉め忘れたため、廊下から聞こえてくる音なのかな?と思ってドアを確認すると、部屋のドアは確かに閉まっている。気のせいかと思い、再び鞄から着替えを出そうとすると、またパチン!という音が。あれっ?ヘンだな?と思い、今度はバスルームの中を確認してみる。当然のごとくそこには誰もいない。部屋の窓が開いているのかと思って窓も確認してみる。キッチリ閉まっている。うーん、何だろ?疲れているせいで幻聴が聞こえたのかと思い、あまり気にしないことにした。ひとまずシャワーを浴びるのは後回しにして、テレビをつけようと壁に近づいた時にまたもパチン!という音が今度はハッキリと聞こえた。
「ん??何か壁のあたりから聞こえたぞ。」ぼくは独り言を言いながら、壁に耳をあててみた。
「パチンっ!!」壁の中からすごく大きな音が聞こえた。実際は耳を壁にあてていたため、すごく大きく聞こえたような気がしただけだった。音は聞こえたり止んだり、不規則に繰り返されていた。ぼくは何だか気味が悪くなって、町支さんと江澤くんに部屋に来てもらった。
「ねぇ、さっきかヘンな音が聞こえて気味が悪いんだけど、聞いてくんない?」ぼくは町支さんに言った。
「またぁ、そんなこと言って脅かそうとしてるんでしょ。」町支さんは半分以上信じていない様子だった。
「イタさぁ、疲れてて耳鳴りでもしてるんじゃないの?」江澤くんも信じていない様子。
「とにかく音がするんだ。聞いてみてよ」ぼくは二人に言った。しばらくするとまた例の「パチン!」が聞こえて来た。
「ん?何か音がした。」江澤くんが不審そうな顔をした。再び「パチン!」「えっ?何か聞こえたねぇ」町支さんも不思議そうな顔をしている。
「でしょでしょ!確かに聞こえたよね!なんか壁の中から聞こえて来るんだけど。」すると今度は連続で「パチン!」が聞こえて来た。さすがにみんなこれはヘンだ、と思い始めていた。すると町支さんが一言
「これって、ひょっとしたらラップ現象かも。」
「エェ~~!!ラップ現象ぉ??マジですか、マヂですかぁぁぁ!!」ぼくは急に言い知れぬ恐怖を感じて叫んだ。
「うん、そうかもしれない。オレもなんかの本で読んだことあるわ。」追い打ちを掛けるように江澤くんが言った。
「やめてよー!オレ怖くて眠れないよー!」ぼくはホントに怖くてたまらなくなって来た。臆病なことにかけては世界でも屈指の存在だと自負しているぼくは、もう一刻も早くこの部屋から逃げ出したい衝動にかられていた。そんなことを言ってる間にも例の音は続いている。町支さんと江澤くんは「フロントに電話して確認してもらったほうが良いかもよ。オレ風呂入るから。じゃあねー。」とかなんとか言って、さっさと自分の部屋に帰ってしまった。再び誰もいなくなった部屋で例の音は続いている。ぼくは速攻でフロントに電話した。
「あのぅ、部屋からヘンな音がですね、聞こえてですねぇ、聞こえるとですたい。」ぼくはコワさのあまり、何故かおかしな九州弁になってしまった。フロントの人に確認してもらうと、確かに音は聞こえるけれど別に不審な音ではないのでは?とのなんだかやる気の無さ全開の返事。でももうこの部屋に居るのは絶対にイヤだったぼくは、部屋を変えてもらうことにした。ところが生憎この日はシングルの部屋が満室で、空いている部屋は四人部屋のファミリータイプの部屋しか用意出来ないとのことだった。ファミリータイプだろうがファミリーレストランだろうが、パートリッジ・ファミリーだろうが、もう何でもいいから部屋変えて!無理矢理お願いして、どうにかぼくは四人部屋に移った。やっとこさ恐怖から解放されたぼくは、ファミリータイプの部屋に入ると改めて部屋の中を見渡した。うなぎの寝床のような横長の部屋にベッドが四つ置かれていた。
「ひ、広い…。」ここで一人で寝るの?寝るの??寝るのぉぉぉ???…絶対に無理!臆病なぼくは今度は別の恐怖に襲われた。四つ並んだベッドが棺桶のように見えて来て、もう居ても経ってもいられなくなったぼくは、江澤くんの部屋に電話をかけた。
「オメツ(江澤くんのあだ名)さぁ、悪いんだけど今夜オレの部屋に泊まってくれないかなぁ?」おそるおそるぼくは江澤くんに言った。
「え~~!なんで?イヤだよオレ。だいいち面倒くさいし。」江澤くんは本当に嫌そうに言った。
「部屋変えてもらったのは良いんだけど、広すぎてコワくて眠れそうもないのよ。お願い!今夜だけオレの部屋に泊まって!」まるで女の子を口説くかのような口調で、ぼくは江澤くんに懇願した。こうなったら何か何でも口説き落としてみせるぞー!…相手は男であった(笑)渋る江澤くんをどうにか説得して、この夜は四人部屋に泊まってもらうことにした。急に安心したぼくはコンサートの疲れもあって、あっという間に深い眠りに落ちて行った。次の朝、爽快な気分で目覚めると、眠そうな目をした江澤くんがすでに起きていた。
「あれっ?オメツもう起きたの?早いねー。」昨夜の騒動のことなど、どこ吹く風でぼくは言った。
「あのなぁ、オマエ~殺すぞ。さっさと一人だけ先に寝やがって、オマエのいびきがうるさくて全然眠れなかったじゃねーかよ!」これ以上無いというくらい、超不機嫌そうな顔で江澤くんは言った。
 写真◆これがその四人部屋。起きてから江澤くんの機嫌が直ったところで記念に一枚(笑) 
**************** http://air.edisc.jp/ima/
 http://mi-mychronicle.blogspot.jp/2016/04/16.html
 https://ja.wikipedia.org/wiki/THE_FUSE
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『ONE AND ONLY』というアルバムを購入したいのですが、販売しているのでしょうか? 
 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q108554170
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 ┃  ROAD and SKY ┃vol.30
 ┗━━━━━━━━━━━━┛I MYSELF SAW IT 
‡1988(昭和63)年06月23日(水)曇り時々小雨 一昨日、昨日と神戸文化ホールでのコンサート。今回のツアーでは初めての関西エリアでこの後、和歌山をやって山陰地区へ。京都や大阪は秋と冬に組まれているのだけど、ちょっと先の事だ。田島さんが昨日から写真を撮りに来ていて今日はポート・アイランド近辺で撮影。夏の浜名湖でのイベントのパンフレットに使う為のものらしい。朝から今にも雨が降ってきそうな空だったけれど3時間弱の撮影中は何とか大丈夫だった。クルマでアイランド内を移動して資材置き場のようなところなどで数カット。広い道、ワールド記念ホールの様な大きくて個性的な建物が立ち並びちょっと日本離れした感じのする場所だ。
 http://shogo.r-s.co.jp/fanclub/backnumber/backnumber030.html

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