シェークスピア
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今年も6月の猫たちの季節になりました。
今日、6日は2008年に愛猫Rubyと出会った記念日です。
わたしのペットロスに神さまが憐れみを持って
あるご計画をしてくださったことを知る始まりとなりました。
Rubyが我が家に来た時のことは、このブログのはじめにも書いていますが、
飛行機に乗ってきた迷子の仔猫ちゃんでした。
飛行機内でぶつけた傷、
ぐしゃぐしゃのお顔。
ノミだらけのボディ。
こんな小さな仔猫ちゃんを誰が飛行機に乗せたの?
当時、わたしの持っていたブログやサイトにも全部、捜索願いを出しました。
わたしや娘の関係者たちも、みんな、探してくれましたが、飼い主は現れませんでした。
性別もわからなかったので、近所の獣医師さんに診て頂くと、オスだとのこと。
無料で診て下さり、風邪をひいてることも教えてくださいました。
航空法で4日と管轄警察での遺失物預かり期間2週間、
我が家で預かることになりました。
自分でrb・・・とPCを打って自分の名前を教えてくれたこと自体、
人間が知る範囲(領域)ではなかったことだと、今になって改めて思います。
すべてのものに名前をつけたアダムのように、
仔猫ちゃんにも、自分の名前を伝える思いがあったのでしょう。
娘が洗礼してみたら?名前がくるかも?
と言ったので、洗礼をしたら、水がかかっても嫌がらず、じっとしていました。
響いて来た名前は
Ruby
「最高の魂」という意味でした。
「あなたはRubyちゃんって言うの?」
フニャ~ン♪
そんな素敵な洗礼シーンでした。
660gの仔猫ちゃんは、預かり期間を終えたらどうなるの?
警察から聞いた答えは、
残酷な「ガス室行き」でした。
ナチス時代のようにガス室で殺す場所があるなんて・・・
信じられませんでした。
ペットロスの苦しみは、もう二度としたくない。
でも、あなたの運命は・・・。
苦しみの中で祈りました。
無邪気に甘えてくる仔猫。
もう猫は飼わないんだよ。
あなたが20年生きたとして、わたしは・・・?
フードや猫砂の安全なものってないんだよ。
うちは貧しい母子家庭だから、ぜいたくなんてさせてあげられないのよ。
でも、あなたの運命は・・・。
色々言い訳をしながらも、
あなたを家族にする以外に道はないのですね。
結論を納得してから、わたしは熊本の母に電話をしました。
事情を話して仔猫ちゃんを家族にすることを伝えると、母は
「20年先には、もうわたしは生きてないわね~」
と笑って言いながら、
「大変だけど大事にしてあげてね」
といいました。
いつも、わたしのすべてを応援してくれる母でした。
それから、電話や帰省をするたびに、母はRubyの話を喜んで聞いてくれました。
母はそれから8年後、2016年に召天しました。
Rubyを家族に決めた時、娘は大喜びでした。
その4日後、
娘のBF君が初めて我が家に来てくれたのも、
Rubyを見たい理由からでした。
おみやげは、爪とぎハウスや猫のおもちゃ。
お菓子もあったと思いますが・・・
なんとも彼らしくて印象的でした。
わたしとは初対面で・・・。
娘より7歳下の青年でした。
彼はRubyに一目ぼれしてくれたようでした。
我が家の猫たちは神さまの働き猫でもありました。
ノンタンとチャラの話をしたら、
Rubyも同じように、彼のそばにピタッとくっつきました。
あの時、奇跡が起きました。
初対面のBF君に祈らせていただき、イエスさまを信じる祈りを一緒にしました。
それから洗礼を勧めると、BF君は素直に受けてくれました。
聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」ということはできないからです。
(1コリント 12:3)
BF君の頭にお水をかけて祈っていると、
彼の洗礼名が響いてきました。
「洗礼証が届くのを楽しみにしていてね」
洗礼名は彼のお気に入りになったことは言うまでもありません。
祈り終えた時、BF君はRubyの前で、
「先輩、よろしくお願いします」
と頭を下げて言いました。
このBF君がその後、娘の夫となったのでした。
BF君は、高校時代にカトリックの有名校に行っていたそうでした。
祈られてきた魂だったのでした。
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Rubyはお花が大好き、礼拝も大好きな猫さんでした。
最初の大阪集会礼拝では、
テレビの下の空間に入り込んで、
礼拝が終わるまでじっとして一緒に礼拝をしていました。
まさか?
と思いましたが、毎月第4日曜日の礼拝で毎回同じようにするので、
礼拝を知っているのだと思いました。
礼拝中は自分のクッションに乗ったまま動かず、賛美の時は尻尾を振っていました。
聖餐式の時は、寝ていても、すくっと起きて、パンを食べ、ぶどうジュースを飲みました。
普段はパンもぶどうジュースも口にしないのに、不思議でした。
仔猫のRubyとの暮らしは、毎日がハード。
よく遊び、よく動きました。
2ヶ月くらい経ったころ、
わたしも娘もペットロスからいやされていることに気付きました。
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会社では今でも不明な迷子の仔猫ちゃん事件。
運が悪ければ死んでいた仔猫ちゃんの運命。
娘の家族にされたことで、会社の方々も喜んで下さっていました。
キャットフードも頂いたり、
多くお方々のあたたかな祈りを感じながらの日々でした。
Rubyは,やはり3代目働き猫として、
娘の友人たちやわたしの関係者の救いのために働きました。
Rubyにとって、娘は命の恩人となりました。
温厚なRubyは,イエスさまが一緒にいらっしゃるような静けさと平安を与えてくれました。
不思議な空気をいつも感じて過ごしていました。
特に礼拝の時は聖なる猫。
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2010年の10月、娘の誕生日に娘とBF君は入籍をしました。
誰もが彼を「世界一しあわせな男」だと言ってくれました。
翌年1月の彼の誕生日に沖縄で結婚式。
この時、Rubyは初めてペットホテルで3日間お留守番をしてくれました。
お迎えに行った時は「いらっしゃいませ~」と言う感じで歓迎。
すぐに馴染んでいたそうでした。
3月、大阪で職場の方を招いた披露宴を開いた一週間後、
日本を変えた3.11東北大震災、福島原発事故が起こりました。
3.11の直後に娘のダーリンが成田に異動になるまで、
3人と1匹での生活となりました。
わたしたちにとって、一番しあわせな日々でした。
1年間、二人は週末婚で行ったり来たり・・・
1年後、娘が退職して成田に引っ越して行きました。
仕方ないことだけど・・・
Rubyは寂しそうでした。
娘も日曜日は礼拝を守ることが日課でしたので、
毎月第4日曜日には帰って来てくれるようになりました。
Rubyは娘との再会を楽しみに待ちながら過ごすようになりました。
続く
”わたしたちとしては、自分の見たこと聞いたことを、
語らないわけにはいかない。
(使徒行伝4:10)”
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知識
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