マザー・テレサ
2017年9月の終わり、
Rubyは酷暑の夏を乗り越えた秋の始め、元気がなくなって入院しました。
獣医師さんは、「一度、Rubyちゃんの検査をしてみたかった」と言われて、
検査をされました。その時、レントゲンに心臓の影が映らないと言われて、即入院となりました。
検査結果は、
猫エイズだと言われました。
猫との接触はないことを告げると、「母猫からでしょう。」と言われました。
(今、この記事を書いている9日、不思議なことに、FMラジオでも人間のエイズのことを話しています。)
「猫エイズを治すことは今の医学ではできないのです。」
ショックでした。
Rubyの肺にたまった水が200CCくらい、シャーレーにたまりました。
毎日病院に行きました。
2日目は落ち着いていました。
病院の休診日の翌日に行くと、
また数値がよくなくて、やっと見えていた肺が見えないと言われました。
Rubyも困った顔をしていました。
「娘を呼ぶべきですか?」
そう尋ねると、獣医師さんは、
「後悔しないために・・・ぜひ呼んであげてください。治ったらもっと嬉しいことですから」
と言われました。
娘と娘の夫君はすぐにその日、帰阪してくれました。
京都からわたしの妹も駆けつけてくれました。
娘はRubyを見ながら、
「家に連れて帰ってはいけませんか?」
と言いました。
獣医師さんは、
「落ち着いているのでいいでしょう。」と、許可して下さいました。
「ただし、絶対に4日には連れて来て下さい」と言われました。
娘の夫君がRubyのケージを持ってくれて、わたしたちは家に帰りました。
Rubyはまた戻って来たしあわせな日々を感じたのか、とても嬉しそうでした。
娘の夫君は、仕事があるので成田に帰って行きました。
娘には、いたいだけいていいからね、と言ってくれました。
10月3日、わたしはRubyのことが気になりながらも仕事に出かけました。
夕方帰ってくると、娘とRubyのしあわせそうなシーンが目に入りました。
良かったね、Ruby。
尻尾をブンブン振って喜びを表すRuby.
Rubyの顔や身体には、猫が天に帰る前に見せる姿が見えていました。
わかっていても、1分でも1秒でも長くすごせますようにと祈りました。
夕食を終えて、しばらく娘と話していると、
Rubyはわたしの顔を見て、
「ママ:::どうしよう・・・」
と言う顔をしました。
「どうしたの?痛い?苦しい?」
今まで見せたことがない不安な顔をしてわたしを持つめているRuby.
すぐに病院に電話を入れました。
でも、話し中・・・
何回かけても話し中で電話がつながりませんでした。
「先生お願い、電話に出てください・・・」
やっとつながった電話は留守電でした。
留守電に娘が伝言を残しました。
それから、救急病院に電話をして事情を伝えると、
「すぐに連れて来て下さい」
とのことでした。
一度だけ、ノンタンがお世話になったことがある動物救急病院。
森ノ宮にあります。
車で20分くらいかかるけど、行きましょう。
家を出ようとすると、Rubyは玄関のドアを開ける前に、大きな声でミャウ~と鳴きました。
行きたくない?
でも行かなきゃ。
エレベーターに乗って1階まで降りる時、
娘が持っているケージのなかで、
ミャ~
Rubyはまた鳴いて、身体が崩れ落ちるようにケージの中で倒れました。
お願い神さま、
どうかRubyを助けてあげてください。
車に乗って助手席に座った娘の膝の上でRubyは息を引き取りました。
その顔を見て驚きました。
なんと安らかな顔。
いつもの眠っているRubyの顔でした。
苦しかったのではなかった?
笑顔のRubyは一難大好きなお姉ちゃんに抱かれて天に還っていったのでした。
とはいえ、わたしも娘も泣きながら病院に向かっていました。
どうやって運転して行ったかも覚えていないほど、
何とかなる、何とかなるよね。
これは夢だよね。現実ではないよね。
神さまはRubyを守ってくださるよね。
そう言いながら病院に着くと、
先生が迎えに出てこられて救急処置室にRubyを連れて行って下さいました。
そして、できる応急処置をすべてしてくださいました。
心臓マッサージも・・・。
わたしと娘はその横で祈り続けました。
ああ、主よ、Rubyはあなたのもの。
あなたにお返しいたします。
しあわせすぎたほどに、
もったいないくらいのしあわせをありがとうごいました。
静かな静かな時が止まったような時間でした。
先生方は、
「一生懸命やってみましたが、申し訳ありません」
と謝って下さいました。
待合室で待っていると、
白い箱のなかに手作りのお花を添えてくださり、
眠っているRubyをわたしたちに返してくださいました。
担当をしてくださった先生は、駐車場まで一緒に見送りに来て下さいました。
優しい獣医師さんに最期を接していただけて良かったです。
わたしたちは、感謝を伝えて家に帰りました。
それからどうやって家に帰ってきたのかもわかりません。
さっきまで尻尾を振っていたRubyの目はもう永遠に開かない。
もう一度、Rubyを神さまにお返しするお祈りをささげました。
近所の獣医師さんは、犬さんの手術をされていたそうでした。
後日、御礼に行ったとき、先生も悲しんでくださいました。
病院を出てしばらく歩いていると、
わたしの背中になにか重いものがのっかったように感じました。
なにかが祈ってと言ってるみたい・・・
わたしは娘と一緒に十字架の祈りをしました。
すっと、重たいものjは消えました。
なんだったんだろう?
娘と話しながら、もし、いま、誰か?人か動物かわからないけど、
天に帰った瞬間に祈れたのかもしれないね。
神さまの永遠のふるさとに帰れることが一番のしあわせだもの。
Rubyが天に帰ってから
猫後がわかるようにしてください
と祈っていたわたしの耳に
人間の言葉でRubyとの会話が始まりました。
「永遠の世界のほんの少しの時間を一緒に過ごせたことをありがとう!!。」
賛美も流れてきました。
書き留めているうちに1週間後くらいで言葉がまとまってきました。
メロディつきでしたので、本当に慰められました。
神さまは本当にRubyを天から送ってくださったのでした。
感謝でいっぱいで、憐れみと恵みに包まれていることを知らされました。
Rubyは招き猫以上の招き猫。
神さまの祝福を数え切れないほど与えてくれました。
静かな平安、
「最高の魂」の洗礼名のとおり、
霊の平安を与えるために、天から遣わされた仔猫だったのだと思います。
愛と平和の神さまに心からの感謝を込めて。
♪かなしいときは、そらをみあげて
くものなかに わたしがいるよ
いつもそばにいるよ
いつもともにいるよ
永遠の愛といのちで
あなたをまもる♪
”ちりはもとあった地に帰り、霊はこれを下さった神に帰る。
(伝道者の書 12:7)”
天が下のすべて事には季節があり、すべてのわざには時がある。
生まるるに時があり、死ぬるに時があり、
植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、
殺すに時があり、いやすに時があり、
こわすに時があり、建てるに時があり、
泣くに時があり、笑うに時があり、
悲しむに時があり、踊るに時があり、
石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、
抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、
捜すに時があり、失うに時があり、
保つに時があり、捨てるに時があり、
裂くに時があり、縫うに時があり、
黙るに時があり、語るに時があり、
愛するに時があり、憎むに時があり、
戦うに時があり、和らぐに時がある。
働く者はその労することにより、なんの益を得るか。
わたしは神が人の子らに与えて、ほねおらせられる仕事を見た。
神のなされることは皆その時にかなって美しい。
神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。
それでもなお、人は神のなされるわざを始めから終わりまで見きわめることはできない。
(伝道者の書3:1~11)
6月11日の花言葉
ベニバナ
装い・化粧
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