私たちはさぞ立派に耐え忍ぶ殉教者となれることでしょう!
もしも川の向こう岸に金貨のつまった箱をもった男が立っていて、
「川を泳ぎ渡る勇気のある者は、この金貨をもらえるぞ!」と叫んだとすれば、
すぐにでも真剣な水泳競争が始まることでしょう!
(マルチン・ルター)
聖書はわたしたちが神に信頼することを常に語っています。
全知全能の神がおられるから、安心して生きるように。
苦しみや悲しみ、人が体験する苦難の時、
明日が見えたら・・・と、人は願います。
どんなに祈ってもどんなにお金を積んでも、
明日を見れる人は一人もいません。
見れるのは主だけ。
明日を支配されている神のみです。
♪明日はどんな日かわたしは知らない・・・
明日を生きられるイエスがおられる♪
わたしの人生で出会った人の中には、
明日を見たい、
人の心を見たいと、
占いや洗脳教育に走っていった人が多くいます。
わたしも誘われました。
誘われ方もよく似ていました。
「わたしにはイエスさまがいらっしゃるから大丈夫です」
いつもそう答えて断ってきました。
十字架のない世界の終着駅は滅びです。
詩篇37に書いてある御言葉のように、
しばらくは彼等の繁栄を聞かされたり見せられたりします。
けれど、やがて1年2年、5年と経過していくと、
彼等は聖書に書かれているとおりになっています。
中には転々として今でも同じ世界を巡り歩いている人もいます。
人生には苦しみや悩みがあります。
苦しみのない人は一人もいません。
目に見えるものを求めて答えがあるなら
狭き門より広き門を選ぶ人の気持ちもわかります。
人が仕掛ける罠より巧妙なものに心を奪われないように祈ります。
道の分岐点に来た時、わたしは祈ります。
イエスさま、あなたが喜んで下さる道はどちらですか?
わたしにわかるようにお示し下さい。
わたしの思いではなくあなたのみ心のままに。
NameJesus,Amen.
一歩踏み出す時、
主も共におられて一緒に歩んで下さることを知るようになりました。
「あなたの道をわたしに委ねなさい」と、主は言われます。
「あなたの重荷をわたしに委ねなさい」と、主は言われます。
「自分の十字架を負うてわたしに着いてきなさい」と、主は言われます。
神の恵みと慈しみ、憐れみとは永遠まで変わることがありません。
十字架の愛の中で罪をゆるされて涙した日のことをわたしは忘れません。
一度きりではなく、何度も何度も泣いてひざまづいて来た人生。
この主に信頼して生きること、
これ以上のしあわせはありません。
これ以上の平安はありません。
ローマ8:18を祈る時、
イエスさまが十字架上で見ておられた光を思います。
”彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。
(イザヤ53)”
わたしが信頼する以上に、
わたしを信頼してくださる神、
神の御業が現されるために、
今のこの時があります。
すべての栄光が主にありますように。
イエス・キリストは、わたしのすべてです。
”今のこの時の苦しみは、
やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、
言うに足りない。
(ローマ8:18)”
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7月8日の花言葉
カンパニュラ(ベルフラワー)
感謝・大望・抱負・不変・貞節・誠実・後悔