すべてを喜んで受け取るということです。
喜びは、愛に燃える心から自然に生まれるのです。
マザーテレサ
出エジプト記には、これでもかと頑なに神を拒むパロの姿が書かれています。
今の時代も似ていると思います。
上に立つ人が同じように、神が心を頑なにされているのではないかと。
神さまを信じ切るということと、
自分レベルで神さまを思うこととは、全く違う次元になります。
どこまでも信じ切ることの最大の証明は十字架でした。
イエス様は十字架刑に処せられました。
全人類の罪のために死ぬことにさえも。
父なる神を信じ切る時に、
神の祝福があることをイエス様は見せてくださいました。
血を流してまでも従順に神のご計画に従うことは、
信仰の創始者として立てられたイエス様が究極の生と死で
わたしたち人類に見せてくださった姿です。
大丈夫!
何があっても信仰を受け止めて祈り、賛美しなさい。
憐れみ深い父があなたに見せてくださるのは、
神があなたに計画しているすべてのこと。
やがてあなたは、わたしがあなたを愛してやまない思いを知るだろう。
十字架を見上げ続けなさい。
”聖書はパロにこう言っている、「わたしがあなたを立てたのは、この事のためである。すなわち、あなたによってわたしの力をあらわし、また、わたしの名が全世界に言いひろめられるためである」。(ローマ9:17)”
4月29日の花言葉
カンガルーポー(アニゴザントス)
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