僕の精神科病棟への入院を書いてみる。僕はもう小学生の高学年くらいから力尽きていた。ネグレクトやや心理的虐待などが酷く、両親が狂っていたので世の中の全ての事が理解できず適応できなくなっていた。そして中学3年生から長い入院生活が始まった。精神科病棟は鉄格子があり、また玄関のドアは鉄の扉で初めて病棟に入った時は恐怖を感じた。
そして作業療法があったり、今から考えれば無駄な事をしていた事になる。看護師さんも冷たい人が多く優しくなどしてもらった記憶がない。けれど実家から離れられたので1カ月ほどでかなり元気になった。けれど元気になったらまた実家に戻され、また酷い仕打ちを受けるようになった。そして高校に進学は出来たが、成績も良かったが日常生活が送ることが出来ず、再び入院となった。そして高校も中退してしまった。
治療は薬が処方されるだけで、カウンセリングもないし、入院患者さんは酷い人ばかりで、その頃自分は犯罪者のような気持にさせられていた。2年ほど入院生活が続いたが回復しないし、混乱も酷く安定剤の注射が始まり以後毎日3本の筋肉注射、静脈注射の治療が始まった。余りの量の注射で薬疹だらけで、体重も40キロまで落ち、生きる気力も失いかけた。でもそんな時でもプロレス中継を観て何とか踏ん張った記憶がある。そして退院するが、実家には誰もいなかった。母親が赤信号で交差点を渡り入院、手術などで1年以上僕は一人で生活していた。
深い孤独と絶望感に襲われたが、そんな時中学生のとき通っていた学習塾の先生が、生徒の採点を手伝わないかと誘ってくれ、以後暫く学習塾で主に中学生の男女と接していた。それが救いになり僕は元気を取り戻した。中学生の英語、数学を学んだのでそのまま通信制高校に通いだした。町の広報に入学案内が載って居て、晴れて高校生になることが出来た。勉強に没頭して成績はほとんど1番で、担任からは推薦で大学に行けると言われたが、働かなければ食べて行けず、進学も諦めた。
そんな状況でも両親は僕の事には一切関心を示さなかった。僕の孤独は本当に深い。でもその頃でも親はお前のせいで苦しめられると何時も話していたので、僕も自分を責めていた。迷惑をかけていると信じていた。でも高校を卒業したので学歴が高校卒業に替わりアルバイトでも採用されるようになった。それからは幾つものアルバイトを転々としてその日暮らしの生活が続いた。ワーカホリックなので頑張りすぎて仕事は出来るのに長続きしなかった。職場でももっと休憩しろ、と言われたが子供の頃から少しでも手を抜くと母親に怒鳴られたので、怖くて休憩が取れなかった。
そして疲労でまた精神科病棟への入院となってしまった。こうして30代前半まで病院とは縁が切れなかった。両親は僕を庇うどころか高額の医療費の事で僕を徹底的に僕を貶した。一時期は金属バットで両親を殺そうかと思ったくらいだ。こうして幼い時から僕は苦難の連続だった。だからAC概念に出会い僕の無実が証明され夢でない事を願ったものだ。でも今度は難病でまた入院生活になった。つくずく僕はついていない。この世に神は存在しないのか。僕のくぐった道のりは険しく、でも諦める事はなく今は元気に回復し、ようやく僕の人生が始まったところだ。
そして作業療法があったり、今から考えれば無駄な事をしていた事になる。看護師さんも冷たい人が多く優しくなどしてもらった記憶がない。けれど実家から離れられたので1カ月ほどでかなり元気になった。けれど元気になったらまた実家に戻され、また酷い仕打ちを受けるようになった。そして高校に進学は出来たが、成績も良かったが日常生活が送ることが出来ず、再び入院となった。そして高校も中退してしまった。
治療は薬が処方されるだけで、カウンセリングもないし、入院患者さんは酷い人ばかりで、その頃自分は犯罪者のような気持にさせられていた。2年ほど入院生活が続いたが回復しないし、混乱も酷く安定剤の注射が始まり以後毎日3本の筋肉注射、静脈注射の治療が始まった。余りの量の注射で薬疹だらけで、体重も40キロまで落ち、生きる気力も失いかけた。でもそんな時でもプロレス中継を観て何とか踏ん張った記憶がある。そして退院するが、実家には誰もいなかった。母親が赤信号で交差点を渡り入院、手術などで1年以上僕は一人で生活していた。
深い孤独と絶望感に襲われたが、そんな時中学生のとき通っていた学習塾の先生が、生徒の採点を手伝わないかと誘ってくれ、以後暫く学習塾で主に中学生の男女と接していた。それが救いになり僕は元気を取り戻した。中学生の英語、数学を学んだのでそのまま通信制高校に通いだした。町の広報に入学案内が載って居て、晴れて高校生になることが出来た。勉強に没頭して成績はほとんど1番で、担任からは推薦で大学に行けると言われたが、働かなければ食べて行けず、進学も諦めた。
そんな状況でも両親は僕の事には一切関心を示さなかった。僕の孤独は本当に深い。でもその頃でも親はお前のせいで苦しめられると何時も話していたので、僕も自分を責めていた。迷惑をかけていると信じていた。でも高校を卒業したので学歴が高校卒業に替わりアルバイトでも採用されるようになった。それからは幾つものアルバイトを転々としてその日暮らしの生活が続いた。ワーカホリックなので頑張りすぎて仕事は出来るのに長続きしなかった。職場でももっと休憩しろ、と言われたが子供の頃から少しでも手を抜くと母親に怒鳴られたので、怖くて休憩が取れなかった。
そして疲労でまた精神科病棟への入院となってしまった。こうして30代前半まで病院とは縁が切れなかった。両親は僕を庇うどころか高額の医療費の事で僕を徹底的に僕を貶した。一時期は金属バットで両親を殺そうかと思ったくらいだ。こうして幼い時から僕は苦難の連続だった。だからAC概念に出会い僕の無実が証明され夢でない事を願ったものだ。でも今度は難病でまた入院生活になった。つくずく僕はついていない。この世に神は存在しないのか。僕のくぐった道のりは険しく、でも諦める事はなく今は元気に回復し、ようやく僕の人生が始まったところだ。